133 タクミの災難
本格的な冬がそこまで迫っている澄み切った空気の中、タクミたちは王都を目指して出発の日を迎えた。穏やかな気候のローランド王国だが内陸部に在るため冬はかなり冷え込む。日本で言えば東北の太平洋側辺りや長野県とよく似た気候だ。
日頃から薄着の圭子も上着を着込んでいるし、元から寒がりの春名は着膨れしてモコモコの羊のようになっている。彼女は戦闘に参加しないので、動きやすさよりも寒さを凌ぐのが最優先だ。
「今日を迎えるために俺もかなり無理をしたから、良い旅であることを祈っているよ」
まったくの出まかせである。伯爵は国王の命令を受け取った瞬間、すべての書類仕事を放ぽらかして執事の制止を振り切ってわずかな供を引き連れただけで館を飛び出ていた。帰ったら大目玉を食らうのは間違いなしだ。もしかしたら後で大きなツケを払うという意味ではかなり無理をしたのかもしれない。
「そういえば君たちの戦う場面を見ていなかったな。どんな驚きの光景を眼に出来るか楽しみだよ」
現実から何とか逃避しようとする伯爵は目の前の楽しみを心往くまで味わいたいと思っていた。
彼はタクミたちが実際に戦う場面を目撃していないのは事実だ。あの大商人の館の討ち入りの際は暴れ○坊将軍になった伯爵自身とギルドマスターで荒事は片付けており、タクミたちは専ら獣人たちの救出役に回っていた。だから伯爵はダンジョン攻略者の戦い振りをしっかりとこの眼に焼き付けようと手強い魔物のひとつでも出てこないかと願っている。本来ならば旅の安全を祈って『魔物に出くわさないように』と願うはずなのにまったく考え方が真逆だ。
「そんな大したことはしないぞ。それにこの街道には殆ど魔物など出ないだろう」
タクミたちは王都を飛び出してラフィーヌに向かった時に一度この道を通った記憶がある。その時は整備された街道を殆どトラブル無しに進んでいった。
「まあ何が起こるかわからないから油断しないに越した事は無い。魔物が出たらその時は頼むぞ」
タクミは思った、口ではこう言っているが、絶対にこの人が真っ先に討伐に乗り出すに決まっている。俺たちは後ろで見ているだけでいいんじゃないかと。それに伯爵は信頼出来る騎士を10人連れている。彼らの腕もおそらくそれなりのレベルにあるんだろうと予想がつく。
「出発するよー!」
そんなタクミの思いをよそに、圭子の掛け声で皆が馬車に乗り込み一行は動き出した。先頭はタクミたちの馬車で、その後ろに伯爵の馬車が続きその周囲を騎馬の騎士たちが守る隊形だ。丸1日馬車で進めば夕暮れの前に次の街に到着出来るのでよほどのトラブルに会わない限りは野営の必要は無い筈だ。
街から離れると王都に向かう街道とはいえ長閑な道が続く。それでも行き交う商人の馬車や旅人が多いのはこの国のメインの街道だから当たり前だ。森に差し掛かると時折ゴブリンが姿を現す。圭子は遠巻きに見るだけの個体は無視して、近づいてくる個体のみを拳を振るってその衝撃波で吹き飛ばしていった。ゴブリン如きにわざわざ馬車を降りる手間すら掛けない。
初日は予定通りに夕刻に街に入る事が出来た。全くトラブルが無い平穏な一日であった事に対して伯爵の落胆振りは相当なものだ。憤懣やる方ないといった表情で肩を落として宿に消えていった。
「お前たちはトラブルの女神に愛されているんじゃなかったのか! 期待していたのに何も起こらなかったじゃないか!」
伯爵がこの日の最後にタクミたちに残した一言だった。
いくらタクミたちが行く先々でトラブルに出会った過去があるとは言ってもこれは大きな言い掛かりだ。彼らは毎日戦っているわけではない。こうした平穏な一日もたまにはあるのだ。
ただしタクミにはその夜に大きな災いが襲ってきた。空が部屋決めのクジ引きで見事に当たりを引き当てて岬とともに彼の部屋に押しかけてきたのだ。
その夜、タクミたちが宿泊する部屋のドアに耳を当てている者が居るとしたらこのような会話が聞こえてきたことだろう。
「空ちゃん、そこです! もっと頑張って!」
「ちょっとまだ無理かもしれない。この体勢には少々難点がある」
「だから、ツイスターゲームをしているときに、誤解を受けるような声を上げるんじゃない!」
夜更けまでこのような遣り取りが何度も繰り返されていたようだが、果たして部屋の中でゲームの後に何が行われていたかは不明のままだ。
翌朝、いつもよりも何倍も機嫌良くVサインをしながら皆の前に現れた空、その表情で全てを察した女子たちは微妙な様子だ。特に紀絵の焦りが本格的になっている。
出発した馬車の中でも特に午前中のタクミは人形のように力無くシートに座っているだけだった。さすがに遣り過ぎたと当事者の岬と空は反省した振りをしているが心の中は昨夜の出来事に大喜びしている。
「今晩はタクミ君をゆっくりと休ませた方が良さそうです。今日は私が添い寝をするだけということにしましょう!」
春名はその様子に心配をして自分勝手な提案をするが、美智香を除く全員の意向で却下されていた。
昼に差し掛かってタクミがようやく復活を遂げる。眼が力を取り戻して頭が働くようになってきたようだ。
「俺は一体どうしていたんだ?」
どうも昨夜からの記憶が飛んでいるらしい。これには空が『大切な記念日の出来事を覚えていないとは何事だ!』と遺憾を表明したが、自身が原因を作っていただけに声を大には出来なかった。岬の方は『ご主人様が元気になられました!』と嬉しそうにして、昼食作りになにやらヤル気を出している。
昼食は岬を中心に空と圭子が手伝って用意をした。なぜかニンニクやニラなど結構刺激が強めな食材を用いた野菜炒めとオークの肉を厚めに切ってソテーした、美味しそうな料理とス-プやパンが並び、その食卓に伯爵も同席している。
「君たちは旅の途中でもこんな手の込んだ料理を食べているのか!」
そんな食卓の光景に眼を丸くする伯爵、いくら貴族であっても旅の途中では限られた食材を用いた携行食しか口に出来ないのが当たり前なのだ。昨日は時間の余裕が無かったため岬が作ったサンドイッチだったが、今日のこの食事はタクミの主にあっちの復活に配慮したメニューになっている。
何も知らずに美味しそうにその料理を食べる伯爵、塩や胡椒などこの世界で貴重な香辛料を惜しみなく使っているうえに油やバターがふんだんに用いられている。美味しいのは当たり前だ。
大いに満足した伯爵が馬車に戻って一行の旅は続く。
次の街に到着するまでの間には大きな森があった。ここを抜ければもう街が見えてくる。だがそんな一行の行く手を阻むかのように30人ほどの盗賊の身形をした男たちが木々の間に身を伏せて待ち構えていた。
「いいか、騎士たちに囲まれている馬車は牽制するだけで十分だ。もう一台の馬車に攻撃を集中しろ」
集団を率いる男が部下たちに命令を下す。見張りの報告ではあと10分もすればターゲットはここにやって来るはずだ。彼らはそのまま身を潜めてその時を待っていた。
「気配が怪しいわね」
ポツリと圭子がつぶやく。さっきから盛んに聞こえてきた鳥の声がパタリと止んでいたのに彼女は気が付いていた。
「襲撃か?」
圭子が馬車を停止させたのに気付いてタクミが御者台にやって来る。もうすでにその手には鎮圧用のデーザーガンが握られていた。
「鳥の声がしなくなったわ。待ち伏せされている可能性があるわね」
にやりと不敵な笑みを浮かべる圭子、獰猛な肉食獣の雰囲気全開だ。
「圭子と美智香と紀絵でいけるだろう。俺は援護に回る、岬はいつでも出てこれるように待機していてくれ」
そういい残して彼は待ち伏せの危険を知らせに伯爵の馬車に向かう。戻ってきたタクミの横には鎧兜を着込んだ伯爵の姿があった。彼の後ろには馬を木に繋いだ騎士たちも続いている。
タクミたちが居る場所はちょうど道幅が広くて視界がある程度保たれる所だった。圭子は守りに適した場所を選んで馬車を止めている。もっとも彼女は守りに回るつもりなどさらさら無い。隙あらば飛び掛り敵を蹂躙する、それが彼女のやり方だ。
女子たちの準備が整い空がシールドを展開するのを見届けて、タクミはゆっくり前進の合図を出した。