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侍女


「毒味役を付けたそうだな」


 皆が食卓を元の位置に戻しはじめると、広間は楽しげなざわめきに満ち始めた。そんな中、椅子に腰掛け視線を広間中央に向けたままのバルバロスさまが、隣に座る私にだけに聞こえる小さな声で語りかけてきた。手に持った杯を揺らしているのが視界の端に入り込み、私の心を落ち着かなくさせる。緊張で手のひらが汗ばんだ。


「はい。カラルが連れてきた者を」

「ここの食い物が信用できぬと言うか、毒が盛られていたのはそなたの故郷からの荷にであろうに」

「手紙の封が割られておりました。菓子の箱にはもとより封などされてはおりませんでしたから」

 

 広間を見つめたまま答えたけれど、恐ろしくて声が震えた。菓子の箱を誰が開けていてもわからない、そう匂わせる、ガウディールに楯突く発言だ。


「毒味役にはここへも来るよう命じましたが姿が見えません」

「あの孤児なら奥で食わせておる」


 奥でなんて。そこからここに運ばれるまでに毒を入れられてしまえばどうしようもないのに。そう思うと、少ない食欲がさらになくなってゆく。こぼれた小さな小さなため息は、バルバロスさまに聞き咎められてしまった。


「信用ならぬか? ここで食事をとるならば私と同じ皿からであろうが」


 どう答えたものか迷っていると、バルバロスさまは痺れを切らしたのか、大きなため息をひとつついて立ち上がった。杯を掲げ食事のはじまりを告げると歓声があがって、広間は一気に食事時の喧騒に満ちた。

 椅子を蹴倒して立ち上がる者、小刀が皿にぶつかる音、小競り合いの声。


「毒を盛られる不安など、どこにおっても同じだ」


 どか、と乱暴に椅子に座ったバルバロスさまが馬鹿にしたようにふん、と鼻を鳴らす。目の前の熊肉の塊に手を伸ばし薄く削ぎはじめた。


「私にも毒味役はついておるがな」


 そう言ったバルバロスさまは、薄く笑って私に小刀に刺した一片の肉を向けてきた。


「食え」


 驚いて薄く唇が開く。

 頭の奥に、ここに来てからいつも彼の近くに座っていたモイラの姿があらわれた。あれは。まさか。一瞬浮かんだ考えを瞬きをして消し去る。

 たちの悪い冗談に決まっている。ガイルさまはモイラを大切にされているご様子だったし、モイラ本人も名のある家の娘に違いないのだから。


「はい」

 

 短く返事をして、差し出された肉に手を伸ばした。肉は冷めていたけれど硬くはない。迷う素振りを見せれば不興を買うだろう、切っ先から肉を抜いて口に運ぶと薄く香辛料の香りが鼻に抜けた。

 しばらく咀嚼して飲み込んだけれど、体に変化もなくほっとする。

 

 そういえば、ガイルさまたちはなぜおられないのだろう。皿は並べられているのに。


「ふたりが気になるか」

 

 汚れのないまま並んだ二枚の皿を見ていたら、ふいにバルバロスさまが質問を投げかけてきた。目敏い男だわ、私が何を見るのかにまで注意している。これでは理由なく、ラスティの姿を探して広間を見回すなんてできやしない。


「いえ、あの……はい」


 少し迷って本音を口にした。嘘をついても仕方がないもの。


「まだ子のないふたりだ、揃って顔を見せんときは察して放っておけ」

「子の……」


 そこまで呟いてから意味することに気がついて、かっと頬が熱くなる。くく、と笑いながら杯をあおるバルバロスさまから視線を外してパンに手を伸ばした。その時だった。

 違和感を覚え顔をあげた。視線を感じる。


「あれはどなたでしょう」

 

 広間の入り口に、簡素な羊毛のマントを身に付けた見慣れぬ女が立っている。その女が白く細い手を上げかぶっていたフードを取り去ると、広間にざわめきがさざ波のように広がった。

 

 遠目にも目立つ白い肌に、縒りたての絹糸を思わせる銀色の髪。赤い唇。離れていてもその女の美しさは隠しようがなかった。彼女がゆっくりとこちらに歩いてくると、それに合わせて広間の男たちの視線も動く。ごわごわしたマントに包まれているのに、彼女の肉体の線が見えるようだった。きっとこちらも目を引く魅力があると思わせる動き。


「バルバロスさま、到着が遅くなり申し訳ございません」

「おお、待ちかねたぞフラニード」

 

 フラニード。どなたなの、と思った疑問は続いて立ち上がった人物を見て氷解した。黒い祭服を身にまとったオースン司祭。目を向けると目尻に気安げな皺を刻んだ笑顔を見せている。あんな表情の司祭を見るのは初めて。遅れていた司祭の姪。私の侍女になるという女に違いない。

 

「お久しぶりでございます。そちらがイルメルサさま?」


 まっすぐ私を射抜く目の色は濃い紫で、濡れた水晶のみたいにきらめいている。近くで見たフラニードはより魅惑的で美しかった。

 これでは私の存在はますます霞んでしまう。正直忌々しい。こんなに美しい人を見れば、ラスティも見惚れるわ。修道女と聞いていたのに予想と違いすぎて戸惑う。


「その通り。こちらがシファードの姫君イルメルサさま。先日婚約式を執り行った。イルメルサさま、お望みの侍女だ、オースン司祭の姪ごのフラニード」

 

 戸惑いを隠せないまま立ち上がり視線を向けた私に、フラニードは肉感的な唇を三日月のようにしならせて笑んでみせた。それからゆっくりと首もとの紐をほどき、マントを脱ぐ。

 

「よろしくお願い致しますイルメルサさま」

 

 脱いだマントを腕にかけ優雅に膝を折った彼女の姿に、広間にどよめきが起こった。下品な口笛の音まで聞こえてくる。灰色の修道服が覆っているのに隠せない大きな胸に細い腰、そしてまた曲線を描いて大きくなる尻。

 

「本日からお仕えさせていただきます」

「ええ」

 

 短く答え、椅子に腰掛けた。やっと待ち望んでいた侍女が来たのというに、少しも嬉しくなかった。でも本音なんて口にできるはずもなく。

 そうだわ、礼を。礼を言わなければ。

 

「侍女を用意してくださってありがとうございますバルバロスさま」


 なるべく嬉しそうに見える笑顔を貼り付けて、隣のバルバロスさまに礼を言った。けれどバルバロスさまは、片方の口角だけを一瞬引き上げ、皮肉げに笑んでみせただけだった。

 すぐに彼の視線は、広い卓を挟んで前に立つフラニードに向けられる。


「長旅で疲れておろう、今宵は下がり明朝より仕えよ」

「感謝いたしますバルバロスさま、実はくたくたでしたの」


 ふたりの会話に赤面させられた。そうだ、私が明日からでよいと言わなければいけなかったのに。フラニードの美しさに動揺して思いつけなかった。

 なにか声を掛けたかったけれど、思いつくより早くフラニードが行ってしまって彼女になにも言えなかった。


「気遣いが足りず……」


 広間の人間の視線を一身に集めながら、大きな尻を左右に揺らし歩く彼女の後ろ姿を見つめ、やっとの思いで声を絞り出す。

 恥ずかしかった。注意されるだろうか、ああしろこうしろと。


「構わん、はなから期待してはおらぬ」


 けれど、ついさっきラスティに相応しい振る舞いを覚えていけと言ったその口で、バルバロスさまは私にはそう言ったのだった。

 

 食欲はすでに消え失せ、胃は石みたいに重い。けれどバルバロスさまが私の皿にいくつかの食べ物を乗せてきたので、それだけはなんとか食べた。

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