軍神(いくさがみ)
防衛は、熾烈を極めた。
二百名近くが土方の采配の下一心不乱に小銃を撃ちつづけた。
風が吹こうと雨が降ろうと。
雷管が湿ると懐にいれてそれを乾かし、雨が降りだすと弾薬が濡れないように自身の体躯で覆った。撃ちすぎて小銃自体が熱くなり火傷する者が続出したが、全員が死兵となり一丸となってよく防いだ。
その間、相馬は残り百名を率い、少年の策に従って新政府軍を胸壁まで誘きだしたり、兵站を奇襲したりと陽動をつづけた。
この攻守は、新政府軍五百名をほぼ壊滅状態に導いた。
半月近くを土方隊は防ぎきったのだ。
辰巳はその間、長州系の将官を恐怖に陥れていく。
それだけでなく、蝦夷の地の力を借り、まるで元寇のときの神風的な超自然現象を駆使する為、新政府軍は辰巳を「首級を挙げる暗殺者」というより「大地を統べる軍神」と讃え、脅威と畏怖を抱く。
「背後から襲おうたぁ、ずいぶんご苦労なこった」
自身の懐刀から物見の報告を受け、土方は鼻で笑う。
新政府軍は十日以上の攻撃に、進展どころか被害が増すばかりなのを、ようやっと諦めたようだ。
つぎは土方隊の背後を衝こうと、険しい山を切り開きつつあるという。
「これ以上、この蝦夷の地を荒らすつもりはねぇ。そうだろう、坊?」
小隊の隊長が集まっていた。
岩の上にこの辺りを描いた手作りの地図を広げ、全員がみいっている。
無論その地図は、二股口周辺をつぶさにまわった少年が記したものだ。
優秀な物見であり軍師であり、さらには暗殺者でもある少年は、主から少し離れたところで地に片膝をついて静かに控えている。
小隊の隊長たちは、土方とその懐刀にすっかりいれあげている。
新選組の「鬼の副長」とその懐刀の噂は、さしもの歴戦の勇者たちをも震え上がらせたが、こうしてその采配の下戦ってみたらこれほど心強く、戦いやすい上官はいないだろう。
「坊、半数率いてそいつらを追っ払ってきてくれ」
土方は、元仏軍兵士たちから欧州での戦についていろいろきいた。
そのなかでも「竜騎士」の活躍の話しは、胸のすく思いできいた。
それら英雄譚は、餓鬼の時分にきいた戦国時代や源平合戦の物語のようにわくわくし、魅了した。
同時に、誇らしかった。
自身の甥なのだ。懐刀という感覚より、身内というそれが強く濃い。
「竜騎士」は、個の武勇のみならず軍師として策略を用いることに長け、加えて大軍を率いて采配する武将としての才覚も抜きんでているのだ。
これまでのことを思い返しても、敵が「軍神」と崇め慄くのがよくわかる。
「畏れながら、急峻な崖を切り開いております。人間よりも、おれの兄弟たちで充分でございます。それより、大鳥先生率いる木古内・松前の戦況が不利です。残念ながら、明日には突破されるでしょう。局長、そうなれば、われわれはこれに孤立、四面楚歌となります。万が一にも、箱館まで陥とされれば帰るところをなくします」
異相を下に向けたまま、けっして視線を合わせぬ。
その少年の冷静な口調による進言は、小隊長たちに動揺を与えた。が、狼狽えさせるまでではない。
どんなことになろうとも、常勝将軍土方がどうにかしてくれる、という信頼があるからだ。
「わかった。今宵、背後が片付き次第とっとと五稜郭に戻る。悟られぬよう、各隊、適当に銃をぶっ放して防戦してくれ。じょじょに退いていく。いいな?」
「承知」
全員が応じ、各隊へと戻っていった。
「背後を片付け次第、おれは大鳥先生のもとへ参ります」
「無茶するんじゃねぇ、坊。おめぇも限界だろうが」
ひしひしとそれを感じる。
たとえなんでもないように演じていても。
「あの人は、要領がいい。いざってときには、地を駆けずりまわってでもうまく逃げ延びる。あの人は、そういう人だ。それに、伊庭もいる」
「承知しております。ですが、一人でも多くの将兵を箱館に戻さねばなりません」
俯いたままだが、その態度は頑なだ。
こいつは全員を助けたいのか?
その小さな肩を掴もうと掌を伸ばしかけた。
「自身の力は、承知しております。すべては救えぬことも・・・。ですが、それを甘受するつもりはござりませぬ」
わずかに異相を上げ、少年は主にいった。
向こう側の木々の間に大きな影や小さな影がみえ隠れしている。
動物たちだ。
「気を付けろ。先に五稜郭に戻ってる。大鳥さんや伊庭を死なせるな」
そう命じるしかないではないか?自身のあらゆる想いを封じて。
「承知」
「なあ、待ってるからな。死ぬなよ、坊。」
少年が立ち上がったところで、土方の側でめずらしくじっとしていた市村がそれを呼び止めた。
少年がわずかに視線を上げると、いまではすっかり背の高くなった市村が小さいままの少年をみおろしている。
そこには、純粋に友を心配し信じようとする仲間の相貌がある。
「約束します。田村さんもちゃんと護ります」
少年はやわらかい笑みをその異相に浮かべてる。
田村銀之助は、伊庭の直下に使い走りとして配属されているのだ。
「ああ、頼んだぞ。あいつ要領の悪いところがあるから・・・」
無言で頷く少年。
そして、少年は二人の前から姿を消した。
その夜、新政府軍の軍艦駒井政五郎が戦死した。
長州藩士であることはいうまでもない。
二股口での新政府軍の侵攻は完全に阻止された。
土方隊は撤退した。それを余儀なくされた為ではあったが、土方隊の将兵はけっして挫けはしない。
むしろ倍以上の敵を防ぎきったという気概に溢れての撤退である。




