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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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儚き夢

 慶喜は新政府軍が東征を開始したのをうけ、幕臣小栗忠順おぐりただすみをはじめとする抗戦派をおさえ、朝廷への恭順を主張した。


 二月には勝に事態収拾を任せ、自身は上野の寛永寺大慈院かんえいじだいじいんに入って謹慎する。


 徳川宗家の家督は、養子である田安亀之助たやすかめのすけ、後の徳川家達とくがわいえたつに譲った。


 新撰組は、幕府直轄領である甲府を新政府軍に先んじておさえるよう出陣を命じられた。


 甲陽鎮撫隊こうようちんぶたいと名をあらためる。

 三月一日に江戸を出発し、甲州街道を甲府へ向かった。


 勝の策略である。

 勝は、江戸城を無血開城するつもりである。


 朝廷の命をうけて東征してくる新政府軍の脅威から江戸を護るため、新撰組をはじめとした血の気のおおい連中が邪魔なのである。

 ゆえに、勝は策を講じた。


 勝は近藤に告げる。

「新政府軍の尖兵たる土佐の板垣退助いたがきたいすけや薩摩の伊地知正治いじちまさはるらを撃退し、甲府城を護りきったらそれをやる、城もち大名にしてやる」、と。


 無論、近藤はなんの疑いもなくそのにひっかかった。


 病床の沖田を松本法眼に託し、江戸を進発した。


 それはまるで、大名行列である。

 途中、生まれ故郷の日野を通過する。故郷への凱旋。いまや武士であり幕臣であり、このたびの戦に大勝すれば、一国一城の主となる。


 故郷での歓迎ぶりも、近藤の自尊心をおおいに満足させた。

 若いおとこたちは入隊しようと駆けつけ、どの村でも歓待される。


 その為、進軍は遅々とし、天候不順も重なり新政府軍に先を越されてしまった。

 集まってきたおおくの入隊希望者は、新政府軍の数と威容を怖れ、さっさと脱走してしまう。


 江戸で頼み込んで借りた数すくない武器の類は、古めかしくて役に立ちもしない。


 土方は、最初はなからこの幕命に疑問を抱いていた。憂慮の上、一番ちかくで控えているであろう菜葉隊なっぱたいに助力を請おうと、みずから風神を駆って神奈川方面へと向かった。


 だが、旗本の子弟で結成されたその隊は、土方の懇願を無視した。


 近藤を助ける為に残った斎藤や永倉、原田らの奮戦も虚しく、新撰組は新政府軍に破れ、江戸へと敗走する。


 土方は神奈川でその報をうけ、複雑な思いである。


 あいつがいれば、すくなくとも敵の将の首級くびをいくつもあげることができたであろう。

 たとえ周囲が敵だらけであろうと、あいつの力があれば甲府城に入城できたはずである。

 一時的なものであったとしても、かっちゃんを城持ち大名にしてやれた。


 だが、此度のこの進軍は、戦略的にみても戦術的にみてもまったく意味のないものである。

 たしかに、甲府は交通の要衝の地である。しかし、ここだけをおさえたところで、所詮焼け石に水。それどころか、四方八方を囲まれるようなことにでもなれば籠城するしかない。挙句に餓死、だ。


 勝の追い払い方は、誠に巧妙だ。

 かっちゃんの性質たちを、よく見抜いてやがる。


 結果的には、負けたほうがよかったということか。


 だが、かっちゃんの性質たちはそれをよしとせぬはず。

 勝は、そこまで見抜いていやがるのか?


 自身の懇願をのらりくらりとかわしつづける名ばかりの旗本どもには、冷笑を浮かべるにとどめる。


 もう用はない。敗走してくる新撰組なかまと合流する為、風神を江戸へと駆った。



 伊地知は、幼い時分ころは神童と呼ばれていた。

 文武ともにすぐれた才をもつ、薩摩の軍略家である。

 幼い時分ころに大病を患い、片脚と片とを悪くした。だが、たぐいまれなる才と努力は、武に薬丸示現流を、文には合伝流ごうでんりゅう兵学を、ともに他者ひとより二歩も三歩も抜きんでた。


 その軍略は、少数拙速。

 この東征では土佐の板垣と協力しつつ、いくつもの戦で自軍を勝利に導く。

 長州の大村もそうであるように、この伊地知もまた額がひろく奥の異相である。

 なによりその性質たちは、奇人ともいわれるほどかわっている。しかし、まだこのおとこのほうが、他者ひとと協調する術を心得ている。


 板垣は、土佐の上士の子として生をうけ育った。後藤の竹馬の友である。にもかかわらず、脱藩した坂本の赦免に奔走したり、倒幕派であったりと一風かわったところがある。

 のちの自由民権運動の主導者で、「板垣死すとも自由は死せず」という言の葉は、あまりにも有名であろう。


 身分差別のはげしい土佐にあり、上士下士のわけへだてをすることなく、戦争終結後にあっては敗軍の将への助力を惜しまず、明治期においてはあらゆる人々の自由の為に、生涯活動をつづける。


 武は現代居合の祖ともいえる無双直伝英信流むそうじきでんえいしんりゅうを学び、文は山鹿流やまがりゅうを学び、それぞれ皆伝の域にある秀才である。


 すっきりした相貌かおと体躯で、なかなか見栄えのする土佐藩随一の参謀である。


 甲府城で進軍の指示をまっている新政府軍は、城ではなく城下の宿屋を本陣としている。


 この軍の隊長格の二人は、宿屋の一室で面をつきあわせていた。

 国も育ちもちがう二人ながら、なにゆえか気があう。ゆえに、なにか口実をもうけてはどちらかの部屋で、薩摩隼人が持参した芋焼酎を呑んだ。

 いまではそれが、二人のささやかな愉しみになっている。


 板垣も伊地知は、シャツのボタンをいくつかはずし、腰のものは傍らに置いてくつろいでいる。

 向かい合って胡坐をかき、薩摩名産の焼酎を酌みかわす。

 シャツもズボンもよれよれであるが、二人ともかようなことは気にならぬ。


 ともに酒は強く、どれだけ呑んでも酔わぬ。


 宿の者が、名物のほうとうを運んできた。

 酒のあてには不向きだが、ともに腹をすかせている。ちびりちびりと呑みながら、小麦粉の塊のような代物をかっこんだ。


 すでに陽はとっぷりと暮れ、部屋のうちの燭台には灯が入っている。

 陶製の火鉢には火が入っているため、熱いほうとうは二人の相貌かおに汗さえ浮かばせた。


 二階の部屋の窓はとざされてはいるが、通りの喧騒はいまだ昼間の如しで、兵士たちが今宵の伽を求める声がきこえてくる。


「おそらく、会津へ向かうこっになうだろう」

 さきに食べおわった伊地知は、国の言の葉で告げた。


 いま一人は丼をもち上げ、汁を飲み干した。それから、国の言の葉で応じる。

「江戸をおがむこともこたわんがか?はっ、いいようにこき使われちゅうというわけなが?」


 この時分ころになると、たがいの国言葉も理解できるようになった。


「命令ほいならっで仕方あいもはん。じぁんどん、そんでどころが気に入らんです」

 伊地知は、幼少の時分ころに悪くした片脚を伸ばす。

 長時間の胡坐や端座は、苦手である。


「長州の大村ぜよね?まっこと気に入りやーせん。会ったことがあるがでか?無愛想で、他人ひと他人ひとと思わぬ、無礼きわまりないやつばらやか」

 板垣は、朋輩が持参した酒を自身のコップへ注ぐと、いっきに呑み干す。


 通りで、ひときわおおきな歓声が上がった。

 酒に酔った兵士同士の喧嘩らしい。

 薩摩弁と土佐弁の怒鳴り声が交互に階上に流れてくる。それを囃す国言葉が、さらにおおきく沸き立つ。

 薩摩にしろ土佐にしろ、国許から遠くはなれ、それが長期間におよんでいる。兵士たちの不満や不安がはびこり、拡大拡散してゆくのが遠征の常である。

 これより東、奥羽へ向かうことにでもなれば、それこそこの混成部隊の秩序を保つのは容易ではなくなる。


 二人の隊長は、そのことをよく知悉している。


 燭台の油の燃える音がする。

 通りでまた、喧嘩を囃す声が盛大に起こる。


 二人の意識がそちらに向かったのは、ほんの一瞬のことである。


 武にすぐれた二人は、その気配に本能的に傍らの刀へ掌が伸び、同時に抜き放つ。


 伊地知は薬丸示現流の初太刀、板垣は無双直伝英信流の居合抜き。気配に向け、同時にしかける。


「・・・!」


 その気配は、渾身無比の攻撃をしっかりとうけている。


 常人ばなれしたその技を、二人は呆けたようにみつめる。


「伊地知先生、板垣先生、ご無礼ご容赦願います」


 どこから侵入したのであろうか。二人のすぐ傍らにわらべが端座し、示現流の上段からの斬り下げと、英信流の左側面からのなで斬りを、左右それぞれの人差し指と中指の間にうけとめている。


 柳生新陰流奥義「無刀取」・・・。


 わらべは、着古した着物と袴姿である。

 半面に、おおきな傷跡が二つある。


 二人は、このわらべがなに者かすぐに解した。


 このわらべが辰巳という名の暗殺者か・・・。


 伊地知は西郷やその側近たちから、板垣は四賢候の一人たる山内容堂から、噂をきいている。


 それと遭遇しても、かかわるなという助言もまた・・・。


 二人は、無意識のうちに息を呑んでいた。

 愛刀をどうにかしたくとも、おせどもひけどもどうしようもできぬ。


 これは噂以上の怪童で、力の差は歴然としている。

 伊地知も板垣も痛感する。


「ご挨拶によったまででございます。わたしのことは、おききおよびかと」

 おおきな傷跡の下の端正な口許に、やわらかな笑みが浮かぶ。

 同時に、刀が軽くなった。


 二人は、無言のまま愛刀を鞘に納めた。


「わが同胞が、先生方に世話になりましたようで・・・。少数精鋭による急進撃。兵は拙速なり、と孫子も申しております。伊地知先生、機会があれば戦術を競いあいたいものですな」

 わらべは、微笑したまま伊地知と板垣へ隻眼を向ける。


 わらべからなにも感じられぬ。敵意、害意、まことになにも・・・。


 この異相のわらべがその気であったなら、自身らはすでにあの世にいるであろう。


 いったいどういうつもりでやってきたのか?


 板垣は、どういうことかさっぱり理解できぬ。だが、伊地知は思うところがある。西郷から忠告された「かかわるな」というのは、敵対関係という意味だけにとどまらぬからである。


 燭台で、油が爆ぜる。

 灯火が揺らめく。


 刹那、わらべが消えた。

 

 あれが辰巳か・・・。


 二人は、しばしの後におなじ言の葉を呟いた。


 これだけはいえるであろう。


 甲府城をさきにおさえることができたのは、兵は拙速なりの教えではなく、なんらかの理由わけで辰巳が従軍していなかったからである、と。


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