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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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桑弧蓬矢(そうこほうし)

 田村は呆れた。


 大鳥奉行やその側近たちは、まるでわらべのようにはしゃいでいる。

 そして、興奮して語るその内容は、いまは亡き近藤局長がよくよんできかせてくれた物語の内容そのものだ。

 だが、疑いはしない。


 なぜなら、それをおこなったのが年少の友人であるから。

 

 坊なら、大人たちがいっていることをやってのける。

 不思議な力を持っているのだから・・・。


 田村は、年少の友人を心から尊敬し信頼している。


 その田村の足許に、白狼の一頭ヌイがぴったりと寄り添い、きちんとお座りしている。


 白き狼の耳朶が、ぴくりと動いた。

 刹那、伊庭の傷を診ていた年少の友人が現れた。


「坊、隊長は大丈夫なの?」

 そう尋ねながら田村は、年少の友の相貌の色が悪いことに気がついた。

 ヌイが立ち上がり、「くーんくーん」と小さくなきながら異相の少年に近寄る。


 少年はヌイの耳朶の後ろを掻いてやってから、田村に物憂げな視線を向けた。


「元気になるまでには療養が必要でしょうが、命に別状はありません。田村さん、お願いがあります」

 少年はさりげなく傍の松の木に背を預けると、ヌイの耳朶の後ろを掻いてやりながら囁き声でつづけた。


「伊庭先生の介抱をして欲しいのです。アイヌの村で。そこには、玉置さんと野村さんがいます。四人で生き残って欲しい・・・」

 いっていることの意味をすぐには解せなかったのか、田村から応答がない。

 隻眼を向けると、背は伸びたがまだあどけない相貌がそこにあった。


 京ではじめて会ったとき、田村は子どもたちのなかでは一番背が低く、痩せ細っていた。

 だが、いまでは背が伸び、筋肉質の体躯になっている。


 双眸が、隻眼をみ下ろしている。


「どうして?どうして死ななければならないの?」

 田村の問いに、少年の隻眼が細められた。


 この子は聡い。ごまかしやはぐらかしは公平ではない。だが、知らせる必要もない。

 この天下の反逆者たる自身のことを知ることは、不利益、不幸にしかならぬ。そして、仲良しごっこ・・は必要ない。


 人間ひとの子と交わる必要などどこにもない。どこにもないはずだ・・・。


「それがおれの業、おれは一振りの刃にすぎぬ存在だからです。人殺しの末路は、所詮そんなものです。田村さん、伊庭先生も野村さんも、今後剣を握ることが難しい。それは、玉置さんも同様でしょう。三人を護ることができるのは、それを頼めるのは、もはやあなたしかいない。養父の春日先生、それと榎本総裁には、おれから話しをしておきます・・・」

 その静かな口調に、田村はどこか切羽詰ったなにかを直感した。


 そう、坊は自身などが想像もつかない、重要で壮大な使命を帯びているに違いない。


 そのさきには死しかないというのに。


 その願いを、どうして断れるだろう。養子にしてくれた春日先生には申し訳ないが、友の頼みはなにより大事。


「わかった。期待に応えるよう頑張る。局長と鉄っちゃんにもよろしく伝えて・・・」

 最後のほうは、涙声になってしまった。不安、寂しさ、なにより、親友の一人が自身の手の届かぬところで死んでしまう。


 手助けどころか、そのことについてまともに話すこともできない。


 異相が縦に振られた。

 隻眼が、双眸を見上げている。


「ありがとうございます。あなたのその気持ちで充分です。おれにはすぎた友だ、あなたは。ヌイが案内してくれます。どうか、お元気で」

 

 伊庭も、少年からいい含められているらしい。


 敵軍から連れてきた四頭の内の一頭の騎馬に伊庭を乗せ、ヌイを先頭に去ってゆく田村。


 意外にも、高田が田村と伊庭の同行の許可を大鳥に願いでた。


 この蝦夷のアイヌの人々や言語、さらにはカムイや自然を、気に入ったらしい。それらをもっと知りたいと熱望したのだ。

 無論、大鳥は快く送りだした。このまま自身の側にいても、この将来さきどうなるかわからぬのだ。


 お互い生きていれば、縁があれば、いつかまた、ともになにかをやれるであろう。


 田村は、年少の友を抱きしめた後、馬上伊庭をうしろから支えながらいっさい振り返りはしなかった。


 年少の友の意志を継ぎ、託された人たちを護って生き延びてやる。それを態度に示したかったのだ。


 だが、心中では悲しかった。友の死、そのものに対して。そして、なにもできぬ非力さに対して・・・。


 先導するヌイの白い毛並みだけをみつめる。


 その双眸から、とめどなく涙が零れていることも気がつかず・・・。


 側近三人、川邊、泊、澤井は、遠慮して場を外してくれた。

 騎馬たちの装備を確認するといって。


 大鳥は木の切り株に座り込み、三間ほど先の木に背を預けている少年を油断なくみつめていた。

 その少年の周囲には、五頭の白き巨獣がそれぞれの立ち位置で控えている。


 一番大きな体躯の白狼が、長い鼻面を少年の左脇腹に押し付けた。

「大丈夫です」

 囁くと、その鼻面を撫でる。


 兄弟たちは、すでにわかっている。


 回天で焼いた傷口がさきほどの逆落としで開き、失血していることを。さらに、伊庭の生命いのちを救う為、みずからのそれを分け与えたことも。


 それらが、少年に抜き差しならぬ影響を与えているということを。


 それは、人間ひとである大鳥も、ある種の感覚で気がついていた。


「大丈夫なのかね、辰巳?」

 尋ねてから、大鳥ははっとした。


 相手がそれに、素直に応えるわけもない。返答はわかっている。


「問題ありませぬ」

 大鳥の予想と、さしてかわりはなかった。


 少年は、島田が作り直してくれた軍服の上着で、さりげなく左腹部の傷を覆った。


 腹部から血が、脚を伝って流れ落ちていく。


 いったい、どれだけの血が流れるのか?あとどれだけの血を流せばいいのか?

 自身の血ではない。人間ひとの血を、あとどれだけ吸いつくさねばならぬのか?


 漠然と考える。


「大鳥先生、ときがございません。いまここであなたに、陸軍奉行であるあなたに判断頂き密命を下されたく・・・」

 少年は、もたれていた木の側で片膝を折って控えた。失血による立ち眩みをごまかす為でもある。


「榎本総裁にはすでに打診してあります。総裁は、すべてあなたの判断に委ねると・・・」

 出陣の前に榎本に打診し、許可を得ている。


「いったいなにを・・・?」

 そこで口唇をとざす。


「降伏の下準備かね?」

 その言は、発声されることなく確実に相手に届いた。


 相手は、さらに囁く。


「このまま、江差沖にいる敵の陸軍参謀の黒田先生に会って参ります。黒田先生とは、浅からぬ因縁がございます。義侠心に厚く、旧幕府軍に対して同情的でもあります。薩摩の重鎮西郷先生が最も信頼する片腕でもあり、その威光は長州の要職にある者どもよりございます。なにより、黒田先生は長州嫌い。悪いようには転びませぬ。否、転ばぬようにしてくれます」


 少年は、眩暈に耐える。


 狼神ホロケウカムイがさりげなく寄り添ってくれたので、それに身を預ける。


「わたしは反対だ。きみが自身の地位を、この政権の第一等にするよう総裁を説得したときから、わたしは反対だった」

 大鳥の語気は、めずらしく激しい。

 切り株から立ち上がりかけたが、少年に近寄ることが憚られ思い直す。


 白狼たちは、静かに二人をみ守っている。


「わたしは、きみや土方君のように戦術戦略に明るくない。戦いにおいては、全戦全敗、この戦において貢献できるだけの才は、持ち合わせてはいない。充分自覚している。それでも、きみや土方君を犠牲にしてまで、生き残りたいとは思わぬ。それは、榎本総裁もおなじであろう」


 大鳥の熱弁が、この静かな蝦夷の山の中を流れていく。


 この日も快晴で、枝の間から射し込む陽光は白狼たちの体毛をきらきらと輝かせていた。


 鳥の鋭い鳴き声がし、頭上の枝の一本にそれが舞い降りたことが感じられた。

 朱雀が物見から戻ったのだ。


 周囲は安全であることを、すでに少年は朱雀と同調し了解していた。


 少年は、異相にやわらかい笑みを浮かべ、小柄な陸軍奉行の双眸をみた。


「おそれながら大鳥先生、あなたは有能な士官ですよ。武将、ではないかもしれませぬが。わたしはさまざまな異国の地でたくさんの戦を経験してきました。この国の古来よりの戦術はもはや通用致しませぬ。不本意ですが、武士もののふの世は終わってしまいました。これからは、あなたのような西洋の知識と精神こころをもつ士官が、まつりごとを司り、民を護るべきです。先生、あなたや榎本総裁はいい政治家になれる。ここで死するより、どうか生き残り、生き残った他の多くの武士もののふたちの為に、まつりごとの場で戦い、みなが心安らかに暮らしてゆけるようご尽力下さい。死ぬことは容易い。生き残って恥や外聞を捨て、他者ひとの為に働くのは、かならずや艱難辛苦を極めるでしょう。ですが、これができるのは大鳥先生、あなたや榎本総裁なのです。どうか、あなたの力を将来に、この日の本の未来の為に、残し繋げて頂きますよう・・・」

 少年は、片膝折った姿勢で頭を垂れた。


 少年は、こういえば大鳥が了承するであろうことがわかっている。


 人心掌握の手練。人徳者の大鳥より、少年のほうがその術は巧妙でしたたかだ。


「土方君は?かれはしっているのかね?」

 大鳥は、嘆息しながら尋ねた。


 自身が手玉に取られていることを、自覚しつつ。

 それでも、少年に乗せられるよりほかない。


 生贄を差しだしてまで、自身は生き残る。

 これから将来さき、その生贄の描く構図どおり全身全霊をもって動くことこそが贖罪になるのであろうから。


「・・・。それは、こちらの問題でございます」

 さらりとはぐらかす少年。


 大鳥は、再び嘆息する。


「土方君が気の毒だ。かれのことを思うと・・・」

 大鳥は、それ以上言を発することができなかった。


 長い付き合いではないが、土方の甥っ子への想いはわかっている。ゆえに、自身になぞらえるとぞっとする。


 この少年が死んだ後の土方のことを想像すると、自身にまちうけているであろう艱難辛苦など、所詮たいしたことではないのやもしれぬ。

 

 大鳥とその側近たちは、四頭の白き巨獣を護衛につけ、五稜郭へと落ちていった。


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