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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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牙狼両断

 それは、ほんのささいな会話が発端だった。


 新政府軍が箱館包囲網を展開しており、その総攻撃も目前と迫っていることがわかっている。

 将兵問わず不安と緊張に苛まれ、誰も彼もがぴりぴりとしていた。


 五稜郭で陸軍奉行大鳥との軍議が終わり、大広間で各隊の隊長、副隊長をはじめ、その隊員たちも入り交じって雑談に興じていたときだ。


「ふんっ、さっさとあの餓鬼の首級くびを差しだせばいいんだ」

 ひときわ大きな声で叫んだのは、現在いまは衝鋒隊の副隊長であり、京では見廻組の隊士だった今井だ。

 今井は酒の入ったグラスを呷ると、壁際でかたまって立っている土方をはじめとした新撰組のほうを指差した。

 その鋭利で狡猾そうな相貌には、揶揄めいた笑みが浮かんでいる。


「なにをいうかっ、貴様っ!」

 一喝したのは、その近くにいた同じ衝鋒隊の隊長古屋だ。


 箱館病院で非武装中立の赤十字の精神を謳い、敵味方なく治療し病院とそこにいる傷病人を護りつづけている病院長高松の実兄は、弟と同じくその精神は崇高だ。

 自身の副隊長のあまりにも無責任で心ない言は、部下に対して穏やかで心の広いこの武士をかっとさせたらしい。近くの卓の上に持っていたグラスを音を立てて置くと自身の副隊長に近寄りその胸倉を掴んだ。


「取り消すのだ。そして、いますぐ土方殿や辰巳殿に詫びを入れろ」

 大きくはないがその低い恫喝は、生来、天邪鬼の性質たちの副隊長を意地にさせただけだった。


「ご免蒙る。そもそも指揮系統じたいおかしいではないか?船頭の総裁に無能な陸軍奉行、農民出の陸軍奉行並。そして、それらを躍らせる畜生の餓鬼?古屋隊長、みな、口にださぬだけで思っていることはそう大差ない。のう、そうであろう?」

 今井は、同意を求めるように周囲を見回した。


 各隊の隊長やその部下たちは、慌ててよそを向いた。

 評判の悪い今井の片棒を担がされるのはご免だが、さりとてその言はまったく的を外したものでもないことは確かだ。


「噂では、敵が欲しいのはあの餓鬼の首級くびだけだということだ。お望みのものに、土方殿や新撰組の連中も添えてやれば、敵は大喜びしてこの馬鹿げた戦を止めてくれるだろう」

 今井は、見当外れも甚だしいことを堂々といってのけた。

 それには、さしもの古屋も開いた口が塞がらない。


 刹那、古屋が何者かに突き飛ばされた。

 ここに集っているほとんどが、この過酷な戦いを生き残っているだけあり、そこそこの腕を持っている猛者ばかり。


 それでもその動きは、それを追うどころかよむことすらできなかった。


 土方が愛刀「和泉兼定」を抜き放ち、七、八間はあったろう距離を詰め、いままさに今井の前に立ちはだかっている。


 元見廻組の今井を斬り捨てるのに、躊躇などない。

 新撰組を、なにより、自身の甥のことを口の端にだした時点で、今井は斬られるべきなのだ。


「土方殿っ!」

「土方君っ!」

 周囲であっても周囲でなくても、この場にいる全員が注目する。


 遅い。兼定は、上段の位置から振り下ろされている。


「ひいっ!」

 今井は、剣も遣うが柔術の達人でもある。反射的に後ろに跳び退さろうとする。


「・・・」

「・・・」

 土方の渾身の一撃は、割って入った小さな影に受け止められていた。


 土方の懐刀であり甥の、右の二本の指の間に挟まれた兼定の切っ先。

 土方は甥の相貌にある二つの大きな傷を、今井はそれとは対照的な美しい反面を、それぞれみ下ろす。


「陸軍奉行並、お引き願います。今井殿の仰ることはいちいちもっとも。かような餓鬼のことで、陸軍奉行並、あなたの評判を落とす必要はござりませぬ」

 左半面を向けたまま、少年は向き直ることなく主に告げる。


「あなたの手を煩わせることもまた、必要ござりませぬ」


 右の指の間から、兼定が解放される。

 土方は、無言のままそれを鞘に納めた。


 その場にいる全員が、その様子をただみ守っている。


「ですが今井殿、わたし以外の方の評価に関しては・・・」

 言の終わらぬ内に、少年は右の掌を伸ばすと今井の口許を覆うようにしてその頑丈な顎を掴んだ。そのまま大広間の床に、今井を背から叩きつける。


「がはっ!」

 肺からいっきに空気が吐きだされ、今井は小さくて分厚い掌で口許を覆われたまま大広間の天井を見上げた。

 そこには、みすぼらしい装飾の洋ランプがぶら下がっている。


「訂正頂きたい。なぜなら、そのどれもが正しくないからです」


 少年の膂力はすさまじく、口許を覆われ相貌を床に押し付けられたまま今井は身動ぎ一つできない。


 その右の耳朶に、少年の口唇が近づけられた。


「敵が喜ぶ首級くびは、なにもわたしのだけではない。坂本龍馬を暗殺した実行犯の首級くびの方が、敵のおおくは喜ぶのではないのですか、今井殿?」

 そう囁かれた。


「あなたの得物の柄頭についている噛み傷がなにか・・・?わたしは知っている。あのときの臭い、声、動きの癖。わたしは、あなたを床の間の掛け軸に放り投げたのですから・・・」


 異相にある一つだけの眼に見据えられ、今井は心底怯えた。

 いいようのない畏怖が、吐き気となって体内からせり上がってくる。


「薩摩に踊らされ、いまも敵の欺瞞に翻弄される愚か者・・・。この場でわが主に殺されなかったことを、幸運に思うことです。どこへなりとも消えなさい」


 坂本の敵を討ちたかった。だが、坂本もそれは望まぬはずだ。そしてなにより、それは主の真意ではない。


 少年の小さな掌から開放された今井は、そこからほうほうの体で逃げ去った。


 そして、そのまま夜陰に乗じ、数名の仲間たちと脱走した。

 

 今井は、その後隠れていたところを新政府軍に捕まり獄に繋がれた。

 その際に、坂本龍馬暗殺の容疑をかけられる。無論、情報の出所は、少年が撒いておいたものだ。


 特赦により開放されると帰農し、紆余曲折を経てクリスチャンになる。


 後年、坂本の甥なおが催した坂本の法要に参加している。


 脳卒中で倒れてから二年の病床生活となるが、大正七年(1918年)まで生きた。

 七十二歳であった。


 坂本龍馬暗殺実行犯の一人佐々木只三郎は、その直後に起こった鳥羽伏見の戦いで被弾し、死亡した。


 だが、今井はそれより五十年近くも生き永らえたことになる。



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