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159 ルノリア 後編

 翌日の朝食を終えた時間を見計らってロスメルド伯爵家の馬車が宿屋の前に到着する。


「それじゃあ行ってくる」


 タクミと空の二人はその出迎えの馬車に乗り込んで伯爵邸に向かう。昨日伯爵令嬢に同い年扱いされた空は一晩寝たことで損ねた機嫌がすっかり回復していた。


 馬車は立派な門をくぐって正面玄関に横付けされると、昨日令嬢に同行した執事がその扉を開けて畏まって態度で二人を出迎える。


 執事の案内で大きな玄関の扉の中に入ると、そこにはメイドや使用人が勢揃いしてその最も奥にルノリアがピンクのドレス姿で二人を出迎えた。


「聖女様、タクミ様、お忙しいところわざわざお越しいただいてありがとうございます」


 まだその幼さ故に決して優雅とはいえないが、可愛らしい姿でドレスを摘み上げて一礼するルノリア、病身の父親の治療に出向いてくれた二人をこの館の者たち全体で歓迎する意を表している。


「さっそく病人の様子が見たい」


 空はその歓迎振りなど全く気に掛けずに重要な用件を先に済ます意向を伝えると、『ご案内いたします』といって執事が2階に連れて行った。


「聖女様が父を見ていらっしゃる間、タクミ様はこちらでお待ちください」


 タクミはルノリアが自ら案内して応接室に通される。ソファーに腰を下ろしてメイドが用意したお茶を飲みながら、話題は例の模擬戦に移っていく。


「昨日お兄様の手紙にあった聖女様のパーティーとお聞きして、どのような試合だったのかというお話を伺うのがとても楽しみでした」


 屈託の無い笑顔を向けられると、タクミもつい甘くなって色々と話をしてしまう。前にもこんな事があったなと振り返ってみると、猫人族のアミーに冒険の話をせがまれてつい色々と話した事を思い出した。どうやら相手が子供だとタクミ自身警戒心が緩んでしまうようだ。


「まあ、そんなすごい戦いでしたの! それにしても魔法使いが魔王を剣で倒すなどということが信じられません」


 話は例の魔王を撃退した話題に移り、ルノリアは目を丸くして驚いている。彼女は魔法の素質があるそうで、ゆくゆくは兄同様王都の魔法学校に入学するのを夢見ているらしい。そのため魔法について関心が高いのだが、魔法使いの美智香が剣で魔王の首を落とした話を聞いて自分も剣の練習を始めようかと真剣に悩んでいた。


 色々な話題で時間を忘れて話し込んだが、タクミはふと結構な時間が経過していると気付く。今まで空の治療でこれほど時間がかかった記憶が無かったのだ。だがその時、部屋のドアをノックする音が響いて空が執事に伴われて入室する。


「治療は難航している。少しだけあなたの血が欲しい」


 空はルノリアにそう告げて採血の準備を開始する。それに対していきなり『血が欲しい』と告げられたルノリアは一体どうすれば良いのかオロオロとした態度だ。


「腕を出して、ちょっとだけ痛いかも知れないけど我慢すること」


 採血用のかなり大きな注射器に完全に怯えるルノリア、それはそうだいきなり『血を採る』と言われて見た事も無いような器具を出されて僅か10歳の子供が怯えない方がおかしい。


「どうやら君のお父さんの治療に必要らしい。少しだけ我慢してくれないか」


 タクミにしては優しい声で怯えているルノリアに語りかけると、彼女はか細い声で『はい』とだけ答えてその細い腕を空に差し出した。だがよく見るとその腕は恐怖のあまり小刻みに震えている。


「タクミ、これでは採血出来ない。腕を押さえて欲しい」


 空の指示に従ってタクミはルノリアの腕をテーブルに固定しようとしたが、涙目になっている彼女が不憫に思えて、その頭を優しく胸に抱え込んで視界を遮った上で腕を固定した。一方のルノリアはまさか自分が男性に抱きかかえられるとは思ってもみなかったので、今度は恐怖も忘れて完全に頭がパニックになっている。


 だがそのおかげで採血は無事に終了して、彼女はタクミの腕から解放された。そのままヘナヘナとソファーに座り込むルノリア、その顔はリンゴのように真っ赤なままだ。


「あの・・・・・・ その・・・・・・」


 真っ赤な顔で全く言葉にならないフレーズを繰り返すだけのルノリアだが、タクミはその頭にそっと手を置いて一言告げる。


「よく頑張ったな」


 その言葉に小さく頷くルノリア、どうやら採血は自分が抱きかかえられてパニックを起こしている間に終了して痛みすら感じなかった事に気が付き、少しずつ落ち着きを取り戻している。


 その間に空は慣れた手付きで採取した血液を複雑な構造の機械にかけている。血液の中の成分を抽出しているのだろうか。


「あなたのお父さんの病気について説明する」


 空がルノリアに向かって話し始める。もちろん同席しているタクミと執事やメイドもその話に耳を傾けている。


「あなたのお父さんの病気は体内の余分な魔素を体の外に出せないために、それが溜まって体が石化する病気と判明した。だからあなたの血を使って、魔素を排出できる体に変える」


 空が行おうとしているのは遺伝子治療だった。娘の血から魔素を排出する遺伝子を取り出して、父親に移植するつもりらしい。


「これで病気の進行は抑えられるが、すでに石化した箇所は元に戻せない」


 空の話は命は助かるが石化した箇所は治らないというもので、喜びかけたルノリアの表情が再び曇った。


「治す方法はやっぱりエリクサーを手に入れるしかないのでしょうか?」


 出来れば父親を元通りの体にしたいという願いを込めてルノリアは空に尋ねる。僅かな希望でも残されていればそれに縋りたい気持ちだ。


「この世界の様々な伝承を調べたところ、石化の治療に必要なのはエリクサーだけとは限らない事が分かった。ほかにはメデューサの血なども有効という話がある」


 空の提示した治療法はエリクサー以上に難易度の高いものだった。どこに居るかもしれないメデューサを探してその血を手に入れるのは不可能に近い。


「そうですか、分かりました。でも父はこれで死なずに済むんですね」


 気を取り直したルノリアが健気な表情で空に尋ねると、彼女はひとつ大きく頷いた。


「聖女様、ありがとうございます。父の命が助かるだけでも私は嬉しいです」


 ルノリアがそう述べたタイミングで空が作動させていた機器の電子音が鳴った。


「薬が出来上がった。今から投与すれば大丈夫。その場に立ち会って欲しい」


 空は執事とルノリアを伴って病人がいる部屋に戻っていく。タクミは部外者なので邪魔にならないようにその場から動かなかった。



 カーテンを閉め切った部屋の中でその病人は眠っていた。体が石化する苦痛が酷いために薬で眠っているのだ。空は執事が捲った掛け布団からその腕を伸ばしてそっと注射器を差し込む。そのまましばらく様子を見ているとそれまで青い顔をしていた病人の頬にうっすらと血の気が差してくる。


 やがてその閉じられた目がゆっくりと開き、その場に佇む者を視線が捉えていく様子がはっきりと分かった。


「一体どうしたことか! 全く痛みを感じないぞ」


 それが意識を取り戻した伯爵の第一声だった。


「お父様、聖女様がお父様の病を治す薬を作り出してくださいました。これでお父様はお元気になられます」


 痛みに耐えかねて薬で一日の殆どを寝て過ごしていた伯爵の久しぶりの声にルノリアは涙を流して喜んでいる。石化した部分は戻らないが、何とか日常生活が送れるのだ。


「そうなのか! 聖女様、そのお力に深く感謝いたします。これで成長していく我が子を見届ける事が出来ます。ルノリア、デトリオ、そなたたちには心配をかけたな。もう安心してくれ、私は大丈夫だ」


 そう伝える伯爵の目にも薄っすらと涙が滲んでいる。死に至る病から回復した喜びに胸がいっぱいなのだ。


「残念だがすでに石化した部分については現状では元に戻せない。有効な治療法を探してみるつもりだが、確実に手に入るとは言い難い」


 空は今回の治療は半分だけ成功だと素直に事情を告げるが、伯爵をはじめとして家人一同はそんなことは気に留めていない。今は伯爵の命が助かって不自由はあるが何とか生活が送れるという事実に感謝している。


「聖女様、本当にありがとうございました。私も将来聖女様のように人を助けられるような魔法使いを目指していきます」


 ルノリアはキラキラとした目で空にお礼を述べた。もしこの場にタクミが居たら『絶対に空のようになってはいけない!』と強い口調で警告したであろうが、彼は応接室に居てこの遣り取りを知る術は無い。


 伯爵の体は両膝から下の部分が石化しており、車椅子を使用すればいずれは外出も可能だ。体力が回復すれば公務も出来るようになる。幼い娘の成長を見守りながら父親としてこれから立派にやっていけるだろう。


 空は一言『お大事に』と告げてタクミを伴って馬車に乗り込むのだった。


 

次回の投稿は日曜日の予定です。

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