城壁から
「ご覧ください、どうですこの景色。これがガウディールにございますイルメルサさま!」
風に舞う耳元の髪を抑えながら、誇らしげな声の騎士が指差した方を見た。眼下には、珍しく澄んだ青空のもと、ガウディールの黒い石積みの城壁に囲まれた町が広がっていた。町の教会の尖塔、その近くに噴水。
噴水には見覚えがあった。あれは父とここに来たときに通った道沿いにあったものだわ。今日もあの日と同じように、周りで遊んでいる子供の姿が小さく見える。ただ雪の白い色の見えるところはほとんどなくなっていた。
薬草園へ行くのはやめられたけれど、モルゴーに押し切られる形で城壁への散歩はすることになった。モルゴーとは魔術師塔の近くで別れ、ジーンは下に待たせている。
「とても……平穏そうね」
城壁は厚く高く強固で、領民たちは安心して暮らしているように見えた。細い煙が何本も青い空へ立ち上っている。
「ガウディールは王国の歴史の中、長く国境の守りに寄与して参りました。強固さにかけては王国一と自負しております!」
この日見張り塔にいたのは、ひとりの兵士と庭での騒ぎの時に私を部屋まで護衛した、あの声の大きな騎士だった。兵士の方は職務に忠実に、黙って表を警戒している。時折肩のあたりがぴくりと反応するだけ。そう、こんな風に、
「あそこの一際大きな屋敷の脇の店、おわかりになられまして? 今町で人気の木工職人がおりますの」
フラニードが口を開いた時などに。振り返ると、フラニードは私のそばまで来て小さく笑った。
「木工職人? 家具の?」
「いやだ、家具職人でしたらもっと大きな店構えでないと。ほら、こういった――」
言ったフラニードが、羽織っていた茶色いコートの前を少し開いて中を見せてきた。胸元に、木彫りの胸飾りが付けられている。ひとりの女神の横顔が彫られ、着色もされていて美しい。女神の耳飾りの形からして豊穣と愛の女神ね。
「きれい。人気なのも当然だわ」
「ありがとうございます」
得意げな笑みを口元に浮かべたフラニードを見て、ぴんときた。
「誰かに贈られたのね?」
「木工細工など……イルメルサさまに対して自慢にもなりませんけれど、はい。同じ職人の手になるものをいくつか」
そう。自慢たっぷりの声に聞こえるのは私の嫉妬なのかしらね。
「謙遜する必要はないわ、すてきじゃない」
「胸飾りが増えるばかりですのよ」
頬に指を当てながら困った風に言ってため息をつくフラニードを、見張りの兵士が目だけ動かして見るのに気が付いた。彼もフラニードになにか贈ろうと思ったのかもしれないわね、胸飾り以外のなにかを。
「イルメルサさまのようなお立場でしたら、信奉者からさぞかし多くのものを贈られておいでなのでしょう?」
「どうかしら」
景色に見とれ上の空で答えるふりをしながら、内心むっと腹が立った。私の荷を漁ったのだから、そんなもの持っていないなんてわかっているだろうに、白々しい。
ひとに作らせた細工なんてちっとも羨ましくない。私はラスティが手作りしてくれた首飾りを持っているもの、ほかにはいらない。届けに夜、忍んで来てくれたのよ。そりゃ、彼は私の信奉者ではないけれど。
「髪飾り」
苛立ちを抱えながら短く言うと、フラニードが一瞬体を強ばらせた。罪悪感はあるのね。それで少し気持ちが収まって、小さく笑いながらフラニードの髪を見た。しっかりと編まれ結い上げられ、陽の光にきらきらと輝いている。
「あなたの髪は美しいから、それを飾るものならいくつあってもよいのにね」
「お褒めくださるなんて、ありがとうございます。ですけれど、髪飾りは金細工師の手も必要になりますもの……高価で」
「そうなの? 私はものを知らなくて」
言って、フラニードの表情の変化は見ずにまた城下を眺めた。気分を害したかしら。どちらでもいいわ。
「お前たち、夜の間もここに?」
「はい! 交代で常に監視しております!」
「夜はまだ冷えるでしょう」
見張り塔同士を繋いでのびる城壁の上の通路を眺める。そこにもぽつりぽつり、兵士の姿があった。
「ご心配いただき光栄にございます!」
声の大きな騎士は私が話しかけるたびに背筋を伸ばして答えてくれたけれど、どうにも会話は弾まなかった。シファードの騎士、アリンやロインみたいに気安く話せる者はここにはいない。
「いつか町にも降りてみたいわ」
「春には大きな祭りがありますのよ。確かご領主さまは毎年ご夫妻で参加なさっていた記憶があるのだけれど……そうだったわよね?」
フラニードが口を挟んできて、途中から棒立ちの兵士に顔を向け聞いている。
「は、はい。フラニードさんの言うとおりです。祭りの頃にはイルメルサさまも、ガウディールの奥方さまにおなりになられておられますから」
「そう、そのときには町に行けるのね。楽しみにしておきましょう」
フラニードの方にちらちら視線を向けながら、緊張した面もちで話す兵士に私も声をかけ、それからふと浮かんだ疑問をそのまま口にした。
「そういえば……バルバロスさまのこれまでの奥さまたちの墓所はどちらに?」
「えっ」
突然墓所などと口にした私に面食らった様子の兵士は、顔を思い切りこちらに向け固まった。聞いてはいけなかったかしら。そんなはずはない。
「知りたいわ。いつかは私もそこに眠るのだもの、そうでしょう?」
「それでしたら、あちらです」
答えたのはフラニードだった。
今度は背中側、城の中の方を指さしている。婚約式を行った聖堂がある方向だ。
「聖堂の地下にご一族の墓所が」
「みなさま、そちらに?」
「おじにそう聞かされております」
そうだ、フラニードは司祭さまの姪だった。地下に墓所があるの。もう三人も眠っておられるのに、私の横になる場所はあるのかしら。隅の方に座らされたりしてね。そんな冗談を思いついたけれど、口にしたところでここにいる者たちは笑ってくれそうもない。
「シファードの墓所は聖堂の地下ではないのですか? どこも同じなのかと思っておりました」
「違うわ、領民たちの墓所の一角に、地下墓地への入り口があるの」
そう話していると、シファードの城の様子がありありと思い出されてきた。ふ、と視線をふるさとのある方角に向ける。向こうも今日は晴れかしら。この空を辿って……。
「墓所とは、年若い女たちの会話にしては随分と年寄り臭い話題ではないか?」
「バルバロスさま!」
と、急に前触れもなく見張り塔の階段からバルバロスさまが姿を見せた。慌てて膝を折り、腰を落とす。どこから聞いていたの。
「うむ、よい気候だ」
「驚きましたわ! いらっしゃられるおつもりでしたのなら、お教えくださればよろしいのに」
薄暗い階段から外に出て眩しいのだろう、目を細めるバルバロスさまに、ひどく気安げに声をかけたのはフラニードだった。
「なに、近くを通っただけのこと。美しい金と銀の髪が陽に輝くのが見えてな」
そう言って、バルバロスさまが私とフラニードの顔を見比べた。侍女と並べられるなんて面白くなかったけれど、その気持ちは顔に出さないよう気をつけた。私もなにか言わないと。
「城壁に登る許可をくださって、感謝しております」
「なに、かまわぬ。どうだ、壮観だろうガウディールを一望するのは」
「はい。ここから見上げる北の山は部屋の窓から眺めるより近く、大きく見え素晴らしく感動いたしました。それに、町の様子を眺めるのも楽しゅうございます」
バルバロスさまは私の答えに満足げな笑みを見せながら頷いて、私とフラニードの間に立った。
「子供らが遊んでおるな」
「着膨れた幼子がかわいらしく、見ておりました」
「どれ、おお、あれか、は、まるで玉だな」
ひとりころころとよく転ぶ子供を指さすと、バルバロスさまは目尻の皺を深め笑った。ふいに誰かの言葉が蘇る。領民の子を抱き上げ――笑っておいでで……これはシファードの騎士の言葉。バルバロスさまのことを尋ねた私に答えてくれた。
これは本物の優しさなのかしら。一度思って、すぐ否定した。いいえ。城壁の内側で恐ろしい熊の魔物を何年も生み出し続けているのよ。狩りの時の騒ぎで、あの子供の身内も犠牲になっているかもしれないのに。
「先ほどはなぜ墓の話などしておった?」
「イルメルサさまが、ご一族の墓所の場所をお尋ねになられましたの」
バルバロスさまは私を見て言ったのに、答えたのは向こう側のフラニード。バルバロスさまを見上げ、紫色の目を細め笑顔を作っているのがなぜか気に障る。
バルバロスさまがほんの少しフラニードの方に体を傾ける、その瞬間見張り塔の上を、山から降りてきた強い風が一気に吹き抜けた。
「あ!」
冷たい。毛皮のコートの襟元をぎゅっと押さえ、風が通り過ぎるのを待つ。騎士が私の背後に立ち、風を遮る壁となってくれる。隣を見ると、バルバロスさまは、フラニードを守るように彼女の背に手を置いていた。バルバロスさまのマントが風にはためき舞い上がる。
――あ。
その瞬間バルバロスさまのマントの中、黒い衣装の脇の辺りにはりつく、白く光る一筋の長い髪を見た気がした。私の髪飾りから垂れ下がっていた銀色の髪にひどくよく似た。
「すごい風。吹き飛ばされてしまうかと思いましたわ」
マントのはためく音に混じって甘えたフラニードの声がする。彼女の銀色の髪。朝にはしっかりと結い上げられていたはずだ。侍女の頭に目を移す間に風は収まり、バルバロスさまの体はマントに隠され見えなくなっている。
銀色ではなく金か栗毛だったかもしれない。髪ではなくただの糸だったのかも。何度も予感を打ち消したけれど、胸に落ちた疑念は一瞬で大きく膨れ上がってしまい無視できなくなった。
「春が来るかと思えば一度は吹き戻る。明日は冷え込むかもしれんな」
バルバロスさまの声がして、私の視界に彼の節くれだった手が差し伸べられてきた。その手に自分の手を重ねると、フラニードの視線を強く感じた。
「戻るのならば、途中薬草園で煎じ茶を飲んだ方がいい」
「……えっ」
断らなければ。
「今日はもうこのまま部屋に戻りたいのです、バルバロスさま」
「手が冷えておるではないか、まるで氷だ」
「もう寒くはありませんから……」
「私も共に行こう」
バルバロスさまは、私の手を彼の肘の内側に乗せると、手の甲を優しく叩いてきた。そのまま見張り塔を降りる階段の方へ進まされる。
頭も心も混乱して、どう断ればいいのか言葉がひとつも浮かばない。足を動かしながら背中に汗が滲むのを感じた。と、予想外なところから助け手が伸びてきた。
「バルバロスさま、イルメルサさまは魔術師に見られるのがお嫌なんですって。少し前にモルゴーに」
どこか苛立ちを含んだフラニードの声が後ろからして、私たちは立ち止まった。振り返ったのは私だけ。フラニードの紫色の目は私を射抜き見つめてきていた。その目に燃えているのは嫉妬の光。
私に成り代われるとでも思っているのか、恥知らずな侍女。フラニードの視線を受け止め冷たく見返すと、彼女はさっと視線を逸らした。
「枕を投げつけた騒動ならば、モルゴーに聞いておる」
バルバロスさまはフラニードの私への視線に気が付いていないわけもないだろうに、彼女を一顧だにされなかった。ただ小さく笑みを浮かべ私を見下ろしている。
「勇ましいのはよい兆候だ、そんな力が出るのも昨日の煎じ茶のおかげだろう」
「……魔術師たちは、私を」
「それも聞いておる。叱っておこう。さあ、参ろうか」
領主自ら連れに来られ、もう私にはどう断ればよいのかわからなかった。でもラスティが。危険をおして来るなと言いに来てくれたばかりなのに。
「いやです行きたくありません」
立ち止まってバルバロスさまの腕から指を抜き言った。ひどく小さな声しか出ない。“そう強くは出てこないはずだ、なにしろお前のような人間は”……そうはいないから、とそうラスティが言っていたじゃない。
下にはジーンがいる。そこの気にくわない侍女も、私をバルバロスさまと行かせたくはなさそうだもの味方をするかもしれないわ。
「魔術師たちは嫌いです、わたし……」
「イルメルサ」
なおも拒否の言葉を言い募ろうとする私の耳に、優しく私の名を呼ぶ声が届いたのはその時だった。
「なぜ、そこまで拒むのだ。私が共に行くと言っておろう?」
静かに問いかけられているだけなのに、指先が震えはじめた。答えられずにいる私に、バルバロスさまは腰をかがめ顔を近づけてきた。優しげな笑みを浮かべる唇が薄く開く。
「兵の前で私に恥をかかせるな」
耳元で囁かれた言葉は、あの日の庭から漏れ出てきていた魔力のようだった。冷たい、見えない霧。私の心を冷やし、指先を震えさせる。
「そうか、行ってくれるか」
恐怖で俯いた瞬間、再び私の手を取ったバルバロスさまは朗らかな声で言い、歩き始めた。首の動きは周りからは肯定の頷きととらえられただろう。




