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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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榎本艦長

 榎本武揚えのもとたけあきは、海軍の優等生エリートである。


 長崎の海軍伝習所で基礎を学び、阿蘭陀オランダに留学しかの地で学んで帰国した。

 文武ともにまんべんなくその才を発揮でき、その上政治的駆けひきにも長けている。

 現在いまは、幕府所有の開陽丸かいようまるの艦長を務めている。


 生粋の江戸っ子で、情にあつくなにより口が悪い。海で鍛えた体躯に無駄な贅肉はなく、太陽にやかれた相貌かおも体躯も一様に黒光りしている。

 洒落者である榎本は、士官服にその体躯をつつみ頭髪をきっちり油でまとめ、鼻の下には立派なカイゼル髭を蓄えている。


 榎本は、幕府の艦船である蟠龍ばんりゅう富士山丸ふじさんまる翔鶴丸しょうかくまる順動丸じゅんどうまるを率い、阿波沖で薩摩海軍を撃破した。そこから天保山に向かい、そこに開陽丸を停泊させた。

 副官の澤太郎左衛門さわたろうざえもんに留守を頼み、自身は大坂城に入城した。


 慶喜に謁見するためである。


「くそっ!薩摩っぽどもめ、これが海ならば文字通り海の藻屑としてくれたものを・・・」


 榎本は、大坂城を訪れたもののいまだ慶喜との謁見を果たせていない。

 手持ち無沙汰に城内をうろうろしていると、つぎからつぎへと京方面から負傷者が運び込まれてくる。


 京での敗戦の報で、城内は動揺と困惑につつまれている。

 落ちてきた敗残兵や負傷者の収容で、城内はごったがえしている。


 榎本は、療養中で手持ち無沙汰にしている新撰組局長と出会った。偶然か、あるいは必然か。いずれにせよ、おなじ東夷同士すぐに意気投合する。


 いまも城内で割り当てられている近藤の部屋を訪れたところである。


 すでに先客がいた。

 今朝、京から落ちてきた副長の土方である。

 たがいに自己紹介しあう。

 榎本は土方より戦況をきき、心底悔しがった。


「山崎君の容態は?」

 近藤が尋ねた。


 かれらが信頼する監察方の山崎は、落ちてくる途中、重症を負ったのである。


 坊の様子をみに戻るといい、勝手な行動をとった市村を追いかけ、遭遇した敵兵の銃弾から市村をかばって撃たれたのだ。


「だめかもしれねぇ・・・」

 土方は、胡坐をかいたまま拳を畳に叩きつけた。


 山崎だけではない。おなじ監察方の吉村寛一郎も行方しれずになっている。

 純朴で生真面目な南部武士も、どこかで討ち死にしたのやもしれぬ。

 ほかにも行方しれずの隊士たちはいる。それらの安否の確認もとれず、いまここにいる人数にんずは京のときの半数以下にまで減ってしまった。


 なにより、井上源三郎の戦死は、近藤にも沖田にもかなりの衝撃と喪失感とを与えた。


「坊は?まだ戻らぬのか?」

 近藤は両のかいなをのばすと、憔悴しきった土方の両の肩を掴んだ。

 狙撃による傷はまだ完全によくなってはいないものの、木刀を振れるまでにはなっている。

 会津のお抱え医師である高倉や病床の沖田からは、おとなしくしているようにといわれてはいるが・・・。

 だが、刻一刻と情勢のかわるこの大坂城内にあって、なにゆえゆっくり寝ていられようか?


「坊?」

 土方は、思いだしたかのように呟く。

「あいつは大丈夫だ」

 さらりといってのける。


 近藤は、土方の美しいまでの相貌かおをのぞきこんだ。

 そこには、少年への信頼感しかみてとれぬ。


「あいつを感じる。案ずる必要はない。すでにここにいるさ、かっちゃん・・・」

 呟くようにいうと、背後の廊下へと視線をはしらせる。


 榎本は、その二人の様子を静かに座して眺めた。

 これが噂にきく新撰組か、と思いつつ・・・。


 いま二人が話題にしているのは、仏国軍教官団の面々が話していた「竜騎士ナイトオブドラゴン」のことにちがいあるまい。


 英国では女王陛下から、仏国では皇帝ナポレオンから、それだけでなく伊太利亜や露西亜などでも活躍し、それぞれの国で最高の称号と讃辞を与えられし伝説の東方の国のしのび・・・。


 異国人は、この東方のちいさな国に忍者なるものが暗躍しまくっている、と信じているから面白い。


 公卿の岩倉に自身の左のまなこを喰わせ、恫喝した餓鬼。まだ十歳とおにも満たぬ姿形なりをした餓鬼。

 天皇や将軍の寵愛を受け、近衛大将軍という最高の位階をもつ餓鬼・・・。


 それに会えるのかと思うと、それだけでもここにやってきた甲斐があるというものではないか?


「榎本さん、榎本さん?」

 榎本は、土方に呼びかけられてそちらをみた。


 土方と視線があい、その秀麗な相貌かおにある眼光の鋭さに、思わずたじろいでしまう。


 まさかこのとき、この二人をして旧幕府軍を率い、新しい政府をつくり、それを潰してしまうまでの付き合いになると、なにゆえ予見できようか?


 その運命の出会いが、混乱きわまる大坂城内であった。


 土方の眉間に皺がよる。


 もともと幕府の旗本や直臣という手合いは好きではない。好きになろうという気もない。

 この榎本にしてもおなじである。


 洋装でぱりっとしてはいるが、これではまるで「陸に上がった河童」そのものである。

 はたして、どこまでつかえるのであろう?


「おお、坊・・・」

 近藤は感極まった声音で呟くと、そのまま立ち上がり廊下で端座しているちいさな人影にちかづいた。


「局長、お元気そうでなによりです」

 少年は、叩頭しつつ挨拶する。


 近藤はその傍にちかづき膝を折ると、ちいさな体躯をぎゅっと抱きしめた。


「坊、よくぞ無事で・・・」


 土方は、その呟きが震えを帯びていることを気がつかぬふりをする。


 近藤もまた、井上の死をはじめとした新撰組の甚大な被害に心を痛めている。


「ご心配をおかけして申し訳ありませぬ。さきに大樹公に挨拶し、山崎先生など負傷された方を見舞っておりました。無論、沖田先生も・・・」

「いや、いいのだ・・・」

 近藤は、少年を頬ずりでもしかねぬほど喜んでいる。


「上様に会ったのかね?」

 榎本は、近藤のその言の途中で言の葉をはさんだ。

 腰を浮かせ、廊下でいまだ端座している少年をみる。


 少年は、左半面に二つの大きな傷跡を刻んでいる。

 だが、それはなにゆえか気高く美しいとさえ感じられる。ぞっとするまでに・・・。


「はい、榎本艦長・・・・

 少年は、気弱な笑みを浮かべた。

大坂城ここにはもういらっしゃいませんが・・」

 声を潜め、意外すぎることを淡々と告げる。


「はぁ?」

 大人三人が同時に叫ぶ。


「大きな声では申せませぬが、大樹公は老中の板倉いたくら様、酒井さかい様、会津候などわずかな供まわりとともに大坂城これより逃れ、榎本艦長、あなたの開陽丸ふねで江戸へ向かわれました」

「なっ・・・。なんだと?」

 榎本は、開いた口がふさがらない。


 少年は、絶句している榎本に心底気の毒そうな表情を浮かべてみせる。


新撰組われわれも、江戸へ出立するよう申しつかっております、局長。蟠龍などで・・・」


「なんということだ・・・。上様は、敵前逃亡されたというのか?なにゆえ・・・。死んでいったおおくの仲間たちは、犬死ではないか・・・」

 近藤の嘆きは当然である。


 慶喜はついいましがたまで倒薩を唱え、いますぐにでも京へ出馬することを表明していた。

 わずかな側近だけを連れ、闇にまぎれてこっそり艦船ふねで逃げるような事態になるとは・・・。


 土方は、がっくりとうなだれている近藤から自身の懐刀に視線をうつした。その鋭き刃も土方をみつめている。


 こいつは、将軍のその奇行を反対しなかった。それにはそれで事情があったのであろう。

 ならばこちらも気持ちをいれかえ、早々に対処する必要がある。


「榎本さん。紹介がおくれましたが、こいつはおれの甥です。坊・・・」

「榎本艦長、わたしは新撰組副長土方歳三の甥、佐藤龍と申します」

 少年は、海のおとこに向かって叩頭しつつ名のる。

「ただ、この名は穢したくなく、辰巳という悪名でとおしております。ご承知おき願います」

 近藤も土方もはっとして少年をみる。その意図がわかったからである。


 新撰組の名を穢したくない、という意図が・・・。


 たとえ近藤や土方からでた命であっても、少年のおこなうことすべてが稀代の暗殺者であり、いまは天下の大罪人たる辰巳がおこなうこととしたいのだ。


 隻眼が、榎本の双眸をみつめている。

 威圧的であったり、怖ろしいというわけではない。

 一つしかないの奥に、しっかりとした光がたゆたっているのを榎本ははっきりと感じた。


 いい面構えだ、と心から思う。

 そういえば、このわっぱ最初はなから自身のことを「艦長」と呼んでいる。

 榎本は、そのことにいまさらなが気がついた。


「存じておりますとも・・・」

 少年がいった。


 榎本ははっとした。


「澤副艦長もお元気でしょうか?じつは、阿蘭陀でご一緒だったのですよ。もっとも、わたしのほうは仕事の依頼で奔走しておりましたが・・・」

「なんと・・・。では、言の葉も?」


 仏蘭西からやってきた軍事教官たちのいうことは、けっして誇張や法螺ではない。ましてや嘘などでも。


「無論・・・。滞在した国々の言の葉、文化、宗教。そして、軍と武、政のすべて・・・」

 少年は、右の人差し指で自身の小振りの頭をとんとんと叩いてみせる。


「なるほど・・・」

 榎本は、そう答えることしかできぬ。


「では榎本艦長、さっそくわれわれも準備いたします」

「ああ・・・」


 情けなくも自身のふねは、自身が大坂城ここにいる間に出航してしまった。

 副艦長の澤はできたおとこだが、将軍から榎本の許可を得ているといわれれば、たとえそれが嘘だとわかっていてもふねをださざるをえぬ。

 癪だが気持ちをいれかえ、大坂城ここにいる将兵を一人でもおおく江戸に運ばねばならぬ。


 それこそが、自身に課せられたつとめである。


「そうだ、そうだな」

 榎本は、カイゼル髭をしごきながら立ち上がった。


 その立派な髭は、このおとこによく似合っている、と新撰組の三人は思った。



「副長・・・」

 少年は榎本をみ送ると、廊下に片膝つき控えた。


「別行動をとることを、お許し願います」

「どういうことだ?」

 土方は、なにゆえかその理由わけを察した。


「山崎先生は、航海に耐えうる容態ではござりませぬ。きけば、この大坂に信のおけるお身内がいらっしゃるとか。その方は、赤穂のほうに土地をおもちだそうです」


 みなまでいう必要はない。負傷した山崎が潜伏するにはちょうどいい。


「赤穂までゆくついでに敵を探りたく・・・。われわれは、情報があまりにも乏しすぎます。それに、長州勢に気になる参謀がおりますゆえ潜入したく・・・」


 こちらもみなまでいう必要はない。

 少年ならば、相貌かおの傷跡もうまく活用するであろう。


「その後、東海道を江戸へ下ります。京から尾張へ・・・」


 自身の懐刀は、やはり大業物と呼ぶにふさわしい。

 土方は、冷えた廊下で控えている懐刀の横におなじく膝をつく。視線をあわせ、その短い髪をくしゃくしゃになるまで撫でてやる。


「すまぬ。頼むぞ。あぁそれと、尾張で墓参りを忘れるな。これは命令だ。かならずや墓参りをすませてから江戸へ向かえ。と、いうわけだ局長。さっさと準備をすませてしまおう」


 近藤もまた、少年の頭を愛情をこめて撫でる。


「坊、山崎君を頼むぞ。それから、歳の奥方もな」

「なっ!かっちゃん、なにいってやがる!」

 気色ばんでいるわりに、その表情かおに照れもまじっている。


「まあまあ・・・」

 近藤は、苦笑しつつ少年を立たせながら告げる。

「おれからも命令する。墓参りをするように。いいな、坊?」


 少年は、局長と副長の思いやりに感謝しつつも複雑な心情も抱く。


 実の母に、なにゆえかような姿形なりで、しかも反逆者の身で会えようか・・・。


 夢か現か・・・。


 山崎は、モルヒネによって痛みだけは感じずにいる。


 自身の傷はよくなる見込みはなく、死に向かっていると自覚している。

 会津藩のお抱え医師である高倉は、死にゆく者にせめて痛みから逃れられるようにと、貴重なそれを投与してくれた。

 自身、医術の心得が多少なりともあるがゆえに、それがわかる。


 その気配が、山崎の意識をかろうじてうつつへと繋ぎ止めてくれた。


 あらゆる誘惑から必死に逃れ、重い瞼をすこしだけ開ける。

 霞む視界のなかに、自身が尊敬する副長の懐刀の異相があらわれる。


「坊?」

 そう声をふりしぼったつもりであったが、実際には発生されなかった。

 だが、枕元に端座している少年は、上半身を屈めると山崎の呼びかけに応じる。


すすむ兄さん・・・。おれの為に、申し訳ありませぬ」

 少年は、任務以外で山崎のことをそう呼ぶ。

 山崎もそう呼ばれることが嬉しく、気に入っている。


 少年は、なにゆえか謝罪した。


 あぁそうか、市村が坊の様子をみにいくといい、もときた道を戻ってしまった。それを追い、へまをやらかしたのだ。

 坊は、それを自身の所為だと思っているのか・・・。


 山崎はぼんやりそう考え、それが不憫だと思った。


「丞兄さん、きいて下さい。あなたは、このままでは死んでしまいます。あなたは生きたいですか?この将来さき、あらゆる過去を隠し、偽り、あらゆる困難や苦渋のうちですごすことになっても、あなたは生きたいですか、丞兄さん?」


 モルヒネでぼんやりとした頭では、その言をはっきりと理解できるわけもない。


 だが、これだけははっきりしている。

 生きたい。

 生きてさえいれば、いつか新撰組なかまたちとでかいことをやれそうな気がする・・・。


「わかりました」

 少年は、山崎の両方の頬を傷のある両の掌でやさしく撫でた。


「ならば死なせやしない。わたしたち・・・・・は、あなたを絶対に死なせやしない・・・」


 少年は、ちいさな胸に山崎の相貌かおをかき抱く。


 耳朶に、というよりかは脳裏に、はっきりとそれを感じることができる。

 少年の鼓動・・・。否、なにかおおいなるものの息吹を・・・。

 それは、モルヒネなどとはくらべようもないほどの感覚・・・。

 生命の躍動・・・。

 力・・・。


 山崎は混沌へと沈みながら、その正体をはっきりと感じた。


 かれら・・が、なにであるのかを・・・。

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