庭で見たもの
よかった、人が集まって来る。でもそう思って安心できたのはほんのしばらくの間だけだった。振り返って道の先を眺め待っていても、一向に誰も来なかったから。なんだっていうの、ガウディールの兵たちは、来て欲しくない時には姿を見せるくせに。
こうして黙って立っている間にも、庭から漏れ出す魔力が足元に重く溜まっていくのがわかった。焦りと恐怖に苛立ちが募る。ラスティとジーンがあの中にいるのよ。
「なにをしているの早く来なさい!」
棘ついた気持ちを吐き出し怒鳴ると、道の向こうで私の名を呼ぶ驚きの声がいくつかあがった。それでも兵たちは来ない。なぜ。
半ば小走りに駆け出して角を曲がり、今度は私が驚いて息をのんだ。
三人の兵が、道に沿って点々と膝をついてうずくまっていたから。一番近くまで来ていた兵は両腕まで地面につけ、伏せて倒れていた。
「お前……おまえたち、一体どうしたのです」
言って近づきながら、歩くたびに私と一緒にうしろから流れてくる不気味な魔力を感じていた。きっとこの魔力に当てられたのだろう。
倒れている兵はとても苦しそうだった。はあはあと呼吸のたびに、背中が大きく動いている。屈んで顔をのぞき込むと、額に脂汗がにじんで光っている。兵士では駄目なのだわ、魔術師でなければ……いいえ、もっと悪いかもしれない。ラスティの洞窟では、騎士より魔術師の方が辛そうにしていたもの。
でも、それでは、誰も庭に入れない――私以外。
「モルゴーに、モルゴーに庭に来るよう伝えて!」
目の前の兵士よりもまだ平気そうな、奥で両膝をついている兵に向かって叫んだ。その兵が緩慢な動きで顔を上げ私を見、ゆっくりと頷くのを確認する。あれは動けそうだったからモルゴーを連れてくるだろう。では私は庭へ行かなくては。
近づける者がいないのなら、庭へ行ってラスティたちを引き摺って来られるのは私しかいないのだ。
立ち上がって、一度うしろ、庭のある方を振り返った。庭を囲む塀の一部が見える。目に見える変化はないけれど、内側にはあの凍える恐ろしい魔力がどのくらい満ちているのだろう。そう考えると脚が震えたけれど、中にいるラスティとジーンを思うと踏み出せた。
◆◆◆
「……寒い」
再び入った庭は恐ろしく寒く、そして静かだった。風の音もしない。薔薇の茂みが凍りついて見え触れてみたけれど、いつも通り揺れた。凍ってはいない。そうね、吐く息も白くはなっていないのだから、本当に空気が冷えているわけではないのだろう。
庭の外で冷たい霧のように感じた魔力は、奥へ足を進めるごとに重く、粘度を増していく。足先に痺れがあらわれはじめた頃、ようやく先ほど小熊をみつけた、奥の茂みの見渡せる場所に出た。
地面に片膝をついたラスティの背中を最初に見つけた。紺色のマントの裾が地面に広がっている。彼の視線の先では、少し前に言葉を交わしたばかりの魔術師が仰向けに倒れていた。男の目は見開かれ、虚空を見つめている。力ない男の顔が怖い。死んでいるわ。視線を外しさらに前方を見ると、茂みの脇になにかがいた。
それを捉え、不気味さに息をのんだ。なにかわからないものが蠢いている。小熊の姿を残してはいたけれど、時折体や頭部のあちらこちらが膨らんで盛り上がり、また元に戻るというのを繰り返していた。その黒い塊は脈打ち地面に転がっていて、そこから、この粘り気のある、凍える冷たい魔力が流れ出し続けていた。
その魔力は私の体に纏わりついて、じわじわと染み込んでくる。外で皆が動けなくなっていた理由がやっとわかってきた。この魔力は、体の中に入り込んでくるのだ。
ただ幸運なことに、ゆっくりと流れ込んできているその魔力を受け止めるはずの私の器は割れている。それで私はこの魔力満ちる中でも動けるようだ。とはいえ魔力量は多く、足先から少しずつ魂が蝕まれていくいやな感覚が広がりはじめている。
早く。私まで動けなくなる前にラスティのところへ行かなければ。ラスティ、全く動かないけれど生きているわよね? とても恐ろしいのに、不安な気持ちが私の足を前に進める。重い。足首まで泥の中に浸かって歩いているみたい。
と、足が小枝を踏み、乾いた音が鳴った。
ぴく、とラスティの肩が音に反応したので、生きている、とほっとした。でも警戒した様子でゆっくりと、ほんの少しだけこちらに向けられた彼の目が、私を捉えた瞬間浮かべた色に身が竦んだ。
怒り。ラスティが私に向けたのは怒りに満ちた視線だった。なぜここにいる。と。その目が言っている。
なにか言わないと。
言い訳を口にしようと唇を開きかけた私に、ラスティは険しい表情のまま小さく首を横に振ってみせた。
喋るな。かしらそれとも――“来るな”?
きっとそのどちらもね。その両方に気が付かないふりをして、一歩ずつラスティの方へと歩いていく。恐ろしい目で私を睨みつけていた彼は、しばらくすると諦めたのかまた目の前の熊のなれの果ての方に、ふいと顔を向けてしまった。
不気味で濃密な魔力は、ラスティに近づくにつれなぜか揺らめいて不安定になってきていた。あれとの距離も縮まっているのになぜ。そう疑問に思った時、痺れていた私の足先が暖かい魔力に触れ軽くなった。ラスティの力。
ああそうか、彼は自分の魔力を鎧にしてこれから身を守っていたのね。湧き出し続け彼を苦しめていた力が、彼を守っている。私の中に留まりはじめていた冷たい魔力も、ラスティのものに塗り替えられていく。
「ここを出ましょうラスティ、動けないのなら私が――」
ラスティのそばまで来た私は、素早く彼にそう囁いた。次の瞬間。
「あ!」
マントから伸びてきた腕に手首を掴まれ、強い力で引き寄せられる。気が付いた時にはラスティのマントに覆われ彼の腕の中にいた。私の毛皮のマント越しとはいえ近くて暗くて、熱くて、そして、
「くさいわ」
言って身をよじり頭を彼のマントから出す。後ろから近づいていたから気がつけなかったけれど、ラスティの足元、マントの内側にジーンが伏せていたのだ。この子の臭いが中にこもっていて。
「黙れ、動くな。じきあれの魔力の放出も終わる」
すぐ上からラスティの声が降ってくる。半ば反射的に見上げたけれど、彼は予想通り私を見てはいず、小熊を警戒している様子だった。久しぶりに間近で見るラスティの赤銅色の目は、苛立ちを隠しもせず私への怒りを露わにしていたけれど。
「のこのことこんな場所まで、なにをしに来た」
「私はただ……ただジーンが、心配、で……」
あなたとジーンが心配で。そう言いたかったのに、正論をぶつけられた気まずさから、本心を半分しか漏らせなかった。語尾が弱く小さくなるにつれ、情けなさが大きくなってうつむいた。
私の体には――毛皮越しでも――なるべく触れないようにしている様子のラスティの腕がもちあげられ、彼のマントが私の体を熊のいる方から隠した。倒れている魔術師と小熊の姿が見えなくなってほっとする。あれらは恐ろしかったから。ちょっぴりくさいのは我慢するしかない。
「ジーンには俺がいる」
「だ、だって叫び声のあと、急に声がしなくなったのだもの。兵たちもそこここでうずくまって苦しみだして……」
そこまで話したとき、ち、とラスティが舌打ちをした。
「兵か。これ以上事が大きくなる前に無理やりにでも抑えてしまいたいものだがいかんせん、俺の魔力でもこれ以上は」
ぶつぶつと独り言のように話すラスティの姿はじつに魔術師らしい。熟考している彼の邪魔になりたくなくて、私は口を閉じてそっと傍らのジーンの背中を撫でた。ジーンはぴったりと地面に伏せじっとしている。呼吸のたび動いている、湿った温かな手触りは、気持ちを落ち着かせてくれた。
ラスティとジーンのそば。この城の中にここより安全で安心できる場所はない。
「……イルメルサ、俺のやった魔石を今日も身につけているか?」
しばらく黙り込んでいたラスティが、そう言って私の方に顔を動かした気配がした。ちらと見上げると、ラスティと視線がぶつかる。
「えっ、ええもちろん、毎日、ずっと」
もう怒ってはいないみたい。
ほっとしながら返事をして、毛皮のマントの中で服の下から彼の魔石のついた首飾りを引き出した。
「ここに」
「貸せ」
言われ素直に首飾りを外すと、ラスティは私を覆っていたマントを掴んでいた手を下ろした。視界が開ける。さっきより膨らんで大きくなった小熊が、びくびくと短い四肢を痙攣させているのが見えて慌てて視線をそらした。膨らんでいて、今にもはじけ飛びそうで怖い。
「怖いか」
うつむきながら彼の手のひらに石のついた首飾りを乗せていると、ラスティが短く尋ねてきた。怖いか、なんて、怖いわ。彼がなにをするつもりなのかもわからないのに。でも素直に答えてやるのはしゃくに障る。
「平気よ」
「では頼まれてくれ。俺はあれの近くに行かねばならん。ジーンを俺の魔力から守れるな」
「あなたの魔力から?」
ジーンはラスティの魔力など慣れっこのはずよ。
「これを割り瞬間的に向こうの魔力を圧倒する」
ラスティの魔力を溜めた魔石。割れば魔力が大量に流れだすと、そういえば前に言っていた。なるほどそれは、いい案に思えた。
「犬の身には辛いだろう。お前が盾になるんだ」
「わかったわ」
私の答えを聞いた彼は、ただ黙って立ち上がる。離れる温かさにふと心細くなったけれど、まわりに彼の魔力の名残を感じた。前に進み出ていく彼を尻目に、黙ったまま耳を垂らして伏せているジーンに覆い被さる。
どうなるの。魔力って、どのくらい流れてくるのかしら。私で盾になれる? 目を閉じジーンにしがみつきながら、彼がなにかを始めるのをじっと待った。
しばらくして、じゃりっと石を潰す硬い音が耳に届いたかと思った瞬間、背中側から熱風に似た魔力が吹き付けてきた。




