蝦夷の逆落とし
伝習隊創立期より、隊長付きの小姓をしている高田は、不思議でならない。
なにゆえこのように派手な演出が、必要だったのか?
追われ、必死に逃げ惑いながら、高田は目立ちすぎる隊長を、面白くて笑わせてくれる人だと感心する。
実際、傍を駆けながら笑声すら上げてしまう。
「なにがおかしい?」
銃声、それにつづく兆弾のぞっとする音、これらの合間を縫い、頭上から隊長大鳥の不機嫌な声音が降ってくる。
「だってそうでしょう?」
軍服にも相貌にも泥や血がこびりついている。
高田は、灰燼にまみれきった相貌に嬉しそうな笑みを浮かべ、馬上の大鳥を見上げた。
二本の脚は、死に物狂いで機能してくれている。
思えば、この人と江戸を脱出して以来、ずっと身なりは汚く、負けつづきで逃げまわっている。
それでも、この人といることは愉しく、飽きることがない。
このまま新政府軍に殺されても、この人となら、あの世でまた愉しいときを過ごせそうだ・・・。
高田は旗本の三男坊で、剣術よりも語学を学ぶことが大好きだった。
仏語、英語、露語、他の国の言語を学ぶことは愉しい。
それを教えてくれたのが大鳥だった。否、大鳥がそう導いてくれた。
「なにゆえ白馬に?どうせ負けて遁走することになるのに、なにゆえかような目立つ馬に乗って出陣するんです?」
高田の言は、ともに逃げる大鳥の三名の側近を同時に笑わせる。
「ああ、しかも恥ずかしげもなく漢詩を詠むなどとは・・・」
大きな体躯の澤井につづき、「側近としてあれほど恥ずかしかったことは、あれで二十八度目位か?」痩身の泊が、最後の一人、短身痩躯の川邊が、「後世、敗軍の将という汚名より、白馬に跨りし三文詩人として、その導化っぷりを語り継がれるに違いない」、と追い打ちをかけるものだから、当の本人は馬上ですっかりいじけてしまっている。
無論、その間も背後の敵兵が放つ銃弾は近くなっており、さらには敵そのものも追いすがろうと迫っている。
「だが、なかなか面白いときを過ごさせてもらいましたよ、隊長」
高田は、そろそろだと思った。
一番小柄な川邊が白馬を御し、隊長を落ちのびさせる。
しばしの間、残る三名で持ち堪えればいい。
そして、その想いは澤井と泊も同じである。
「川邊、隊長を頼むぞ。無事に五稜郭へ送り届けるのだ」
「断る。高田、おぬしらだけいい格好をさせてなるものか。それに、先程の漢詩の件で、わたしだけが嘲笑の的になるのはごめんだ」
常に負けつづきの大鳥ではあるが、その人となりは悪くない。
そして、それを慕う者たちの結束は固く、絆は太い。
逃げることが得意となっている彼らにとって、この山道を走りつづけることはさほど苦でない。
そうこうしているうちに、岩場に辿り着いた。
「なんと、崖だ」
泊がおかしそうに報告した。
前方は直角とまではいかずとも、とても駆け下りることはできぬ崖だ。
そこから覗くと、ゆうに一町近くの高さはありそうだ。しかも、崖下にも長州軍の旗印がみえる。
背後に迫る敵軍、これもまた長州軍であるが、ついに追いついてきた。
騎馬の将官以外は、走りつづけてすっかり息が上がっている様子だ。
後続も、間もなく追いついてくるだろう。
この隊の将官は、期せずして自身の掌中に、手柄が転がり込んできたことにすっかり有頂天になった。
「大鳥殿だな?」
騎馬を進めながら、将官が確認した。
「厚顔無恥の詩人だ」
大鳥もまた、白馬を進めながら応じた。
自暴自棄のように振舞ってはいるが、さりげなく白馬を側近たちの前に立てる。
「大空に、舞う一羽の鷹ありて・・・」
大鳥が空を仰ぎ、口ずさんだ。
この期におよび漢詩?、と側近たちが白馬に視線を向けると、馬上の大鳥の右肩に、大きな鷹がいる。
それは、朱雀という名の大鷹で、その出現は彼らにとって驚きとともに、希望の光そのものだ。
「大鳥に大鷹。うむ、なかなか語呂がいい」「隊長・・・?」
誰かが噴出し、全員がげらげらと笑う。
敵軍を前に、負けつづきの大鳥とその側近たちの度胸はたいしたものだ。
大鳥隊は、どこまでもわが道をゆく集団だ。
自身が背後をとられたことじたい、通常はありえぬ。
なぜなら、馬上にいるのだから。
その将官は、自身の頸に腕をまわされ耳朶に囁かれるまで、脳裏にも心中にも自身の出世のことしかなかった。
それが一瞬にして霧散しいっきに暗転した。
「あなたは、運がいい」
将官の耳朶に、童独特の甲高い声が侵入する。
「いいものをおみせしましょう。下にいるお仲間とともに、わたしの力をしっかり双眸と脳裏に刻み、自軍に伝えなさい。そして、ここで頸を狩られなかった幸運を、しっかり味わいなさい。あなたの騎馬は、あなたの指示には従わぬ」
冷や汗が止まらない。将官は戦慄した。
これが噂の暗殺者か、と生きた心地がしなかった。
不意に、自身の側から気配がなくなった。
追い詰めていたはずの敵将に視線を戻すと、つい先程まで自身に語りかけていた暗殺者が、そこにいた。
それだけではない。そこには、五頭の巨獣もいる。背後にいる自軍を振り返った。
なんと、全員が小銃を放り投げ、ただ呆けたように大鳥らをみている。
なかには掌を合わせ、拝んでいる者までいる。
そして再び、視線を前方へ向けた。
「なんてことだ」
将官だけでなく、兵たちも一様に驚きの声を発した。無意識のうちに走りだす。
追い詰められた敵は、崖上から一斉に飛び降りた。
どこからともなく現れた小さな味方は、大鳥主従に大いなる希望を与えた。
それまで敵の将官の騎馬上でその首根っこをおさえていたかと思いきや、瞬きする間もなく今度は白馬上大鳥の後ろに立っている。
「大鳥陸軍奉行、背後を取りしご無礼お許しください」
白馬の尻の上で平衡を崩すわけでもなく少年はまず自身の非礼を詫びた。
「朱雀、下の様子を・・・」
少年の翼ある朋友は、一声鋭く鳴くと翼を広げ大鳥の肩の上から飛び立った。
崖下からの吹上でそのまま上昇する。
上空では鷲や隼などの猛禽類が円を描きつつ控えていた。
朱雀はそれらを率い崖下に降下していった。
「さて、すぐそれへ敵の大隊が迫っております。閣下、われらがとるべき進路は常に前であるべきです」
それは、遠く異国の地で皇帝ナポレオン麾下の一将軍が戦時中に発した名言で、戦場でそれをきいた少年はその諧謔を感心したものだ。
「会津藩士からききました。京で強弓を用い、平家物語の那須与一以上の腕前で彦根藩の誇るアームストロング砲を破壊した、と」
小さな味方がこれからやろうとしていることにいちはやく気がついたのは、大鳥の小姓だった。
高田は、その汚れた相貌ににんまりと笑みを浮かべた。
「そして、蝦夷では一ノ谷の逆落としの再現を?辰巳殿は平家物語がよほどお好きらしい」
「ここを?」
高田の不吉極まりない予想に大鳥主従はいっせいに崖下を覗いた。
崖下では敵軍が進軍している。が、まだ頭上のことには気がついていない。
敵との遭遇には注意を払っているだろうが、すくなくともこの木古内辺りから旧幕府軍は追い払っていると思い込んでいる。
ましてやまだ頭上でうろうろしているなどとは・・・。
「面白い!」
大鳥が馬上で自身の膝を叩いた。
精悍とは程遠い小振りで整った相貌。
その表情は固まっている。
無理もない。自身の乗馬の腕前は、とても源義経率いる坂東武者と比較しようもないことを充分に自覚している。
それでも、それしかないのならやるしかない。
大鳥はこの小さな味方を信じていた。
経験も知識も力もすべてにおいてはるかに凌駕していることも大鳥は素直に認めていた。
そして、あの土方がなによりも信頼し大切に想っていることも・・・。
「確かに。白馬に跨って暢気に漢詩を作るよりもはるかに面白くて目立つ」
そして、素直で分を弁えている大鳥の部下たちは、そんな大鳥が大好きで誰よりも信頼している。
澤井が大笑した。自暴自棄などではない。自身らの隊長が決心したのだ。それは生に繋がるものであり、自身らはただついていけばいい。
そういう明るいものだ。
少年は馬上から飛び降りると、その馬首にまわった。
白馬の太い頸に小さな腕をまわす。
白馬は馬首を下げ、少年に敬意を表している。
その耳朶に少年はなにやら囁いた。そして、腕をほどくと長い鼻面をやさしく撫でた。
「あなた方は、わたしの兄弟に。頸にしっかりと腕をまわし、振り落とされないようにしてください。怖ければ、面を伏せて頂きますよう。兄弟は、必ずやあなた方を下まで無事に運んでくれます。閣下、あなたも「白き稲妻」の頸に、しっかりと掴まっていて下さい」
「・・・?なにゆえ、この馬の名を?」
大鳥は、驚いて馬上に戻ってきた少年を振り返った。
「彼が教えてくれました。恥ずかしい、と」
そう、大鳥は自身の騎馬に「白き稲妻」と英語の名を与えているが、異国語の意味を知る側近たちの誰もが知らぬ振りをしているのだ。
大鳥の側近たちが笑い声を上げる。
いい主従だ、と少年は心底思った。
これならば、この戦が終わってもこの主従はいかなる困難に負けることなく新しい政府で渡ってゆけるだろう。
「狼神、先導を頼みます。さあ、いざゆかん!眼下に見ゆる敵軍へ、一矢報いましょうぞ!」
一番大きい白狼が遠吠えをした。
崖上、しっかりとその四つ脚を踏ん張り高々と遠吠えする様は、まさしく大地の、自然の、獣たちの神である。
遠吠えが尾を引くなか、狼神が、つづいて大鳥と少年を背に頂いた白馬が、そして大鳥の側近たちを背に乗せた白狼たちが、崖を飛び降り、一気に駆け降り始めた。
遠吠えは、大鳥の悲鳴と剛毅な側近たちの自棄糞気味の笑声にとってかわり、木古内の山に、空に、響き渡る。
「狼の遠吠え?」
緊張と不安の中での進軍は、必要以上に将兵を疲弊させる。しかも、緊張を持続させることは容易ではない。
だらだらと歩む兵卒たち。背嚢は重く、肩に担ぐ小銃も重い。
ときおり、騎馬に跨った将官が通りかかって兵卒を叱り飛ばすが、将官ですらこのあてどもない緊張感にいい加減飽いていた。
遠吠えが響き渡ったのは、その朝の進軍がはじまったばかりの誰もが寝不足の瞼が開けきらぬ早朝だ。
ぱらぱらと小石が落ちてくるのに気がついたのは、崖際を歩む大隊の一部だった。
それは松前藩と弘前藩の混合隊で、ほとんどの兵卒たちが刀や槍を携えた旧式の編成隊だった。
松前藩の兵卒の多くが、この蝦夷での暮らしのなかでアイヌの人々が信仰する神々(カムイ)のことをよく知っている。このときも狼神の怒りだ、とその遠吠えを怖れた。
「あれさみえるはのんだんずの?」
弘前藩の兵卒が崖の上を指差した。
小石は崖上から落ちてきている。周囲の者もいっせいに頭上を仰ぎみた・・・。
全員が自身のみたものを信じられなかった。信じようにもとても信じられそうにない。
急峻な崖を騎手をいただいた騎馬が、獣に跨った人間が、駆け下りてきているのだ。
笑い声が風に乗って舞い降りてくる。それは、崖下の兵卒たちにはまさしく神の恫喝のようにきこえた。
「神だ、神がくる」
そして、松前藩の兵卒たちの畏怖はあっという間に進軍する大隊に伝染した。
戦争において恐怖の伝染、拡散ほど効果的なものはない。
それを辰巳はよくわかっている。
ゆえに、たとえいかなるささいな事象でも大げさに喧伝し、それを積み重ねてゆくのだ。
「なにをしておる」
騎馬の将官たちが事態の収拾に努めようと駆けつけようとしたその瞬間、その跨る騎馬たちがいっせいに前脚を高々と宙に上げ将官を振り落とした。
将官のなかには、落馬した際の打ちどころが悪かったのか、地に叩きつけられたまま微動だにしない者もいる。
四頭の無人の騎馬が崖下に集まってきた。
「ははははっ!」
頭上から降ってくる笑声は、ますます近くなる。
源義経率いる坂東武者の逆落としの再現をしてのけた辰巳たちが崖下に無事舞い降りた頃には、あれほどひしめきあっていた敵軍は、四頭の騎馬と落馬して失神した二名の将官を残し、きれいさっぱり消え去った後であった。
朱雀ら猛禽類たちの物見で、無事この辺りから逃れられそうなことがわかった。
大鳥の側近たちは白狼から騎馬に乗りかえ、悠々と走り去ったのである。




