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恋愛感情は複雑怪奇!?


 トーヤがサバサンドを食べて帰り、客もはけた。時間は九時前十五分だ。そろそろのれんを下ろすかと、食堂の引き戸をがらりと開けたところで、


「あっ!」


 ちょうど階段を登ってきたアズサとバッタリ鉢合わせた。


「今お店閉まるとこ?」


 短い制服のスカートに、きれいに染めた明るい茶髪。前髪にはまゆことおそろいのヘアピンがついている。ずっしりと重そうなトートバッグを肩にかけている(あの中にはセンベエさんがいるのだろうか?)姿は、いつものアズサだ。

 彼女の姿を見ると、今日の昼休みのことを思いだして眉間にしわが寄るのを止められない。


「お前なぁ……俺、お前に言いたいこと、めっちゃあるぞ」


 克真は渋い表情になりながらのれんを下ろし、とりあえずアズサを食堂の中に招き入れた。


「えー、なになに?」


 軽い調子でアズサはうなずき、慣れた様子でカウンターの椅子を引いて腰を下ろした。


「あたしミルクティね」

「まずそれかよ!」


 克真は唖然としながらも、カウンターの中に入って、小鍋にコップ三分の一の水を入れ強火にかけた。ふつふつし始めたら火を止め、紅茶のティーバッグを放り込む。濃い目の紅茶がに出されたところで、ミルクを足し、また火をつける。


(確か北見はそれなりに甘党だよな……)


 サラサラと砂糖を投入したあと、克真はアズサを指さしながら、険しい表情を作った。


「で、話戻るけど。お前に言われた通りまゆこに話したら、ひどい目にあった!」

「え~マジで?」


 信じられないと言わんばかりに、アズサがきょとんとした顔になるが、


「マジで~じゃねえよ。お前の伝言そのまま伝えたら、『うそだ、そんなはずない』ってめちゃくちゃ怒って……」


 あの時のことを思いだすだけで、克真はドヨーンとした気持ちになる。

 そこでようやくアズサは何かを察したようだ。


「あー……」


 と、視線をさまよわせ始めた。


「おまけに泣き出してさ」


 鍋をゆすりながら、ブルーになる克真。


「あらら……」

「あららじゃねーよ。『変なこと言わないで、バカッ!』って怒られて、そのまま突き飛ばされた」

「あちゃぁ……」

「しかも場所は屋上だぞ。あの場に残された俺、完全に不審者だったっつーの……教室に帰っても、なんかヒソヒソされてるし……ただでさえ低い信用度がさらに下がったのをしっかりと感じたわ」


 教室の冷たい空気のあれやこれやを思いだし、マグカップにミルクティを注ぎながら、克真は本気で泣きたくなった。


「えっと……なんかまぁ、ごめん」


 アズサはスカートの裾を気にしながら足を組み替え、克真から差し出されるミルクティを受け取って、さらに渋い顔になる。


「だけどそっかぁ……『そんなはずない』って言ったんだ」


 そしてトートバッグからクッキーの入った袋を取り出した。


「おう……てか、まだクッキータワー作ってんのかよ」

「今日の分だよ」


 どうやらまゆこは克真との昼休みの件があって、またクッキーを作ったらしい。

 それをやめさせるのが目的だったはずだが、枚数は明らかに増えていた。状況はよくないようだ。

 克真はうむむとうなるしかない。


「だけどさー、そんなはずもこんなはずも、お前が俺に言づけた内容、そんな突拍子もないことじゃないだろ」


 そう言いながら克真は脳内でアズサの言葉を反芻した。


『まゆはもう遠慮なんてしなくていい。あたしとまゆの人生は別なんだから、関係ない。だから自分の好きに生きて。幸せになってほしい』


 喧嘩別れした親友にあてる言葉としては、それほどおかしな伝言だとは思わない。むしろ克真は、普通にいい言葉として受け入れられる気がしたのだ。


「うーん……」


 だがアズサはその克真の言葉を聞いて、少し困ったようにうつむいた。


「――あのさぁ……あと、めっちゃあるって言ってたけど、まだなんかあるんでしょ」

「おう……てか今思えば、それがお前に関係あるかないかはわかんねぇけど……ここに入る前にちょっとチャラい奴に声かけられて、振り向きざまに殴られたんだよな」

「えっ? 殴られたの?」


 アズサが目を丸くする。


「ここにいたら傷は治るから別にいいんだ。それよりも心当たりあるか。とにかく見た目はチャラついた奴で、身長はこれくらい……だったと思う。学校で見たことあるかもしれないしないかもしれない……」


 確かに傷は治っていたが、その時に追った痛みはそう簡単に忘れられないし、なにより知らない男の恨みを買うという状況が気持ちが悪い。

 克真のような隅っこ男子に、普通に話しかけてくるアズサならまだしも、ウェイウェイしたチャラ系男子生徒にはまったく縁がないのだ。

 克真は自分より少し高い所を手のひらでかざしながら、アズサを見下ろした。


 するとアズサから返ってきたのは、


「なんか、ごめん……」


 という謝罪の言葉で。克真は一瞬、きょとんとした。


「いや……別に謝ってもらいたいわけじゃねーし。ただ心当たりがないかと思って」


 なぜこうなったかは確かに気になるが、本当にアズサが悪いとは思っていない。

 ただあのチャラい感じの雰囲気からして、アズサの知っている人間ではないかと思っただけだ。

 すると彼女はしゅんとした顔で、上目遣いで克真を見上げたあと、そっとマグカップに口をつけた。


「心当たりも何も……たぶんそれ、あたしの彼氏だわ」

「そう、彼氏――ってええええええ!?」


 克真は驚いた。ビックリしてカウンターでずっこけそうになったが、かろうじて踏みとどまった。


「なんでお前の男に俺が殴られなきゃいけないんだよ、どういうことになってんだ!」


 まったくもって意味が分からない。


「うーん……まぁ、今聞いて、やっぱりなーって確信したというか」


 アズサの言葉を聞いて、克真は渋い顔になる。


「どういうことだ」


 なんだか嫌な予感がする。

 竜胆の『お前には荷が重い』という言葉が脳内を駆け巡ったが今さらもう遅い。

 するとアズサは少し冷めたミルクティーを半分ほど飲んで、カウンターに置き、泣き笑いのような表情を浮かべた。


「あのねぇ、じつはまゆと彼――弘樹ひろき、あたしに隠れて会ってたみたいで。たぶんまぁ、お互い本気で好きだったんだと思う」

「――は?」


 克真の頭の中が真っ白になる。


「浮気って言ったら悪いけど……対外的には別れてなかったからさ。弘樹は二股、まゆは親友の彼氏を取ったってことになるのかも」

「――」

「まぁ、そんな感じの微妙な空気の中であたしが死んじゃったもんだから、まゆは受け入れられないって言うしかないし、弘樹は馬鹿で単純だから、まゆがあんたに泣かされたって噂で聞いて、激おこで殴りに来たんじゃないかな」

「――」

「てか、聞いてる?」


 きょとんとした表情で尋ねられて、克真は真顔で返答する。


「全然意味がわからん」

「あはは! なにその顔~ウケる~!」


 アズサは指をさしてケラケラと笑った。


「ウケるじゃねえよ! なんだよその複雑怪奇な三角関係!」


 彼女どころか友達もいない克真からしたら、どうしたら正解なのかさっぱりわからない。


「いや、単純でしょ。すごーく単純。あたしが生きてたら面倒くさいことになってたかもしんないけど。あたしもう死んでるんだもん。あとは生き残った者同士でくっつくだけじゃん」

「無茶言うなよ~……」


 克真は呆れてがくりとカウンターに手をついた。


「そもそも彼女の親友好きになるか? 親友の彼氏、好きになるか? ブレーキかかるもんじゃねぇの?」


 もし自分が弘樹の立場だったら、絶対にまゆこを好きになったりしない。

 アズサひとりを大事にする。よそ見なんかしない。絶対に。

 そう思う克真だが、ハッとした。


(――俺なに考えてんだ……)


 自分は弘樹ではないし、そもそもクラスでも浮いている影キャラではないか。スクールカースト上位者同士の恋愛関係に足を踏み入れられるほど、経験は重ねていない。


「まぁ、とにかく」


 克真は首をぶるぶると振った。


「ふたりが実はそういう関係だったとしたら、それを認めさせるのはかなり骨が折れると思うぜ」

「うんうん、そうだよね。でもそこをなんとかするのが坂田の役目でしょ? お、ね、が、いっ♪」

「ぐっ……」


 上目遣いのキラキラした目で見つめられて、克真は息を飲む。

 かわいい。キラキラしてる。あざといとわかっているが拒めない。


(モテない男の悲しいさがだ……!)


 克真は深いため息をつきつつ、アズサに問いかける。


「あと何日残ってる」

「えっと……十日かな」


 アズサは指折り数えて、四十九日までの数をかぞえる。


 残り日数はあとわずかだ。

 本当にもう、時間がない――。



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