死滅乱舞
そのおなじ日の夕刻、薩摩軍の陣頭に錦旗がうち立てられた。
これをもって幕府軍が朝敵となる。
これまで日和見していた諸藩は、つぎつぎに寝返った。
錦の御旗に逆らえぬのではなく、それを口実にしているのは火をみるよりもあきらかなこと。たった一枚の赤地錦に描かれた日月輪は、強き力をもつ者へとへつらういい大義名分となった。
会津藩、桑名藩、新撰組は、まさしく四面楚歌とあいなり京にその身を横たえているもおなじこと。
淀城に援軍を求めたが、譜代の淀藩までもがその城門を堅く閉ざし新撰組や会津藩を見捨てた。
そもそも、この戦のきっかけをつくったのがこの淀城の城主であり、老中である稲葉正邦であったのに。
江戸の薩邸討ち入りを決断したのが、かくいう稲葉である。
あいつがおれの命で新撰組をはなれて遊撃に向かおうとした際、めずらしく心配げな表情でおれと斎藤に耳打ちした。
「どうか井上先生をお願いします」、と。
おれはあいつを、あいつのすべてを信頼している。あいつのさまざまな能力も含めて・・・。
ゆえに、源さんになにごとか起こるのでは、と判断した。
ただちに、子どもらとともに六番組を小荷駄隊の守備にまわした。もっとも、六番組もほかの組とおなじく、その数を大分と減らしている。
永倉、斎藤、原田、この三人にそれぞれの組を率い、会津の援護をさせた。
砲術奉行の林殿の子息の又三郎殿戦死の報につづき、林殿自身の被弾も知らされた。
敵の火力は凄まじく、会津も桑名もおれたちももはやもちこたえられぬ状況だ。
そんななか、山崎に付き添われて市村と田村が駆けつけてきた。
源さんが撃たれたという。
正直、おれは自身のどてっ腹に風穴を開けられたかのような衝撃をうけた。指揮を山崎に任せ、すぐに駆けつけた。
戸板に横たえられた体躯に、甥の泰助がすがりついている。
六番組の隊士たちが、場所をあけてくれた。
永倉たちも血や泥や体液にまみれ、汚れきった姿で戻ってきたところだ。手下の隊士の数を半数以上減らして。
組長も隊士たちも憔悴しきっている。
源さんは、突如あらわれた敵の小隊から子どもらと手下の隊士たちを逃す為抜刀し、一人で向かっていったらしい。
銃を構えた敵に・・・。
源さん、あんたも馬鹿だ。あんたはあいつじゃない。弾を素手で掴んだり真っ向斬りにしたり、そんな神業ができるわけねぇ。弾道どころか、太刀筋すらまともにみきれねえってのに・・・。
それなのになにゆえ向かっていったんだ?あんた、誠に馬鹿だ。いつだってかっちゃんやおれを立て、自身はそれで満足していた。おれたちの後始末や苦手な仕事を、文句一ついうことなくすすんでやってくれた。かっちゃんやおれは、そんなあんたにずっと甘えてきた。さほど年上でもないのに、おれたちはあんたを本物の叔父貴のように想ってた。
あんただけはなにがあってもおれたちの味方で、永遠におれたちと一緒にいておれたちのしでかしたことの後始末をつけてくれるものだとばかり、ついさっきまで思い込んでいた。
源さんは死ぬ間際までおれたちのことを案じ、一緒に戦えなくなったことを詫びつづける。
かようなことはどうでもいい。ゆえに、死ぬな。
心中で幾度も叫ぶ。
泰助のことを、若先生のことを、総司のことを、あいつのことを、そして、おれのことを、案じながら両の腕のなかでこと切れた。
井上源三郎が死んだ。
また一人、仲間が・・・。
広範囲を一人で遊撃してまわったあいつが戻ってきたとき、おれはあいつにそのことを話してきかせた。
斎藤がかわりに話そうといってくれたが、自身で告げたかった。
報告では、長州や寝返った諸藩の指揮官級ばかりを狙って討ちとってきたということだ。
あいつは、多勢に無勢のこの状況でそれが一番効果的であることを経験でわかっている。
それは功を奏し、おれたちへの攻撃にも多少なりともの影響を与えているであろう。
指揮官を失った軍ほど脆いものはない。しかも、泰平に慣れ、戦には不慣れな軍ばかりだ。命じる者を失えば、どうしていいかわからなくなる。
それは、そのまま恐怖へと繋がる。
もっとも、それはこちらもおなじだ。
錦旗にたいする衝撃にくわえ、会津も桑名も数名の奉行や将を亡くしている。
くそったれの幕臣佐々木が率いる見廻組も、その佐々木の負傷により戦線を離脱したようだ。
どうやら、紀州の方に落ちていったらしい。
あいつは、おれの話を表情一つかえることなくじっときいていた。
おれたちのすぐ横で、泰助が源さんの頸を抱えてしくしくと泣いている。だれかがそれを布で包んでやっていた。
泣きじゃくる泰助にかわり、原田が頸を胴から斬り放してやったのだ。
隻眼は、地に向いている。
あいかわらず律儀に片膝を地につけ、なんの気も感情もない。
どれだけおおくの指揮官を屠ってきたかはわからぬが、そうと感じさせぬほどあいつは飄々としている。
ちいさな体躯を黒装束に包んでいるものの、その装束には返り血一滴すら付着していないはずだ。
血の臭いすら・・・。
あいつは、おれの話がおわると立ち上がり、一礼した。
「副長、大坂城へ退いてください。おれが殿をひきうけます。会津、桑名にもそれぞれ落ちるよう、副長から勧告してください・・・」
「まてっ!」
おれは、ちいさな背をみせたあいつの華奢な肩を掴んだ。
「どうするつもりだ、坊?」
あいつは、おれの問いには答えなかった。
掴んだはずの肩は、しょせん物理的な感覚でしかなく、あいつの精神を掴んだわけではない。
おれは、あいつの肩から掌をはなした。
ちいさな背が、おれのこめかみに鈍い痛みを生じさせる。
あいつは、地に座って源さんの首を抱える泰助にちかづいた。
泰助が鼻水と涙を啜り上げつつ、あいつをみ上げる。
この場にいるすべての大人と子どもが、その様子をじっとみつめている。
全員がいろんなもので汚れ、心身ともにぼろぼろの状態だ。
「申し訳ありません、泰助さん・・・」
あいつの声は、なんとも表現のできぬ響きを帯びてる。
なんで詫びるのか、理解できぬ。
泰助は双眸をおおきくひらけ、あいつをじっとみている。あいつは、泰助から隻眼をそむけた。その隻眼は、いまは首だけとなった源さんをみているであろう。
「おまえの力で、井上先生の仇を討ってくれよ。なぁ、強いおまえなら、なんだってできるだろう?」
泰助に付き添い、おなじように泣きじゃくっていた市村が叫んだ。あいつの左肩を掴み、揺さぶる。
「市村さん、おれは強くなどない。力の意味をはき違えないでください・・・」
あいつが低い声で市村に告げている途中で、泰助がその右の腕にすがりついた。
源さんの血でまみれた右の掌で。
「どうするつもりなの?」
実の叔父を亡くしたばかりの泰助が尋ねた。
「やめてっ!そのなかにいるものは、そんなことできるものじゃないでしょ?」
泰助は、右の掌をあいつの胸にぶつけた。
泰助の意味のなさぬ言は、あいつにはわかっているのか?
刹那、あいつは隻眼を細め、泰助をみ下ろした。
「あなたにはみえるのですね?いえ、みえていたのですね?」
そこまではきこえたが、それ以上はきこえなかった。
敵軍の発する喊声や、砲声がちかづきつつある。
それに、あいつが相貌を泰助の耳朶にちかづけ、それに囁いたからだ。
「坊っ!おれも残るぞ」
「ああ、おれもな」
いつ弾丸が飛んできてもおかしくない状況だ。
永倉と原田が申しでた。
斎藤は、最初からそのつもりなのであろう。涼しい相貌で控えている。
「先生方、そのお気持ちだけいただきます」
頑固なあいつは、にべもなく突っぱねやがる。
「副長、はやく退いてください。おれのまえからすぐに」
あいつは、泰助の抱える首を両の掌で愛おしそうに撫でてから隻眼を曇り空に向けた。
雪雲が空一面にひろがっている。そこに朱雀の姿はない。
「なにをする気だ、坊?」
おれには、あいつがいまからやろうとしていることがわかっている。だが、尋ねずにはおれぬ。
「死の舞・・・」
不吉な響きだ。
あの宴でみたことを、またやろうというのか?
あいつは、また自身をどうにかしてしまうつもりなのか?
「うしろを振り返らず、早急に去ってください。意識を奪われたら、本能のままに動くものすべてを破壊します・・・」
おし殺したその言は、あれを体験したおれや永倉たちだけでなく、この場にいる全員をぞっとさせたようだ。
怖いものしらずの市村ですら、あいつからじりじりとあとずさっている。
「おまえはどうなる?」
あいつがおれをみた。
左半面の二つの大きな傷跡は、右半面の美しさと調和しつつあるのが不思議だ。
そこに、ぞっとするような冷ややかな笑みが浮かんだ。否、その努力がうかがえる笑みだ。
「斎藤、おまえは会津に、永倉と原田は桑名に、それぞれはしってくれ。山崎、子どもらを頼む。われわれは大坂城へ退く」
いま一度あいつをみた。あいつの背を。
またしてもこめかみが痛む・・・。
源さん、あいつを、あいつをどうか護ってくれ。あいつは人間だ。立派な武士なんだ・・・。
大神よ、どうかわれを許したまえ。あらゆる神々よ、罪深きわれに罰を・・・。
両の掌に握ったくないを打ち振りながら、一心不乱に舞う。
躍動感溢れる舞は、意識を高みへと導いてくれる。
恍惚感が全身を満たす。さきほどまで両の耳朶で、意識で、敵の動きをとらえていたが、いまはなにも感じられぬ。
まもなく意識をなくす。
獣となり、なんの罪悪感もなく人間を喰らい尽くすことができる。
破壊と破滅。動くものすべてを滅するのだ。
そう、わたしは妖・・・。感情をもたぬ一匹の獣・・・。
源小父、ごめんなさい。おれを許して・・・。
そして意識は完全に費えた・・・。
いったい、どのぐらいのときをすごしたのか?
一面にひろがる地獄絵図をみれば、半時や一時くらいではたりぬであろう。
周囲は暗くなっている。半日ちかく殺しまわっていたのか?
街道沿いに並び立つ銀杏の木に両の掌をあてよりかかり、えずいた。
空っぽの胃では、でてくるものはなにもない。
自身のしでかしたことのあまりの凶悪さに、眩暈をおぼえる。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」
力なく木の根元に両膝を折り、掌を冷たい地につけ幾度も詫びる。
それは、自身の罪に怯える子どもの声音である。
心の臓が悲鳴を上げている。
死の舞の代償・・・。
身体能力の限界を超えたまま、長時間をすごしたのだ。心の臓への負担は、尋常ではない。
自身の胸に左の掌をあてる。痺れの残る左の掌・・・。
自身の描いた凄惨な絵図をみ渡す。
無意識のうちに、左の掌で十字をきっていた。
切支丹ではないが、異国でのながい生活で自然と身についたものである。
しばしの後、ちいさな姿はそこから掻き消えた。
彦根藩など、幕府をうらぎったいくつかの藩である。
たった一人の童の握る二本のくないは、じつに何百名もの将兵の生命をことごとく奪い去った。




