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毒味の少女と魔術師の犬


 子供の皿に、私の食事から少しずつ取り分けられた料理の欠片が乗せられる。毒があるか確かめさせられるというのに、それを見た子供の細い垢じみた喉がごくりと上下に動くのが哀れだ。

 私はさりげなく、ジーンを子供のそばに立たせておいた。なにかあればこの子が気づいてくれるだろう。

 

「お食べ」

 

 私が言うと、子供は皿に顔を埋めるようにしてあっという間にそれを平らげた。それからしばらく待ち、彼女に異変がないのを確認してから、私はすっかり冷めた食事に手をつける。

 

 この馬鹿げた習慣をやめたかったのに、もう四日も続ける羽目になっていた。子供があまりに美味しそうに食べるものだから、止めさせたいと言い出しにくくて。

 喉は治ったというのに、この子供を元の場所に帰せずにいた。

 

「私はこれでいい。あとはおあがり」

「イルメルサさま」


 すぐに部屋の隅に控えていたカラルから叱責に似た声があがる。毎回毎回非難がましい、面倒な女。


「口出しは無用です。カラル、お前はお下がり」


 煩わしくてたまらない。手を振って召使いを追い払い、パンと干しぶどうを少し取って残りを子供の前に置いた。子供が顔を輝かせて皿を見る。その顔見たさに、今日も私は言い出せずにいた。なにひとつ似てはいないのに、妹のアリアルスを思い出させてくれるこの子を遠ざけてくれとは。

 

「さ、お食べ」

「は、はい……」

 

 消え入りそうな声。この子供はまだ私が恐ろしいのだ。恐怖に強張る頬はしかし、数日きちんと食事をとっていたせいか連れてこられた時より血色がいい。動きも多少機敏になっていた。

 空腹が満たされたのか食べる早さの遅くなった子供を尻目に、窓辺に腰掛け外を眺める。今日も空にはぶ厚い雲が広がっていた。


「あらジーンどうしたの」


 そんな私の脇にきて、窓辺の石の上に顎を乗せてきたジーンの頭を撫でる。目を細めおとなしく撫でられているジーン。この子はあれからずっと私といてくれていた。毒を含まされてから五日、ラスティがジーンを返せと言ってくる気配もない。

 ラスティ、どうしているかしら。助けてくれた礼も言えないままだ。


「あっ!」

 

 部屋まで運ばれてから顔を見ていない魔術師のことを考え、ぼんやりしていたところに声がした。はっと意識を引き戻される。視線の先では、食事の手を止めた子供が皿から顔をあげ、さきほどまでよりももっと硬い表情をしてジーンを見ていた。

 

「なに」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 今度は謝罪を繰り返し、ついにはぼろぼろ涙をこぼしはじめ驚かされる。


「なにごとですか」


 立ち上がると、私より先にジーンが子供の方へ歩いて行った。泣きじゃくる子供の脇に座り、彼女を見上げている。


「泣いているだけではわからないでしょう、お話し」


 なるべく優しく言ったつもりだったけれど、浮かんだ言葉は口にすると思いのほか厳しく響いた。

 失敗した、と思った。案の定子供は更に激しく泣きはじめ、手にしていた肉をぼとりと床に落として汚れた手で顔を拭う。その顔をジーンがべろべろと舐めはじめた。


「っぐ、ごめんなさい、わ、忘れてたんです、思い出したの、今、わざとじゃないんです、った、食べないで……」


 全く話が見えなくて困惑する。忘れてた。なにを。思い出した。なにを。食べないで……なにを?


「ああもう、仕様のない子だこと。とりあえず泣くのを今すぐおやめ」


 言って立ち上がると、子供はびくんと体を震わせ必死に泣き止む努力をはじめる。かみしめた唇の間からしゃくりあげる声が漏れるけれど、黙って見ているうちにそれもおさまりはじめた。


「泣き止んだわね、では聞かせて頂戴。なにを忘れていたの」

「ま、まじっつ、じ、ジーン」

「ジーン?」


 なんとか聞き取れたところだけ繰り返すと、子供が怯えた顔で小さく頷く。

 

「じ、ジーンを見せにこいって」

「誰が?」

「魔術師、あの、っこ、怖い魔術師」

 

 怖い魔術師。

 

「赤い髪の?」

「は、はい」

「そうなの、ならあとで連れてお行き」


 彼が言うなら仕方ない……ちょっと。今度こそ優しい声を出したのに、子供がまた涙をこぼしはじめたのでさすがに焦る。


「なにを泣くの」

「っわ、忘れて……忘れて、言われたの一昨日の朝だった」


 なるほど。二日も前の朝にラスティに言いつけられていた用事をいま思い出したのね。

 

「そんなに恐ろしがっているのに、なぜ忘れてしまったの」

「いそがしくて……」


 忙しい。子供の言葉を心の中で繰り返して、静かにその子を見下ろした。折れそうに細く黒く薄汚れた手は、荒れてあちこちひび割れて赤い。耳の付け根も唇も、赤く乾いて切れている。まだ朝晩は酷く冷えるから。


「毎日朝から働いているの。どんな仕事を?」

「明るくなる前に、水を汲みます」


 言われ、ラスティのところで水汲みをしたときの手の痛さを思い出す。あれを毎日、寒い中。


「それから?」

「洗うものを集めたり……いろいろ」


 話しているうちに、子供はそわそわしはじめた。溜まっている仕事を思い出したのだろうか。椅子から腰を浮かせて背後の入り口をしきりに何度も振り返っている。


「戻りたいの?」

「もう行かないと」

「お待ち」


 立ち上がりかけた子供を手で制し、皿の上の干しぶどうを指差した。


「持ってお行き」


 私の示す先を見た子供は、言葉も発さず皿の上に残った食べかけのぶどう、パン、チーズ、そして先ほど落とした肉の欠片までを薄汚れた前掛けの上に乗せ、素早く包みを作りあげた。手早さに驚く。

 あたりに警戒しながら荷を胸元にしっかり抱えると、一度膝を折ってぎこちない挨拶をした。礼も言わず部屋を飛び出して行く。


「ジーンは!」


 声をかけたけれど、逃げるように走り去る足音が遠ざかっていく音しか返ってはこなかった。

 

 ◆◆◆

 

「さ、ジーン、お行きなさい」

 

 私はここまでしか行かれないの。そう耳元にささやいても、ジーンは私のそばを離れない。

 子供がジーンを置いて行ってしまったので、ラスティのいる小屋に続く小路の近くまで来てみたのだけれど、久しぶりの散歩は私の体力をひどく奪った。


「こんな日に限って兵士ひとり通らないんだから」


 道の脇に無造作に高く積まれて放置されている丸太の山の裾に腰掛け、ため息をつく。

 ラスティの小屋を過ぎると、魔術師たちのいる塔に行き当たる。前は私がこちらに向かうと誰かしらが止めにやってきたものだったけれど、それがないのが不思議だ。

 ラスティの魔力が不快でこちら側に人が近づかなくなっているだけならいいのだけれど、私とラスティに関わりがあるのではと疑う者が、どこかから見張っていないとも限らないのだ。これ以上は近づかない方がいい。


「ジーン、主人の元へお戻り」


 足元に座り込んでいるジーンの首のあたりを軽く叩いて言ってみたけれど、ぺち、と音がしただけ。動き出す気配はない。


「まったく、もう」


 ふう、と息を吐いて諦めた。服の下にあるラスティの魔石の上に手を置いて胸を押さえ、じんわりと滲む彼の魔力を感じる。あたたかい。しばらくこうしていれば、部屋に戻る分の元気くらいは回復するわね。

 そう思いながらじっとしていた時だった。話し声が近づいてきた。あらわれた者にジーンを託そうと思ったのは一瞬。すぐに、より近くなった声に怒気が多分に含まれているのに気がついて気を変えた。男がふたり。怒りながら歩いてくる者に可愛いジーンを渡せるものか。


「くそ、何様のつもりだあの化け物!」

「まったくだ」


 化け物。私のことかしら。話し声は少しずつ大きくなってくる。このままここに座っていたら、あらわれた誰かはどんな態度を取るだろう。

 座っていたジーンが立ち上がり、首を伸ばして声のする方に顔を向ける。


「モルゴーさまもあんな新参者に我々の研究について意見を求めるなどどうかされている」

「同感だ」

「シファードの姫の救命に大熊退治。それほどすごいか」

「そうだな」


 モルゴー、新参者、研究、熊。違うわ、私じゃない、ラスティのことだ。そう気づいたときには、体が勝手に隠れるために動いていた。積まれた丸太の裏にしゃがんで息を潜める。賢いジーンも一緒に来て、脇に並んでくれた。足音が近づいてくる。枯れ葉の重なる地面に視線を落とした。


「毒消し程度に喉を焼いたそうではないか? 都合よく行き当たるなど、案外あの男が毒を仕込んだのかもしれない。あの大熊とて、我々が同行していれば対応できたのだ、なにしろあれは我々の……」


 我々の? なんだろう。思わず顔を上げた時体が動き、足が少し動いた。枯れ葉がこすれて乾いた音が鳴る。しまった。


「しっ」


 相槌を打っていた方の声がして、緊張感のある沈黙があたりを支配した。足音も止まる。


「誰かいるのか」


 ざあざあと血の流れる音が耳元で鳴った。寒いのに背中に汗が滲む。震える手で、脇のジーンの体を押した。かさかさと音をさせながら、道に出て行く。と、あからさまにほっとした空気が流れたのがわかった。ふう、と息をつく音がふたつ。


「なんだ犬か、驚かせるな」

「あいつの犬だ。どこまでも忌々しい」


 そう言いながら、ゆっくりとこちらに一歩踏み出された足音。


「――来い、こい」

「なにをしてるんだよ?」

「人懐こい犬だと聞いてる、呼び寄せて蹴り上げてやろう」


 なんですって。胸の中に怒りと不安が同時に生まれ、立ち上がりかけたもののすぐに思い直した。だってジーンよ。あの狼の群にだって勝ったのに。今だってほら、低いうなり声が。


「なんだよ」


 近づいてきていた足音が止まった。


「畜生が逆らうつもりか」


 不愉快そうな声だ。


「おい止めとけ」

「なあに、殺しゃしない。どっちが上かわからせておいた方がコイツも暮らしやすいはずだろ」


 丸太の向こうから魔力の気配が高まるのを感じた。魔術を使うつもり。どこかひやりとした、けれど慣れた水とは違うこの魔力は……風。ジーンのうなり声が大きくなる。肉を裂く風の魔術を。

 脳裏に、洞窟で後ろ脚の赤い肉をさらしていたジーンの姿が浮かぶ。止めなくては。


 今度こそと立ち上がりかけたとき、ジーンが大きく一度吠えた。鳥の飛び立つ音。それとほぼ同時に。


「ぅっ!」


 別の魔力が周囲に満ちた。音もなく、目にも見えなかったけれど、その変化は川の水が決壊し一点から流れ出すのに似ていた。感じる魔力は……熱。ラスティの。

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