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竜胆の忠告


 それからアズサは『明日また来るから、話を聞くかどうか考えておいて』と告げ、眠っていたセンベエさんをトートバッグに入るように促し、傘を手に取りよろず食堂を出て行った。


「ふむ……」


 死んだクラスメイトの霊魂と、猫一匹を見送り、克真はこれからどうしたものかと腕を組んで、考えこんだ。

 正直言って、話を聞くかどうか選択を迫られるというのは考えてなかった。無理やりよろず食堂に押しかけてきたのだから、無理やり協力させられると思っていたのだ。ああ見えてアズサは思慮深い性格……なのかもしれない。


「でもなぁ……」


 話を聞けば当然アズサの手助けをするということになるのだろう。困っている人を見たら、できないとは言えないたちなのだ。それは自分でもよくわかっている。だがしかし、自分に彼女を助けることが出来るのだろうか。

 やるやらないではない。できるかできないかが克真にとっての問題なのだ。


「う~ん……」


 アレコレと悶々と悩みながら使った食器を洗い、さらにカウンターを拭いていると、背後からガラリと戸が開く音がした。のれんは下ろしていたが明かりがついているせいで、客が迷い込んだのかもしれない。

 克真は入り口を振り返った。


「すんませーん、もう終わりなんですけど――って、なんだお前かよ」


 閉店後のよろず食堂に姿を現したのは、なんと竜胆だった。

 ちょうどアズサが出て行ったばかりだったので、彼女を見とがめられたかと少し焦る。だが前回彼が姿を見せたのは、十日ほど前の事だ。月に、二、三回程度顔を出す週間なので、ちょうどそのサイクルが今日だったのだろう。


「お前とはずいぶんな歓迎だな」


 竜胆は入り口から中に一歩足を踏み入れる。

 一糸乱れぬ紺色のストライプの三つ揃えのスーツ姿で、相変わらず有無を言わせぬ迫力がある。すっと彫刻刀で彫ったような切れ長の瞳は金色に輝き、唇の端は上品な微笑みを浮かべている。頭の先から爪の先まで少しの隙がない。息を飲む美しさだ。

 竜胆がいったいどんな存在なのか克真は知らないが、彼のまとう不思議な華と呼ぶしかない雰囲気からして、とにかく違う世界の生き物なんだろうなということは本能でわかる。


「いつものでいいか」

「ああ」


 竜胆はうなずいてカウンターの椅子を引き、腰を下ろした。ついさっきまでアズサが座っていた席だ。

なにか言われるかと思ったが、竜胆は無言だった。


(アズサとはニアミスだったのか……?)


 竜胆はここにあやかし以外の客が来ることを好まない。ここはあやかしのための店で、たとえ幽霊であっても、人であった者のための食堂ではないからだ。


(気づかれなかったんなら、まぁ、いいか)


 克真は気を取り直しカウンターに戻って、竜胆のために茶を淹れることにした。

 竜胆が飲むお茶は京都の名店から取り寄せていて、普段は表に墨書きがしてある、特別な木箱に仕舞われている。値段は知らないが、おそらくこの店で一番グラム単価が高いモノだろう。これを飲むのは竜胆だけだが、そのための急須も茶碗も用意している。


(沸騰した熱いお湯はいったん茶碗を暖めるのに使って、急須へ戻す……だよな)


 頭の中で手順を反芻しながら、克真は慎重に手を動かす。

 ちなみにお茶の入れ方は、竜胆の秘書に教えてもらった。半年前、克真が拾われたあの雨の日に、竜胆の背後で傘をさしていた男だ。いつも竜胆の側にいて彼の世話をしているらしい。竜胆とはまるで違う漆黒の髪と同じ色の目をした男で、年のころは竜胆とそう変わらないように見える。だが性格はいたってまじめだ。ここに茶葉を持ってくるついでに、克真に竜胆に出すお茶の入れ方を丁寧に指導してくれたのだ。


「ほらよ」


 茶碗をカウンターの上に乗せる。丁寧に入れた最高級の茶葉からは、とんでもなく馥郁ふくいくたる香りが漂う。こんなに香りが立つものかと、最初は驚いたくらいだ。


「ああ」


 竜胆は大きな手で薄い白磁の茶碗を持ち、そのまま口元に運ぶ。長い足をぞんざいに組み、なにを考えているのか目線は斜め上の宙を見つめている。作法もへったくれもないが妙に優雅だ。

 そんな竜胆が唐突に口を開いた。


「――匂いがする」

「へ?」


 いったいなんのことかと首をかしげる。匂いと言われても今はいいお茶の匂いがするくらいだ。

 だが竜胆は茶碗をまた口に運びながら、今度は克真をじっと見据えた。


「あやかしではないものの匂いだ」

「うっ……」


 思わず眉が八の字に寄ったが、こうなった以上誤魔化しようもない。。


(どんな嗅覚してるんだよ、こいつ)


 克真は「はぁ……」とため息をついて、軽くうなずいた。


「ごめん……おんなじ学校の女子を入れた。いったん店閉めて帰ろうと思ったら見つかってさ」

「だが生者せいじゃではないだろう。生きた人間でここに入れるのはお前だけだ」

「――やっぱり俺だけ?」

「例外はない」


 竜胆はふっと笑って、切れ長の目を細める。


「それがここのルールだ」

「はぁ……」


 なにがルールなのか、相変わらず竜胆の言うことはよくわからないが、この不思議な空間に関しては、そういうものだと受け入れるしかない。


「そいつが死んだのは五月で、まだ四十九日経ってないんだ」

「彷徨える魂か」

「そうらしい。んで、」


 彼女に助けてほしいと言われたことを口にしかけたのだが、


「やめておけ」


 それを竜胆がさえぎってしまった。


「はっ?」

「なにか頼まれたのだろう。やめておけ。荷が重い」

「まだ頼まれてねぇし……てか、荷が重いって。そんなの聞いてみなきゃわかんねぇだろ」


 実際迷っていたのは確かなのだが、頭ごなしにやめておけと言われると反発してしまう。誰に、そしてなんのために張り合っているのか自分でもわからないが、負けたくないと考える。克真の悪い癖だった。


「――」


 それを聞いて竜胆は無言のまま微かに微笑む。女ならうっとりと見とれるような笑みだが、克真は余計苛つきが募る。


「なに笑ってんだよ」

「別に」

「別にって顔じゃねぇぞ、それ」


 竜胆の顔は人形のように端整なので、本来なら表情は読みにくいはずなのだが、克真はバカにされている場合に限り、竜胆の気持ちが手に取るようにわかるのだった。


(“荷が重い”ってことは、俺の問題ってことじゃねぇか……)


 実際、やるやらないではない。できるかできないかを問題視していた克真にとって、竜胆のそれは痛い指摘だった。

 やはり自分には無理なのだろうかと、重い影のようなものが胸をサッとよぎる。

 だが何も話を聞かないまま、アズサに『やめておく』ということは言いたくないと思うのも事実なのだ。


 アズサの残り時間――四十九日を終えるまでにあとどれほど時間が残っているかはわからないが、やはり彼女に心残りがあり、そのせいで成仏できそうにないというのであれば、力になってやりたいと思う。


(迷ったけど、やっぱりそうだな。そうしたい)


「――」


 竜胆はすいっとお茶を飲み、そして無言で茶碗をカウンターの上に置いた。

 二杯目を求めているらしい。


「はいはい……」


 渋々二杯目の茶を注いだ後、克真は両手をエプロンのポケットに少し乱暴に突っ込んだ。


「――あのさ。さっきの話の続きだけど。そりゃ俺には特別な力はなにもないけど、聞いてみたらなにかできることはあるかもしれないだろ」

「酔狂だな。そんなお人好しでは今にひどい目にあうぞ」

「お前に言われたくねーよ」


 そもそも克真をこの状況に追いやったのは竜胆だ。


「ふむ……それもそうだな」


 竜胆は軽く笑った後、煽るように二杯目を飲み席を立った。


「苦労するな」

「だからそれをお前が言うなよ」


 克真は笑って、そのまま立ち去る竜胆の背中を見送った。



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