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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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前途遼遠

 箱館政権の総裁榎本は、その要請に応じるべきかを悩んでいた。

それを呑むことは、事実上負けを認めることであり、武士としての矜持を捨てることになる。


だが、仕えるべき主君もなく武士そのものの誇りや意地も失われつつあるこの情勢のなかにあっていつまでも古い観念に囚われることも馬鹿馬鹿しい。

命が惜しいわけではないが新政府軍の連中に命を絶たれるのは面白くない。

さらにたった一人、しかもまだ十歳とおわらべにすべての責を負わせ、その命を奪うことで自身らが助かるというのも情けない話しだ。


「わたしを、近衛大将軍を、この政権の、この国の王に。それと、なにがあってもけっして、この蝦夷の民や自然を侵すことのないよう。榎本総裁、われわれに勝ち目のないことはあなたご自身すでにご理解されているかと。引き際とご自身の助命を考慮願います」


 甲鉄奪還に失敗し、ほうほうの態で逃げ帰ってきた土方は自身の懐刀を伴っていた。


挨拶もそこそこに、わらべは、そう打診したのだ。

榎本の執務室である。

そこには大鳥も同席していたが、わらべが突きつけた現実を、驚いたとしてもうまく隠していた。

あいかわらずにこにこと人のいい笑みをその小ぶりの相貌に浮かべて。


 考えさせてほしい。

とりあえずはそういうと、わらべはただ一つ頷いただけだった。


 まるでこちらの心中をよんでいるかのように。すでに答えはでている。


 その翌日、わらべの希望通り、それを公に発表した。


高松凌雲たかまつりょううんは、筑後国出身の医師で、その高い技術と人となりから一ツひとつばし家の医師に抜擢された。

慶喜が将軍となった時点で奥詰医師となるも、仏国の万国博覧会に代表団の随行医として渡仏し、そのまま留学した。

無論、一切の経費は幕府もちだ。

皮肉にもその幕府の混乱により、留学が打ち切られ帰国する。

そのときにはすでに幕府はなくなっており、高松は幕府に恩あり、ということで、旧幕臣たちとともにこの蝦夷へ渡り、そこに病院を開院した。


赤十字運動の先駆者ともいえる人物だけあり、医療の現場においてはじつに公平で、身分、敵味方、一切関係なく、怪我人病人であれば何人なんぴとであってもその門戸は開かれた。

そして、なにより、医師としての腕前は第一等であることはいうまでもない。


この戦の後、その腕前と人となりから、なんのお咎めもなく、それどころか再三再四に渡り、新政府軍から出仕の誘いがあったほどだ。


小柄だが精力的、病める者がいればいつなんどきでも受け入れる体力をも持っている。


 その高松の病院は、箱館の街中にある。


 玉置良蔵が、その病院に入院していた。

玉置は労咳だ。まだ子どもゆえにその進行は早く、しかも容赦はない。


「坊?」

 玉置は病院の一番奥、隔離病棟の一室に寝かされていた。


肺の病は、まだたった十四歳の玉置の心身を喰らい尽くそうとしている。


そこは四人部屋で、窓一つない薄暗い部屋。他の三床は、やはり労咳患者で埋まっていた。


他の三人も旧幕府軍の兵卒で、なにより若い。


玉置も含め痩せ細り、気力は萎え、いつ死んでもおかしくない状態だ。


「玉置さん」

 玉置は、もはや瞼を開けるのすら大儀そうだ。


会津で会ったとき、少年はこの年長の友の体躯の奥に巣食う病魔に気がついた。


悔やまれてならない。

再会に、これほどのときを要するとは思わなかったし、進行がこれほど早いとも思わなかった。


苦しいだろう、辛いだろう。なにより、病でなにもできない自身が、悔しいだろう。


 やさしくおとなしい玉置は、友人に会えたことがよほど嬉しいのか、必死に笑顔を作ろうとしている。


それは、少年に沖田を思いださせた。


「大丈夫、心配いりません」

少年は、玉置の耳朶に囁いた。


他の三人も救いたい。だが、できない。


「玉置さん、蝦夷は冬は厳しいですが、とてもやさしい地です。あなたのように。この地の人や動物たちと、暮らしてください。それが、局長やおれの願いです」

「坊?どういう意味?」

そう尋ねようとしたが、玉置は急激に睡魔に襲われた。

瞼が、自身の意思とは関係なく、閉じてしまう。


 ああ、もしかして死ぬのかな?

玉置の意識は、そこで途切れてしまった。


「待ちなさい。どうするつもりなんだ?」

 毛布でくるんだ玉置を肩に担ぎ、病院の廊下を歩いていると、もうあと少しで玄関というところで後ろから静止された。


この丑三つ時、陰気な病院の廊下を彷徨うのは行き場を失ったか行くあてのない死人の霊くらいだろう。


院長の高松は、箱館政権の総裁である榎本に「病院の運営にいっさい口も手もださない」と約束させており、この病院の建物、庭は一種の治外法権となっている。


ここは、巡察や警護の兵卒すら立ち入ることができない。

無論、高松の許可がない限りは。


「ドクター・高松?」

少年は、背後を振り返りながらわざとそう呼んだ。


 小柄な白衣の男だ。

廊下に照明はなく、この夜は月も雲に隠れてほとんどなにもみえない。

夜目に慣れた少年は、隻眼でその優秀で剛毅な医師をはっきりとみてとれたが、医師のほうではそうはいなかい。


「わたしは、辰巳と申します。ドクター、あなたの患者を奪って申し訳ありませぬ。なれど、この友人に必要なのは、隔離病棟で死を待つことではなく、厳しくもやさしい地で生を繋ぐ望みを持つことなのです」

「その子は、これまで必死に頑張ってきたのだ。局長の小姓として、今度こそ役に立つのだといって・・・。殺すのかね?」


 院内のどこかで患者の呻き声や啜り泣きがきこえてくる。


ぞっとする。


少年は、医師や病院が苦手だ。


 医師もようやく夜目に慣れてきたようだ。ゆっくりと少年に向かって歩を進め始めた。


「ドクター、わたしも医術を知らぬわけではありませぬ。それゆえ、多くの医師殿が説明のつかぬことで病や怪我が治ることをよしとせぬことも信じぬことも存じております」


 いわば呪術やまじない、はては神の奇跡や御業、といった類のものだ。


「わたしの友です。害すようなことは致しませぬ。どうかお任せ下さいますよう」

「きみは?きみ自身も・・・」

高松ははっと口をつぐんだ。


闇の中、小さなわらべの相貌に大きな傷跡があることに。そして、わらべにまとわりつく強烈な臭気。これらは、さしもの有能な医師をもってしても尋常に相手すること敵わぬだろう。


「人外、とでも申しましょうか、ドクター?ゆえにお気にされぬよう」

 医師の背後の部屋で、患者が激しく咳き込み始めた。

それに意識を奪われた。


 すぐ視線と意識を戻したが、すでに廊下には何人もいなかった。


 疲れが溜まっているのか、と思えるほどそのわらべは不可思議だった。


 生きている者とはまったく感じられなかった。


「辰巳、わたしに逃れよと申すか?」


 この転戦による疲労と苦労は、あきらかに元桑名藩主の心身をすっかり憔悴させていた。


それでなくとも痩せた体躯がさらに痩せ、両頬はこけ落ちてしまっている。


それは、当人だけでなく、一緒に付き従ってきた忠義ある桑名藩士たちも同じだ。

どの相貌も疲れきった色がもはやはっきりと浮かんでいた。


 五稜郭で割り当てられた一室は控えめにいっても狭すぎる。

ここに、松平定敬は供の者たちとおしこめられていた。


 箱館政権において、正直、この元桑名藩主の居場所はない。

戦、政治、その双方の壇上に上る機会すら与えられず、蝦夷にきてからはずっと無為の日々を過ごしているのが現状だ。

それでも希望は捨てず、軍服にその痩身を包み、きっちりとした格好で、いまも少年と相対していた。

たまたま会津藩の元家老の西郷頼母がご機嫌伺いにきていたので、少年は両者にこれまでのことと現在いまの状況、それからこれから将来さきのことを要領よく話して聞かせた。


 新政府軍が会津若松城下に進軍したその日、西郷の妻や子をはじめとした一族二十一名ことごとく自刃して果てた。

これは、白虎隊と同じく会津の悲劇として後世に語り継がれることとなる。


「おそれながら桑名少将、新政府軍がこれへ参るはさほど将来さきの話しではありませぬ。いまのうちに亜米利加メリケンの船で逃亡願います」

「なにゆえだ?なにゆえわたしだけ?もう逃げるのに疲れた。これにて討ち死にするのが武士としての本懐・・・」


 元は中間や客用の為の控えの間だったのだろう。

廊下側に障子、奥の間へとつづく襖があるだけの十畳間だ。

そこに、十名以上の大人が、身を寄せ合うようにしている。不憫でならない。


 主君が気色ばんでいるのを桑名藩士たちは心配げにみつめている。


「少将っ!」

少年は姿勢を正して一喝した。


桑名少将の気持ちはよくわかる。だが、もはや当人だけの問題ではない。


「ご無礼を承知で申し上げます。桑名少将、あなたがここにいるだけで、新政府軍の監視下にある尾張公、謹慎中の会津候、そして、大樹公に不利益となるのです。あなたがここで討ち死にされようと降ろうと、それは新政府軍にとってはどちらでも同じことなのです。伏してお願い致しまする」

少年は叩頭した。

「どうかこれより退去願います」


 桑名少将は立っったまま少年を見下ろしていた。

実際には短い間だったろうが、この場にいる者にとっては、静寂満ちる室内にあって、ずいぶんと長い間、桑名少将は少年の願いを考えていたような錯覚をおこさせた。


握り締められた両方の拳は、白くなっていてぶるぶると震えているのがわかる。

おもむろにその拳が広げられると、まだ年若い不遇の元京都所司代は、廊下側の障子を「ぱんっ!」と音がするほど勢いよく開けた。


建物の端に位置しているこの部屋からは、五稜郭の庭の一画しかみえない。

木々が青々と茂っている。


静かだ。喧騒も混乱もここだけは無縁だった。


「ずるいな、辰巳?おぬしだけ死ぬか?」

庭の一画をみつめたまま、桑名少将は呟いた。


「桑名少将、生き残ることのほうが、よほど勇気が必要でございます」

叩頭したまま返す。


もとより定敬は、凡愚な藩主ではない。

充分理解はしているのだ。

若さが、矜持が、そうさせているにすぎぬ。


「手はずを頼めるか、辰巳?」

ようやっと振り返って依頼した少将の相貌には、無念と寂寥が混在していた。


「西郷様、会津候がお待ちです。心中、お察し致します。なれど、ここで死ぬるは犬死。どうか生き残り、ご一族の菩提を弔い、会津候に力をお貸しください」


 桑名少将のもとを辞し、廊下を歩きながらいった。

少年は西郷より半歩遅れて歩を進めている。

自然、後ろから囁くような形になる。


 西郷は歩みを止めると、実年齢より老けた相貌を背後の少年に向けた。

会津武士の実直な表情が、わずかに歪んでいる。

いまだ着物に袴、大小を佩いた姿は、どこまででも会津武士としての意地を貫き通す気概が滲み出ている。


 後年、西郷は養子を迎えそれに柔術を仕込むが、その養子が後の「姿三四郎すがたさんしろう」のモデルとなる。


「辰巳殿、其許はそうやって多くの生命いのちを救おうと回っておられるのか?」

 一族の自刃が、その家長である西郷をどれだけ苦しめているか、それは誰にもわかるものではない。


 ここまでくると、廊下を歩む将兵の姿をみとめられる。

どの将兵も、二人をさして気にとめるでもなく、足早に通り過ぎてゆく。


「死ぬことほど容易なことは、ござりませぬ」

会津藩の元家老の双眸を隻眼でしっかりと見据え、少年はいう。


その心中を読んだ上で。


島田がまた軍服を仕立ててくれたので、それを身に着けている。


「土方が気の毒だ。その気持ちを推し量ると。わたしにはわかる。残された者がどれほど辛いことか・・・」

西郷はそう呟いた。


悲哀と寂寥が滲み出ている。そして、ほんのわずかの間瞼を閉じた。

が、それを開けたときにはその小さな双眸の奥で決意という名の光がしっかりと宿っているのを、少年は一つしかない瞳でみた。


少年が切望するように、西郷は必ずやこの戦いから生き残るよう、努めてくれるはずだ。


悲哀や辛苦の日々が待ち受けていることを、承知していながら・・・。


 少年はその西郷の呟きに対し、なにも返すことはできなかった。

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