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男子高校生、コンビニでチンピラに絡まれ美貌の男に拾われる


 それは半年ほど前のこと――。


「それ、俺の傘なんだけど」


 そう言った瞬間、克真の体は宙を舞っていた。


「クソガキがっ!」


 克真をコンビニの出入り口で突き飛ばしたのは、どこからどう見ても絵にかいたようなチンピラふたり組のうちのひとりだった。

 天神の繁華街から少し離れた旧繁華街で、場所が悪かった。風俗店や飲み屋、いったいなにが入っているのかわからない雑居ビルが立ち並び、夜ともなればその筋の人たちであふれかえるこの街に、地元民は基本的に近づかない。

 だが克真は、足を踏み入れてしまった。どうしてもコンビニのおでんが食べたかった。空腹だったのだ。しかも今日から100円セールが始まっていた。買わない手はない。

 そして克真は夜食にと近所のコンビニに向かったが、お目当ての牛筋がちょうど売り切れていたせいで、普段足を踏み入れないこのあたりのコンビニまで足を延ばしてしまったのだった。

 ほんの数分前までは小ぶりだったが、突然、バケツをひっくり返したような雨が降り始めた。あとからコンビニに入った克真が傘立てに差したそれを、行き違いで出て行こうとしたチンピラが当然のように手に取ったので、思わず声が出た――というのが、今の状況だ。


(あああ……やっちまった……!)


 克真は心の中で後悔するが、一度出した言葉は取り消せない。

 元々そういう性格だった。若干短気で、相手が悪いとわかっていても飲み込めない。ある種まっすぐな正義感がある。たまに会う祖母にも、『短気を直せ』と注意されるし、それで損をすることがあるというのもわかっているが黙っていられない。


「いってぇ……」


 突き飛ばされた克真はコンビニのゴミ箱にしこたま背中を打ち付け押さえてうずくまる。かけていたはずの黒ぶちメガネはどこかに消え、土砂降りの雨に全身打たれて、克真のTシャツとデニムがみるみる色を変えていく。


「チッ……!」


 チンピラたちはそのまま立ち去ろうとしたのだが、顔を上げた克真が「待てよ」と呼び止めた。


「それ、俺の傘だ。置いてけよっ……!」


 その刹那。黒髪のくせっ毛の下で、大きな、切れ長の目が見開かれる。青みを帯びた白目が発光するように輝き、振り返ったチンピラは一瞬気圧された。

 普通、人間の目が暗やみで光るはずがない。ただこのチンピラふたりはそんな男をひとり知ってはいるのだが、目の前で無様に座り込んでいる少年とは無関係なはずだ。


「ああっ!? 誰に向かって口ききよるんや!」


 チンピラは克真の目に怯えた自分を恥じたのか、首根っこをつかみ無理やり立ち上がらせた。


「誰もなにも……お前なんか知るかよ」


 克真は吐き捨てるようにささやく。克真の反抗的な態度にチンピラは切れてしまった。彼らの世界ではメンツがなによりも大事なのだ。


「おいこらガキィ! こっちこんかいっ!」


 ここは旧繁華街にある古いコンビニエンスストアで、時間は丑三つ時。激しい雨のせいで視界もすこぶる悪かった。運が悪かったとしか言いようがない。克真はあっという間にコンビニから少し離れた雑居ビルの路地裏に連れ込まれてしまった。


「素人が生意気な口ききやがって!」


 数度肩や胸のあたりをどつかれた後、積み上げられたゴミ袋の上に倒れた克真の腹に、チンピラの尖った靴のつま先が押し込まれる。


「ゲホッ……!」


 口の中が切れたのか、血の味がした。

 チンピラたちは、十七歳の克真から見て十は上に見える。このあたりをシマにしている暴力団の関係者だろう。あきらかにカタギではない雰囲気がプンプンだった。


「糞ガキがっ!」


 むせる克真をなおも蹴り上げる男に向かって、傘を持ったもう一人が体を寄せた。


「おい、そのへんにしといたほうがいいぜ。素人に派手な怪我させるとまずい」


 落ち着かない様子で通りに面した方向を振り返った。


「それにこのあたりは“アイツ”の……」

「わかっとるっ……」


 アイツ、と聞いて、チンピラの顔色が変わった。

 苛立ち、畏怖、恐れ、さまざまな感情が通り過ぎていく。


(あいつ……って、誰だ?)


 克真はアスファルトの上で倒れたまま、男たちを見上げたが、あいつの話はもう出なかった。


「くそがっ……!」


 一方チンピラは、まだ気がおさまらないのか、肩で大きく息をしながら、克真を恨めしげに見下ろしていた。

 克真の住む九州北部のF県は、他県からは修羅の国と揶揄される。実際、五つの暴力団が日夜問わず抗争を繰り広げてはいるのだが、もちろん一般人の生活はそういった組織とは無縁で、いたって平和なものだ。場所と時間を選べば、彼らと交差する可能性は限りなく低い。

 克真だって、この街に引っ越してきて半年かそこらではあるが、こんなふうにチンピラに絡まれたのは初めてだった。

 だから――とにかく、運が悪かったとしか言いようがない。

 雨が降ったことも。

 夜中、ふいに腹が減ってひとりコンビニに向かったことも。

 チンピラの絡まれたことも。

 そして、克真がここで血を流したことも――。


「そこでなにしてる」


 どしゃぶりの雨の中、低い声が路地裏に響いた。

 その一瞬、完全に雨の音が聴こえなくなった。


(雨が止んだのか?)


 克真は痛みに顔をゆがめながら大の字になったゴミの上から顔を起こし、空を見上げる。ネオンに照らされるビルとビルの間から見える、切り取られたような空は相変らず土砂降りで、雨が頬にあたるのがうっとおしい。


「なにをしているのかって、聞いてるんだ」


 男の声だけがもう一度聞こえた。

 しっとりとした、艶のある低音だった。年は二十代から三十代前半だろう。よく通る声だ。政治家でもやらせて演説させれば声で票が取れるかもしれない。そんなふうに思えるようなしっとりした美声だった。


(俺の耳、おかしくなってんのか?)


 なぜかこの空間で、克真の耳には乱入者である男の声だけが響いて聞こえた。チンピラの声も、雨の音も、なにも聞こえない。まるで自分ひとりだけ、世界から取り残されているような不思議な感覚がした。


(意識はしっかりしてるけど……)


 克真は軽く頭を振りながら、どんどん近づいてくる気配に目を凝らす。

 男は濃紺のストライプ柄の三つ揃えのスーツ姿だった。傘はさしていない。両手をポケットに突っ込んで立っている。眼鏡を失くしたので男の顔はよく見えないが、身長は190以上あるのではないだろうか。

『威風堂々』という言葉はこの男のためにあると言いたくなるような、分厚い胸板をベストで包み、えんじ色のネクタイを生真面目にしめている。

 よく磨かれた茶色の靴を履いているが、雨と泥でどんどん汚れていくのが気にかかった。こう見えて克真はきれい好きなのだ。


「たかそー靴が、汚れるぞ、おい……」


 そう、自分で言って絶望した。相変わらず空気が読めないことこの上ない。

 彼がもし善良な市民であったなら、近付いてはいけないと言うべきなのだ。


(なに言ってんだ、俺……)


 慌てて忠告をひねり出した。


「あっち、行け……よ」


(来るな。俺なんか放っておけ……)


 少しずつ気が遠くなる。やはり自分は意識を失いかけているらしい。


(自業自得とはいえ、最悪だな……)


 だが他人を巻き込むのは絶対に嫌だ。

 だからなんとか手を挙げ、向こうに行けと伝えたいが、重くて動かない。


「行け……」


 絞り出した、二度目のうめき声に似たその言葉もやはり聞こえなかったのだろうか。男はゴミの上の克真の前にしゃがみこむ。ふと克真の頬にあたる雨が止まった。しゃがんだ男の後ろにもうひとり、透明傘を差したスーツの男が立っている。傘は紺色のスーツの男の頭上にある。しゃがみこんだ男が濡れないよう、背後から傘をさしているのだ。


(自分で傘を差さない、異常に迫力がある男……)


 もしかしたらこの男は、チンピラ以上の問題があるのではないか。

 克真はそんなことを思ったが、次の瞬間男にあご先がすくうように持ち上げられる。そして値踏みでもするかのように、顔を近づけてきた。


「――ボロボロだな」


 そこでようやく克真は、スーツの男の顔がたいへんな美貌の持ち主だと気が付いた。


 意志の強そうなまっすぐの眉の下に、はっきりとした二重瞼の瞳。瞳に影が映るほど睫毛は長かった。切れ長の目じりは釣りあがっており、瞳も髪の色も、金色に見えるほど、色素が薄い。左耳の上で髪を編み込んでいて、どこか異国情緒が漂う淡い褐色の肌をしており、鼻筋は高く、唇はどこか不機嫌そうに引き結ばれているが、男らしいと同時に妙な色気を漂わせている。どこからどう見ても完璧な色男だった。


(彫りが深い……すっげえイケメン……ハーフかな……てか、でかい手だな……俺のアゴなんか、りんごみたいにひねりつぶしそう)


 決してこの状況を面白がっていたわけではないのだが――。

 想像して、ふっと克真の唇に笑みが浮かんだ。


「この状況で笑うのか」

 

 その声は、どこかからかうような、面白がっているような、不思議な声色だった。

 次の瞬間、克真の体はふわりと宙に浮いていた。


(おい、嘘だろ……)


 身長は170そこそこ、体重は60キロ近くあるのだ。女性のように軽々と持ち上げられるはずがない。だがこの男はよほど鍛えているのだろう。軽々と克真を抱き上げてしまった。


「ちょっ……」


恥ずかしさに、克真の頬にサッと紅が差す。

 だが下ろせと言うこともできなかった。本当に目の前が見えなくなってきたのだ。


(ああっ、くそっ……)


 克真は必死に抵抗したが、指一本動かせそうになかった。


(おい、冗談じゃねぇぞ!)


「――少し眠ってろ」


 男が克真に命令する。

 そう、それは命令だった。圧倒的ななにかに命令され、克真の体の細胞一つ一つがそれを受け入れてしまう。


(まじかよ……)


 かすかに煙草の香りがする。

 克真の知らない夜の匂いだった。



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