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褒美


「ご無事なお姿を拝見できて安心いたしました」

「殊勝だな。機嫌とりか?」

 

 早めに向かったつもりだったのに、広間に入るともう食事がはじまっていた。私も広間で食べると伝えていたはずなのに、待ってもくれないのね。その上バルバロスさまに挨拶をしたら、ぶすっとした顔で嫌みが返ってきた。随分機嫌が悪い。

 ひとつ席を空けて座っているモイラの堅い表情もそれを伝えてきている。心なしか騎士や魔術師たちのお喋りの声もいつもより小さく感じた。召使いが背を引いてくれた椅子に腰を落としながらさっと視線を走らせたけれど、探している赤い髪は見えない。

 

「なにを見ている」

「みな疲れた様子ですから気になって」

 

 目敏いわ、さすがと言うべきなのか。そのわりには美しく装った私に世辞のひとつも寄越さない。

 何食わぬ顔で答え、食卓に並ぶ料理を見回したけれど鹿も鳥もない。不機嫌の理由に思い至った。獲物を仕留める前に騒ぎが起こってしまったのね。

 無難なパンに手を伸ばし、一切れ摘まむ。ガウディールのパンは小麦が多く小石も混じらない。悔しいけれどシファードのものより美味しい。でもあの市でラスティが炙ってくれた黒パンが一番思い出深い。

 

「半日かけて無駄足を踏まされれば、屈強なものたちとて疲弊する。今夜は何故ここに? 鹿一頭仕留められぬ婚約者を笑いに来たのか」

 

 しん、と静まり返った広間にいらいらとしたバルバロスさまの声が響いた。来たのは失敗だったかしら。ただでさえ重かった空気が、私のせいで更に悪くなっている。

 

「……大きな熊が一頭逃げたままと聞かされましたので、ひとり離れた棟に残るのが恐ろしく。ここならば勇猛なものたちが集っているのですから安心できるかと思いましたの」

「今追わせている。直に良い報告が入るだろう」

 

 この機嫌の悪さ。助けに入った魔術師のことには触れられそうにない。気を抜くとため息をついてしまいそうだわ。

 

「お部屋で毎日おひとりで、なにをされているのですか?」

 

 ふいに隣のモイラが話しかけてきた。そこは本来ならバルバロスさまの息子、ガイルさまの座るべき場所のはずなのだけれど。ガイルさまが私がおいやなのか、バルバロスさまがモイラをそばに置きたいのか。どちらにしても不愉快な理由しかなさそうでうんざりする。

 

「今日は庭の散策をしておりました。美しい庭で夏を待ち遠しく思います。モイラさまはなにを?」

「わたくしは、司祭さまとお話をしておりました。それから、パンの焼き方を教わって」

「いつかモイラはここの女主人になるのだからな」

 

 横からすかさずガイルさまが口を挟んできた。

 

「まあ、あなた。まだまだ先の話ですわ」

「なんだ、早く私にくたばれというのか?」

 

 今度は幾分か笑みを含んだバルバロスさまの声。詰まらない会話。もう一生こんな話しか耳にできないのかしら。私の侍女になる司祭の姪とはどんな方だろう。少しは楽しく話せる方ならいいのだけれど。

 そう思いながら杯に注がれた葡萄酒を口に含んだ時、男の召使いがひとり、広間に転がり込んで来た。

 

「最後の熊を仕留められたそうで、みなさまお戻りです!」


 広間に響いた声にみな色めき立つ。広間を飛び出していく者たちもいた。

 

「やっとか」

 

 バルバロスさまもため息とともに立ち上がって歩き出した。モイラとガイルさまも行ってしまった。私も見に行こう。そう決めて、手に持ったパンを机の上に置いた。

 先に進む者たちの背を見ながら、何本もの松明の揺れる廊下を進む。久し振りに城の入り口から外に出ると、暗い空からはちらちらと白い雪が舞い降りてきていた。息も白くなる。今夜は寒いわ。どうしよう、上に羽織るものを広間に置いてきてしまった。

 火が焚かれている方へ行きたいけれど、探す人たちは火の明かりの届かない小さな城門のかげの暗がりに立っている。どちらへ向かおうか迷っているうちに寒さでどんどん体力が落ちていってしまった。今日は一日ろくに食事も取れていないから。

 先に温まろう。彼らも火にあたりに来るかもしれない。モイラも火のそばにいて、魔術師の一人と親しげに言葉を交わしていた。私が近づくとちらりと視線を向け、顔に貼り付けたような笑みを浮かべて見せた。

 

「イルメルサさまも熊をご覧に?」

「はい」

 

 私は笑えなかった。立っているのがやっとだったから。

 

「お顔の色がお悪いわ、戻られた方がよろしいのでは」


 嘲りを含んだ声で指摘された。言われなくてもわかっている。でも今歩けば、大勢の前でふらつく姿を晒してしまう。

 ――そうだわ、ラスティの魔石。

 首から下げていた彼の魔石のことを思い出した。あれを握れば。

 

「あれだ!」

「なんという大きさだ」

 

 その時、城門の方から大きな影が動き出し、あちこちで悲鳴に似た声があがった。私もついつられて視線をそちらへ向け、体が強張った。従者が三人がかりで運んでいる熊の影を見てではない。その影からこちらに向かって一直線に飛び出してきた、黒い犬の姿を見つけて。ジーン。

 叫びたいのをやっとの思いでこらえた。胸が熱くなる。でも駄目よジーン、私のところに来ては。私を知っている素振りを見せないで……。

 

「戻れ!」

 

 と、熊の影から聞き慣れた低い声が鋭く響き、ジーンが足を止めた。ジーンは一瞬だけ迷う様子をみせたけれど、すぐに声の方へ戻って行った。その姿は闇に溶け、すぐに見えなくなる。

 反対に同じ暗闇から、見たこともないほど大きな熊が従者たちに担がれてのっそりと姿を見せた。熊の腹は赤く焼けただれていて、あちこちに矢が刺さり酷い有り様だ。熊とはいえ魔物だからどのみち肉は食べられないけれど、爪や牙は魔術師が欲しがる素材になる。魔術師たちの間から歓声があがった。

 熊の後ろの暗闇を見つめたいけれど、私の様子を窺うものがいないとも限らない。気のない振りで燃える焚き火の方に体を向け、手を温めた。けれど何故だろう、火に当たっていない背中の方がピリピリと燃えるような感覚がするのは。振り向きたい。

 

「良くやった」

 

 バルバロスさまの声がして、急にあたりが静まり返った。振り返る理由を見つけ、私も後ろを見た。バルバロスさまが、松明を持った召使いを何人も従えて熊と、それと一緒に帰ってきた騎士や魔術師たちのところにいた。あかりに照らし出された一行はひどく疲れきって見える。

 その中に騎士ノースがいた。森まで迎えに来させた顔に傷のある男。あの男もいたのか。

 

「遅くなり申し訳ございません」

「仕留めたのはお前か、ノース」

「残念ながら。こちらの魔術師でございます」

 

 ノースが背後に向かって腕を上げた。

 

「魔術師ラスティ、前へ」

「……俺は、いい」

「顔をお見せしておけ、損はない」

 

 騎士ノースにしつこく言われ、しぶしぶといった感じで影がひとつ動いた。紺色のマントを揺らしながらあらわれた、不機嫌そうなラスティの顔が見えた瞬間、私は泣き出しそうになった。唇が震えるのを止められない。慌てて、冷えた指に視線を落として手を擦りあわせる。

 青白い自分の手を見ながら、今目にしたばかりの彼の顔を思い出す。変わらない彼の姿。錆色の髪に眉間に皺を寄せた顔、騎士ノースたちと並んでも見劣りのしない大きな体。こんなところで見かけるのは随分と場違いに思える。

 

「うちのものたちが助けられた。礼を言わせてもらう」

 

 バルバロスさまの言葉にラスティはなにも答えなかった。

 

「褒美の品を贈りたい。なにか欲しいものはあるか」

「領主からの褒美など貰った経験がない。なにを欲していいのか見当もつかないが……」

 

 なんていう口のききかたよ、ラスティ。周りから咎められないかひやひやして、また顔を上げた。ラスティはまっすぐバルバロスさまを見ている。彼はバルバロスさまが恐ろしくないのね。

 

「今仕事を探している。ここで使ってはもらえないか。犬も置いてもらえれば助かる」

 

 遠慮のないラスティの言葉に周囲がざわついた。

 

「お前ほどの使い手が何故職にあぶれている? これまでなにをしていた」

「メイグォの大学で学んでいた。恩師が死去してから派閥争いに巻き込まれたが人付き合いが不得手で、大学に残れなくなって出てきた次第だ。学長からの紹介状はなんとか手に入れられたのであちこち声をかけてみようと旅を」

「見せてみろ」

 

 バルバロスさまの言葉に、ラスティが懐から巻かれた羊皮紙を一通取り出すのが見えた。それを広げ、あかりにあてじっと見ているバルバロスさまの背中を、私は息をするのも忘れて見つめ続けた。

 ラスティ、いけしゃあしゃあと流れるように嘘をついてどういうつもり。

 

「確かに、メイグォの魔術大学の印だ。いいだろう、うちに残るといい。鹿は狩り損ねたがいい魔術師が手に入った」

 

 バルバロスさまは巻物をラスティの胸に押しつけ返し、びくりと体を強ばらせた。

 

「魔力量が多いな」

「人付き合いがうまく行かない最大の理由だ」

「エーメ、この男には離れの小屋をひとつ与えて住まわせておけ」


 バルバロスさまがガウディールの魔術師長の名を呼んだ。すぐにそばに現れた年配の魔術師が戸惑った視線をラスティに向けている。

 

「離れの、でございますか」

「そうだ。夏にはいい薬草が繁るだろう。残りのみなもよく働いてくれた。体を休めて食事を取るといい、さあ、我々も広間に戻るとしよう」

 

 バルバロスさまはそれだけ言って、ぞろぞろと人を引き連れて歩き出した。私の横を通る時にバルバロスさまに一応膝を軽く折って礼をしたけれど、年老いた領主は私に目を向けもせず城の中へと戻って行った。


 続いて私の前を、ガイルさまと彼に寄り添ったモイラが歩いていく。ふたりも私を見なかった。

 その後で、召使いや騎士たちが多少私に気を使いながら中に入っていった。私はそこを動きたくなくて、ただ立っていた……火は暖かく、離れていたけれどラスティとジーンがいて。久し振りに安全だと思える空間にいたから。

 

「イルメルサさま、どうなさいました、ご気分がすぐれませんか?」

 

 いつもの女の召使いの声がして、肩に私の毛皮のマントがかけられた。あたたかい。

 

「……ええ、少し疲れたわ。部屋に戻ろうかしら。バルバロスさまに退席するお詫びを伝えておいて」

「かしこまりました。お食事も部屋にお持ちいたしましょう」


 マントの下で服の中に手を入れ、ラスティの魔石をぎゅっと握った。これを使うのは初めてだ。握り込んだ手から熱い彼の魔力が流れ込んで来るのがわかった。あたたかいわ、ラスティ。ありがとう。

 ラスティらしき人影が、他の人たちと動き出すのが目の端に映っていたけれど、もうそちらを見るのはやめておいた。私は熊を見に来ただけなのだから。

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