134 妄執
馬車をその場に置いて圭子を先頭に美智香と紀絵がゆっくりと周囲を警戒しながら前進を開始する。今まで戦闘に直接参加してこなかった紀絵は空から手渡されたボウガンにかなりの手応えを得ており、タクミの眼から見てもそろそろ実戦に投入して問題ないレベルに達していた。もし彼女の身に危険が及ぶような事があれば、その時はタクミが容赦なく危険の元凶を排除するつもりだ。
「一体それは何だね?」
馬車と前衛の女子3人の中間地点に立って彼女たちの後姿を見ていたタクミの横に並んでいる伯爵が尋ねてくる。彼の視線はタクミが手にしているデーザーガンに注がれていた。
「ああ、これはこの世界で言えば魔道具のようなものだ。離れた場所に居る敵を攻撃出来る」
タクミは伯爵にわかり易いように説明した。見たことがない魔道具にずいぶんと興味を引かれているようだ。
「止まって! やっぱり気配を感じるわ。結構大勢居そうね。紀絵ちゃん、お願い!」
圭子の五感は敵がどんなに巧妙に隠れていても誤魔化せない。木の葉を踏み付ける僅かな音を耳にして彼女は待ち伏せを確信した。紀絵に自身の身体強化と美智香が魔族の障壁魔法を解析して彼女に伝授した高性能な魔法シールドを展開させる。
その美智香はすでにタッチパネルをスタンバイしており、いつでも攻撃魔法を放つ準備が完了していた。圭子も敵が姿を現したらいつでも飛び出せるように重心を前に掛けて身構えている。紀絵は魔法の展開が終わるとすぐにボウガンを構えて射撃姿勢をとっていた。これはタクミが直々に教え込んだもので、正確な射撃は正しい姿勢からという彼の教えを忠実に守っている。
そのまま木々を挟んで両者の探り合いが続く。
襲う側は矢が届く距離まで中々近づこうとしない圭子たちに痺れを切らしてこちらから接近を図ろうとゆっくりと動き出した。この世界の矢の届く距離はおよそ80メートルで、必中と殺傷性を考慮すると40メートル以内に接近しなければならない。姿勢を低くして一歩ずつ距離を詰める男たち、その動きに圭子は気がついている。
ハンドサインでタクミに敵の状況を知らせると彼女は最前線で引き続き情報収集に神経を尖らせた。
「岬、出てきてくれ」
タクミはこの状況をより安全に乗り切るために援軍を呼ぶ。戦略級兵器『岬』の登場だ。中々姿を現さない敵に対してこちらは視界が開けている街道の上にいる。一歩間違うと狙い撃ちにされる危険が伴うのだ。こんな状況で有効なのは広範囲に影響を及ぼす美智香の魔法だが、障害物に阻まれて打ち漏らしが出る恐れがある。何しろ敵は木々の間に身を潜めてこちらを狙っているようなのだ。したがってタクミの判断はより安全で確実な方法を選択した。障害物など関係なく吹き飛ばす絶大な破壊力を持った岬がこのようなケースでは適任だった。
「全員後退しろ!」
タクミの指示で前に居た3人が戻ってくる。圭子は残念そうだが姿を現さない敵に向かっていくわけにもいかないので諦めて後退する。
「警告する! 観念して姿を現して降伏しろ! 姿を見せない場合は10秒後にこちらから攻撃する」
タクミは一応人道上の配慮から敵に警告を与えた。この警告を無視したら『敵意あり』と見做してどのように扱っても構わないと判断するしかない。
「岬、頼んだ」
10秒が経過した後にタクミは岬に攻撃の指示を出す。彼女はタクミの隣から20メートル前進して収納から巨人の大剣を取り出した。メイド服のまま体を半身にして刃渡り2.5メートルの剣を真横に構える。
「一体何をするつもりだ?!」
岬の恐ろしさを知らない伯爵はこれから何が行われようとしているのか皆目見当が付かないが、大剣を構える彼女の只ならぬ雰囲気に完全に飲みこまれていた。
岬は十分に構えをしてから一気に横なぎに剣を振り切る。
「キーン」「バキバキバキ」
空気を切り裂きながら高音を発する衝撃波が大木をなぎ倒しながら森を突き進む。彼女の一振りで森は扇状に100メートル先まで消えて無くなっていた。そこには同じ方向を向いた倒木が無数にあるだけのちょっと前までは森だった場所に成り果てている。
そしてその結果からは言うまでも無く、岬の一撃の威力は確実に以前よりも上昇している。アルネとの戦闘やその後の訓練で彼女のステータスが上昇したのだろう。聖剣『アカスロン』ではなくてダンジョンで手に入れた大剣で恐ろしい規模の破壊を成し遂げていた。
「何という事だ!」
その光景を目の当たりにした伯爵は茫然自失で立ち尽くしていた。
「今のが魔族を5体まとめて始末した技だ」
タクミの言葉にギギギと音を立てるようにして首を彼の方向に向ける伯爵、その目は相変わらず驚愕に見開かれたまま瞬きすら忘れている。
「これが攻略者の力か!」
その言葉を喉から搾り出すのが冒険者として数々の修羅場を潜り抜けてきた伯爵にしても精一杯だった。
「あーあ、終わっちゃった」
圭子は残念そうな表情で立って、岬は『お粗末さまでした』と言いたげな表情をして振り向いている。美智香と紀絵は『この後はどうする?』的な表情だ。
「俺は生存者が居ないか捜索する。岬と美智香は近場の木を片付けてくれ」
タクミは倒れている木を全て収納に放り込みながら街道を先に進んでいく。敵はどうせ街道沿いに布陣していたのだろうからそれほど捜索範囲を広げなくても見つかるはずだ。万一生き残っている者が反撃に出ないとも限らないので、彼は注意して倒木を片付けながら捜索を進めた。
その結果襲撃を企てた者は28人でいずれも死亡、その出で立ちは盗賊のようだが正体は定かではないという結論しか出てこなかった。本当ならば一人二人生かしておいて背後関係を明らかにしておきたかったのだが、それはもう後の祭りだ。岬の力を借りた以上最初からこの結果は見えていた。
倒木の片づけが終わって街道は元の姿を取り戻した。だがその周囲は背の低い草と折れた木の根っこの部分だけが残ってずいぶんと見通しが良くなっている。
出発した馬車の中で伯爵は考え込んでいた。
『一体あの剣技は何だ? もし魔法を併用していたのならあの威力も頷けるが、そんな痕跡は全くなかった。あれが純粋な剣のみで成された技なのか』
剣を友として一介の冒険者から貴族の地位にまで上り詰めた伯爵は剣に関しては誰にも負けないという自信と自負があった。だがあれを見てしまっては、その自信は木っ端微塵に砕かれる思いだ。専門家だからわかる、僅か剣の一振りで巻き起こしたその訳のわからない衝撃が木々をなぎ倒していく様は、まるで吟遊詩人が詩にするような神話の世界でしか有り得ないレベルの光景だった。
それをあの笑顔で美味い昼食を用意した大人しそうなメイドが簡単に遣って退けた。あれが現実とはこの目で見ておきながらまだ信じられない。まるで悪い夢でも見ているような気分だ。
『そういえば彼らは勇者と同様に異世界から来たんだったな』
この世界では有り得ない事でも異世界から来た者ならば可能なのかと考え直す伯爵、本当に彼らを王都に招いてよいものだろうかと先々が不安になるのだった。
「報告いたします。襲撃は失敗した模様で伯爵と冒険者たちの一行は街に入りました。王都まではあと1日という所まで来ております」
臣下の騎士の報告を受けて苦虫を噛み潰しているのは、現在廃太子が身を寄せるアンクライエット公爵家の当主ダリエスだ。彼は執務室でその報告を受けるなり眼を閉じて考え込む。
『非常に拙いな。国王とあの強大な力を持つ冒険者が再び手を結ぶのはもう阻止できないと見るべきか。ならば次善の策しか残されていないということになる。もうあやつも見切り時かも知れんな』
ダリエスの気持ちの中ではすでに廃太子は用済みの厄介者という烙印が押されていた。後はその用済みの存在をいかに上手く利用するかに考えが移っている。
ドルナント廃太子は宛がわれた部屋で相変わらず酒浸りの生活を送っていた。あの日の屈辱を思い出すたびに胸の当たりに焼け付くような痛みを感じるし、殴られた顔が今でも時折疼いて痛む。鏡を見るたびに殴られたせいで曲がった鼻が目に飛び込んでくる。もうこれ以上はいくら回復魔法でも元には戻せないそうだ。
「ヤツらだけは絶対に許さない」
酒を煽りながらうわ言のようにつぶやくドルナンド、その表情は憎しみと屈辱に酷く歪んでいた。元はと言えば自分で蒔いた種なのに自らの愚かさは小指の先ほども省みないで、ひたすらタクミたちと自分を追放同然の身に追いやった国王に憎しみを募らせている。
そのとき小さく部屋のドアがノックされた。
「誰だ!」
「この屋敷に勤めます魔法使いのサルザルでございます。殿下のお役に立つ情報をお持ちいたしました」
ドアの向こうから聞こえてくるくぐもった声がドルナンドの興味を引いた。今の彼は復讐と復権のためならどんな話にも簡単に飛びついてしまう心理状態に追い込まれていた。
「入れ!」
横柄な態度で入室を許すと魔法使いを名乗る男はフードをかぶったままの気味の悪い姿でドルナンドの前に跪いた。
「殿下は全てをその手に握る力をお望みですかな?」
恭しい態度で尋ねてくる魔法使い、この時ドルナンドはすでに彼の術にかかっていた。
「ああ、俺はこの世界の全てを手に入れる。そのためならば何でもする」
抑揚のない声で答えるドルナンド、その眼は焦点が曖昧な様子で自分が何を見て何を聞いているのかすら理解していない。
「では私が殿下にこの世の全てを手に入れる力を差し上げましょう。付いて来てください」
サルザルは立ち上がるとドルナンドを伴い、光の差し込まない地下室に消えていった。
次回の投稿は日曜日の予定です。