研究成果
最後に部屋を覗けばよかったわ、そうすればすぐに気がつけただろうに。かた、かた、と歩く度に蓋の鳴る小さな箱を抱え、部屋に急いだ。あの角を曲がればもうすぐ。
通路を曲がった私が目にしたのは、ちょうど私の使っていた部屋から出てきたばかりのラスティの姿だった。裁縫箱を取りに来たんだわ。
「ラスティ」
近づきながら声をかけると、ラスティはびくりと肩を震わせ、ゆっくりとこちらを見た。私を認めたらしい彼の目に、ほんの一瞬喜びの色が見えたと思ったのは私の願望だろうか。
「イルメルサ、見違えたな」
彼は特に感情のこもらない声で言うと、私を上から下まで眺めた。じろじろと、失礼ね。でも不思議と腹は立たなかった。最後に美しく髪を結った自分を見せられるのが少し誇らしい。
「これがいつもの私よ。それよりこれを取りに来ていたのでしょう? ごめんなさい。うちのものが、私のものと間違えて荷物に入れてしまったの」
「……ああ、これか。わざわざ持ってきたのか、お前が」
「そうよ、わがわざ持って来たの、私が。あなたの大切な品物でしょう?」
「そうだ」
裁縫箱と本を重ねて差し出すと、ラスティはそれを受け取って、本だけ突き返してきた。不機嫌そうな顔で。
「いらん」
「売ってお金にして。研究するには資金が必要でしょう」
「金のためにお前を助けたわけではない」
ぼそっともらされた言葉に、吹き出してしまう。ラスティは眉根を寄せ、一層不機嫌な表情になった。
「わかっているわ、そんなことくらい。お礼をしたいのよ。これしか渡せるものがないの、受け取って。売る気がないのなら、これを見てたまに私を思い出せばいいわ」
「生意気な貴族の女がいた、と?」
「そうよ。こんなものを無理矢理押しつけられたなと。名前も書いてあるから忘れようがないでしょう」
言うと、ラスティは手に持っていた本をひっくり返して、表紙の金文字に目を落とした。イルメルサ、私の名前が入れてあるのを見たのだろう。ラスティの口元にふ、と笑みが浮かぶ。
「忘れることは許されないのか」
「その通りよ」
「わかった」
「でも、あの……人の皮で装丁した本とは並べないで」
ちょっと迷ったけれどそう頼むと、彼はふいと私から視線を逸らして顔を横に向ける。その肩が少し震えていた。
「笑うなら笑いなさい」
「悪い。わかった。覚えておこう」
咳払いをしてからそういって、彼は裁縫箱と本を重ねて手に持った。
「なぜこれが大切な品物だと言った?」
その手を私の目の前まで持ち上げ、聞いてくる。不意打ちの質問に戸惑う。
「ただの古い裁縫箱だ」
「あの、私、落として……」
中を漁った、とは言えなかった。それだけでラスティは察してくれたのか、ほんの少しだけれど、さっと頬を赤く染めた。
「……見たのか」
「あっ、ええ。道理で素敵な糸だなと思ったわ、大切なものを使わせてくれて感謝しますラスティ」
くるりと背中を向け、マントの繕った部分をひろげて彼に見せた。ラスティは何も言わない。気まずい沈黙が落ちた。
「……母は学がなく」
「え?」
お母さま? ラスティのお母さまの話を、なぜ今するの。突然の話題に不思議に思いながらラスティを振り返ると、彼は手に持った裁縫箱に視線を落としていた。
「読み書きできない。教会の人間に書いて貰った文字を写したと言っていたがそれでも間違いが多かった」
「――お母さまの紡いだ糸なの?」
「そうだ。母は針子だが家でよく糸を紡いでいた。俺が魔術の才を買われ家を出る時持たされたものだ」
おかあさま。彼の。
学がないから恥ずかしいと?
「読み書きできない人の方が多いのよ、お父さまがおっしゃっていたわ。そんな顔をしてはいけないわよラスティ、優しい素敵なお母さまね」
「……ああ」
お母さまだったの。そう知らされて、どうしてだろう、魔力を分けてもらった時みたいに体がじんわりと熱くなる。
「お母さまはお元気?」
「八年前の流行り病で村にいた家族はみな死んだ。大学にいた俺だけが生き残った」
「まあ……それは……」
確かに八年ほど前、南の方で熱病が猛威を奮ったらしい。幸いシファードには入ってこなかったけれど。水が潤沢にあったからではないかと大人たちが話していたのを聞いた覚えがある。
遠い土地の話と思っていたけれど、あの病で、ラスティが家族をみんな亡くしていたなんて。
「よくある話だ気にするな……イルメルサ、俺からも渡したいものがある」
「ラスティから? なにかしら」
「ついて来い」
そう言って身を翻し大股で歩いていく彼を、慌てて追った。
「そういえば、ジーンは?」
「俺の部屋で休ませている。ここにはあの騎士のにおいが残っていて落ち着かないようだ」
「そうなの」
「会いたいのか」
「もちろんよ」
そんな話をしながらも、さっきのラスティの言葉が頭から離れない。よくある話。それはそうだ、病からは誰も逃れられない。例え王族だとしても。それでも、家族をみな亡くすなんて。どんなにかつらかっただろうに。彼はひとりなのだわ。
「ここに」
しばらく進んで彼に連れられていった場所は、中庭だった。
「石鹸でもくださるの?」
「違うが欲しいなら持って行け」
「嬉しい、ひとついただくわね」
「ああ、持って行け」
許可を得て、うきうきと棚に石鹸を取りに行った。ラスティは、石榴の木の根のあたりの薬草を掻き分け、何かを探している。地面にあるもの?
「あのリスはまだここにいて?」
「ああ。俺のそばに」
まだ服の下に入れているの。ぽんぽん、と胸を叩いたラスティは、小さなため息をついた。
「慣れさせすぎた。もう森には戻れないだろう」
「服の下に入れて可愛がっているんだもの当然だわ」
「可愛がっているわけではない。弱っていたからあたためていただけだ」
親鳥みたいなことを言っている、怖い顔の魔術師が。彼はまだ腰をかがめて何かを探している。手伝った方がいいのかしら。
「リスは森で拾ったの?」
「そうだ」
「もしかしてジーンも?」
「ああ。死んだ狩り人のそばで大怪我を。狼の群れにやられたようだった」
あら、でもそれじゃあ。彼の方へ歩きながら、気づく。
「……もしかして私も?」
「そうなるな」
ラスティ、森で弱った生き物を連れ帰って世話をするのが趣味なのね。もしかして、だから、私の顔色が悪いのをあんなに気にしていたのかしら。
「リスや犬といっしょくたにされたのは初めて」
「俺の馬も弱って捨てられていたのを拾ったものだ」
「まあ」
驚いた。何種類助けているの。
「あなたに世話をされた生き物は、みな元気になるわね」
元気で、幸せそう。そう口にすると、胸にあたたかな気持ちが広がる。自然と口元に笑みが浮かんだ。
「そうだ。だからお前にも生きていてもらわなければ――ああ、あった」
呟いてむくりと体を起こしたラスティは、手に茶色の革紐を持っていた。革を編み込んで作った首飾りので、飾りがついている。初めて見る形のものだ。親指の先ほどの大きさの黒い石がふたつ。ここであちこちに転がされている魔石に似ているけれど、魔力は感じない。
「これを。今から話すことは誰にも言うな」
ラスティはそれを私の手に押し付けると、少し声をひそめた。
「これは俺の作った特別な魔石だ。俺の今の研究成果」
「部屋でしていた……?」
「そうだ。安価な鉱物から魔石を作る研究をしている。魔力が漏れさえしなければ、見た目は石ころとかわらない。まだまだ道半ばだがな、その中には俺の魔力が大量に入っているから、必要だと思ったなら強く握り込め」
「握るのね」
「ああ、だが握る力が強すぎると割れる。割れれば、中の魔力が一気に溢れ出して周囲に漏れるからな」
「気をつけるわ。ありがとう、とても助かるし、嬉しい」
私のために彼が作ってくれた。手に乗せられたひやりと冷たい黒い石に、彼の熱い魔力が込められているなんて信じられない。
「魔力は半年ほどしか保てないと思う。使わなくても中で失われていく」
「無駄にはしないわ。ラスティ、あなた優秀なのね」
「今頃気が付いたのか」
「あなたが死霊術の研究をしている類の魔術師でなくてよかった」
「だったらそもそも助けるものか、死ぬのを待つ」
「それもそうね」
笑いながら、貰った魔石を首にかけた。重みが嬉しい。
「ありがとうラスティ」
「誰にも話すな。ここでの研究の成果を奪われたらかなわん」
「わかったわ。服の下に隠しておく。あなたのリスみたいに」
「そうしてくれ」
言いながら首もとから服の下に入れると、ちょうど胸の傷のあたりに石が落ち込んだ。傷は薄いけれど少し残った。皮膚がひきつれて跡になっている。それはラスティには黙っていた。
石をしまって顔をあげると、ラスティが私をじっと見ている。私というか、私の――。
「その髪はどうなっているんだ」
複雑に編み込まれた髪を。
「さあ。私にはわからないわ」
説明できず途方に暮れた。前に持ってきていた毛束を、両手で持ち上げて彼に見せた。ラスティは一歩近付くと、興味深そうに編まれた髪を指でなぞる。短い爪の、彼の指。見納めね。
「ここがこっちにいくのか。迷路のようで美しい。お前を拾った時もそんな髪だった」
ラスティの胸が目の前にあって、嫌でも意識させられる。あの裁縫箱はお母さまからのものだった。つまり、彼は、誰のものでもないのかもしれない。もし今私が……一歩踏み出してこの胸に頬を寄せたとしたら、彼はどうするだろう。戸惑うのだろうか、それとも笑うだろうか。抱きしめてはくれないだろうか。
そんな考えが頭を巡る。
どうしてこんなことを考えるのか、自分でもよくわからない。ラスティが好きなのか? いいえ。でも間違いなく惹かれはじめてはいた。遠慮のない鋭い言葉を向けながら、私を気遣う彼を。
それなら、一歩前に出てみなさいよイルメルサ、ここを出ればもう二度と会わない相手。惹かれた人に最後に一度だけ抱きしめて貰いたい。年老いた領主に嫁いで死ぬだけの私が、そんなささいな願いを抱いたからといって、誰が責めるだろうか。
ロインもエマリィも、そう思って私をひとり送りだしてくれたのかもしれないのに……。
「どうした?」
「えっ」
「笑っている」
「いやだ、ほんとう? 恥ずかしい」
色々考えていたら余計惨めになって、自嘲の笑みが漏れていたみたい。自分から、なんて。できるわけがないのに。
「……もう行くわ」
「そうか」
私の言葉にラスティは呟いて、髪から手を離した。せめて覚えておこう、彼が髪を美しいといって触れてくれていた、今のこの景色を。




