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父からの話


 冬も終わろうという頃なのに陽が昇ってもまだ寒い、そんな日だった。城の広間に呼ばれ降りていくと、火の入った暖炉の横、母との婚約時に父が作らせたという大きなタペストリーの前に、両親が寄り添って立っていた。

 二人の表情は堅く、これから語られるだろう話の重さをうかがわせる。うしろのタペストリーに描かれているのは、私たちシファード家の始まり。若い男女が湖のほとりにゆったりと座っている。男の方は、父や私と同じ蜂蜜色の髪に水色の目。女は母と同じ金髪に、緑色の目。二人のまわりには蝶が何匹も舞っている。いち、に。蝶の数を数えながら、ゆっくりと両親の元へと進んだ。

 

 広間では召使いたちが、昼食のための準備をはじめている。折りたたみ式のテーブルと長椅子を運ぶ、ごとごとという重い音が、石造りの広間に低く響いていた。なぜこんな場所で話すのだろう。召使いたちが素知らぬ顔で耳を澄ませているというのに。

 

「イルメルサ、お前の結婚が決まった。ガウディール領主バルバロスとだ」

 

 ほんの一瞬、広間の音が消えた。振り返ると、思った通り幾人もの召使いが目を見開いて顔を見合わせあっていた。すぐに私の視線に気づいて、そそくさと仕事に戻っていったけれど。

 

「この婚姻は王の定めによる。バルバロスも承諾したそうだ。明後日には城を出発してガウディールに向かいなさい。婚約式を済ませたのち、婚約公示期間中は卿の姉ジョルジェットさまの元で過ごすようにとのことだ」

「公示期間中、戻れないのですか? ひと月もあるのに?」

 

 その疑問に答えたのは母だった。どこか自慢気な、普段より大きな声で言う。

 

「ジョルジェットさまはアイバン辺境伯に嫁がれておいででしょう、ガウディールからならそちらの方が近いのですもの、そちらで女主人としての心得を学ばせてくださるそうよ」

 

 この婚姻で辺境伯と縁続きになれるのが嬉しいのか。私がごねないので安心したのか、喜びをあらわしだした母とは違い、父は相変わらず堅い表情のまま。

 どんな態度を取れば、両親二人ともを満足させられるんだろう。

 

「ひと月後の婚姻の儀には我々もガウディールに向かう」

「わかりましたお父さま、お話はおしまいですか? 部屋に戻っても?」

「ああ」

「失礼します」

 

 踵を返して両親に背を向けるのと、父が私の名を呼ぶのは同時だった。イルメルサ、と。どこか躊躇いがちな声。

 

「はい」

 

 振り向くと、父が辛そうに目を細めて私を見ていた。その顔が嫌で、無理に笑顔を作る。

 

「ようやく私も女主人になれる。光栄です、王のご配慮に感謝します」

 

 自分の口から明るい声が出るのを、心が不思議がっている。変な気持ちだった。でもいまここで、父の前で本心を見せるのがどうしても嫌だった。早く部屋に戻らなければ。

 

 父の返答を待たず広間を出、身を翻して長い廊下を駆けた。途中召使いとぶつかって、杯が床に落ちる音がしたけれど立ち止まらない。

 塔を登る狭い階段に足をかけたところで、息が上がってめまいがした。壁にもたれてはあっと息をつく。ゆっくりと階段を登った。

 階段の途中に口を開ける窓から外を見ると、城壁の上に立つ騎士が見えた。その先に翻る、黄色の線の入った青い旗はシファードの印。じきにあれも見られなくなる。壁をつたい、よろよろと自室に戻って寝台にうつ伏せて泣いた。

 

 とうとう来た、この日が。

 

 領主の娘、政略結婚の道具。それなのに生まれつき魔力が全くない私は、二十二になるまで誰からも望まれず父の城でただ生きてきた。

 庭に咲く花にも、風に流される蝶にだって、生き物には全て魔力が備わっているというのに。

 ガウディールのバルバロスさまが父よりも年上でも、彼の四回目の婚姻の相手だとしても、我慢するしかない。シファード領主の長女。呪われた、生きた死体のような娘。そんなものを妻にしなければならないバルバロスさまの我慢よりはましだろうから。

 

 ◆◆◆

 

「おねえさま」

 

 優しい声に起こされた。背中に乗せられたまだ小さな手が、そっと私を揺らす。いつの間にか眠ってしまっていた。

 

「食事の時間よ、一緒に行きましょうよ」

「アリアルス、迎えに来てくれたの?」

 

 起き上がって妹の顔を見る。十一になったばかりの妹は、蜂蜜色の髪を胸に垂らし、水色の目を心配そうに陰らせていた。

 

「ありがとう。一緒に行きましょうか」


 寝台から降りて、妹の小さな手を握った。アリアルスの双子の兄ラウルは、去年から王都の騎士の元に従者として仕えるため行ってしまった。私もいなくなるともう誰かから聞かされただろうか。

 手をつないで、広間への廊下を並んで歩いた。どちらも無言だ。

 

「ガウディールのバルバロスって、あの六十すぎの年寄りでしょ?」

 

 と、曲がり角の先から、召使いの女たちが噂話をする声が聞こえ、さっと心が冷えた。壁に複数の影が揺れている。立ち止まった私の手を握るアリアルスの指に力が入る。妹はもう知っているんだわ。

 彼女を見下ろすと、小さな唇をぎゅっと噛んで、廊下の先を睨んでいた。


「年寄りでも領主は領主だ、羨ましい」

「持参金として王領森レイウッドに隣接した開拓地を持たせるそうよ」

「魔力のないお嬢さまより価値があるわね」

 

 女たちの忍び笑いを聞きながら、冷静に考えた。父はあそこを持たせてくれるのか。確かに、私より価値がある。

 

「修道院からも断られた曰く付きの呪われた行き遅れを引き取ろうってんだ、それっくらいは旨味がないと……」

「あんたたちっ!」

「アリアルス?!」

 

 と、本当に突然、妹は繋いでいた手を振りほどいて金切り声をあげながら走り出していってしまった。

 

「おねえさまはそんなんじゃないっ! 顔をお見せ、ぶってやる! 部屋には鞭だってあるのよ!」

「お、お許しをアリアルスさま!」

「およしなさい!」

 

 癇癪を起こした妹を追って駆けた。彼女はすでに角を曲がり、召使いたちに飛びかかっているようだ。まったく、私が母のお腹に忘れてきた体力を拾って生まれて来たようなお転婆娘。

 

「ロイン! この掃除婦たちを縛り上げておしまい!」

「お? おお、どうした」

 

 少し走っただけでもう心臓が跳ね上がる。忌々しいこの体。なんて使えない体なの。

 たどり着いた時には、呆れ顔の騎士ロインがアリアルスを召使いのひとりから引き剥がしているところだった。女たちの髪がぐしゃぐしゃにされていて、吹き出しそうになるのをこらえるのが大変だ。

 この金髪の騎士ロインはうちの城一番の美男子なのに、その彼の前であの頭。

 

「ロイン、言うことをおきき!」

「ロイン、無視していいわ。お前たちも早く仕事にお戻り」

 

 手を振って召使いたちを下がらせた。

 膝を曲げ軽く頭を下げてから、三人は黙って走り去って行く。

 

「おねえさま! 謝罪させるのを忘れてる!」

「いいのよアリアルス、それより怒鳴るのをやめて、耳が痛い」


 甲高い子供の声に、頭が痛くなる。

 

「この小さなご婦人の誇り高さはどうだ」

 

 ロインがアリアルスをそっと床に降ろすのを待って、また妹に手を伸ばす。妹はその手を、今度はぎゅうっと握ってきた。まだ腹をたてているのだろう。

 

「行きましょう」

「ロインも一緒に行きましょ」

「御意に」

 

 うやうやしいお辞儀を冗談めかしてする騎士を見て、アリアルスはようやく満足した様子で笑みを浮かべた。それからすましたしたり顔で、語り始める。

 

「おとうさまもおかあさまも、召使いに甘すぎるわ、あんなおしゃべりを許していたら、し、しめ……なんだったかしら」

「“示し”」

 

 ロインが即座に助け船を出す。

 

「そう、しめしがつかないでしょう。王城の廊下では召使いの姿も見かけないって、ラウルが言ってたわ、うちもそうすべきよ」

「うちはうち、よ」

「アリアルスさまが嫁がれる城の召使いは大変だ」

「そうね、王家と同等の振る舞いを求められる。でもそれを言うなら、アリアルス。姫さまは廊下を走って召使いに飛びかかったりはしないと思うわ」

 

 うっ、と言葉に詰まる妹の声が下でして、私はロインと顔を見合わせて笑った。それから三人で広間の昼食に向かった。長くうるさい食事の時間が始まる。

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