146 模擬戦 第5試合 後編
開始線から動かずに睨み合う両者、先に動いたのは比佐斗だった。彼は聖剣をタクミに向けて魔法を放つ。
「ホーリーレイン!」
勇者のみが使用できる聖魔法は威力が高く非常に特殊だ。それは聖剣からも自らの手からも発動が出来て、その魔法名と同様に雨のように多数の魔法を同時展開して敵をねじ伏せることが可能だ。ダンジョンでは一度に大量の魔力を消費するこのような方法をとるのは難しかったが、最長でも試合時間が30分に制限されている今回の模擬戦においては魔力の出し惜しみをする必要が無い。
一方タクミはいきなり剣先から自分に向かって飛び出してきたまるで横殴りの豪雨のような光の弾丸にギリギリで対応して横に飛び退いて回避しようとするが、その肩口を1発の魔法が掠めて行き僅かに服が焦げる。
「なるほど、魔法というのは中々威力がある攻撃なんだな」
自分の肩口に目を遣ってダメージが無いと確認しながら彼はつぶやいた。今までヒュドラのブレスや魔族たちからの闇魔法の乱れ撃ちを散々に跳ね返してきたのはすべてパワードスーツのおかげで、彼自身生身の体で魔法を受けたのはこの世界に来て初めての経験だった。僅かに掠めただけでも危険なその威力に十分な注意が必要だと自らに言い聞かせるタクミ。
「いきなり魔法を浴びたようですがタクミ君は大丈夫でしょうか?」
観覧席では最初の攻防を見た春名が心配そうに圭子に話し掛ける。戦闘力ゼロの彼女は戦いを見てもその攻防がどうなっているのかまったくの素人判断しか出来ないので、圭子に詳しい説明を求めていた。
「うーん、さすがにバール1本のハンデはちょっと厳しすぎたかな。まあそれでもタクミなら何とかするでしょう。それにあの勇者の性格なら必ず接近戦を挑んでくるから、そこまでなんとか持ち堪えればタクミの勝機は見えてくるわ」
どうやら圭子の目にもこの戦いは明らかに比佐斗の方に分があるように映っているらしい。それはそうだ、圭子や春名同様にまったく魔法が使えないタクミは銃が無ければ遠距離攻撃の手段が無い。比佐斗が離れた所から魔法を放ち続ければ、いつかはその魔法を体に浴びる可能性が高いのだ。後は痺れを切らした比佐斗が自分から接近戦を開始するのを待つ外無いと彼女は現状を分析している。
「うー、タクミ君が心配ですー」
春名は圭子の話を聞いてますます不安を募らせている。ヘタレ故に心配性で気が気ではないのだ。オロオロとした表情で周囲に救いを求めようとするが、圭子から『少しは落ち着いて見ていなさい!』と注意されて仕方なしにお口にチャックをした。
「かわされるだろうとは思っていたけど、さすがだな」
威力は最小限に止めてその分弾数を増やした最初の攻撃を難なくタクミにかわされた比佐斗は、その一瞬に躊躇いも無く動き出した彼の決断の速さと敏捷性に舌を巻いている。だがそれも比佐斗にとっては想定内の出来事だった。次は倍に増やした魔法を放って、タクミが体勢を崩した隙に切りかかろうと決断している。
「いくぞ、ホーリーレイン!」
先程の2倍の80発の光の弾丸がタクミに迫る。聖剣の先から迸る豪雨のような光の奔流は扇状に広がってタクミに襲い掛かっていた。
「0.1G」
魔法の発動を予想していたタクミがそうつぶやくと、比佐斗の視界から彼の姿が消え去った。突然消えたタクミの姿を求めて比佐斗が視線を彷徨わせている間に彼ははその頭上のはるかに高い所に跳び上がっていた。
タクミとてむざむざと遣られるのを黙って待っていたわけではない。比佐斗との戦いでバール1本という頼りない武器で彼に立ち向かうためには接近戦を挑むしかないのはもちろんわかっていた。問題はどうやって接近するかだが、通常の方法でダッシュして接近しても魔法で迎撃される恐れがある。したがって比佐斗が放つ魔法を目眩まし代わりにして、その弾幕を隠れ蓑に最も注意が向き難い頭上に跳び上がる作戦を選択した。一歩間違って比佐斗に姿を発見されると、軌道を変えられない空中では逃げ場が無いという危険も孕んでいるがこの際多少の無茶は覚悟の上だ。
彼は端末の操作によって自らにかかる重力を10分の1に軽減した上で、約20メートル先に立っている比佐斗に向かって思いっきり跳躍していた。10メートル近くの高さまで跳び上がりながら、頂点から下降する間に少しずつ重力を元に戻していくとその目の前には呆気に取られた表情の比佐斗が立っている。彼が宙を舞っている間に比佐斗の魔法はその足元のはるか下を通り過ぎて、空が展開したシールドにぶつかり消えていた。
「ガキン!」
バールを頭上に振りかぶったタクミは比佐斗の脳天に向けて思いっきり振り下ろす。すでに重力を1Gに戻してあるので、落下する加速も込みで恐ろしい威力がこもった一撃だった。まさか空からタクミが降ってくるとは思ってもみなかった比佐斗は咄嗟に聖剣で受けようとするが、僅かに対応が遅れた上に完全に力負けして剣を取り落としそうになってバランスを崩す。
何とか聖剣を手放さずに持ち堪えた比佐斗だが、タクミの攻撃で大きく後ろによろめいしまった。地面に着地したタクミはその勢いのまま前進して比佐斗のがら空きのボディーに強烈な蹴りを放つ。
空手やムエタイがベースの圭子と違って惑星調査員の訓練課程でその身に染み付いたCQC(近接格闘術)による蹴り技だ。鎧をまとった比佐斗は蹴りによる直接的なダメージこそ受けなかったが、何とか姿勢を立て直そうとしていた時に食らった衝撃に耐えることが出来ずにそのまま吹き飛んで石が敷き詰められた地面に叩き付けられた。
「グワッ!」
金属が鳴り響く派手な音を立てて転倒した比佐斗の肺からすべての空気が吐き出される。背中を強打して次の息が吸えない。酸素を求めてゼイゼイと喉が喘ぐ音しか出せずに、立ち上がろうという気力すら奪われている。
そんな状態の比佐斗にさらにタクミが追い討ちをかける。そのまま比佐斗の剣を握った右手を踏みつけて攻撃の手段を奪うと、その顔の前にバールの尖った先を突き付けた。相変わらずくだらないお遊びに付き合って時間を浪費していると言わんばかりの冷めた表情だ。
「そこまで、勝者タクミ選手!」
審判の声が響いて呆気無く勝敗は決した。観衆はまさかの出来事に声を上げるのも忘れて勝者と敗者を見つめている。期待していた勇者があまりにも簡単に敗れたこととタクミの戦法が普通の人間には絶対に不可能な業だったことで、観客たちの頭がどうやらついていけないようだ。
観覧席で試合の行方を見ていた女子たちもいくらなんでもタクミが20メートルも空を跳んで一気に勇者に襲い掛かるとは思ってもみなかったので、圭子を含めた全員が言葉を失っていた。ただ一人ウットリとした表情でタクミの姿を見つめているのは岬だ。
「ご主人様、お見事です!」
彼女はこの試合が始まってから髪の毛の先ほどもタクミの勝利を疑っていなかっただけに、その勇姿に再び彼に惚れ直したようだ。両手を胸の前で組んでその頬が試合前よりもさらにバラ色に染まっている。
「勝ちましたよね」
春名はようやく我に返ったが、まだ現実をはっきりとは認識していなかった。彼女の目はタクミが人の限界を超える高さまで跳び上がって比佐斗に襲い掛かった場面を捉えていたのだが、あまりにも現実離れしていてまだ信じられない思いだ。何しろ彼女は垂直跳び24センチという小学生並みの記録しか持ち合わせていないのだ。ついでに言えばタクミが日常的に重力による負荷を変えてトレーニングしていることすら知らない。春名が持つ民間人用の端末にそのような機能は無いためだ。
誰一人として歓声を送る者が居ない中をタクミは無表情で出入り口に消えていく。試合場に残された比佐斗はその後姿を見送るが、まだ立ち上がることが出来ないまま大の字になって石畳の上に寝ていた。決して現実を受け入れていないわけではない。むしろこれだけ完膚なきまでに負けて悔しさの反面どこかスッキリとしている自分が居るのだ。ようやく呼吸が落ち着いて、彼はタクミの言葉を思い出していた。
『俺たちはこの世界ですでに数千人を殺している。もしお前が同じ数だけ人を殺めたら、その時は話を聞いてやろう』
確かにタクミが言う通りだ。決して人を殺したことを褒めているわけではないが、自分たちとの覚悟の違いを改めて思い知らされた。
『もっと真剣に考えないと剣崎が言うように勇者ごっこで終わってしまうな』
自分が果たしてこの世界で何が出来るのかを改めて見直そうという思いが比佐斗の胸に去来する。彼を含めて自分たちのパーティーはこれからどう進むべきかを突き付けられているのだ。
「よし、決めたぞ! 今度こそ本物の勇者になってやる!」
彼は自分に言い聞かせる意味でその言葉を口にした。もしかしたら戦いで人の命を奪うことになるかも知れない。また別の可能性としては自分が命を落とすかも知れない。だが何かを成す為に恐れていては結局何も成し得ない。たとえそれが困難で果てしなく忍耐と苦悩が続く道だとしても、それを乗り越えたその先に一体何があるのかを知りたい。
今まで自分は誰かを常に当てにしてきた。王女や城の騎士たちが敷いてくれたレールの上をただ進むだけの頼りない存在だった。そこに自分の意志は果たしてあるのか! 答えは否だ! ただの見栄えがいいだけの飾り物の勇者に過ぎなかった今までにキッパリと別れを告げよう。
比佐斗はこの世界にやって来て初めて本当の決心を自らの胸に誓うのだった。
次回の投稿は日曜日です。