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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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開戦、到来!

 開戦は、まことにあっけなかった。


 慶応四年(1868年)一月三日夕刻頃、下鳥羽や小枝橋付近で街道を封鎖する薩摩藩兵と、大目付の滝川具挙とで「通る」「通さぬ」の問答から、ついに戦端が開かれたのである。


 滝川は、朝命により入京する慶喜の先駆けであった。



「くそっ!くそったれめっ!」

 翌四日、永倉は燃え落ちた伏見奉行所をみつめながら、幾度も脚で地を蹴りつけた。永倉だけではない。だれもが地団太踏んだ。

 煤と戦塵にまみれながら・・・。


 少年が予見したとおり、重火器の質量のちがいはあまりにも顕著であった。

 

 開戦の報が届けられてからさほど経たぬ間に、薩摩の小銃大隊の攻撃により大混乱に陥った。

 奮戦虚しく、などというにもおこがましいほど、それはあっという間に起こったのである。


 伏見奉行所を炎上させたのは、そこをみ下ろす桃山龍雲寺ももやまりゅううんじに布陣している味方(・・)である。すなわち、彦根藩が所有する大砲より発射された砲弾であった。


 土方をはじめ、新撰組のだれもがただ呆然とことのなりゆきをみ護るしかない。もはや、それに身を委ねるしかない。


 そのちかくで一進一退の攻防をつづけている会津藩もまた、じょじょにその気勢をそがれつつある。


「土方殿、このままでは挟撃されてしまう。ここは、すみやかに撤退しよう」

 会津藩の軍事奉行の神保と大砲奉行の林が、わずかな供まわりをひきつれ、燃え落ちた伏見奉行所にやってきた。

 新撰組の安否を案じてのことである。


 土方の眉間に皺が深く刻まれる。


 神保らの助言を吟味する。


 そのとき、土方は不意にそれがわかった。あいつが戻ってきた、ということを。

 その証拠に、真冬の寒空に一羽の大鷹が地上の愚かな出来事を嘲笑うかのように、優雅に舞いはじめる。


 とおくでもちかくでも、絶えまなく銃弾や砲弾がふりそそいでいる。


 すぐちかくにまで薩摩が迫っている。


 こちらを睥睨する位置には、裏切り者の彦根藩。それだけではない。この周囲には、日和見に徹しているいくつかの藩が布陣している。

 それらがいつなんどき、こちらに牙を剥くかわからぬ状況である。


 土方は、自身の懐刀の一振りに偵察を命じた。

 それだけではない。その鋭き刃の助言に従い、敵の大将首を狩ることを許している。


「副長、ただいま戻りました」

 少年は、鞍を置かず轡だけを装備した新撰組の二頭の騎馬を連れている。

 そのちいさな背に、自身の背丈よりもながい借り物の強弓と矢筒を背負っている。


 風神と雷神は、さきの局長襲撃事件で死んだ小者の久吉に代わり、忠助ただすけが厩から連れだしていた。

 忠助は、土方らと同郷の壮年の小者である。目端がよくきき短刀をよく遣うことから、近藤がずっと傍に置いている小者である。

 猫背で、愛嬌のある相貌かおがあまりにも鼠に似ていることから、みなから「忠助ちゅーすけ、忠助」と呼ばれ、頼りにされている。

 性質たちもまた、相貌かおにあって愛嬌がある。


「派手にやってくれましたね」

 少年は片膝を地につけ、主に頭を下げる。

 その相貌かおにはもう包帯はない。左頬の刃による一文字傷と、その上にある左のの手刀によるおおきな十文字傷は、みる者の肝をひやすのに充分な威容を誇っている。


「ああ・・・」

 無愛想に応じた土方の心中はあまりある。少年は、地に隻眼を向けたまま微笑した。その表情のまま主をみ上げると、主の眉間にさらに濃く皺が刻まれた。


「首尾は?」

「ぬかりなく・・・。洛外で待機している長州勢に挨拶してまいりました・・・」

 土方は、ふたたび微笑する懐刀にどういう挨拶かは問わぬ。問うまでもない。


 少年はわずかに相貌を上げ、隻眼を主に向ける。


「副長、裏切り者にわれらを裏切ったことを後悔させてやることのお許しを・・・」

 低い声音で許しを請う。

 その言に、だれもが驚いた。 


「おいおい坊、いくらおまえでも、あそこから三基の大砲が立てつづけにぶっ放してくる。それだけじゃない。眼前には、薩摩の小銃隊もいるんだぞ」

 永倉は得物の切っ先を、山上の彦根藩に、ついで眼前にみえ隠れしている薩摩藩へと向ける。その場にいる全員が、絶望の眼差しでその鋭利な切っ先が示す方向をみた。


 そのとき、大鷹が少年の左肩へと舞い下りてきた。小さな頭を少年のきれいな方の頬にすりつける様は、まるで少年に内緒の話しでもしているかのようである。


「ありがとう、朱雀」

 少年は、大空の勇者の小さな頭を右の指で撫でた。


「永倉君、それはおれの懐刀にいっているのか?」

 土方の眉間の皺はなくなっている。かわって、その秀麗な口許にはめずらしく苦笑すら浮かんでいる。


 隊士たちが集まってきた。会津武士たちも土方のつぎなる言をまっている。


「やれっ坊、すべておまえに任せる。後悔させてやれ、心の底からな・・・」

「承知」

 応じた少年の異相には、不敵な笑みが浮かんでいた。


「ドーン!」「パンッ!パンッ!」

 彦根藩、そして眼前の薩摩藩の攻撃がふたたびはじまった。

 だが、いまのところは威嚇のようである。大砲も鉄砲も、威勢よく音だけがするだけでいかなる弾も飛んでこぬ。


 全員が頭を低くし警戒するなか、少年だけは悠然と二頭の騎馬にちかづきその轡をもはずした。それらを忠助に手渡すと、風神と雷神の鼻面を掌でやさしく撫でる。

 少年の肩で、朱雀が鋭く鳴く。


「林殿、家宝の強弓、ありがたくつかわせていただきます」

「じつはな・・・」

 林は、皺の刻まれた相貌を指先で撫でながら告げた。

「家宝といえど、その弦をひけた者はおらんのだがな・・・。まさか、わらすがつかおうとは・・・」

 立派な顎鬚をしごきつつ、会津藩の大砲奉行は困惑している。


「なんの、このぐらいでないと弓の本領はみせられませぬ。古来より、この弓こそが最強の武器。それは、銃や大砲をもときには凌駕いたします。とくとご覧下さい。林家の強弓の威力を」


 異相に浮かぶ笑顔は、新撰組や会津武士たちには眩しく感じられる。


「朱雀、わが眼となってくれ、頼むぞ」

 大鷹は翼をひろげて羽ばたくと、あっというまに大空にへと飛翔する。


 少年は指笛をふいた。それは耳朶に、というよりかは心に直接しみこむいような奇妙な音色である。


 前方に布陣する敵軍の馬上の指揮官二人が、かろうじてうかがえる。

 指笛が寒風にのってながれていった矢先、その騎馬たちが棹立ちになり、馬上の人間ひとを振り落とした。


 ほぼ同時に、地響きがおこる。それは、無数の馬蹄によるものであった。数えきれぬ無人の騎馬があらわれたかと思うと、馬首を桃山龍雲寺へ向け駆けてゆく。


 無数の鴉たちが、「カー!カー!」と大音声を発しながら都の寒空の一部を黒く染めあげる。それは、馬とおなじ方角へと飛翔してゆく。


 風神と雷神もはやく駆けだしたいらしい。焦げ跡のついた地面を蹄で引っ掻いている。


「ゆくぞっ!」

 少年の号令で、二頭はいっせいに駆けだす。


 少年は主を含めた大人たちに一礼すると、ちいさな背を向けた。


 強弓と矢筒を背負ったちいさな背・・・。


 幾度となくみているちいさな背・・・。


 土方は、自身のこめかみに痛みを覚えた。


 少年は先行する馬たちを追いかけ、跳躍すると風神の背に着地した。片膝つく。


 鞍のない馬の背はあたたかい。風神の呼吸、血の流れ、意思を感じる。


 風神と雷神は、加速してゆく。


 少年は、風神の背にゆっくりと立ち上がった。

 二頭は、毎夜の練習どおりどんどんその速度を上げてゆく。

 左半身をまえにし、さらにゆっくりとした動作で強弓に矢を番える。

 いつでも弦をひきしぼれるよう準備する。

 左側のがないことは、少年にとっては問題ではない。

 朱雀が、そのかわりをしてくれるからである。


 敵陣を無数の騎馬が駆けまわる。敵の小銃隊は、暴れまわる騎馬から必死に逃げまどう。


 少年の騎馬はその混乱を横目に、彦根藩が布陣する桃山龍雲時に向かってまっしぐらに駆けてゆく。

 その少年を狙い撃ちしようとミニエー銃を構える兵士に、頭上から鴉が襲いかかる。頭のいい鴉たちは、人間ひとの目玉を刳り抜こうと執拗に攻撃する。


 あらゆる動物が少年の味方である。けっして操るわけではない。少年は協力、助力を依頼し、これから奇跡を起こそうとしているのである。


 少年は、風神の背で呼吸を整える。少年にとって、馬上の揺れもまた問題ではない。

 動物たちが敵の攻撃から護ってくれる。集中して朱雀と同化できる。


 隻眼を閉じる。息を浅く吸い、吐く。その繰り返しを、つぎはじょじょに深くしてゆく。

 意識を集中すると、周囲のあらゆることが遮断される。


 朱雀の呼吸と心音を感じる。それにあわせる。

 さきほど、朱雀から風向きと強さをきいた。向かい風、すこし強めだという。


 隻眼は閉じられたままである。ゆっくりと弦をひきしぼってゆく。

 無音、無為、まるで混沌のなかにただ浮かんでいるようだ。


 大鷹は、桃山龍雲寺に据えられた一番おおきなアームストロング砲に向かって飛んでゆく。


 彦根藩の砲手たちは、眼下でにわかにおこった騒動を助けよう準備をはじめる。


 呼吸はいまや深く、脳裏ではっきりとアームストロング砲をみることができる。


 どれだけの剛の者が挑戦しようとも、ほとんどひきしぼれなかった弦は、華奢な少年の細腕によって充分ひきしぼられた。


「キイッ!」

 朱雀の合図を感じた。


 朱雀は大砲の砲口ちかくにまで突っ込むと、そのまま急上昇した。


「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくはあの砲の真ん中を射させてたばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に再び面を向こふべからず。今一度本国へ迎へんとおぼしめさば、この矢はづさせたまふな」

 少年は平家物語の一節を唱え、壇ノ浦で平家方が掲げる日の丸の扇を射る那須与一のごとく一矢をひょうと放った。


 それはみるまに飛翔する。


 ちょうど砲手がひき綱をひっぱり、点火口内の火薬が発火して砲口内で装薬が爆発したところである。 通常は、その爆発で砲弾が発射される。


 矢は、その機を狙って砲口内に侵入した。

 少年が細工した火薬を仕込んだ鏃は、砲口内での爆発をさらにおおきくした。


「ドカーンッ!」

 みている者の心胆を揺さぶるには充分すぎるほどの響きを伴い、彦根藩の大砲が自爆した。さらにもう一基が、放たれた二矢目によって爆発した。



 最後の一基は、威嚇射撃だけでおわった。

 実弾を装填するも、砲筒後部で巨大な膨張率をもつ火薬ガスが、圧力をもった際に尾栓が破裂してしまった。

 少年が矢を射かけるまえに自爆したというわけだ。


 これは、この大砲の欠点である。

 

 じつは、英国海軍で多大な損害をだしているのだ。

 だが、此度はそれが功を奏してくれた。 

 


 まさしく、幕末の那須与一。


 古より人間ひとが狩りや戦につかってきた弓は、ありとあらゆる兵器の頂点に立つことを証明したのである。


 毎夜、朱雀と風神と雷神と鍛錬に鍛錬を重ねた結果でもある。


 これを目撃した敵味方は、一様に奇跡ととったであろう。


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