221 お出掛けの朝
ルノリアは幸せそうな表情のままで子猫のように小さく体を丸めて眠りに就いている。その両手は夢の世界でもタクミと一緒に過ごすかのようにしっかりと彼の左手を抱えたままだった。タクミは右手でそっと彼女の頭を撫でて『おやすみ』と声をかけてから自分も目を閉じた。
翌朝、タクミが目を覚ますと一緒に寝ていた空がすでに起き出して着替えをしている。タクミに見せ付けるように一糸まとわぬスッポンポンになってこれから服を着ようとしているところだった。
「空、早く服を着ないと風邪を引くぞ!」
「ふふ、タクミは私のロリロリボディーに視線が釘付け!」
全く凹凸が無い下手をするとルノリアにも負けてしまう胸を反らしながら空が答える。黒幕としてはタクミにルノリアをけし掛ける作戦が成功して満足しているのだろう。本人は『中身は大人!』と主張しているが、何も着ていない以上その子供のような見た目を誤魔化すことはできない。
してやったりという表情で空は下着を着けていつもの修道服姿に変身していく。ちなみにブラの類は必要が無く、白のキャミソールを服の下に着ているだけだった。
世間からは『聖女様』と呼ばれて尊敬を集める空だが、1枚皮を剥くとその中身はドロドロの腐女子だ。欲望のためならば悪魔に魂を売りかねない。これほど外見と中身が一致しない人物もそうそう居るはずが無いだろう。変態聖女は着替えを終えてそそくさと部屋を出て行った。
空が居なくなって部屋にはタクミとルノリアが取り残される。ルノリアは相変わらず小さな寝息を立ててまだぐっすりと寝ているので、彼女を起こさないようにそっとベッドを抜け出したタクミは音を立てないように服を着替えた。
そのまま彼はまだ夢の中のルノリアを優しく抱きかかえて彼女の部屋に連れて行く。メイドに出迎えられたルノリアを彼女のベッドに寝かせてから、もう一度頭を撫でて部屋を出て行く。なぜかメイドの目が普段よりも微笑ましいものを見るような雰囲気を湛えているのは気のせいだろうか。
そもそも貴族の令嬢であるルノリアをいくら子供だからといって男性のベッドに同衾させるなどメイドの責務からしてあってはならないことだった。それを黙認しているのは、ルノリアに付いているメイドたち全員が彼女の夢を心から応援しているためだった。世間体とか外聞が悪いなどという否定的な意見をすべて取っ払って、『ルノリアの淡い初恋を何とか叶えてやりたい』というのが彼女たちの一致した見解で、そのためにルノリアの行動を彼女たちだけでなく使用人一同がそっと陰から応援しているのだった。
タクミはリビングに向かうとそこにはすでに春名以外の女子が揃って歓談している。彼女たちはタクミがやって来ると全員が生温かい視線を彼に向けた。どうやら話の内容は空が目撃した昨夜のタクミとルノリアの2人の間の出来事だったらしい。
「タクミ、運動不足なんじゃないの? 私が鍛えて発散させてあげようか?」(圭子)
「イエス、ロリータ! ノー、タッチ! の原則をタクミは理解していない」(美智香)
「ご主人様の趣味についてとやかく申し上げませんが、もう少し節度をお持ちになった方が・・・・・・」(岬)
「そ、その・・・・・・ 病気ではないんですから気をしっかり持ってください」(紀絵)
「火の無い所に煙を立てれば疑惑は真実に変換される」(空)
空がある事無い事言い触らしたせいで『タクミロリコン疑惑』は完全に女子たちの間で現実問題になっているようだった。もっとも彼女たちは空の話を半分程度にしか信じていない。ルノリアに毎日あれだけ積極的に迫られて対応に苦慮しているタクミの姿を直にその目で目撃しているためだ。彼女たちがなぜわざわざこのようなことを口にするかといえば、単に話のネタとして面白いからに他ならなかった。その点からいけば空の企みは失敗に終わったとも言える。
「魔法学校で頑張ったご褒美に1回だけの約束でキスしただけだからな。ルノリアはたぶん浮かれていると思うが、あんまり焚き付けないでくれよ」
「はいはい、わかったわよ」
タクミもあまり深刻には受け止めていない態度だ。圭子は普段と全く変わりない返事をしているので、彼女に代表される通り女子たちはそれほど深刻に受け止めていないのだろう。
「チッ!」
空だけは無念そうに舌打ちしている。彼女だけは女子たちの反応からして策が失敗に終わったと受け止めているのだった。
「タクミ様、皆様、おはようございます!」
ちょうどそこにメイドの手によって身支度を整えたルノリアが入ってきた。今日は水色のワンピース姿に黄色のリボンで髪を飾っている。きちんと整えられた淡いブロンドの髪に朝の光が煌めいて美しく輝いている。
「タクミ様、なぜ起こしてくれなかったんですか? 朝のご挨拶ができませんでした!」
ちょっと口を尖らせてルノリアはタクミの右側に立つと、そのまま彼の頬に『チュ』と口付けをする。本当はベッドの中で昨夜と同じように互いの口同士でしてもらいたかったのだが、寝坊してしまって果たせなかった。1回だけの約束など、彼女の中では全く無かったことにされている。
「ルノリア、おはよう! 朝からそんなことをするのは淑女らしくないぞ!」
「別に淑女になるつもりはありません! 私はタクミ様の横で一緒に戦う仲間になりたいです!」
ルノリアを宥めようとするタクミの言葉は全くの逆効果だった。女子たちに鍛えられて強くなったと自信を付けていた彼女は昨日の魔法学校の能力考査でその自信を確信にしていたのだった。貴族のお嬢様で納まるつもりがないと堂々と宣言をする。
「ふーん、ルノリアは私たちと一緒に戦いたいんだ。そうするとこれからもっと訓練内容を濃くしていかないとダメね!」
「えーと・・・・・・ それは少しずつということにしてもらえませんか?」
横から口を挟んだ圭子の言葉に膨らんでいたルノリアの自信が一気に萎んでいく。圭子の目から見たルノリアはまだひよっ子にもなっていない存在に過ぎないからだ。世紀末覇者は訓練を開始してから一月半の駆け出し者から見ると偉大過ぎる。
「まだ春名ちゃんが起きていませんが、どうやらお食事の準備が整ったようです」
岬が微笑みながら席を移すことを提案する。ルノリアの可愛らしい態度が女子たちの笑いを誘っていたのだった。タクミにまとわり付いて離れないルノリアは女子たちにとっても年の離れた妹のような存在で、その可愛らしい仕草や背伸びして大人ぶる態度がいつも彼女たちを和ますのだった。ただし空は互いの体の発育具合に関しては宿命のライバルのような目で見ている。
「何で起こしてくれなかったんですか!」
そこに春名がバタバタと足音を立てて慌てた様子で駆け込んできた。最低限の身支度しかしていなくて、髪があちこち寝癖で跳ね上がったままの姿だが、彼女にとって朝の食事は一大事なので何があっても最優先だ。
「起こしたけど全然目を覚まさなかった」
同室だった美智香は春名を起こすために10分以上朝の時間を費やしていたが、『もう少しだけ』といって寝返りを打つ彼女に呆れ果てて放置したのだった。メイドの手を借りたとはいえ、きちんと身支度を整えているルノリアを同じ令嬢としてもっとお手本にしてもらいたいものだ。
朝食が始まってからしばらくしてタクミが口を開く。
「今日はルノリアを連れて2人で王都に出掛ける。昨日の約束だからな」
ルノリアは早速タクミが約束を果たしてくれるのを聞いてその表情が喜色満面に染まった。夢のような一日が始まることに小さな胸を躍らせている。
「私は日用品を購入して回ります」
岬は不足してきた物品の購入に出掛けたいようだった。あまり街中を知らない若い女性が一人で出掛けるのは普通ならば不安が付きまとうが、彼女に限れば全くの無用だった。何しろ銀河最強種族の覚醒者なので、仮に彼女にチョッカイを掛けようとしたら相手はそれだけで死の淵を彷徨う羽目になる。
「そうね、今日は訓練は休みにしてのんびりしよう。ムーちゃんはどうする?」
「特にすることは無いけど、王都を見物したい」
圭子と美智香の間で2人で出掛けると決まった模様だ。この2人も岬同様にマフィアの溜り場のスラムに放り込まれても何の心配も無い。むしろ彼女たちの相手になるマフィアたちの方が気の毒だ。
「私は断然食べ歩きです! 紀ちゃん、一緒に出掛けましょう!」
「いいですよ」
春名は食欲に忠実に行動をするらしい。監視役の岬や圭子でなくて、あまりうるさいことを言わない紀絵に同行を申し出る。人が好くて押しに弱い紀絵は春名との同行を承諾した。いくら春名がヘタレで役立たずでも、何かあった場合に紀絵が対応すれば危険は無いだろう。彼女が所持する『ボウガンのような物』は100人程度なら簡単に鎮圧する優れた武器だ。
「私はここに居る」
空は一人で読書に明け暮れるつもりだった。よく飽きもしないでガチホモ本を一日中眺めていられる物だ。だが、それを聞いた春名が空も仲間に引き込もうとする。
「空ちゃん、せっかくのお休みですからもったいないです! 空ちゃんも私たちと一緒にお出掛けしましょう! そうです、どうせならいつもと違う姿でみんなで出掛けましょう! タレちゃん、メイド服の予備を貸してください!」
俄然張り切りだした春名の勢いに負けて、女子たちは部屋に戻って着替えを開始する。
「おかしいですね? このメイド服は胸がダブダブなのにお腹の辺りがきついです!」
クラス1の巨乳の服を最近順調に体重が増加傾向にある春名が着ようとすると、自ずと結論は見えてくる。だがそれを認めようとしない春名は自分の体型ではなくてメイド服に責任を押し付けようとしている。
「ハルハル、タレちゃんの服は無理だから諦めなさい! そもそも背中のファスナーがその寸胴なウエストに引っかかって上がらないでしょう!」
美智香に借りた魔法使いのローブととんがり帽子をかぶった圭子が指摘をする。春名以外の女子が全員気が付いていても敢えて口にしなかったことを、彼女はズケズケと春名が気にしないようにしている現実を突きつけたのだった。
「圭ちゃん、ひどいです! それではまるで私が太っているように聞こえるじゃありませんか!」
ここまで現実から目を逸らしている人間も珍しいものだ。女子一同の目が点になっているのは言うまでも無い。
「春名ちゃん、メイド服はあまり似合わないみたいですから他の服にしたほうがいいですよ」
岬は春名のプライドを傷つけないようにアドバイスを送った。さすがメイドだけあってその心配りは大したものだ。
「そ、そうですね、きっとこの服はタレちゃんしか似合わないように出来ているんです! 私の手持ちの服の中から何か選びましょう!」
春名は自分の収納を漁っていつもとは違う雰囲気の服を何着が取り出して身に着けてみるが、無残にもその大半がすでに着られなくなっていた。学校の制服のスカートすらホックが掛からない。
「おかしいですね? どれも日本に居た時は普通に着られたのに、いつの間にか服が縮んでしまったみたいです」
(そんなはずあるか!)
あくまでも現実を受け入れようとしない春名は女子たちの心の中での盛大な突込みを無視して何とか言い訳をひねり出す。何着も取り出した服の中でサイズが合ったのはフワッとした作りの水玉のワンピースと、ウエストがゴムになっているスゥエットスーツの上下だけだった。結局水玉ワンピースを選んだ春名は、その上から上着を羽織る。
「久しぶりにスカートを穿いたので足がスースーします」
春名は一応見苦しくない装いに満足した表情を浮かべているが、もっと自分の体型に対する危機感を持った方が良いのではないだろうか? 他の女子たちも一様に気の毒な目で彼女を見ている。
「この格好で良いかな?」
美智香は普段から膝丈のスカート派でその上にローブをまとう姿が定番だが、今日はズボンを穿いて白いシャツに厚手のベストを着込んで腰におもちゃの剣を差している。仮に何か突発的な事態が発生しても魔法で対処できるので、見せ掛けだけのおもちゃで十分だった。そもそも一たび何かあったら、美智香が動くよりも素早く圭子が対応する。だがたとえおもちゃであっても、こうして見るとなんだか剣士のように見えてくるから不思議だ。
「美智香ちゃん、これならどこから見ても新米冒険者のようです!」
岬の評価にポーカーフェイスの美智香にしては珍しくニッコリとしている。どうやら彼女も新米冒険者風の装いを意識していたのだろう。
岬は黄色のロングスカートにブラウスとベスト姿で、どこにでもいる町娘のような姿になっている。買い物をするのには最も適した格好だ。ただし、全て日本で作られた服なので風合いや生地の光沢がこの世界の物とは桁違いの高級感を醸し出している。
「これで街の中に溶け込めるでしょうか?」
「タレちゃんは何を着てもよく似合うから羨ましい!」
空は岬の胸の周辺を凝視している。自分と違って絶大な存在感を主張するその胸は空の願望を大いに刺激していた。その空は修道服を脱ぎ捨てて、今日はルノリアから借りたオレンジ色のワンピース姿だった。サイズが殆ど同じことに対して空は『ぐぬぬ』という表情を浮かべていたが、せっかく貸してくれるのにそれ以上文句をつけられなかった。
「空ちゃん、そんなにロリッぽさを強調する必要は無いでしょう」
「強調するつもりは無い! むしろもっと大人っぽい服が着たいのに、体に合うサイズが全く無い!」
この世界の人々は体格がかなり大きめだった。街中の服屋で並んでいる商品はどれもが空の体格で着こなせなかった。収納にある未来の服ではあまりに浮いてしまうので、仕方なく修道服以外は現地の子供服を選ばなければならない悲しい事情があるのだ。
「紀ちゃんには私の気持ちがわからない!」
「そんなこと無いですよ。私も昔は太っていて着る服に本当に困っていました」
空はやさぐれて紀絵にあたっていたが、紀絵の言葉を聞いてヒシッと彼女に抱きついた。自分の心情を理解してくれる貴重な存在だと認識したのだった。抱きつかれた紀絵のいでたちはショートパンツにニーハイソックスを穿きロングブーツ姿だった。岬の戦闘形態を参考にして彼女なりにコーディネイトしたのだ。もちろん腰の左右には短剣とボウガンらしき物がガンベルトのホルダーに差し込まれている。
「紀ちゃん、格好良いよね! スタイルが良くなると何でも着こなせるからね!」
圭子の言葉に春名が目を逸らす。本人なりに多少の自覚があるようだ。
こうして女子たちの準備が整って全員がリビングに降りていくと、エスコートするために濃紺のビロードのスーツの上下を着こなしたタクミとフリフリのレースで飾られた膝丈のピンクのドレスを着てタクミの左手にしがみ付いているルノリアの姿があった。
「まずは冒険者ギルドまで全員で行って、そこから別行動で良いか?」
全員が頷くが、ルノリアは普段と全く違う姿の女子たちに目を奪われている。ことに圭子の魔法使い姿と岬の町娘姿が衝撃的なようだった。いつでも戦えるように動きやすい服しか着ない圭子とメイド服姿しか目にしたことが無かった岬の私服が新鮮だったのだ。
「皆さん、素敵です!」
普段と違う衣装を着るだけで全く印象が変わってしまったお姉さんたちを見つめるルノリアの目は真剣そのものだった。
(これがきっと大人の持つ魅力に違いありません! ルノリアも早く身に着けられるように頑張ります!)
コブシを握って誓うルノリアだが、その視線は再びタクミにも向けられる。
(普段はあまり服に気を使わないタクミ様なのに、こうして私のために着飾ってくれるなんて・・・・・・ ルノリアは本当に幸せ者です!)
タクミは実用一辺倒の服しか普段身に着けない。それは過酷な惑星調査員の任務をこなす中で自然と身に付いた習慣だった。だが今日はルノリアのために特別に調査員に支給されている礼服を着ている。惑星の式典などに出席する際に着用する儀礼を重んじた服装だった。
全員がケルベロスが引く馬車に乗り込む。もちろんシロとファフニールも一緒だ。仲良く車内で春名にまとわり付いている。馬車の座席は6人分しかないので、御者台に座る圭子を除いても一人分足りなかった。そのためルノリアは現在タクミの膝の上に座っている。先程は『大人の魅力を身に着ける』と誓っていたにも拘らず、今は子供の特権を存分に生かしてタクミの膝で甘えているのだった。
「ルノリア、せっかくのドレスにシワが寄らないように気をつけろよ」
「はいタクミ様、大人しく座っています」
ずっとこのままでも良いとタクミの温もりを感じながら夢見心地のルノリアを乗せた馬車は冒険者ギルドに向かうのだった。
次回の投稿は水曜日の予定です。