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なつかしの母の味、ホットケーキとギャル来訪


 そして迎えた翌日の夜――。


 いつものように六時によろず食堂を開けたのだが、昨晩の暇な一日が嘘のように、九時の閉店まで店は大繁盛だった。ミロとサナの双子が手伝いを申し出てくれなければ、何人かの客には帰ってもらうことになっていただろう。空腹の客を帰してしまうことほど食堂の主にとってつらいことはない。


「サナ、ミロ、今日はあれこれ手伝ってくれてありがとうな」


 全ての客が帰った後、洗い物をしながら、表ののれんを下ろす双子に声を掛ける。

 克真の呼びかけに、ピンクの髪のツインテールのミロと水色の髪のポニーテールのサナのふたりが振り返った。


「イイよ~」

「お安い御用だヨー」


 昨晩来たミロが姉で、サナが妹だ。顔は鏡合わせのようにそっくりで、なおかつ声まで同じだが性格はだいぶ違う。ミロは姉らしく少し頑固なところがあって、サナは自由奔放だった。ちなみに初対面のミロには食われかけた克真だが、今となっては、ふたりがこのあやかし食堂の一番の常連である。

 そして今日のように食堂が忙しいときは、自ら進んでお運びや注文の手伝いもしてくれるのだ。


(ミロ&サナさまさまだな。マジでふたりが仲直りしてくれてよかったぜ……)


 ホッと胸を撫でおろし、克真は壁にかかっている時計を見上げる。針はちょうど八時四十五分を指していた。アズサが来るとしてもまだ時間はあるはずだ。ならば彼女が来るまでの間、仕事を手伝ってくれた双子たちにお礼がしたい。


「ホットケーキ焼いてやろうか」

「「ホットケーキ!?」」


 克真の提案に、双子の顔がパーッと笑顔になった。


「手伝ってくれたお礼」


 ふたりは目をハートにしながら、いそいそとカウンターに並んで腰を下ろした。


「食べル食べル」

「タクサン食べるよ~」

「たくさんはやめとけ。誘っておいてなんだけど、もう遅い時間だし」


 克真は苦笑して冷蔵庫から卵と炭酸水、使いかけのホットケーキミックスが入った密閉容器を取り出し、調理台の上に並べた。


「ソーダ?」


 カウンター越しにサナが覗き込む。


「水の代わりに炭酸水を使うと、めっちゃふわっふわになるんだ」

「へーっ、そうなんダ!」


 ミロが感心したように相づちを打った。


 ホットケーキと言えば、克真は幼いころの母を思いだす。

 恐ろしく不器用で、どんな食材でも消し炭にするような、とにかくなにもできない母だったが、なぜかホットケーキだけは上手に焼いた。もちろん市販のホットケーキミックスで作る、何の変哲もない普通のホットケーキだったが、母が食べられるものを作るだけで、幼い克真は『ホットケーキすごい!』と思っていたのだった。


(まぁ、それにそんな家庭能力ゼロのおふくろのおかげで、俺は物心つくころからひととおりなんでもできるようになったわけで……。人生なにがどう転んでうまくいくかわからないよなぁ……)


 マイナスの一面も他方から見ればプラスに変わる。そう思えば、辛かった子供時代のことも、慰められる気がしないでもない。


「――さて」


 玉子をボウルに割り落とし、よく溶いてから炭酸水を注ぐ。さらにミックスを一袋入れて、生地をさっくりと泡だて器で混ぜる。


「モウ終わり?」

「ああ。混ぜすぎると膨らまなくなるから、粉はダマがあるくらいでいいんだ」


 それから中温で温めていたフライパンをいったんガスから下ろし、濡れ布巾で温度を下げると、弱火にしたガスに戻し、高いところからお玉で生地を落とす。

 ふたりいるので、大きいのを一枚ではなく、手のひらサイズの小さめのホットケーキを同時に二枚焼くことにした。


「なんでそんな高い所カラ?」

「こうすると生地の色がムラになりにくいんだ」

「フ~ン」

「へーッ」


 それから生地に火が通り始めると、ふんわりといい匂いが漂ってくる。使っているのはスーパーに売っている、よくあるホットケーキミックスだが、普通に説明書通り作れば普通に美味しいものができる。


「いい匂いがするネー」

「アマイ匂いだね~」


 目線を手元に落としていると、カウンターの向こうにいるミロとサナ、どっちが話しているのかまったくわからない。だがちらりと目線だけ上げて見たふたりは、顔を寄せ合って、楽しそうに微笑みあっている。


(仲良きことは美しきかな……だな)


 高校生のくせに若干じじいっぽいところがある克真は、まるで保護者のような目線でふたりを見つめた後、食器棚から皿を二枚取り出して手元に並べる。一方、フライパンのホットケーキも順調に次第に火が通り始める。


「イツ裏返すの?」

「マダ?」


 双子の問いかけに、克真は首を振った。


「まだだ」


 そこでまた唐突に『ぷつぷつしたら、裏返すんだよ』という、母の言葉がよみがえった。


『まだだよ、克真。もう少し』


 小さなキッチンで、背伸びして『早くうらがえしたい』と駄々をこねる克真の頭を撫でながら、母はそう言っていた。

 マンションのキッチンの窓から差し込む太陽の光、それに照らされる母親の横顔。

 じいっと手元を見つめている母の真剣なまなざし――。

 思わず『母さん』と口走りそうになって。


「克真?」

「どしタ?」


 不思議そうな双子の視線に気が付き、あわてて口を一文字に引き結んだ。


「や、なんでもない」


(うーん……久しぶりにホットケーキなんか焼いたからいろいろ刺激されたかな)


 確かに今、克真は事情があって両親から離れ、ひとり暮らしをしている。

 だが一人暮らしは悪くないし、あやかし食堂で働くようになったこと含め、割と楽しくやっているのだ。そもそも克真は、湿っぽいのがどうも苦手だった。

 些細なことで記憶の扉が開いたことを少し恥ながら、克真は引き出しからフライ返しを取り出した。


「そうだな。弱火でだいたい2、3分くらいして、ぷつぷつと泡が立ってきたら、裏返してまた2、3分だ」


 そうつぶやきながら、フライ返しでサッとホットケーキをひっくり返す。


「「オオーッ」」


 あざやかな手つきに、双子たちが歓声を上げた。


「よし、きれいに焼けてるぞ」


 克真もにんまりと微笑む。

 そして時間通りに焼けば、ふんわりきつね色のホットケーキの出来上がりだ。


「早くちょうダイ!」

「オイしそう!」

「はいはい。ちょっと待てって」


 手を伸ばしてくるふたりを制して、克真は皿に乗せたホットケーキに冷蔵庫から切り分けたバターをひとかけらずつ乗せ、さらにジャムをたっぷりスプーンですくい乗せる。

 きつね色のふんわりホットケーキに、黄色いバターと赤いイチゴのジャムのコントラストが、自分で作っておいてなんだが、とても美味しそうだった。


「よし、できた」


 克真は二枚の皿をふたりの前に置く。


「すぐ次焼くから、とりあえず一枚ずつ食べてろよ」

「「ウン! いただきマース!」」


 ようやくありつけると、双子は満面の笑みでナイフとフォークを手に取ったのだが――。

 突然、ろれんを下ろしたはずの引き戸ががらりと開いて空気が変わった。


「あーっ、美味しそうなモノ食べてるじゃん」


 その瞬間、それまで穏やかに微笑んでいたふたりが血相を変え、椅子から飛びのき、立ち上がった。


「「誰ダッ!」」


 艶やかなピンクと水色の髪が、風もないのに揺れる。入ってきたのが同じあやかしと呼ばれる存在であれば、このような反応はしないだろう。尋常でない気配に、もしやと思った克真は、カウンターから身を乗り出して、入り口に視線を向けた。


「やほー」


 なんとアズサだった。昨晩よりだいぶ早いが、昨日と同じようにセーラー服姿で、トートバッグを肩に担いで、ひらひらと克真に向かって手を振っている。こっちの緊迫した空気をものともしない、教室に入ってくるような気安さだった。


「――ミロ、サナ、客だ……ごめん」

「「エッ?」」


 克真の声に、ミロとサナが顔を見合わせた後、克真に向かって眉を八の字にする。


「のれんは下ろしたヨ」


 暗に『だから帰ってもらえ』と言われているのはわかったが、そういうわけにはいかない。


「ごめん……食堂の客じゃなくて、俺の……客」

「俺の客……オレノ……?」


 ミロがさらに納得いかないという表情になったが、今日の約束はしていたので仕方ない。カウンターから出てアズサのもとへと向かった。


「悪い、もう来るとは思わなかった」

「ううん。こっちこそごめん。外で待ってようと思ってたんだけど、いい匂いがするからさ~あがってきちゃった」


 そしてアズサはポンと克真の肩に両手を乗せると、ぴょこんとつま先立ちになって、肩越しに店内を覗く。


「てか、なに食べてるの~? あ、ホットケーキ? あたしのも当然あるよね? 飲み物は濃い目のミルクティーがいい」

「ワガママかよっ……って、ちょっ……近い……っ!」


 顔が近づいて、ふわりと彼女の髪が、克真の頰に触れた。

 ギャルという人種のコミュニケーション能力の高さと、パーソナルスペースの取り方は、克真にとって理解しがたいものだった。


(だから、勘違い、するってーーーーええええ!)


 動揺しまくりの克真の背後で、


「「アアーーーーーーーッ!!!!!!」」


 ミロとサナの絶叫が響く。


「チョッ、なんなのっ!!!」

「近い、近すぎルッ!!」


 サナとミロは顔を赤くしたり青くしたりしながら、克真のもとに駆け寄ると、右腕をサナ、左腕をミロがつかんで、しがみついてきた。背後から引っ張られて体は当然ふらつき、アズサと距離ができた。それを見てアズサは「おおっ……?」とつぶやきながら、克真の肩から手を離し一歩下がったが、不思議そうにミロとサナを見つめている。


「なんナノ、この子ッ!」

「コトと次第によっては許さないんだからっ!」


 双子は目くじらを立てて、シャーシャーとアズサを威嚇しながら叫んでいた。


「ちょ、待て、お前ら! ゆ、許さないって、なんなんだよ、なんでしがみついてくるんだよ!? って、いっ、たたたたーっ!」


 克真が声をあげる。

 美少女たちの密着を喜ぶ余裕は、今の克真にはない。ミロもサナも可愛いが、あやかしだ。人を超えた身体能力を持っている。ぎゅうぎゅう左右に腕を引っ張られて激痛が走った。


「千切れるっ、体が千切れる!!!」

「おお~。やっぱり坂田ってモテモテじゃん」


 その様子を見てアズサはアハハと笑ったが、克真はそれどころではない。


「いやいやいや、違うだろっ……!」


 結局、激痛に身をよじりながら立っていられなくなった克真は、ずるずるとその場に崩れ落ちていた。



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