子ぎつねガールに手作りメシをふるいます
「は?」
「はイ?」
首根っこをつかんだ男と、つかまれた美少女が、目を皿のように丸くして克真を見下ろしている。
確かに『メシ、作ろうか』はなかったかもしれない。だが克真だって冗談で口にしたわけではない。本気でそう思っているのだ。
「あ、いやだから……腹、減ってんだろ。食われるのは困るけど……メシなら作れるし」
克真は少し癖のある髪をくしゃくしゃとかきまわしながら、ゆっくりと立ち上がった。
自分でも相変わらず空気が読めてないなと思わないでもないが、仕方ない。これが自分という人間なのだ。そして同時に、料理という日常の作業をこなすことで、混乱していた頭を整理したい気持ちもあった。
今自分の身の上に怒っていることは、おおよそ夢だと思いこみたいが、残念ながら現実のような気がする。だったらもう開き直るしかない。
(もう、どうにでもなれだ)
「台所は?」
「――そこのドアを出た突き当りに“ある”」
克真の口を開いたのはスーツの男だった。彼が“ある”と口にした瞬間、空気が変わった気がした。ピシリと空気中で何かが組み合わさったような、一方で何かが消えたような、不思議な感覚だ。
「ん……?」
克真は首の後ろを手のひらでゴシゴシとこする。
「どうした」
男が目を細めて尋ねる。相変わらず仏頂面だが、唇の端がほんのかすかに持ち上がっている。どこか笑っているようにも見えないこともない。
「いや、なんでもない。わかった、ドアを出た突き当りだな」
「ああ」
そして男は、克真が出ようとしていたドアに向かって、あごをしゃくる。あまりお行儀のいい態度ではないが、完璧な美丈夫である彼がやると、妙にさまになって見えた。
克真はドアを開けて、長い廊下をまっすぐに進む。廊下の左右にはドアが四つずつあった。いったいこの部屋はどれくらい広いのかと、小さな二階建てに祖母と住む克真は驚いたが、言われた通り廊下の突き当りのドアをあけると、目の前にかなり立派なキッチンルームが広がった。
相変わらず窓はないが、大きな業務用の冷蔵庫に壁一面の食器棚、システムキッチンは同時に横並びで五人は立てそうな広さである。
「でけぇ……」
呆然としつつ冷蔵庫の取っ手に手をかける。中身を思い切って空けると、肉、野菜、魚、果物とたくさんの食材がきれいに整頓された様子で入っていた。さらにシステムキッチンのあとこちを開けると、保存食や調味料の類もしっかりと入っており、かなり充実している。
「あんた、料理するの?」
「いや」
背後についてきた男を振り返ると、当然というふうに首を振る。
(確かにこいつの場合、作らせる側だよな。てか、そもそもメシを食う姿が想像できん)
「だろうな。そんな感じする」
克真は聞いた自分がバカだったと思いながら、うなずいた。
「お腹空いタ……」
ちなみにミロは唇を恨めしそうに尖らせ、男の背後にぴったりとくっついて、克真の様子を見つめている。どこかいじけた様子ではあるが、男に止められたことで克真を食べるチャンスをうしなったことを恨んでいるのかもしれない。
(とりあえずなにかを食べさせなきゃな……空腹だからイライラするんだ)
「なぁ、好き嫌いとかある?」
「別にないケド……きらいなのは草だヨ」
「草って……野菜かよ」
思わず笑ってしまったが、ミロは本気のようだ。
「草は草だヨ……」
そう言って、プイッと横を向いてしまった。
「とは言っても、多少は食ったほうがいいんだけどな、草」
克真は苦笑して、眼鏡を指で押し上げた。
フライパンにサラダオイル、にんにくを入れて弱火にする。耐熱ボウルに適当に小房に分けたブロッコリーを入れ、ラップをかけて電子レンジに入れた。それからぶつ切りに切ったモモ肉を両面がきつね色になるまで炒めながら、計量カップに目分量で注いだ砂糖、酒、しょうゆ、みりんを用意する。
「めんつゆがあれば事足りるんだけどなぁ……」
あまじょっぱい味はめんつゆで、あとは白だしさえあればたいていのことは何とかなる。だがないものはしょうがない。
ジューッ!
合わせた調味料を流し込むと、フライパンがいい音を立てキッチンに甘辛い香りが立ち込める。
「ふわーッ、いい匂イ……!」
それまで遠巻きに克真を見ていたミロが、いつの間にか隣に立って克真の隣に立って手元を覗き込んでいる。たれが絡んだ鶏肉はミロの目からしても魅力的なようだ。さっきまで食われかけたとはとても思えない、彼女の表情からはあどけなさすら感じる。
(こうやって見たら普通に可愛いじゃん……って、そんな馬鹿な……)
命の危機があってもそんなことを思ってしまうのは、自分が男だからだろうか。そう思うと男というのはなかなか不自由だ。
だがつぎに克真がレンジからブロッコリーを出してフライパンの中に入れると、ミロの表情が一気に険しくなった。
「草ッ!」
「草じゃねえって」
克真は笑って火を止め、電子レンジで温めたサトウのごはんを浅い丼に移し、鶏ももの照り焼きをその上に乗せた。菜箸で体裁を整えて、どんぶりをお盆の上に乗せると、ミロに差し出した。
「これ、食べていいノ?」
おそるおそるといった様子で、ミロはお盆を受け取ると、克真とどんぶりを交互に見比べた。
「ああ。鳥の照り焼き丼だ。俺じゃなくてこれを食え!」
克真が堂々とした様子で言い放つと、キッチンの出入り口の前で腕を組み立っていた男がプッと吹き出し、肩を揺らして笑い始めるのが見えた。
「むほーッ、おいしーヨ、こレ! おいシー! 食べられるヨ! 驚いタ! お肉はやわらかいし、たれが絡んだブッコロリは葉っぱのくせに食えるヨ! いい歯ざわりだヨ! そして白いごはんがいくらでも食べられるヨ!』
キッチンにあるダイニングテーブルで、克真は頬杖をつき、テーブルを挟んだ目の前でむしゃむしゃとどんぶりをかきこむミロを眺めていた。
(ブッコロリ……てかブッコロリってなんだよ。ブロッコリーだろ。ガキかよ……)
「食べられるに決まってるだろ。別におかしなもの作ったわけじゃねえし……」
「ちっ、がーウ! かたちだけ食べることはできるけド、普通は人間の作ったものは美味しくないノッ!」
ミロはツインテールの頭をぶんぶんを横に振って、「これは美味しいノッ!」とどんぶりを両手で包み込んだ。今にも頬ずりしそうな雰囲気だ。
「はぁ……」
いくらなんでも感動しすぎのような気がするが、『人間が作ったものが美味しく感じられない』ということは、手作りがいっさい駄目だということなのかもしれない。外食ができないくらい潔癖な人もいるとテレビで見たことがある。ミロもきっとそうなのだろう。
「腹が減ってりゃなんでもうまいんだよ」
空腹は最高の調味料というではないか。克真は当然そう言ったのだが、
「だからそんな簡単な話じゃないヨ!」
ミロは頬をハムスターのように膨らませ、口の中をパンパンにしたまま立ち上がった。
「これはすっごくすっごく大変なことだヨ!」
「わかったわかった。てか、メシを飛ばすなって。座って飯を食え」
正直いってなにもわかってないが、面倒くさくなった克真は肩をすくめてミロを椅子に座るようにうながした。
とりあえず克真としてはこれでミロが自分の首根っこに噛みつこうという気が失せたのならそれでいいのだ。
(それにしてもあの首元で響いた、カシャーンって音、マジでなんだったんだろうな?)
あきらかに首根っこが噛み千切られそうな、激しい音だったように思う。だが、目の前で美味しそうにごはんを食べるミロの食事はとりあえずいたって普通だ。となると、歯が大きく見えたのも、ふっさふさのしっぽみたいなものが見えたのも、なにかの間違いだったのだろう。
(きっとビビりすぎたんだな、俺……)
克真はそう自分に言い聞かせ、納得させることにした。




