諦め切れない僕は、開き直って彼女を利用した
初めて彼女に会ったのは、まだ咲き始めたばかりの桜の下だった。
コンビニに向かう途中、ヒラヒラと舞う一枚の花びらが目に留まった。何気なく目で追っていたら、その向こうで同じ花を見ていた彼女と目が合った。
普段の僕ならきっと、反射的に目を逸らしていたはずなのに、どういう訳かそれが出来なかった。
僅かな距離を挟んで見つめ合う事、数秒。
僕らは、どちらからともなく笑った。
ほんのりと赤みを帯びた空が、まるで自分の気持ちを表しているような、そんな気がした事を覚えている。
それから僕らは、毎日のようにその場所で会った。
何かを約束した訳ではないけれど、同じ時間にそこに行けば彼女がいて、二人で桜を眺めながら色んな話をした。
やがて桜が散り始めた頃、彼女に会う口実がなくなる事を恐れた僕は、勇気を出して連絡先を聞いた。
こうして僕らの恋が始まった。
彼女と過ごす毎日は、全てが新鮮だった。
何もかもが順調で、このままの幸せが、ずっと続くとばかり思っていた。
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時計を見れば、朝の六時を回っていた。
僕は椅子から立ち上がり、凝り固まった身体をほぐす様に、軽く肩を回した。
カーテンを開くと朝の光が降り注ぎ、疲れた身体と心を癒してくれる。窓を開けて、ベランダへと出た僕を包み込む、冷えた空気が心地良い。
だけど……。
僕は大きく息を吐き出しながら空を見上げる。
そこにあるのは、僕の気持ちとは正反対の清々しい程の青空で、ちっぽけな自分を思い知らされた気がした。
人生とはままならないものだ。
時間をかけて、これまで積み重ねて来た事が、ほんの僅かなミスでダメになってしまう事がある。
あの時、ああしていれば……。
後になって悔やんだ所で、失ったモノは戻ってこない。
さらに、その事に早い段階で気付いていたのだから、余計に救えない。
軽い気持ちで後回しにした事を、いつの間にか忘れてしまって、思い出した時にはすでに手遅れ。それまでつくり上げた全てが、ダメになった。
リカバリーは不可能で、やり直す為には、一度しっかりと終わらせる必要がある。
こんな時、どうしたらいいのだろう。
潔く諦めるべきだろうか。
それとも、もう一度頑張ってみるべきだろうか。
あの時、彼女は何て言っただろうか。
大切な言葉だったはずなのに、ふがいない僕は、もうそれを思い出す事ができない。
たぶんあそこがターニングポイントだったのだろう。
どうして僕は……。
今さら悔やんだ所で何も変わらない。
全てがもう、手遅れ。
時間は決して巻き戻らないのだから。
僕は大きく深呼吸をして部屋へと戻った。
机の上にはフリーズしたままのパソコン。
一晩かけて書き上げた恋愛小説は、冒頭部のみを残して全てが消えてしまうだろう。
書き直す事を諦めた僕は、何度目かの溜息と共に強制終了を行った。
途中保存は、こまめにするべきですね。
でも人生は、途中保存できないんだよなぁ。