バトルパート
もう何を恨めばいいのかわかりませんでした。
わたしを置いていった母でしょうか。
壊れて暴走した父でしょうか。
全ての元凶である蜜原蜂野でしょうか。
そもそも恨んだところで何か変わるのでしょうか。
行動に移さなければ何も変わらないのでしょう。
わたしは覆い被さってくる父に、「やめて」と言いました。その一言に父への憎しみ、母への怒り、蜜原蜂野への恨み、わたし以外の人間への妬みを込めて。
父は素直に手を止め、わたしから離れてお酒を飲み始めました。なんだか、わたしへの興味がなくなったようでした。
久し振りに自分の時間が戻ってきました。
わたしが言葉に込めた気迫が父の心に届いたのでしょうか。
だとすれば今の気持ちを忘れないうちに蜜原蜂野へ向けるしかありません。
彼女の顔を見ればすぐに思い出せるよう、父の元クラス写真を取り出し蜜原蜂野を探します。
何度も写真越しに睨み付けていたその顔でしたが、今まで見落としていたものがあることにふと気付きました。
彼女は不思議な力を持っていました。それも写真越しでもわかるほどに。
きっと、この力を使ってクラスメイトを従わせているのでしょう。そして気に入らない者を奈落の底へと集団で追い込んでいるのです。
今までどうして蜜原蜂野の力に気付けなかったかと言えば、わたしにそれを察知する力がなかったからでしょう。しかしこんなものはオマケみたいなものでした。
仮に、自分の命令で他者を服従させる力を“権力”とするならば、他人の力を頼り利用するわたしの力は“他力”といったところでしょうか。
つまり先程、わたしは蜜原蜂野の力で父を退けたのです。
こんな面白いことはありません。
彼女自身の力で蜜原蜂野を破滅させようではありませんか。
まずは父を使って力の練習を行いました。
一つ。どれだけ力が使えるか。
結果、物理的に不可能なこと以外、何でも命令を聞いてくれました。
流石に自傷行為では反抗されましたが、命令を重ね掛けることによって髪を毟ったり爪を捲ったり歯を抜いたりまで出来るようになりました。この調子なら自殺も可能なことでしょう。
二つ。どこまで力が届くのか。
これはわたしが父の動向を把握していればどれだけ離れても命令が継続するようでした。
更に、どこにいても条件を満たしていれば新たな命令を下すこともできました。
三つ。力がなくても使えるか。
父以外の人への命令を父にやってもらいましたが、不可能ではありませんでした。
しかしこれはわたしの力を使って父が命令したという体になるようで、複雑な命令は難しそうでした。
最後。力の限界はあるか。
命令とはなんなのでしょうか。
従うとはなんなのでしょうか。
言語に頼る命令は面倒なものです。
わたしの体内では脳の出した命令が神経を通り筋肉を動かしています。そこに言葉のような手間を取る活動はありません。
この神経のようなものを父との間に繋げば、より精密な行動ができるようになるのではないでしょうか。
その神経こそが権力なのではないでしょうか。
気付けば視界が二つに増えていました。
父の網膜が結んだ像が父の脳には行かず、わたしの脳へ運ばれて来るのです。
腕も脚も倍に増えたようでした。
父の身体が自由にうごかせます。
脳が突然のことで処理できず頭が割れるように痛みましたが興奮のあまりそれどころではありませんでした。
これで力の準備は整いました。あとは小道具を揃えるだけです。
わたしは父に空き巣をさせました。
一目で命を奪うことがわかるもの。
他人に邪魔されず一撃で仕留めることができるもの。
距離があっても問題のないもの。
そんなものが欲しいのですが、この国の家ではなかなか見当たりません。
次第に荒らす家も多くなっていきます。
普通なら空き巣に入る家が多くなるほど誰かに見られる危険性が高くなってしまうところですが、わたしなら眠らせる命令をすればそれで済んでしまいます。その間に父に殺してもらえばいいのですから。
大きな山の麓にある小さな村まできて、害獣を駆除するための銃を見つけました。
厳重に保管されていたので、持ち主の方に命令して取り出してもらいました。他の家も回り、合計三丁の猟銃を受け取って、トラックで自宅まで送ってもらいました。わたしの権力はもう言語を使わずに命令できるので楽なものです。
全ての準備が完了しました。
早速、父には銃を担いで蜜原蜂野のいる学校へ向かってもらいました。誰かに見られても口封じの命令で黙らせます。
一つずつ教室を覗いて探していると、不審者が出た旨の校内放送が流れました。監視カメラにでも写ってしまったのでしょう。わたしの権力でも機械まで支配することはできなかったようです。
面倒なことになる前に手早く片付けなければいけません。
いくつ目かの教室で蜜原蜂野を見つけ乗り込みました。
わたしの気分が高揚し過ぎたせいで変な命令が飛び、父が咆哮をあげてしまいましたが、それで皆怯えているので結果オーライでしょう。
始めに一発、銃が本物であることを示すために窓硝子に打ち込みます。
硝子が割れ散らばる音と生徒の悲鳴が心地よく反響しました。
次はしっかりと蜜原蜂野に狙いを定めます。
父も強い恨みを抱いていたのか、わたしの静止を振り切り彼女を怒鳴り付けました。
蜜原蜂野の怯えた顔は爽快なものでした。
権力を用いて周囲の生徒を盾にするつもりのようですが、残念ながらそこはわたしの権力で上書きさせてもらいます。
何度彼女が権力を行使しても、わたしの上書きより上回ることはできませんでした。
オリジナルよりもコピーした力の方が強いだなんてなんと滑稽なことでしょうか。
低俗な雑念が多く下らない欲にまみれているから力がぶれるのです。わたしのように力だけに集中していればそうはならないでしょう。
蜜原蜂野がつまらない人間であることはもうわかったのでこれで終わらせてしまいましょう。
照準を合わせ引き金を引いただけで彼女は倒れました。
あまりにも呆気なく、わたしも父も笑ってしまいました。
それじゃあ蜜原蜂野が完全に死ぬ前に父も殺しておきましょう。痛いのは嫌なので父には自殺する命令だけ残してわたしは意識を切ります。
すぐにわたしの中から権力が消えていくのを感じました。
真の持ち主である蜜原蜂野が絶命した証です。
父は自殺していても失敗していてもどの道人生終わりでしょう。
とても清々しい気分で体中に力がみなぎるのを感じました。
こんな素晴らしい日には外に出て日の光を浴びるべきです。
わたしは玄関から一歩出てうんと伸びをしました。
太陽の熱をこの肌で直接感じたのなんていつ振りだろうと感慨にふけっていると、ギイギイと軋むような音を鳴らしながら車椅子に乗った方がこちらへやって来ました。
異様でした。
その車椅子は見たところ自走式であるにもかかわらず、手が触れていないのにタイヤが回り、進んでいます。
“回転力”。
直感でそう思いました。
ですが何故、回転力がわたしに会いに来るのでしょうか?
蜜原蜂野を殺したことへの復讐。
……いいえ、それはありえません。
蜜原蜂野が死んでからまだ時間はそれほど経っておらず、テレビのニュースでも流れていないはずです。
第一、直接手を下していないわたしのもとに、たどり着けるわけがないのです。
きっとこの出会いは偶然。今にも車椅子は何事もなくわたしにも気付かず、通り過ぎていくでしょう。
「きみの力はずるいなあ。楽ができて本当にずるいなあ」
隣に並んだとき気怠そうな掠れた声が聞こえました。
慌てて振り向くと少年とも少女とも取れない中性的な顔が目に入りました。
間違いなくこの人は、わたしが力を持っていることをわかっています。
つまり――
「きみはヒントをたくさんくれたからあ。ボクもヒントをあげようかなあ」
指を自分のこめかみに当ててくるくる回しています。
「ボクは頭の回転が速いんだあ……!!」
こいつは殺さなければなりません!
恐らく全てを知られてしまっています。
わたしが他力であることはもちろん、父を操り、蜜原蜂野を殺したことまで。
要件は復讐のためにわたしを殺すこと。もしくは捕まえて警察にでも引き渡すつもりでしょうか。
どちらにしろ素直に受け入れたところでわたしには一切メリットがないのですから対抗しなければなりません。
わたしの他力なら相手の力のタイプから使い方までほとんどわかります。
この人の力は蜜原蜂野と同じ、権力のように動きをイメージしながら回せという命令と、少しの条件を満たすだけで使える力。
ですからこのように……
相手の頬を両手で軽く挟み、力を込めて、
「回れ」
それだけで両頬の肉がゆっくりと渦を巻いていきます。
やがて弾性を超えて千切れた皮膚からは血が滲み出てきました。
先手必勝。攻撃を受ける前にこちらから仕掛ければ負けることなどありえません。
それなのにこの人は、もう顔もわたしの手も血で真っ赤になっているというのに、痛がる素振りすら見せません。
「もう回せるんだあ、すごいねえ。僕は車椅子のタイヤを回すだけで二週間掛かったんだけどなあ。……でもお、思い切りが足りないよねえ!!」
わたしの両手の指先が勝手に回り始めました。
わたしの意思とは無関係に指の動きは激しさを増していき、関節の砕ける音と共にぐるんぐるんと回転します。
「……あああ! ああああああああああああ!!」
気味の悪さよりも痛みで私は声を上げました。
回転する軸が徐々に上の方へと移っていきます。指先は惰性で動くだけになり、今度は手首が回りだします。
次は肘、その次は肩。肩まで上がってきた時点で回る速度はどんどん速くなり、骨の砕ける音が肉と皮の千切れる音に変わりました。
「楽あれば苦ありだからあ? 君には思い切りが足りないなあ。ああ面倒くさい。楽しいかい?」
最高速度に達した両腕は肩ごとどこかへ飛んでいきます。
「いやああああああああああああああっっっっ!!」
痛みとショックでわたしはその場にうずくまりました。
同じ力を使っているはずなのに、どうしてこれほど差があるのでしょうか。
「あーはっはっはっはあ。楽しいねえ」
相手の両手が優しくわたしの頬を持ち上げます。
覗き込むその顔と目が合いました。
これはやり返すチャンスです。
この頬に触れる指を回し、やがて体ごと捻り潰してしてまえば――
「だからあ。それじゃあ遅いんだよお。罪人横谷聡実に、西州迅が試練の罰を与える」
意識がなくなる前に最後に見たのものは、三百六十度縦横無尽に巡り巡る圧巻の景色でした。
回転する少女の頭部は静かに体から捩じ切れ、足元を転がった。
他力のおはなし 終