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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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忠誠の果て

 江戸へ送られるまでの約一月の間、会津候は若松城下にある日蓮宗の本山妙国寺にて謹慎していた。

 すでに城や城下には敵軍が満ち、いまだに遊撃活動をつづけている会津藩の生き残りを掃討するのに躍起になっている。


 薩摩藩の小隊が警護にあたっているが、この敗戦の将にたいして無礼な振る舞いなどいっさいなく、たがいの領域を侵すことも侵されることもなく、会津候自身はただ憂慮のうちに篭っている。


 妙国寺みょうこくじの本堂から、朝夕に読経がきこえてくる。会津戦争の悲劇の一つである白虎隊隊士の飯盛山での自刃。そこでで果てた隊士たちの墓もあるこの寺は、城下にもかかわらず静かでじつに厳かな空間である。


 ここで謹慎するようになってから、会津候もまたわりあてられたちいさな寝室で文机の上に経文を開き、朝夕読経をすることが日課となっている。

 自身の為に失われたおおくの生命いのちにたいする謝罪と弔いの為、これから失われるであろう友の鎮魂の為・・・。


 厠以外は、この寝室からでることもかなわぬ。一つだけあるちいさな窓の障子を開けると、そこからちいさいが手入れのゆき届いた庭をみることができる。とはいえ、数本の桜と灯篭が置かれているだけであるが。その向こうには、伽藍がみえる。

 この棟は、もともと訪問者の為の休息所かなにかなのであろう。 


 この日も無為におわろうとしている。

 夕刻の読経をおえ、窓の障子を開けて庭と伽藍をみつめる。

 あたりは暗くなり、一つだけある燭台に火を入れる。

 それは植物の油を燃やしたものではなく、ふとくてみじかい蝋燭だ。そこから上がる細い炎が、散っていったあまたの生命いのちのように感じられる。ときおり、警護の薩摩兵の国言葉が風にのって流れてくる。その風は、すっかり冷たくなっている。

 

 その気配は、自身がまだ子どもだった時分ころより幾度も感じているものである。否、いつもおなじ気配をわざとさせてくれる。

 文机と燭台があるだけの、おおきくもない部屋のうち。その気配は、ひっそりと控えている。

 いつもとおなじように、燭台の光の届かぬ位置で。


 会津候は、庭を油断なくみまわしてから障子を閉ざす。かようなことをせずとも、この気配はすでにこの周囲になにもないことを確認した上で、忍び込んでいることを承知しているのだが。


「辰巳・・・」

 旧知の少年は、この夜は黒装束をまとっている。深々と叩頭するその姿は、誠にちいさい。

 会津候は膝をすすめ、この旧知の少年ににじりよる。


「会津候にあらせましては・・・」

「もうやめてくれ、辰巳。かような挨拶はもう必要ない。わたしは、敗軍の将。もはや会津中将でも会津藩主でもない」

「心中、お察し致します。なれど、わたしは、会津候の勇気ある御英断に心から感服しております」

 会津候は、異相を上げてそう告げる少年に苦笑してみせる。


「おぬしには、ずいぶんと助けられた。この生命いのち、大切にするぞ」

 少年の異相がわずかに歪む。

「申し訳ありませぬ。手を尽くしましたが、家老の萱野様の処罰は免れることかなわず、そして、田中様や神保様の自刃をとどめる術がありませんでした・・・」


 家老の田中と神保は、新政府軍が若松城下に攻め込んできた際、持ち場を死守できずにともに自刃した。

 あの軍議の翌日のことである。


「萱野家については、その子息を筆頭に恩義に充分報いるつもりだ。無論、ほかの家老たちも同様・・・。西郷は?西郷はどうした?」

 西郷の名がでなかったことに、ふと気がついたのである。


 西郷は城下に敵軍がおしよせる直前、皮肉にも梶原によって追放された。そこで、長子吉十郎(きちじゅうろう)と若松城から逃れたのである。


「梶原様は、西郷様を暗殺されようと刺客を放たれました。あの軍議で、その意図がよめましたので・・・」


 刺客には、味方を害する意味のないことの理を説いた上で丁重にひきとってもらった。

 その後、西郷親子を安全なところまで送り届けたという。


「おそらく、榎本様やわが主と合流されるかと」

 少年は、そう締めくくった。


「そうか、西郷は生きておるのか・・・」

 安堵の吐息がもれる。


「辰巳、また異国を巡ってはどうか?」

 会津候は少年のちいさな肩を両の掌で掴み、そのままぐいとひきよせる。


 土方の無言の要求を伝えねばならぬ。

 結果はわかってはいるが、それでも説得したい。


 相手は、すでに会津候の想いを承知している。隻眼で双眸をとらえ、やわらかい笑みを浮かべる。

 蝋燭の炎が揺らめく。

 この寒さにもかかわらず、一匹の蛾が灯りに誘われ、その周囲をひらひらと舞っている。


「会津候、この卑賤の身に余りあるご厚情をいただき、感謝の念に耐えませぬ」

 それは、会津候の想いのすべてを拒絶する謝辞である。


「会津候の御心、十二分にいただきましてございます」

 異相を伏せ、感謝の意を示す少年。

 会津候は掌に力をこめ、そのまま抱きよせる。


「礼を申さねばならぬのは、わたしのほうだ。おぬしが新政府軍を統べる立場にあったものを、いらぬしがらみにふりまわさせてしまった。すまぬ。許してくれ、友よ」

 会津候はちいさな体躯を胸に抱き、声を殺して泣いた。


「もったいなきお言葉・・・。されど、この辰巳にとってはそのお言葉こそが最高の褒美にてございます」

 胸に抱かれつつ囁く少年。


 自身の胸が痛む。だが、その隻眼から涙が落ちることはない。


「桑名少将や西郷様のことは、再会後、できるだけお護りいたします」

「すまぬ・・・」

 やはり、実弟のことは気がかりである。

 そして、辰巳ならかならずや護りきってくれると確信している。


「あずかっていたものを返そう。ああ、心配要らぬ。この菊の御紋は、いまやあらゆるところでみることができるからな」

 会津候は、そういうとおかしそうに笑う。


 新政府軍が陣頭に錦旗をはためかせているのを、揶揄しているのである。


「いまさら、気にする者もおるまい」

 ずっと懐中に忍ばせていたのだ。


 会津候は、少年が忍び込んでくることをわかっていたのである。


 絹の袋に包まれ、天皇家の象徴たる紋がしっかりと刺繍されたものである。

 それは、孝明天皇から賜った名笛「桜花」にほかならぬ。


 少年はそれを両の掌で丁重に受け取り、黒装束の懐中におさめた。


「各地でつづいております遊撃活動を、そろそろ終息させます」

 少年は、会津候の心中を察して告げる。


「おぬしは頑固だな、辰巳?生き急ぐでない、よいな?そして、本懐を遂げよ。わたしは、生涯、友の生き様と力を、けっして忘れはせぬ。けっして・・・」


 少年は叩頭し、長年の友に最後の別れを告げた。


「会津候、どうか息災であらせませ。あなたの忠誠心は、帝も将軍も充分承知されています・・・。友よ、あなたのもとで働けたことを、心より嬉しく、誇りに思います」


 目頭をおさえたが、涙は止まりそうにない。

 瞼を開けると、ちいさな友の姿はなかった。


 それからほどなくして、新政府軍に抵抗していた各諸隊の遊撃活動は終焉を迎える。

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