ひとりぼっち
あの婚約式で予感はしていたものの、翌朝からのガウディールでの私の扱いはひどいものだった。まず、目を覚ましても私の部屋と続き間になっている広間の暖炉に火が入っていなかった。靴越しでも冷たさの伝わってくる床に足をつけ、マントを羽織って廊下を覗くとそこはしん、と静まりかえっている。おかしい。すぐ向こうに父が泊まっている部屋があるのにこんなに静かで、寒いなんて。
すぐに部屋にとってかえし、寝台横に置いてある小さな鐘を鳴らした。二度鳴らしても誰も来ない。三度目を鳴らそうと苛々と棒を手に取った時、召使いがひとりおろおろと部屋に入ってきた。
下働きの掃除婦で、なにを話しても要領を得ない。とにかく誰かを寄越しなさいと強く命じると、小走りに部屋から去っていった。いくらなんでも、どうなっているのか。
しばらく待つと、やっと召使いがひとり部屋に来た。
「おはようございます」
「お父さまはどちらに?」
「シファードの方々でしたら、夜明け前にはご出発されております」
四十日後の結婚式で会えるとはいえ、父と別れの挨拶を交わすことすら許されなかった――これがはじまりだった。
ジョルジェットさまと、彼女の嫁ぎ先のアイバン辺境伯領で過ごすという話も、まだ盗賊に狙われる危険が残っている、というバルバロスさまのご判断で取りやめ。ならばシファードに戻りたいと懇願しても、同じく盗賊の危険があるからと聞き入れてもらえず。
ならば、ガウディールで大切に扱ってもらえるのかといえば、そんな筈もなく。本来ならば一つ屋根の下で過ごすことのない時期なのだからと、この離れの客室に捨て置かれていた。
そばに置かれて無碍に扱われるよりはましとはいえ、まさかこんなに孤独なんて。部屋に運ばれた昼食のパンを砕いて窓の石の上に腰掛け撒きながら、ふう、とため息をついた。鎧戸を開けはなっているので息が白くなる。今日でここに来て五日目。小さな鳥が来てくれるようになった。パンのかけらをついばんで、私の心を癒してくれる。
振り返り隣の広間で燃えている暖炉の炎を見て、二日目を思い出す。昼食の皿の下に、折りたたみ封をされた小さな手紙が一通忍ばされていた。そこには父の字で、どんなに辛くとも決して自ら命を絶つな、近いうち必ず誰かを送り込む、という約束が記されていた。
すぐに燃やした。あの暖炉で……。
誰かって、誰かしら。私の知っている者かしら。見てわかるのかしら。夢を見たのではないわよね。手元に手紙がないので、真実だったかと不安になる。チイチイと鳴く声に視線を手元に戻し、寒さに丸く膨らんだ小鳥の姿を見つけ笑みがこぼれた。黒い頭に胸がだいだい色のこの鳥は、ガウディールに来て初めて見た。ラスティの庭でもみかけなかったわ。
「イルメルサさま、失礼致します」
急にかけられた声に、鳥たちが慌てて飛び立つ。
ああ、行ってしまった。私の世話をしている女の召使いのひとりの声だ。名前は知らない。いつも表情を変えない、髪に白いものが混じりはじめた年配の女。
「なんですか、突然」
「バルバロスさまがお呼びです」
「まだ昼食を取っている、とお伝えしてちょうだい」
言って、顔を外に向け手にしたパンを小さく千切る。
「お体が空き次第で構わぬからとのことで」
「珍しいわね」
珍しいどころか初めて。前にお会いしたのは婚約式翌日の朝。父を帰したことを抗議した時が最後なのだから。
「お支度をお手伝いいたします」
「この姿ではいけない?」
特に着飾ってはいない、簡素な服を身につけていた。髪も簡単に結っただけ。今日も誰にも会わずに過ごすと思っていたから。
「今もお美しゅうございますが、数日ぶりのバルバロスさまとのご面会でございます」
面倒くさい、彼は私を嫌っているのに装う意味などあるのかしら。表情も変えず座ったままの私を見て、女はさらに言葉を続けた。
「広間には城のものも多く集まっております。近々女主人になられるイルメルサさまの御披露目も兼ねておられるのではないかと」
御披露目。
初めて私を見るものも多いだろう。私を見てシファードの力を推し量るものもいるかもしれない。
「わかりました、着替えましょう」
残ったパンの塊を窓辺に置き、手のひらについたくずを叩き払うと、立ち上がった。すぐに小さな鳥が何羽も置いたパンの周りに飛んで来たのを尻目に、部屋の中に進んだ。
◆◆◆
着替え終わった私は、召使いに連れられて初めてバルバロスさまにお会いした時と同じ広間に来ていた。入る前から騒々しいざわめきが廊下にもれていて、かなりの人数が中にいるとうかがえる。みなここで食事中なのだわ。
人を食事中に呼びつけておきながら、ご自分はゆっくり召し上がっておられるのか。突然のお誘いといい、もしかしてお酒を口にしておられるのかもしれない。
広間の入り口に、松明をかかげた男の召使いがひとり立っている。私が近づいても微動だにしない。今日はこの暗い廊下の松明はあれひとつ。この間は父が来たから、多めに焚いていたのね、きっと。
壁に空いた松明を指す穴を見ながら、広間に近づいた。
「あちらでございます」
私を先導していた召使いは入り口で足を止め、中を示した。ひとりで行くのね。ごくりと唾を飲みこみ、顔を上げた。大丈夫よ、こんなに大勢の前だもの、突然殺されはしないだろう。それに父が誰か助けを送り込むと約束してくれた。
動きなさい、足。
なにが恐ろしいのか、強張って動こうとしない足を無理やり動かして一歩中へ入った。
中には騎士と魔術師が多くいる。ここもシファードと同じで騎士のほうが多いけれど、魔術師の数もなかなかだわ、なにか研究でもさせているのかもしれない。
みな食事用の小刀を手に食事をしていた。わあわあとあちこちで小競り合いが起きている。騎士たちの食事風景はどこも同じね。
と、入り口近くにいた騎士のひとりが私を見て動きを止めた。それにつられまたひとりが私を見て手を止める。さあっと、静けさが広間に広がっていくのを感じながら、中に進んだ。声を潜めたささやきがあちこちから聞こえる。正式な婚約は済ませているというのに、誰ひとり椅子から立ち上がりもしない。
広間の奥の机に、司祭さまとバルバロスさま、そして見知らぬ男女が座って食事をしていた。バルバロスさまは右手に杯を持ち、彼の左隣に座る女性に顔を寄せて機嫌の良さそうな様子でなにか語りかけている。女性が私をみて、バルバロスさまに何か耳打ちした。顔をあげてこちらを見たバルバロスさまの顔には笑みが浮かんでいたけれど、それまでと違う不自然な笑みだった。目が笑っていない。
「来たか、待ちくたびれたぞ」
「急なお呼びだったもので支度に手間取りました。お待たせして申し訳ございません」
バルバロスさまのそばで腰を落とし、首を垂れて謝罪した。広間は静まり返っている。みなが私たちの会話に耳をすませているのだ。
「モイラ、そこをどけ」
バルバロスさまは隣にいた女性を立たせた。この女性はどなたかしら。私の母親ほどの年齢の方に見える。美しい品のある女性だ。
「ガイル、新しく母となる女性に挨拶を」
バルバロスさまの言葉に、モイラと呼ばれた女性の横に座っていた灰色の髪の男性が立ち上がり、私を睨んだ。鋭い目に射竦められ、体がびくりと震える。整った精悍な顔つき。バルバロスさまを少し――父ほどまで若返らせたような方だと思った。
「ガイルです。妻より年若い女性を母と呼ぶ日が来ようとは」
「私の息子のひとりだ。次期ガウディール領主」
「これは妻のモイラ」
ガイルはモイラの腰を抱き寄せながら言った。モイラは品定めするような視線を私に向けて小さく笑んだ。私も似た笑みを浮かべ彼女を見る。
「それでは父上、失礼させていただきます」
最初の一睨みから私を見もしなかったガイルは、そのままモイラを連れて出て行ってしまった。
「ガイルは弟が増えるかと不安なのだ」
バルバロスさまの言葉に、近くにいたものたちが忍び笑いをもらした。その意味するところを一瞬遅れて理解して、頬が熱くなる。
「ここへ」
先ほどまでモイラの座っていた場所に私を招くと、バルバロスさまは手にしていた杯を煽った。葡萄酒の匂いがする。
「みな、聞け。先日婚約式を執り行った。ここにおられるシファードの姫、イルメルサさまとだ。次期ガウディールの女主人となる。諸事情があり、婚約公示期間中もこちらで過ごされている。東の棟だ」
バルバロスさまがそこまで言った時、なぜがどっと笑い声があがった。なにがおかしいの。戸惑う私をよそに、バルバロスさまは言葉を続ける。
「そう、東の棟。お前たちが少し前から噂している幽霊話の正体だ。東の棟や、その脇の庭を朝に夜に歩いているのは彷徨える霊魂ではなく、お前たちの主人の婚約者だ、怖がるな」
その言葉に、笑い声がさらに大きくなる。
なんなの、これは。笑いものにされているのかしら。怒ればいいの、泣けばいいの。そう思ったけれど、どちらもできなかった私は、ただじっと机の上の食べかけの肉の塊をみつめて黙っていた。あちこち削ぎ落とされ、小刀が突き立てられている。
「行っていい」
「えっ」
そのすぐあと、そう声をかけられた。顔をあげると、詰まらなそうな顔で小刀を干した葡萄に器用に突き刺すバルバロスさまがいた。なんておっしゃった?
「聞こえなかったのか。用は済んだ、行っていい」
葡萄の刺さった小刀で犬でも追い払うみたいにあしらわれる。用、これが。返す言葉は浮かばなかった。ただ黙って立ち上がり、駆け出したいのを必死で堪え、ゆっくりと広間を後にした。
私が部屋を出ると、また中は元通り騒々しい食事の音で満たされた。脚を動かすたびに、サラサラとした絹が肌に纏わりつく。せっかく着替えた美しい衣装、誰かひとりくらいは目に留めてくれただろうか。




