虎口評定
「新政府軍は、こことここ、そしてここ、さらにここ」
机の上に箱館周辺の地図を広げ、その上を小さな指が指し示していく。
松前口、木古内口、二股口、安野呂口の四箇所だ。
少年は、蝦夷の地をしりつくしている。
自身、新政府軍に潜り込んで収集した情報、物見によって得たそれを吟味しており、さらには豊富な経験から新政府軍の上陸箇所及びその進撃の行程までよんでいた。
五稜郭、陸軍奉行大鳥の執務室。
ここは、この五稜郭の洋室の一つだ。
大鳥に与えられた部屋ではあったが、いまではすっかり評定の間と化している。
大鳥も、喜んで自身の部屋を提供していた。
窓際に置かれていた机を中央までひっぱってきてこの周辺の地図を広げた。
その周囲に大鳥をはじめとしてさまざまなところから転戦してきた武人たちが、立ったままその地図と説明する少年をみ下ろし話しにききいっていた。
陸軍奉行並土方歳三、陸軍隊を率いている春日左衛門、春日は剛毅果敢な武人で、江戸近くから野村や相馬とともに行動してきた。
相馬はともかく、短気な野村とは水と油でいまだに犬猿の仲である。
土方の小姓の田村銀之助をすっかり気に入り、それを養子に迎えている。
衝鋒隊からは、隊長であり箱館病院の院長高松の実兄でもある古屋佐久左衛門、そして、副隊長の今井信郎が臨んでいる。
副隊長の今井は元見廻組の剣客で、じつは坂本暗殺実行犯の一人である。
大鳥麾下の伝習士官隊からは、隊長の滝川充太郎、同じく伝習隊の歩兵隊隊長の本多幸七郎の二名。
彰義隊からは菅沼三五郎、渋沢成一郎がきている。
彰義隊は、隊を誰が率いるかでもめにもめている最中だ。しかも渋沢には、過剰な略奪蹂躪行為の軍律違反の嫌疑がかかっている。
慶喜《大樹公》の信任が厚かった頃の栄華が忘れられない典型的な武士第一等主義者で、真実の一端すら解していないにもかかわらず、いまも少年をあからさまな侮蔑と不平の表情で見下ろしている。
一方で、典型的な戦場型の菅沼の第一声は、甲鉄から奇跡の生還を果たした朋輩桐生を救ってくれたことに対する礼と、少年の勇敢な行為そのものに対する賞賛だった。
額兵隊を率いる星恂太郎は、元仙台藩士。
無類の酒好き。常に前向きで猪突猛進型。亜米利加の貿易商のところで働きながら英語を学び、夜は西洋砲術を学ぶなど行動派でその上豪胆。
明治期に三十七歳で早世するが、きっといい陸軍将校になれたであろう武人である。
土方や少年にとっては旧知の仲であり、いまでも頼れる存在である伊庭八郎は、遊撃隊の隊長を務めている。
箱根の関所で、新政府軍側の小田原藩士であり、鏡心一刀流の剣客 高橋藤五郎と戦国時代さながら一騎討ちを演じ、前腕を皮一枚残して斬られてしまった。 それを自ら斬り落とし、いまでは隻腕の剣士として敵味方に畏れられている。
他にも、神木隊の酒井、会津遊撃隊の諏訪、砲兵頭並と箱館奉行並を兼任している中島三郎助などが参加している。
いずれにしても、ここに集っている者たちは一癖も二癖もある猛者であることにかわりはない。
「松前口からは海岸沿いに松前に向かう行程となります。木古内口は山越えで木古内に向かうでしょう。二股口は乙部から鶉・中山峠を抜けて大野に向かいます。安野呂口は乙部から内浦湾に面した落部に進みます。この四箇所から進まれると、われわれは手脚をもがれ最終的には胴に喰いつかれます」
小さな童は、大人たちを見上げて見回した。どの表情も深刻だ。
「地の利のない敵がこの要所を掴んでいるのは、なにも斥候や内偵の仕事だけではありません」
「どういうことだ?」
春日が唸るように尋ねた。
「決まっておろう、春日殿?内通しておる者か、あるいは蝦夷の住人で手引きしておる者がいるというわけだ」
古屋につづき滝川が鼻を鳴らした。
「はんっ、あれだけ強奪まがいのことをすれば、住人の恨みも買おう」
幾人かがさっと渋沢に視線を移す。
だが、これは渋沢だけの問題ではない。
箱館政権は箱館の地でそこに住まうものすべてに重税を課し、ことあるごとにあらゆるものを搾り取っている。
「天の時、地の利、人の和・・・。いまのわれわれはそのどれもが敵と大差ないわけか・・・」
菅沼の言に、何名かが同時に鼻を鳴らした。
「ふんっ、お忘れか?われわれには歴戦の強みがある。それぞれが捨て身でかかれば、海から兵站の延びた敵を叩くのはわけはなかろう」
渋沢のあまりにも楽観的な構図に、だれもが苦笑を禁じえない。
「だまらっしゃい」
この中では最年長の中島が、ぴしゃりといった。
「大鳥君、指示を・・・」
陸軍奉行に采配を仰ぐ。
大鳥は一つ頷くと各隊の配置を指示しはじめた。
それは、すでに軍議の前に土方とその懐刀とで決めていた配置である。




