漢(おとこ)一文字!
しくじっちまった。おれは、いつでもこんなだ。
伊予藩で切腹の真似事をやった青二才だった時分と、まったくおなじだ。
はやい話しが、成長しちゃいないってことだ。
原田はうち捨てられた民家の壁に背をあずけ、力なく座り込んでいた。
の両掌で腹の傷をおさえている。
そこから止めどなく流れつづける血が、地面に血溜まりをつくりだしている。
出血多量で朦朧としているが、耳朶には砲声や喚声、悲鳴がまだかろうじて入ってくる。
「くそっ!」
毒づくその声音も弱々しい。
端正な相貌には色がなく、そのかわりに絶望が濃く刻まれている。
こんなことなら、土方さんにくっついていたらよかった、と思う。
甲府から戻り、新八と一緒に靖兵隊に加わった。
会津で再起をはかろうと助言したおれたちに、近藤さんが「家臣になるならその案にのろう」とわけのわからぬことをいった。
ゆえに、袂を分かつしかなかった。
短気で一直線の新八とはちがい、おれにはわかってた。
近藤さんは、おれたちをわざと怒らせ新撰組からださせたってことを・・・。
砲声や喚声がじょじょにちかづいてくる。
右の掌を腹からはなし、太腿のすぐ側に置いてある自身の愛槍の柄を握る。
よもや、力も入らない。
靖兵隊として会津へ向け進軍したが、途中で近藤が捕まったという噂が舞い込んできた。
原田はそれ以降、沖田のことが気がかりでならない。ついには、靖兵隊も抜けた。
そして、一人江戸へひきかえした。
「近藤斬首」の報は、江戸への帰途にしった。
そうなると、ますます沖田のことが気がかりだ。
近藤が、沖田の様子をたしかめるようにといっているようにさえ思えた。
否、そう思うことで戦から、死から、逃げようとしているだけであろうか?ただの臆病者か?
原田は、悶々と考えた。
たった一人で行動するのは、じつになん年ぶりか?
長い間、傍らにはつねにだれかいた。多少の好き嫌いや合う合わないはあっても、すくなくともだれかがたので寂しくはない。
沖田もたった一人、しかも病床でどれだけ寂しい思いをしているであろう。はやく傍にいってやらねば・・・。
原田は、焦燥を募らせる。
だが、槍すらまともに握れぬ体躯では、身動き一つできそうにない。
江戸にやっとのことでたどりついたがこの有様である。
敵に遭遇しないよう、細心の注意を払ったつもりである。戦火の間をぬい、沖田が隠棲している千駄ヶ谷の植木屋に向かった。
途中、彰義隊の小隊が、薩摩の小銃隊に包囲されているのにでくわした。
原田は、その薩摩の小銃隊の背後を襲った。
そのお蔭で、彰義隊の連中はさっさと逃げだすことができた。
それなのに自身は、腹部に二発喰らった。二発ともかなりの至近距離からだ。弾丸は、体躯を貫通した。文字通り、どてっ腹に風穴が開いてしまったというわけである。
這うようにそこから逃げだし、小銃隊をやりすごした。
しかし、上野の地からはなれるだけの力は残ってやしない。
ゆえに、仕方なくここでこうして座りこんでいる始末・・・。
「すまねぇ近藤さん、総司のところにいけそうにねぇ・・・」
原田は、ともすれば閉じてしまいそうな瞼を必死に開けておくことに意識を集中する。
死んだ近藤に、幾度も詫びる。
切腹すらさせてもらえなかった?
原田は悔しくてならない。
近藤は、そこいらの武士どもよりよほどまっとうな武士だ。否、どんな立派な武家の棟梁やらお館様より、よほど武士らしい。
本物の武士である。
それを、腹さえきらせてもらえなかったとは・・・。
原田は、自身の一文字傷をみおろす。
あたらしくできた銃創から流れでる血で、古い傷跡はみえなくなっている。
「おまさ、茂・・・。許してくれ・・・」
京に残してきた妻子の笑顔が、眼前にちらつく。
「新八、最後まで一緒にいてやれなくて、すまぬ」
声にだしていっているつもりであるが、実際は声にもなっておらぬ。
顎が下がり、瞼もじょじょに下りてくる。
「土方さん、あんたにまた説教喰らうか?こんなていたらく・・・」
薩摩言葉が、間近に迫っている。
もう、どうでもいい・・・。
「坊、おまえがいれば、土方さんも安心だ。おまえがいれば、せめて総司だけは、寂しい思いはしなかったであろうが・・・」
視界や意識に靄がかかっている。
そのとき、ちいさな掌が原田の両頬をやさしくつつむ。
「左之兄、お呼びですか?」
原田の耳朶に、懐かしい声音が飛びこんできた。
それは、声がわりするまえの童のものに違いない。
「坊?」
原田は、信じられぬ思いでいっぱいである。
「おま・・・え・・・」
瞼がわずかに開く。瞳で、しっかりと認めようとでもいうように・・・。
「左之兄の槍をお借りします。ほんのひととき、まっていてください」
少年は、原田の傍らから槍を掴む。それから、眼前に迫る薩摩の銃隊に向かってゆっくり歩をすすめる。
原田は、そのちいさな背を信じられぬ思いでみつめる。
上野は、薩摩の砲撃で壊滅状態である。
彰義隊が籠っていた寛永寺は、すでに藻屑と化しているであろう。たった一つだけ残された逃げ道。それは、大村がわざとつくらせた退路。そこに彰義隊は逃げ込み、挙句にまちかまえている長州の銃隊によって、息の根を止められてしまう。
薩摩が矢面、長州がいいとこ取り。
この戦は、あらゆる局面でこの構図が成り立っている。
少年は、原田の長槍に槍自身と本来のもち主である原田にたいして詠唱を送る。槍との同調同化の儀式である。
あゆみが止まることはない。
長槍を携え単身向かってくる童を、ほとんどの兵士が銃を構えることも忘れ呆然とみ護っている。
そのとき、この童のことをしらぬ一握りの兵が、それぞれの銃を発射させた。
かわいた銃声が四、五発分響き、その音と同数の弾が童を襲う。
ミニエー銃は、精度がいい。十五、六間位の距離である。ある程度の訓練をつみ、いくら的がちいさくとも外れることはない。
少年は自身の背丈よりもはるかに長いその槍を、まるで短い細枝でも振るかのごとく軽々と閃かせる。
自身に向かって飛来した弾丸を、ことごとく槍先で両断する。
それは、剣でおこなうよりはるかに難しい技である。
薩摩兵はなにがおこったかを解釈するまでに、一瞬の間をおかねばならなかった。
ほかの隊の砲声や喚声が響くなか、ここだけは異世界のごとく静かである。
薩摩の兵たちは、自身らが遭遇したものの正体を、いまやはっきりと自覚している。
少年は長槍を小脇に抱えると、短く指笛を鳴らす。同時に、一頭の騎馬が馬上に騎手をいただいたまま薩摩兵たちの間を縫い、駆けてくる。
「この銃隊の士官殿ですな?」
その問いがおわらぬうちに、士官の頸筋に長槍の刃先があてられている。
まだ若い士官は、騎馬が勝手に駆けだしそれを御すことがかなわぬ上に、騎乗で背後より生命を脅かされている。
「お退き下さい。われらは、いまあなたがたが相手にしている隊の者ではありませぬ」
低い声音は、恫喝以上の威力がある。この若い士官もまた、自身の生命を脅かすこの少年を、京の薩摩藩邸でみた一人である。相手にするつもりなど毛頭ない。無言のまま、二度三度と頷き了承の意を示す。
ほどなくして、薩摩兵はものの見事にいなくなってしまった。
少年は、民家の壁に背をあずけ座り込んでいる原田にちかづいた。
周囲をみまわすと、このあたりは戦火にみまわれ灰燼と化している。しばらく人が住むことはできであろう。
周囲に死体はない。が、寛永寺のあたりには、彰義隊だけでなく薩摩兵の死体もうち捨てられていた。
逃げる彰義隊に追い討ちをかける長州軍の将官級の頸は、すでに狩った。同時に、此度の作戦が長州に有利に、薩摩にとっては不利に動いていることを、誇張と虚飾をまじえ薩摩兵の間に流布した。
薩摩とともに参加している佐賀藩にたいしても同様で、さまざまな憶測が飛びかうよう画策した。
地味で姑息ではあるが、流言ほど効果のある武器はない。
この最上最強の武器は、古来より洋の東西を問わず用いられている。
二つの傷跡の下に不敵な笑みが浮かぶ。
面白い。故国で、かような戦を体験できるとは思いもよらなかった。
大小を問わず、戦はつねにある。その犠牲者は、なんの関係もない民草である。
それを思うと、自身の邪悪な性根にうんざりする。このちっぽけな生命では、この戦は無論のこと、これまでかかわってきたすべての戦の償いなどできるわけもない。
大空では、朱雀が円を描きつつ飛翔している。
ここでの戦はひとまず終息に向かっている。そろそろ陽が暮れるであろう。
隻眼を空へ向けると、大鷹は円を描くのをやめ西の方角へ飛び去る。
千駄ヶ谷、沖田が隠棲している植木屋のある方角へと・・・。
「坊・・・」
原田は、少年が原田の右脇に両膝をつくと、血まみれの掌を伸ばして少年の小さくて分厚いそれに重ねる。
投げだした両脚の下に血溜まりができている。
少年は、この美貌の槍術遣いが助からぬことをしっている。
「いい槍です。弾丸を両断しても刃毀れ一つしません」
やさしく話しかけられると、原田は苦しい息の下苦笑を浮かべようとする。
「槍の所為じゃない。腕だろ?」
「否。この槍には、あなたの想いがこもっています。おれはそれを利用しただけのこと・・・
左之兄、生きたいですか?」
少年は、異相を原田の相貌にちかづけ囁く。
「近藤さんが斬首されたのはご存知すね?ここで生き残っても、素性を隠し、逃げ隠れしつつ生きなければなりません。あなたは、それでも生きたいですか?」
原田は、隻眼をみつめることに集中する。
原田にとって、少年の問いに答えることにさしてときも思案も必要ない。
「あぁ、生きてりゃまたみなとやれる」
少年にとっても、原田の答えなど必要ない。
原田は、ある意味図太い。それは、自身にたいしてではない。周囲や仲間に向けられている。いまも自身の死にたいしてではなく、沖田を心から気遣っている。
少年は、覚悟をしてもらう為に尋ねたにすぎぬ
「ならば死なせやしない。おれたちが死なせやしないから」
少年はそう呟くと、左の掌を原田の頬に、もう片方の掌を風穴のあいている腹部におく。
「ちょっとまて・・・」
原田は、隻眼をみつめたまま力をふりしぼりあがらおうとする。
隻眼の奥に、否、少年の内に、なにか異種のものの存在を察知したからである。
「おまえはどうなる?おれを生かせば、おまえはどうなる?」
少年の掌を掴むが、情けないほど力はこもっておらぬ。
「どうもならないよ、左之兄・・・」ふ
少年は、ふわりと微笑みうそぶく。
「あなたには、胤舜直伝の技を継承してもらいたいのです。それに、生きる意志のあるあなたが死ぬことはないのですから・・・」
原田には、もはやあがらう力はない。
原田は、それに身をゆだねる。
幾年もともにいて、少年の言を信じこんでいた。
こいつのどこがであるものか・・・。こいつは・・・。
それは、妖などとはまったく異なる存在・・・。
上野戦争は、たったの一日で決着がついた。
新政府軍の勝利におわった。




