187 王都レッタニエ
タクミたちが乗る馬車は8日後に王都を見渡せる小高い丘に到着した。何しろ馬車を引くケルベロスはまったくの疲れ知らずでグイグイ引っ張るので、馬と違って小まめに休息をとる必要がない。
「海が見えてきたよ!」
御者台の圭子の声が響く。彼女が一旦馬車を止めると、メンバーが休息がてら馬車から降り立ってきた。丘からは沿岸に広がる王都の街並みとその向こうに冬にも拘らず真っ青な海が一同の目に飛び込んでくる。ここは南半球なのでラフィーヌと比べて気候はかなり温暖で、日差しも穏やかで心地良かった。その日差しが海面に反射してキラキラと輝いている情景はこの世界にやって来てひたすら戦いの日々だったパーティーの心を癒してくれる。その青い海に映える王都の建物はどれも白を基調とした色で統一されており、地球で言えばエーゲ海やアドリア海沿岸の街を思わせるこれまた美しい光景だった。
「せっかくですからここでお昼にしましょう」
時間もちょうどいいので皆が頷くと岬は手早く調理を開始する。メニューはオークのステーキとサラダにコーンスープの予定だ。
「春名はこっちだからね!」
つまみ食いのために手伝いをしようとした春名の襟首を掴んだ圭子が彼女を引っ張っていく。これから食事の準備が整うまで『圭子先生のブートキャンプ(笑)』が開催されるのだった。
「あーー! 圭子ちゃん待ってください! せめて一口でも・・・・・・」
そう訴える春名の声が次第に遠ざかっていく。相変わらずの食べっぷりで放って置くと酷い事になるのでこうして事有るごとに彼女に体を動かさせているのだった。その後ろをシロ、ファフニール、ケルベロスの3頭が大喜びでついていく。見晴らしがいい草原が広がっているので運動にはちょうどいいのだ。シロは早速ホーンラビットの気配がないか鼻をクンクンさせている。
「いただきまーす!」
ようやく解放された春名が元気な声で食事を開始する。圭子にシゴかれてへばっていたはずなのに、昼食を目の前にすると急に元気になる。まったく現金なものだ。ファフニールは岬の膝の上で一緒に食事をしているが、生肉派のシロとケルベロスは狩ったばかりのホーンラビットに噛り付いていた。シロは1体で十分に満足するのだが、馬鹿デカイケルベロスは3つの頭がホーンラビットならばそれぞれ3体食べないとお腹がいっぱいにならない。春名以上の大食漢がこのパーティーには存在するのだった。
「タレちゃん、今日のデザートは何でしょうか?」
3人前を食べ切ってなおもデザートを要求する春名だが、その隣に座っていた圭子の手が彼女の腹部に伸びていく。
「ハルハル、この無駄についている脂肪を前にして良くそんなことが言えるわね!」
「ひーー! 止めてください!」
圭子の左手は春名の脇腹の贅肉をその手で思いっきり掴んでいた。女性は男性と比較するとその皮下脂肪は一般的に多いが、それにしてもこれは多過ぎではないだろうか?
「先週に比べてまた体脂肪率が上がっているんだから、デザートなんて諦めなさい。それから午後はまた馬車の後ろを走ってもらうからね」
「お願いですからもう許してください! 次のご飯からちゃんと減らしますから!」
それは『明日から本気出す!』と同義語だろうという目でジトーっと春名を見つめるメンバーたち。圭子の宣告に涙目で訴える春名だが、全員一致で彼女の提案は可決されて王都の門までのランニングが決定された。目で見た感じの距離だと2時間弱といったところだ。
「じゃあ出るよー!」
「キャン!」
「ピーー!」
「もう嫌です!」
食事を終えて馬車の後ろに立たされている春名、その両脇にはシロとファフニールの姿がある。飼い主のダイエットに協力する忠実なペットだ。特にファフニールはこの前の件があるので空を飛ぶ練習をしっかり遣っておく必要があるからこれは返って好ましいとも言える。それに対して相変わらず自分のことだというのにヤル気のない春名とは好対照だ。
そのまま何事もなくセイレーン王国の王都レッタニエに到着した。先程の丘から見渡した通りで建物も白を基調とした美しい街並みが続く中を馬車は冒険者ギルドに向かう。門の前でようやく乗車を許可された春名はまだゼイゼイと乱れた呼吸が治まっていなくて声も出せない有様だった。
「ギルドマスターを頼む」
カウンター嬢にカードを提示したタクミが用件を告げると『A』と記載されたそのカードを見た彼女は階段を駆け上がって2階にすっ飛んでいった。これまでの各地のギルド支部の記録を大幅に上回る好タイムをその受付嬢は叩き出している。ごく普通の受付嬢の見掛けをしていながら、もしかしたらかなりの使い手かもしれない。
「お待たせいたしました、2階へどうぞ」
彼女の案内に従って2階に上がりギルドマスターの部屋に通される。そこにはいかにも海の男といった風貌の日に焼けて浅黒い肌をした中年の男性が待ち構えていた。
「ようこそレッタニエへ! ドレナンから連絡を受けて君たちの到着を首を長くして待っていたよ。私がギルドマスターのペテローネだ。よろしく頼むよ」
にこやかに右手を差し出す彼の手を握り返しながらタクミは挨拶を返した。
「タクミだ、他のメンバーは下で待っている。今日は海賊の情報を聞きにきた」
手短に用件を伝えるタクミ、当然のようにこの場に居るのは彼一人だ。残る女子たちはいつものように飲食コーナーで休憩している。春名が再び食べ散らかしていなければいいが・・・・・・
「ということは例の件の依頼を受けてくれるということか?!」
ペテローネは気色ばんで大きく身を乗り出す。余程この件はギルドでも問題になる大きな懸案だったのだろう。
「話を詳しく聞いてからだ、それにこの街に居られる期間は2週間しかない。その間で解決出来るかどうか今の段階では判断出来ない」
タクミたちはパワードスーツの修復を待つ間の期間を利用してこの街にやって来ている。ドレナンまでの往復の時間を計算すると猶予はそれだけしかなかった。
「それもそうだな、では改めて現在までギルドに入っている情報を全て君に教えよう」
ペテローネの話を要約すると大体次の通りになる。
・海賊の活動が活発になったのはこの3ヶ月ほどの期間で、それまではこれほど目立った被害は出ていなかった。
・沿岸警備隊が護衛する政府の大型船には一切見向きもせずに民間の中型船が主に狙われており、被害にあった船は乗組員が一人残らず殺された上に沈没させられているので、目撃者がまったく居ない。
・その残虐の手口によって、被害を恐れる商人や船乗りたちは船を出すのを恐れて、この国を支える通商に大きな支障が生じている。
つまり出港した船が予定通りに次の寄港地に到着しない時点で初めて海賊に襲われたということが判明するらしい。広い海の上ではまるで雲を掴むような話だ。
「つまりまったく具体的な手がかりが存在しないということか?」
タクミの問い掛けにギルドマスターは首を縦に振る。
「海図はあるか? 襲われた船が予定していた航路を知りたい」
ペテローネは机の引き出しから航路図を取り出して広げる。それにしてもタクミが海図や航路といったこの世界では海に関する仕事をする者しか知らない知識を持っていることに彼は強い興味を抱いた。
「海に関する知識が有るようだが?」
「この程度当たり前だろう」
それはタクミが持っている知識そのものがこの世界とはかけ離れた次元にあるせいだった。タクミが本来『航路図』というのは宇宙を航行する際のルートが表示されているものを指す。船の航行が精々のこの世界の住人からすると、その知識自体が計り知れないものだった。もっともこれはパーティーメンバー以外の誰にも口外しない彼らの秘密だ。
「ここがレッタニエの港だ、ここを出た船は西行きはそのまま海に出て行く。こちら側を目指す船は今のところまったく被害を受けていない」
海図を示しながら説明するペテローネ、彼が指差す西側にタクミが目を遣るとその行き先は例のアルストラ王国だった。タクミたちが教会を壊滅させて魔女狩りを終息させた国だ。この2国が航路によって繋がっている点を彼は記憶に留めて置く。
「それで問題は東行きの航路なんだが、港を出てから東側に小島が全部で13あるだろう」
確かに彼が言う通りにその海図では港を出て隣の街との中間地点に大小の島々が描かれていた。
「大型の船は水深の関係でこの島の内側は回らないのだよ。そして中型以下の船は島の外側は海流の影響で東に進めないのだ。その関係で島々の沿岸寄りを通る船が襲われるというわけだ」
彼が言うように中型以下の船では万帆に帆を張っても推力が不足して海流に流されるらしい。それを聞いたタクミは当然ながらその島々に海賊のアジトが在ると睨んだ。
「海賊は島に潜んでいるのか?」
だがギルドマスターは力なく首を横に振った。
「それが政府が捜索してもまったく何も見つからなかった。かなりの数に及ぶ水軍を派遣したのだが、何の手掛かりも得られなかったんだよ」
なるほどとタクミは考えた。島にアジトの形跡がないとすれば、残るのは陸地のどこかに拠点を築いている線だ。
「このあたりは誰が治めているんだ?」
彼は島々の対岸の辺りを指差す。ちょうどそこは王都に隣接する貴族の領地だった。
「エンダルス伯爵だ。この国一番の名門貴族だよ」
「では島の捜索を指揮したのは誰だ?」
タクミの質問にギルドマスターは急に表情を変えた。彼の意図に気がついたからに他ならない。
「君の考え通りエンダルス伯爵だ」
タクミはこの時点でほぼこの問題は解決したようなものだろうと考えている。伯爵が海賊と繋がっているか、もしくは伯爵が直接海賊を指揮している可能性が高いと考えているのだった。その証拠の一つとして目撃者を皆殺しにしている点が挙げられる。何か見られると拙いものがそこにはあるのだろう。
「わかった、この依頼を受けよう」
タクミの返事に対してペテローネの表情は芳しくない。まさか名門貴族がこの問題に関っているとは彼自身まだ認めたくないようだった。だが冒険者ギルドの仕事に対して私情を挟むのは禁物だと思い直して彼はタクミに答える。
「よろしく頼むよ」
話がまとまったところでタクミが下に降りると、そこではせっかくやって来た飲食コーナーで圭子に食べ物禁止を言い渡されて、目に涙を浮かべている春名の姿があった。
次回の投稿は火曜日の予定です。