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だいじょうぶ


 熱い。


 背中が熱い。

 ああ、これは凄い、すごいわ。ラスティの魔力が背中側から押し寄せ、私の体の中を吹き荒れる。風の音もしないのになぜか耳の中がごうごうと鳴っていた。

 緊張で汗ばむ手をジーンに押し付け、なんとか私の体で彼の魔力をせき止められないかやってみた。ジーンの方にはいかせない、体の中に留めておくの。やるのよ、きっとできる。

 ジーンが、くぅんとか細い声をあげた。苦しいのかもしれない。大丈夫よ、と言ってあげたいけれど声を出す余裕もない。ただ、ぎゅうとジーンに体を押し付け覆い被さって、嵐のときの風みたいなラスティの魔力から遮ってあげた。


 どのくらいそうしていたのか、ふと気が付くと魔力が弱まっていた。ラスティのものも、冷たい知らない魔力も。ゆっくり目を開け、一番に確認したのはジーン。ぱっと体を離して顔を見ると、ジーンはなぜだかいつもより情けない顔をして私を見上げた。

 良かった、大丈夫そうね。


 ラスティは?


 どうなったのか気になって振り返ると、ラスティは小熊を、上から右手で力いっぱい地面に押さえつけていた。

 毛と肉の焼けるにおいが鼻に届く。小熊の内側がところどころ赤く発光していた。魔力そのものの幻の熱とはちがう、ほんものの熱風がそちらから吹いてきて、私の額の後れ毛をふわりと舞いあげ頬を撫でていった。恐ろしい高温で中を焼きつくしているのだろう。小熊のまわりが熱で揺らめいて見えている。なんて力なの。


 ラスティは魔力を大量に放出できたせいか、いつもより柔らかな表情をしていて、それが逆に彼の凄みを増して見せていた。

 そんなことを考えている間に、私の目の前で小熊は炎をあげもせず、静かに炭になってぼろぼろと崩れ、消えた。


「赤いの!」


 ラスティが屈んでいた体を伸ばし、ふ、と唇から小さなため息をもらしたのと同時に、上から声が降ってきた。なに、誰。

 声に釣られて見上げると、城壁の上から見知らぬ騎士がひとり、顔を覗かせていた。赤いの、ってラスティのこと……よね。呼ばれたラスティは、黒く汚れた手をマントの内側に隠しながら城壁の回廊を見上げ、忌々しげに舌打ちした。


「無事か! なにがあった! そいつは死んでいるのか! イルメルサさまはご無事か!」

「なんでもない、こちらの不手際だ。問題は解決した。モルゴーと領主には俺から報告する」

 

 低いけれどしっかり響く声で上に返事をしている。それからちら、と私に視線を向け彼はこう続けた。


「女は無事だ。降りてきて部屋へ送り届けてくれ」

「ああわかった。イルメルサさま、すぐにそちらへ参ります!」


 おんな。

 その言いぐさにかちんときたけれど、言い返すのはこらえた。むっとした気持ちを抱えたまま城壁を見上げると、さっきまで顔を見せていた騎士はもういなくなっていた。じきここに来るだろう。

 と、手元に影が落ちてきた。ラスティが近づいてきたのだ。


「ジーンは」

「だいじょうぶよ。ね、ジーン」


 そっと耳の後ろをなでてやると、ジーンは可愛らしい声を一声あげる。


「甘えるな、立て」

「いいじゃない少しくらい」

「いいものか。なあお前、イルメルサ、お前が熊を見たと知っているのはそこの男と俺だけか?」


 ラスティは腕を伸ばし、ジーンの首根っこをつかんで無理やり立たせながら小さな声で私にそう聞いてきた。熊のことは、そうね。


「ええ、そうよ。外の兵たちにはただモルゴーを呼ぶよう言っただけ」


 私も答え、立ち上がる。動かすと体の節々が固まっていて痛かった。けれどラスティの魔力を大量に取り込んだせいか、気分はいい。今ならまた水を出せそうなくらい。


「そうか。その男は死んだ。熊を見た話は決して口にするな。なにかわからないものを見たと、そう言え」


 ひどく真剣な声だった。真っ直ぐ私に向けられた目も同じで。だから私は、なにも言えずゆっくりと一度、ただ頷いた。

 頷き下がる私の視界に一瞬、写り込んだものがあった。ラスティはジーンに触れるため屈んでいて、そのせいで彼のマントの中が少し見えたから。


「では、ここを出るぞ……どうした」


 ジーンの背中を叩いて動き出しかけたラスティが、動かない私を見咎める。私を見咎めている場合ではないわ、だってラスティ。


「て、手のひら酷い火傷よ」

「ああ」


 震える手をあげ指差すと、ラスティは示す先をちらと見て詰まらなそうに鼻を鳴らした。その手をマントの奥にまた隠す。


「なんでもない、あとで治せる」

「そりゃあなたは魔術師だもの」


 薬ででも魔術ででも治せるでしょうよ、でも今痛そうだわ。熊を焼いていた時の彼の穏やかな顔を思い出して背筋が寒くなる。手のひらが焼けるより魔力を解放する方が体が楽だとでもいうの。


「あとなんて言わずに今治したらどう?」

「俺は癒やしは不得手だと伝えなかったか。今は魔力が枯渇寸前だ、ちまちました魔術を使う気分になれん」


 そうなの、ラスティの魔力が枯渇寸前なんて信じられないけれど、彼がそう言うのだから“今”はそうなのだろう。だからあとで治すと――。

 さっき見た、赤黒く爛れていた彼の手のひらの様子を思い出していたら、額に水滴が落ちてきたみたいにひとつの考えが閃いた。


「ねえラスティ、今まわりに人の気配はあって?」

「ひと? いや、今はどこにも……イルメルサ、なにを」


 やってみよう。

 ラスティの許可も取らず、歩み寄って手を伸ばし、彼の右手首を取って持ち上げる。どうしてかラスティは抵抗もせずされるがままで、内心驚いた。

 

 でもいいわ、その方が好都合だもの。深く考えないでくるりと彼の手のひらを上向ける。やっぱり、酷い状態だ。


 煤と火傷で見るも無惨な有り様の彼の大きな手のひらに、自分のもう片方の手をそっと重ねた。触れると痛むかもしれない、さわらないよう気をつけて。

 いつも私がお父さまやアリアルスから受け取っていた癒やす力を彼に届けたい。そう願うと、皮膚の下を魔力が走り流れていくのを感じた。冷たいけれど、凍えるようなものではない。懐かしい故郷に満ちていた魔力と同じもの。


 ラスティは身じろぎもせず、黙って立っていてくれた。私に注がれる彼の視線、それが勇気になる。指。私の指先にひんやりとした魔力が集まってくる。


 間違って水を出してはだめよ、彼の傷を治すの。元の手に。今まで見たラスティの手の記憶が、次々勝手に頭に浮かんでは消えていった。

 盆に乗った食事を持ってきてくれた。庭で柘榴をもいでくれた。私の髪に触れた。それから……私の手に触れ、魔力を分け与えてくれた。


 重ねた手の隙間から見えていた、爛れて肉を晒していた熱傷が、夜が朝に戻るように癒され消えていくのを不思議な気持ちで見つめる。


「……治ったわ、多分」


 彼の手のひらが、黒い煤の汚れだけになったのを見届けつぶやいて、ふうと息をひとつ吐いた。手を離す前、中指でそこに線を引き煤を落とすと、一瞬、ラスティの手が強張った。

 煤の下からきれいな皮膚があらわれて嬉しくなる。良かった、ちゃんと治っている。


「ラスティ?」


 なにも言わず、手のひらを上に向けたまま動かない彼に不安を感じて名を呼んだ。くうん、足元から、ジーンの戸惑った様子の声もあがる。


「――なんでもない。お前も手に傷があるじゃないか、治したらどうだ」


 彼の顔を見ようと顔を上げる寸前、そう言われ自分の手を見る。手の甲に幾筋も、赤く細い線が走っていた。


「ああこれ、最初に庭を出るとき慌てていて棘にひっかけてしまったのよ」


 細く長い傷に手を触れて治した。充分な魔力さえあれば、魔術を使うのはとても簡単だった。

 綺麗に傷の消えた自分の白い手の甲を見ると、嬉しくて笑みを浮かべそうになった。けれど、倒れた魔術師のだらりと伸びた脚が視界に入り、冷や水を浴びせられたように気持ちが冷める。


「どうした」

「その男。私が声を掛けさえしなければ生きていた」


 言葉にすると、自分のしたことの罪の大きさに苛まれる気がした。小熊がいたと伝えただけなのに、まさか死んでしまうなんて。


「気に病む必要はない、そいつを殺したのは俺だ」

「……え?」


 さらりと言ったラスティは、男が私から見えなくなるよう間に立ち、左腕をあげ小さく振って私を追い立てた。


「お前はなにも気にしなくていい。遅かれ早かれこうなっていた。それより早く行け、じきあの声のでかい騎士がやって来る」


 疑問を挟む隙も与えてもらえない。矢継ぎ早に言われ、気が付くと私たちは庭の扉に向かい歩き出していた。それでも頭を働かせ、ラスティが話してくれたことをひとつずつ思い返していく。

 

 “熊を見たと言うな”


 “そいつを殺したのは俺だ”


 “遅かれ早かれこうなっていた”


 どういうこと。

 あなたなにに関わらされているの、ラスティ。

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