誠旗剣鬼
宇八を許すことはできぬ。
餓鬼の時分からの腐れ縁だが、あいつがしようとしたことは、裏切りよりも許せぬものだ。
ゆえに、江戸までまだ数日かかる距離であったが、あいつと袂をわかった。
江戸にいた時分、金子があるときは吉原にいったもんだ。ないときでも、あいつのみてくれを利用し、なんとかなった。
いま、あいつには可愛い奥方と子どもがいる。
この戦があいつの性根を腐らせちまったのか?
転戦中、あいつがどこからか喰い物や酒や女を調達していたのはしっている。
それを、みてみぬふりをした。
だが、これは違う。
これは絶対に、許せるはずがない。たとえ本人が許しても、おれは許すことができぬ。
これが土方さんだったら、あいつの生命はなくなっていた。
よりによって、坊に手をだそうとするとは・・・。
「お止め下さい、芳賀先生」
打ち捨てられた狩猟小屋をみつけ、そこにしばらく落ち着くことにした。
その夜、糞をしよう沢までいったとき、あいつは坊に手をだしやがった。
小屋に戻ってくると、興奮したあいつの声がきこえてきた。
壊れた壁の隙間からのぞいてみる。すると、あいつが坊のちいさな体躯を向こう側の壁におしつけているのがみえた。
「おれを抱いた、あるいは抱こうとした者は、ことごとくこの世におりません。芳賀先生、あなたも・・・」
坊がいいいおえぬうちに、がむしゃらに小屋に入ってゆく。
あいつを壁に叩きつけ、幾度も幾度も殴り飛ばす。
気がつくと、おれの拳はあいつではなく坊の小さな掌をうっていた。
あいつは、とうの昔に小屋の床にぶっ倒れていた。
あいつを、小屋から放りだす。
勝手に江戸へかえればいい。
宇八をみたのは、このときが最後だ。
まさかこの二月ほど後、奥方の兄の同僚かなにかと口論になった末に斬り殺されるなど、このとき想像できたであろうか?
それを風の噂できいて、坊はどう思ったろうか・・・・。
そのとき、大石鍬次郎とのことをきいた。そして、その大石も薩摩に身をよせている御陵衛士の残党をみずから頼ったらしく、その場で捕縛され、伊東甲子太郎惨殺容疑で斬首されたらしい。
坊との一件は兎も角、あの狂った人殺しの末路は、あいつらしいといえばあいつらしいのやもしれぬ。
狩猟小屋に落ち着き、あいつは吉岡拳法の吉岡流と疋田陰流を伝授してくれた。
それは、生半可なものではなく、これまでの剣術修行のうちで、もっとも激しく厳しいものだ。
あいつは容赦はせぬ。だが、おれも剣士としての矜持と、それ以上に根性がある。負けやしない。
時間のせまるなか、おれはあいつから技を学んだ。それらをものにするには、かなりの鍛錬が必要である。
とりあえず、覚えることはできた、という程度か。
心身ともにぼろぼろだ。が、気分は不思議といい。
達成感が心を満たす。まだ若かった時分、いろんな道場をまわっては勝負を挑んだ。あの時分、日々充実していた。
思えばあの時分、ずいぶんと幸運で贅沢なときをすごしていたのであろう。
試衛館での日々は、いまでは大切な思い出である。
貧しかったが、好きな剣術に明け暮れることができた。それを、気に入った仲間たちとともにできたのである。
そして、新撰組・・・。
もう二度と、かような日々をすごすことはできぬのか?
否、まだ仲間がいる。あの時分の。
生きてりゃまた、仲間たちと馬鹿をやれる。
なぁ、そうであろう、左之?
宿場で身なりを整え、おれたちは江戸へ舞い戻った。
あいつは、下谷三味線堀の松前藩邸ちかくまでついてきた。
わかってる。あいつは、おれが無事に松前藩に帰藩することを心から望んでいる。変心して逃げださぬよう、たしかめようというのだろう。
「坊、一緒にこい。おれの弟だといって、ともに松前藩に身をよせればいい。土方さんもそれを望んでるはずだ」
かようなことはかなうわけもないと承知しつつ、いわずにはおれぬ。
道中、そのことばかりを考えていた。こいつは、それをわかっているはずだ。
ここでこいつを手放せば、こいつとはもう二度と・・・。
こいつは、文字通り死地に向かうのだから。
江戸は、いまだ混乱している。
戦災の余波はおさまっておらず、慌しさとものものしさで息が詰まりそうだ。
新政府軍のやつらが、ところかしこにのさばってやがる。
宿場で、軍服から町人風の着物に着がえておいてよかった。得物は布に包んでいる。
江戸に住む親類の見舞いのように装った。
こいつは、元将軍家の御典医であった松本法眼を頼った。
法眼を通じ、おれが帰参できるよう取り計らってくれた。
松本法眼には、おれだけでなく総司も世話になった。
この剛毅な医師とは、京で会ったきりである。
このときも剛毅さはかわらず、こころよくおれの帰参に手を尽くしてくれた。
さらに、今後もできるだけ協力したい、連絡を密にしようとまでいってくれた。
元新撰組二番組組長に手を貸したとあっては、新政府軍の連中にばれたらただではすまぬであろう。 もっとも、将軍家の奥医師を務めるほどである。いくら新政府軍の連中が馬鹿でも、優秀な蘭方医を裁くようなことをするわけもないであろうが。
頼れる者、相談できる者のすくないおれには、ありがたい申しでだったし、心底嬉しかった。
これも、こいつのお蔭だ。
「さきにいっておきます、新八兄」
おれたちは、藩邸からすこしはなれた民家の蔭で向き合っている。
膝を折り、いつものようにこいつと視線を合わせる。
こいつは傷跡のある相貌に、いつものようにやわらかい笑みを浮かべている。
「おれが馬鹿で頑固であることは、おれ自身がいちばんよくわかっています」
そう告げると、くすくすと笑いだす。
どこかからか、怒鳴り声がきこえてくる。
新政府軍のやつらである。おれたちも、かようなところに長居は無用だ。
「新八兄、あなたは最高の剣士です。あなたに継いでいただけて、わが師や兄弟子も満足しているはずです」
こいつがいう。
自身を不甲斐ないと思いつつ、不覚にも涙が流れ落ちるのを止めることができぬ。
それを隠す為、こいつを力いっぱい抱きしめる。
こいつは、苦しかったとしても文句一ついわぬ。
いつもそうだ。こいつは、いつもおれたちを護ってくれる。
「新八兄、わが主を頼みます。直接会えない状況でも、新撰組二番組組長の永倉新八という存在そのものが、主にとっては安心できるのです」
「坊・・・。馬鹿だよ、おまえは・・・」
こいつにいうべき言もない。
いいたいことは、たくさんある。だが、なにをいっていいのかわからぬ。
伝えたいこと、伝えねばならぬこと・・・。
「新八兄、大丈夫・・・」
胸のうちで、そう囁く。
「おれにはわかっています。あなたとともにすごせたこと、呑み比べしたこと、戦えたこと、すべてを誇りに思います」
「馬鹿だよ、大馬鹿だよ、おまえは・・・」
大泣きしながら、こいつを馬鹿だ、馬鹿だといいつづけた・・・。




