騎士(ナイト)と武士(サムライ)
ジュール・ブリュネは、仏国の東部に生まれた。
父は仏軍の第三竜騎兵連隊附の獣医で、主に馬の管理を任されていた。
幼少より竜騎兵が用いるレイピアに魅入られ、それを自己流で学びよく遣った。
自然な流れで仏軍に入隊、第三砲兵連隊の陸軍砲兵少尉として墨西哥に出兵し、そこで大いに功を挙げた。
その際、レジオンドヌール勲章を授与され、近衛砲兵連隊附の中尉へと昇進、栄転した。
中肉中背、右の二の腕にはレイピアの鍛錬の賜物である筋肉がよくついている。
相貌はなかなかのもので、定番であるカイゼル髭も健在だ。
文武ともに優れており、砲術に関してはその製造工程から緻密に学んだ向学心旺盛な兵だ。
将官としても有能であるのはいうまでもない。
ブリュネがこの東方の果てまでやってきたのは、ひとえに伝説の「東方の忍者」に会いたいが為であった。
その忍者はまだほんの少年で、欧州で大規模に行われたクリミア戦争で、その舞台裏で、あるいは表舞台でおおいに活躍した。
そして、その後彼の国の皇帝「ナポレオン三世」の生命を、暗殺者の魔の手より救った。
それだけでなく、その後勃発した伊戦線でも大活躍した。
生まれながらの竜騎兵。
「竜騎士」は、英国や露国だけでなく、彼の故国でもレジオンドヌール勲章と騎士の称号を与えられ、ナポレオン三世の寵愛を受けた。
その縁もあり、軍事顧問団をこの東方の果ての国に派遣すると噂できいたとき、ブリュネはすぐさま上官に掛け合い、派遣団に加えてもらうよう頼み込んだ。
幸運にも、それはすぐに叶った。
この日の本にきて、「竜騎士」に会う機会にはなかなか恵まれなかったが、練兵等持てる技術を東方の武士たちに教えることは愉しかった。
充実した毎日を過ごした。
それは、負け戦とわかっているいまのこの状況にあっても同じである。
そして、皮肉にもここで彼は伝説の「東方の忍者」、小さな「竜騎士」に会うことができたのだ。
回天の船上では、話す機会はなかった。
だが、いま眼前にいる。
否、み下ろしている。それはとても小さくて華奢な少年だ。
「ブリュネ大尉、あなた方仏軍のご助力、心から感謝しております」
握手すると、小さい掌の力は大人のそれより強かった。
なにより想いがこもっている。
流暢な仏語は、その言がけっして社交辞令などではないことがよくわかった。
「「竜騎士」、じつは、わたしはあなたに会いたくてはるばるやってきたのです」
そう告白すると、少年は照れ笑いを浮かべた。
その夜は、榎本総裁のはからいで、松前口、木古内口、二股口、安野呂口の各戦地から逃げかえってきた将兵を慰労する為、ささやかな宴が催された。
その最中に、少年は土方から命を受けて笛を数曲奏でた。
物悲しい曲は、榎本総裁ですら思うところがあったのか、目頭を押さえてききいっていた。
宴会場に入りきれない一兵卒にいたるまで、その音を五稜郭のどこかできいていて、誰もが涙した。
友の死、自身の不甲斐なさ、傷の痛み、そして、これから待ち受ける将来に、さらにはそれぞれが抱えているさまざまな不安に対して・・・。
じつはこれは、少年の人心操作の一つであった。
この戦を終わらせる為の。
無論、それに気づいた者はいない。
仏軍の脱走兵や亜米利加や清国、欧州の商人で箱館政府に助力している異国人たちも招かれていたのだが、笛の音を披露した後、少年は「賛美歌」と「アヴェ・マリア」を、それぞれ英語と仏語で唄った。
高音の声量のあるそれは、たいそう美しく、異国人たちはもとより、言の葉
や唄を知らない日の本の武士たちをも感じ入らせた。
異国人たちは、一様に故国を懐かしんだ。それもまた、少年が意図してやったことであるのはいうまでもない。
国に帰れ、という。ここから逃れ、仏軍に合流し、故国に逃げかえれと。
ブリュネ自身、そのことについては考えないでもなかった。
かれらは、この国の武人とは違う。
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という教えを、護る術も義理も、かれら仏軍の兵士にはない。
それでも、この国の武士たちとともに戦うなかで、武士道とはなにかわかりかけていたところだった。
ともに果てるのもいいのではないか?
信じるものの為に、護るものの為に、自身や仲間の矜持の為に、ともに死することこそ真の軍人ではないのか?
そう想いはじめていたところだった。
「われわれには、二君に仕えずという信念があります。それは、われわれだけでなくあなた方も同様かと。あなた方は、われわれではなく、ナポレオン三世陛下の臣。どうか仏国にお戻りになり、日の本であったことを、あなた方がみききしたこと感じたこと体験したことすべてを、ありのままお伝え頂きたい」
少年の澱みない仏語をききながら、ブリュネは決意した。
そう、少年のいうとおりだ。
われわれにはわれわれの主君があり、それに対する義務がある。
それを放棄できるわけもない。
「ならば「竜騎士」、どうかわたしと手合わせを願いたい。これが、わたしがこの国へきた誠の目的なのです」
ブリュネの生真面目な表情に、少年はやわらかい笑みで応じた。
「光栄です、大尉。得物は?長剣?槍?馬上槍?銃でもなんでも構いませんが?」
「では、片手剣で」
「ほう・・・。わたしのは、お借りできますか?」
宴会の中途で突如、仏国の軍人と日の本の剣士が立ち合いをする、ということで会場内が湧いた。
榎本総裁自らが胴元となり、将兵関係なくそれぞれ好きなものを賭けた。
賭けそのものはどうでもいい。
ここにいる全員が、異色の対決をみたかったのだ。
仏国軍の士官の一人から借りた片手剣は、細身だがかなりの長さがある。
「大丈夫なのか?」
市村が囁き声で尋ねた。
島田や相馬といった仲間たちも、この異色の戦いに興味津々といった様子だ。
「愚問だな、市村」
そういったのは土方だ。
その足許に少年が片膝ついて控えており、戦うことの許可が与えられるのを待っている。
宴会場の中央の卓や椅子が取り払われ、七、八間四方の大きさの臨時闘技場が出来上がった。
扉という扉、窓という窓から、宴会には参加できない兵卒たちが群がって、この異色の対決をみようと詰め掛けている。
この夜も快晴で、下弦の月とたくさんの星がその淡い光を蝦夷の地に投げかけている。
「新撰組土方局長、新撰組の名にかけて、隊士佐藤龍は今宵、誠の旗の下正々堂々戦うことを誓います。どうか一騎打ちのご許可を」
土方は、片膝ついて頭を垂れ、朗々と許可を求める少年を見下ろしながら、これが異国の作法なのか?と驚きつつ、どこか誇らしくもあった。
自身の実の甥なのだから・・・。
「許可する、佐藤龍よ。新撰組の名に恥じぬよう、存分に戦うがいい」
作法は怪しいものだ。
だが、そんなことは誰にもわからない。
「はっ!ありがたき幸せ」
少年はさらに叩頭し、さっと立ち上がる。
背を向け、片手剣を日本刀のときと同じように両方の掌で捧げ持つ。
元の持ち主と剣自身を讃える詠唱が、流れてくる。
仏語のようだ。
詠唱が終わると、すばやく片手剣を腰に帯びる。
手馴れたものだ。
少年は、西洋の長剣、大剣、片手剣といった剣の類を気に入っている。
ブリュネもまた、準備を終えたようだ。
臨時に出来上がった闘技場の中央に二人で並ぶと、榎本総裁に向き直り、片手剣を鞘から抜き放ち、それを胸元で握り手を下に、刃を上に向け、権力者を讃える礼を取る。
「まずは仏国皇帝ナポレオン三世陛下へ、永久の繁栄と長寿を!」
少年が仏語で叫んだ。
そして、この国の言葉でつづきを叫ぶ。
「わが軍の大将軍榎本総裁へ、戦の勝利を!」
隻眼と双眸が合った。
榎本は、すでに知っている。
間もなく訪れる敗北、そして、それにつづく降服を。
それでも、いまはまだ戦い続けなければならない。
すくなくとも、被害を最小限に抑えつつ、戦うふりをしなければならない。
「若き勇者たちよ、正々堂々と刃を交えたまえ」
榎本も役者だ。ここはまだ、勝利へ向かって奮闘する総裁を演じる。
仏国の士官の一人が、審判をかってでてくれた。
二人は、二間ほど置いて向かい合った。
ブリュネは片手剣を構えたまま、一方の少年は、それを鞘にいったん納めた。
ブリュネには、いわゆる一足一刀の間合いであるが、小さな少年にとっては遠間になる位置。
「気をつけ、礼!」
審判の号令の下、二人は互いに礼を取る。
現代のフェンシングの原型は、この頃上流階級や軍隊で行われていた。
通常は模擬刀で行う試合も、今回は互いに真の剣を用いる。
細身の 片手剣といえど、殺傷能力は充分にある。
「準備は?」
剣士二人が同時に「はい」と答えると、審判役の士官は自身の右掌を胸元まで上げ、「開始」と叫びながらそれを振り下ろした。
ブリュネは身軽だ。
片手剣の剣先を相手にぴたりとつけ、掌を上に向け軽く曲げた左上腕を左後ろにした正統派だ。
その姿勢で、あっという間に相手までの間合いを詰めた。
誰の目にも留まらぬ速さの突きが、相手に繰り出される。
速さだけではない。その突力は、相手の肉を斬り裂き、貫通させるだけの威力がある。
だが、相手の技量もまた並ではない。
「かちーん」、と金属同士が触れ合う甲高い音が宴会場内に響いたと同時に、ブリュネの握る片手剣が宙を舞った。
居合い抜きの要領で、鞘から抜き放たれた少年の片手剣は、突き出されたブリュネの細くて鋭い刃を、蛇が獲物を捕獲するがごとく絡め取った。
しなやかさと弾力のある少年の突きは、そのままブリュネの手から片手剣を奪い、宙に跳ね上げさせた。
ブリュネの手から片手剣が離れたときには、少年のそれは鞘に戻っている。
小さな剣士は、軽く跳躍すると空宙を舞っている片手剣を掴みとると、それを相手に差しだした。
「・・・」
あまりの手練に、さしものブリュネもただ呆けるしかない。
見物人たちから歓声が上がった。
市村や相馬たちも嬉々として仲間を讃えている。
「まだまだ。いまからですよね、大尉?」
奪われた得物を手渡されながら、ブリュネは圧倒されていた。
自身の慢心が恥ずかしく、試合を挑んだこと自体が愚かであったことを、いまさらながら自覚する。
二本目。
つぎは少年も鞘から片手剣を抜き、ブリュネと同じように構えた。
こうなれば、もうどうにでもなれとばかりに我武者羅に突っ込んでゆくブリュネ。
後の先が好みの少年は、最初の突きを体を開いただけでかわし、相手の腕が伸びきったところで、心の臓目掛け、突きを繰りだす。
この間、わずか瞬き程度。
ブリュネの突きの速さは、仏国軍一ともいわれているほどのもの。攻撃後の隙も、かなりの遣い手ですら、これまで衝けたことがないほどだ。
ひとえに、相手が悪いとしかいいようがないだろう。
心の臓までわずか紙片程度の間を置いたところで、少年の片手剣の動きが止められている。
この位置で止めることも、かなりの技量を必要とする。
ブリュネは完敗した。
見物人たちは、勝ち負け関係なく異国の剣の技量をみせてくれた二人の剣士を讃えた。
技でも力でも、ここまで差があればいっそ気持ちがいい。
ブリュネは満足した。
わざわざ東方の国にやってきたことを、あらためてよかったと思う。
この国の武人たちは素晴らしい。その精神は高貴だ。
残念ながら、故国の騎士道は廃れつつある。この国の武士道も、いずれは同じ道を辿るのかもしれない。
だが、いまはまだそれは強く、たとえ廃れ行く運命だとしても、この国の漢たちの根底には、潔いまでの武士道が根付き、それはけっして消えさることはないだろう。
この国にきて本当によかった。この国の武士たちとともに戦えてよかった。
故国の英雄「竜騎士」に手合わせしてもらったことは、生涯の宝となった。
あらゆることがあらゆる意味で残念だ。本当に無念でならない・・・。
ブリュネら仏国の軍人たちは、箱館港に停泊していた仏国国籍の船で逃れ、仏国軍と合流を果たした後、故国へと戻っていった。
その後、故国でそれぞれ活躍し、ブリュネ自身は仏陸軍の参謀総長にまでのぼった。
この国で経験したことが、この国で感じた武士たちの精神の一端が、かれら軍人たちの礎となったに違いない。




