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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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餓狼二匹

 この夜、新撰組では隊士全員に金子が配られ一夜限りの自由時間が与えられた。

 戦を前に英気を養うと同時に、家族、女、友らに別れを告げさせることが目的である。


 永倉と原田はそれぞれ別宅に戻り、配られた金子すべてとわずかな蓄えを妻子に与えた。


 今生の別れとなるから・・・。


 永倉は娘に、原田は息子に、涙をこらえ精一杯の愛情を与え、妻には愛を与えた。それぞれの妻は、出来た女だ。

 覚悟と決意は、妻というよりかは母のそれである。そして、なにもわからぬ子どもらは、無邪気に父の頬ずりにきゃっきゃっと可愛く笑い声を上げ、よりいっそう父の涙を誘った。


 一方で、家族のいない独り者の隊士のおおくが、馴染みの女に会いに島原や祇園にしけこんだ。


 もらった金子は女の情と肌を存分に味わい、一夜で使いきる。


 それぞれの夜が静かに過ぎていく開戦前の一夜・・・。


 それはまさしく、嵐のまえの静けさであった。


 大石は、一人奉行所の庭をゆったりとしたあしどりであるいていた。

 懐手でにし、もう片方の掌には空の酒瓶をぶら下げている。


 夏用の麻の着物や袴は、ところどころ擦り切れ穴があいている箇所もある。


 大石は女にだらしなく、さらに金遣いが荒らい。

 暗殺という任務にたずさわり、その報酬はほかの隊士たちの倍以上は得ている。それらはすぐに、女、酒、博打で消える。したがって、いつも金子がなく、着るものさえろくにない。


 此度与えられた金子も、借金の返済すら賄えなかった。


 ついてねぇ・・・。

 腐っていた。

 お気楽な隊士たちは、酒を呑み女を抱いているというのに・・・。


 新撰組ここの誠の英雄たる自身が、かようなていたらくとは。


 自身が穢れ仕事をやっているお蔭で、新撰組ここの連中はいい思いをしているのではないか・・・。


「ちくしょうっ!」

 大石は、声にだして自身の心中にある鬱憤を示した。


 まるで自身を嘲笑うかのように、夜空には大きな満月が煌々と輝き、無数の星もまた瞬いている。


「くそっ!酒と女が欲しい。血でもいい。何人か斬り殺してぇ・・・」

 その想いが口唇から大音声となって飛びだしたのと、奉行所の建物から両局長の小姓たちが飛びだしてきたのが同時であった。


 でくわし、たがいにぎょっとする。


「餓鬼どもか。鬱陶しい連中だ。はやく消えろっ!」

 大石は、虫の居所以前に餓鬼が大嫌いなのである。

 甘やかされ、ちやほやされ、大事にされているこの餓鬼どもが・・・。


 それは、そっくりそのまま子どもらにもいえることである。


 子どもらは、猫背で無表情で、さらに陰気な雰囲気のこの隊士が苦手なのだ。


「大石先生、無礼ではないですか?」

 市村がいいかえす。


 今宵だけは、秘密の特訓も休みである。

 子どもらを、奉行所の外にだすわけにはいかぬからである。 

 それでも、子どもらは子どもらなりに大人のすくなくなっている奉行所の留守を護る為、みまわりをおこなおうとしていた。

 それを、大石に腐されたのだから短気な市村でなくともいい返したくなるであろう。


「なにが無礼だ、餓鬼?役立たずは邪魔だ。おれのまえから消えてなくなれ」

 大石も辛抱強くない。市村の言に、空の酒瓶をぶんぶんと振りまわしながら怒鳴り返す。


 市村は、たずさえていた木刀をすっと構えた。その正眼の構えは、大分と様になっている。

「てっちゃん、やめなよ」

「てっちゃん・・・」

 市村のおさえ役は、いつの間にか泰助と田村になっている。


「大石先生、申し訳ありません」

 子どもらの監督役の相馬が、やっと追いついてきた。

 勘のいい相馬は、すぐにこの場の空気をよみ、冷静に状況を判断する。

 そして、大石と市村の間に入り、市村を背にかばうようにして大石に頭を下げる。


「ふんっ監督不行き届きだな、相馬?餓鬼が、このおれに剣術で勝負しようってか?笑わせる」

 奥目でえらの張った相貌に、陰鬱な笑みが浮かび、薄い口唇から耳障りな笑声が漏れる。


「なんだと?大石先生なんかたいしたことないじゃないか?」

「ああ、鉄のいうとおり。大石先生はたいしたことないさ」

 市村の大胆な発言に、野村も追いついてき、さらに大胆な発言をかぶせた。


 野村も、大石や市村とおなじく血の気がおおい。


「野村、貴様っ!」

 大石は、甲高い怒声を上げた。

 同時に、得物である「大和守安定やまとのかみやすさだ」を抜く。


 じつは、此度配られた金子は、博打で負けこみ肩代わりとしてまきあげられたこの得物をとりもどすのにつかわれたのである。


「市村、木刀を貸せ」

 野村は無腰である。市村から木刀を奪おうとするが、市村もそうはさせじとそれを強く握ったまま放そうとせぬ。

「なにをやってるんだ、野村」

「てっちゃん、だめだよ・・・」

 相馬は野村を、子どもらは市村を、それぞれとどめようと躍起になる。


「大石先生」

 刹那、さしておおきくない声が背後からきこえてきた。


「うわっ!」

 市村は、やはり無様なほど飛び上がってしまった。


 そのすぐうしろに、相貌の半分を包帯で覆った少年が立っているではないか。

 相馬や野村も驚いている。


「・・・」

 大石は、突然この場にあらわれた異相の少年をみ下ろした。

 無意識のうちに後退してしまう。

「安定」を握る左の掌は汗ばんでいる。

 そして、背筋を冷や汗が流れ落ちてゆく。


 あいかわらず薄気味悪い餓鬼だ、と心底思う。

「土方二刀」の一振り。

 自身が新撰組ここで暗殺を任されるまで、もう一振りである斎藤とともにおおくの要人を葬ってきたときいている。だが、話しをきいているだけで実際その力をみたわけではない。

 斎藤は三番組組長として、「近藤四天王」の一人として、その力はある程度しっている。

 だが、この餓鬼は古参の隊士たちが噂とともに一目置いている位で、じつのところその真偽のほどはわからぬ。

 大石はすべての話を鵜呑みにしておらず、信じる気もさらさらない。


「私闘は、局中法度に背きます」

 少年は、年長者たちの間を縫いすすみながら大石の近間をおかす。

 大石はさらに半歩後退してしまう。

 そのとき、ふっと少年が微笑した。刹那、大石は自身をおさえつけていた奇妙な重圧がとりのぞかれたような気がした。

 

「「安定」は、長刀にもかかわらず刃があつく反りのするどいいい刀です。よかったですね、戻ってきて」

 少年は、微笑しながらそう囁く。その声音は、相馬たちにはきこえなかったであろう。


 この薄気味悪い餓鬼は、すべてをしっているのだ。


「勝手に金策致不可」。私闘とおなじく、局中法度で禁じられている。


 大石は返す言もない。 


「ふんっおれを脅すのか、餓鬼?明日の戦を控え、こんなくだらぬことでおれに切腹させるとでも?貴様の叔父上殿がか、えっ?」

 こうなれば開き直るしかない。


 経験上、下手に卑屈になったり隠し立てするよりか、このほうがよほど効果があることをよくわかっている。


 あいているほうの掌をのばすと、少年の着物の合わせをぎゅっと掴み、そのまま宙にひっぱり上げようとした。が、胸元がはだけただけで少年はびくともせぬ。

 月明かりの下、はだけた着物のうちに少年の華奢な体躯が垣間みえた。

 そこにある無数の傷は、なにゆえか艶かしく感じられる。

 無意識のうちに、生唾を呑み込んでしまう。相手の隻眼が、自身の双眸をじっとみている。そこには、自身にたいする敬意など微塵もなく、さりとて馬鹿にする色もない。脅えや害意なども認められない。

 きれいなは、すべてをみ透かし呑み込んでしまいそうだ。


「おいっ、こいつは関係ないだろう?」

 市村からやっとのことで奪いとった木刀を左の掌に握り、それを打ち振りながら野村が迫ってきた。

 殺気立っている。

 子どもらすらそれを感じとり、田村がだれかを呼ぼうとはしりだそうとした。

 無論、相馬もおなじ役目の野村をとどめるべく、大石と少年、野村の間に割って入ろうと試みる。

 市村もまた、参加しようと駆けよろうとする。


「動くなっ!騒ぐんじゃない、餓鬼どもっ!」

 なにゆえか、その制止の声音は上擦り、おし殺したものであった。


「貴様、なかなかいいけつをしてるんだろうな、えっ?」

 口唇を少年の包帯を巻いていない側の耳朶にちかづけ囁く。


 それは野村や相馬、市村にもきこえるほどの声音である。


「伊東さんのまえは、芹澤局長だったんだってな、えっ?貴様のけつを掘った者は、ことごとく殺られるってか?それとも、貴様の叔父上がそう仕組んだのか、えっ?」

 なんの意味も価値もない、くだらぬ挑発。それは、優秀な間者である少年の苦笑を誘っただけであった。それには、野村と市村のほうが衝撃と同時におおいに刺激をうけたようである。


「大石、副長を馬鹿にするのか?」

「くそっ!陰険なやつめっ!」

 野村はいまにも木刀で打ちかかりそうだし、市村は素手で飛びかりそうだ。


 相馬、泰助、田村は同時におなじことを思った。


 この二人はそっくりだ、と。


 大石は抜き身をかざし、「安定」の切っ先を威勢のいい餓鬼と餓鬼の守り役へと向けた。

 は少年のはだけた胸元にすいついており、下卑た笑みが浮かんでいる。


「どっちだっていいんだぞ、餓鬼?」

 少年の耳朶にさらに口唇をちかづける。

「やらせてくれりゃ、あの身の程しらずの餓鬼どもは、うしろを気にする必要はねぇ。まっ血をみさせてくれるのも面白いかもな・・・」

 くくくっと喉の奥を鳴らす。これで、この副長の甥っ子を手懐けられたと思った。


「えぇいいでしょう、大石先生。おれたちはおなじ穴の狢ですから・・・」

 少年は、右側の口の端に妖艶な笑みを浮かべた。それから、わずかにうしろを向くと、すぐうしろで大石の「安定」に威嚇され立ちすくんでいる野村たちに告げる。

「はやくいって下さい。大石先生の気がかわらぬうちに」

 そして、そのままあるきはじめた。


「ちっ!餓鬼ども、命拾いしたな」

「安定」を納刀しつつ、生意気な餓鬼どもに告げる。

 

 気分は、さきほどよりずっと良くなった。

 伊東や芹澤が好んで抱いた少年をものにできるのだから・・・。


 それらの末路について、もはや脳裏から完全に欠落してしまっている。



 こういう手合いは、欲しいものをあたえればそれだけで満足する。

 これは命じられた任務ではないが、この大事な時期ときに一悶着あるのは、だれにとっても好ましくない。

 やらせてやればとりあえずは満足し、しばらくはおとなしくなるであろう。


 わりきることにした。はやくすませ、借りた強弓の練習をやりたい。


 大石は、自身そのものだ。血と陰惨な臭気を撒き散らし、人を人とも思わず、独善的でなにより常軌を逸している。

 斎藤や中村とは違い、これ(・・)は人を血と肉としか思わず、それに酔いしれることのできる殺人狂だ。

 まさしく、自身の投影。反吐がでそうだ。


 奉行所の別棟に物置きがある。大量の薪が蓄えられている。

 土壁に一つだけある窓から大きな月がみえていて、そこから、一条の光が射し込んでいた。


 薪の束のまえに立たされ、首根っこをおさえられる。

 片方の掌では、袴の紐がほどけぬらしい。荒い息のなか、幾度も舌打ちの音がきこえてくる。もう片方の掌は、自身の袴の紐を探ってくる。


 頸筋に、雄の気と息とが感じられる。

 脳裏に、またしても昔の情景がよぎっってゆく。


(くそっ!なにゆえいまさら・・・)

 無意識のうちに、瞼を閉じてしまう。

 背を向けているので、大石にはわからぬであろう。

 もっとも、向き合っていたとしても、これだけ興奮の際にある、わかろうはずもないか。


 昔、そのことが起こる直前に、自身の気が飛んだことを思いだす。そこからしばらくの間の記憶が封じられてしまった。それを、「千子」とその遣い手である疋田忠景はみていた。だからこそ、「千子」に教えてもらえた。


 なにゆえわたしを凌辱するのか?はやくおわってくれ・・・。

 現在いまあることから必死に気を逸らそうと試みる。


 あのときの記憶が戻ってから、かようなささいなことでも自身に苦しみをあたえることに、気づかざるをえぬ。

 伊東参謀のときもそうであったように・・・。

 相貌の傷とおなじだ。間者として失格である。


 握る拳は、左の側だけ感覚があまりない。

 ああ、毒のせいか・・・。

 じっとその拳をみつめてしまう。


 かようなことでは、これからの戦いをのりきれぬ。おおくの命や矜持を護れぬ・・・。

 わたしは、ばけものだ・・・・。



 少年が苦悩するなか、大石まいまだ袴の紐と格闘している。そしてやっと、紐が解けそうになった。


 その瞬間、「大石、貴様っ!」、という怒鳴り声とともに大石が薪の束に叩きつけられた。


 束ねられた薪が崩れゆく、かわいた音が響きわたる。

 それにまじり、荒い息が二つ。

 一つは、いまだ性的な興奮からさめやらぬ大石のものである。

 苦痛の呻きを上げつつ、薪の束から体躯を起こそうともがいている。


 そして、いま一つはあまりの怒りの為による興奮のそれであった。

 こちらは、仁王立ちで大石を睥睨している。


 井上源三郎である。


「殺してやる、大石。貴様っ、自身がやっていることをわかっているのか?」

 普段の井上からは想像どころか夢にすら思えぬほど、その声音には強烈な怒気と峻烈なまでの殺気がこもっている。


 大石は、あがくのをやめた。


 性欲という重圧から開放された少年もまもた、呆然と井上をみ上げる。


 太刀の切先は、微動だにせぬ大石の眉間にぴたりとあてられる。


「ちょっ、ちょっとまって下さい、井上先生・・・」

 さしもの大石も、この井上の殺気に自身に危険が迫っていることを感じたようだ。


「こ、この餓鬼が合意したので・・・」

「やかましいっ!こんな餓鬼になにがわかるってんだ、えっ?」

 江戸の言の葉とともに、得物がすっとひかれる。

 大石はその隙に四つん這いで薪の束から逃れ、井上との間合いから素早く這いでた。それから、転がるようにして物置から逃げていった。


 井上は、それを追うこともなく、少年のまえに立った。


「どういうことだ、坊?」

 そこには、どんないいわけやとりつくろいもうけとめてはくれぬ、冷たさがある。


 刹那、「馬鹿野郎っ!」という叫びがあがった。

「ぱんっ!」、と無傷な方の頬に平手打ちが飛ぶ。

「痛っ!」

 少年は反射的に悲鳴をあげ、平手打ちを喰らわした側も喰らった側もそこではじめてなにがおこったかをしった。


 驚愕の表情かおで自身の左の掌をみつめる井上、そして、赤くなっているであろう自身の右の頬に右の掌をあてる少年・・・。


 いかなる攻撃も予見し、みきることのできる少年が、このいわば特殊な攻撃をみきることはできなかった・・・。

 哀しみと愛情が存分に籠る平手打ちには・・・。


「こんなことは、やってはならぬ。坊、こんなことはしてはやってはならぬ」

 井上は、両の膝をおり、少年と目線をあわせた。それから、両の掌でちいさな両の肩を掴む。その掌は、長年の農作業による鍬や鋤によるものと、天然理心流での剣の稽古により、たくさんのまめやたこができている。

 分厚く皺だらけで、なによりあたたかい。


「おれにはわかりません、源小父げんおじ

 少年は、井上を試衛館時代の呼び名で呼んだ。


 少年は、一行のなかでは最年長の井上にたいし、格別に敬意を払い、また懐いている。そして、井上も、少年のことをあまたいる甥や姪以上の存在としてあつかっている。

 井上は、剣術以外での生活や世間一般の常識について、いつも少年に口すっぱく注意や助言をした。

 それは、京にあってもおなじことである。


 少年だけではない。井上には、土方や沖田、局長の近藤ですら頭ごなしに叱り飛ばす資格・・がある。


「こんなことは、人を殺めることとおなじです」

 隻眼が井上の双眸とまじわる。


 そこには、駄々をこねるおさないわらべの姿がある。


 血なまぐさい世界、謀略の舞台、かようなかで生き、精神こころも体躯も十歳とおのまま成長せぬおとこ・・・。


「ちがう、ちがうのだ坊・・・」

 井上は、少年の肩をゆさぶる。

 井上は、どう説明したらいいかわからぬ。


 すでに人を殺す、という時点で普通のわらべとはちがうのである。


「欲と感情はちがう・・・」

「しかし、大石先生の心中は野村さんの血かおれを、おれとすることしかなかった。どちらが無難か、いうまでもないでしょう?」

 ただの駄々っ子である。形のいい口唇を尖らせ、訴える。

「おまえはもう、ここでかようなことをする必要はないんだ」

 つい語気が荒くなる。

 どう説明していいのか皆目見当もつかぬ。

「なにゆえですか?おれには理解できませぬ」

 少年もまた怒鳴りかえす。

 たがいがたがいの、かような意思表示をみたことがなない。


人間ひとは、欲だけで生きているわけではない。相手を想い、好きだと思えば情を通じ、相手を受け入れる」


 いや違う。そもそも、男同士がすることか?だが、衆道は女のそれと大差ないというではないか?

 ああ、やはりかようなことは苦手だ・・・。


 生涯、独り者で女との逢瀬すら縁どおい自身の不甲斐なさに苛立ってしまう。


 少年は、包帯に覆われていない方の口許に笑みを浮かべようとして失敗した。

 左の掌をこめかみにあて、口唇から言の葉をしぼりだす。


「おれは人間ひとでは、人間ひとの子ですらない。ばけものに、感情などありませぬ。おれは、男に抱かれることで情報を得、あるいは殺し、そうしてあたえられた命令をこなしてきました。これは、斬殺したり縊り殺すこととなんらかわりありませぬ」

 右の拳が井上の胸元を軽く突き、そのまま掌がひろがる。

「それが、辰巳という名のばけもののしてきたことです」


 やはりこの子は、あらゆる意味で傷つきすぎている・・・。


 井上は、あらためて思った。

 そして、この子の生い立ちと将来さきのことが心から不憫に思える。


 不覚にも、双眸から大粒の涙が零れ落ちてしまう。


「ごめんなさい、源小父・・・」

 そうと気づいた少年は、隻眼を伏せ小声で詫びる。

 試衛館時代、兄貴分たちといたずらや無茶をやったとき、井上はことさら沖田と少年を叱った。

 沖田のほうはそれをうまくかわす術をしっているが、少年はいつも生真面目にきいていた。


「わたしたちのだれ一人として、おまえのことをばけものや人殺しとは思ってはおらぬ。そして、歳さんはおまえをただのつかい捨ての刃とは思ってはおらぬ・・・」

 井上はちいさな肩をひきよせると、小さな頭部を胸に搔き抱いた。


 うまく説明はできそうにない。だが、この聡い子は、人間ひとのあたたかさ、想いはわかるであろう。


「坊、おまえのことは、みなが心を痛めている。おまえの避けられぬ運命さだめについて、そして、それをかえられぬことも。おまえに死んで欲しくないのだ・・・」

 井上の涙はとまらぬ。

 みじかく刈り揃えたばかりの頭に涙が落ちてゆく。井上の胸のなかで、少年の体躯が硬直している。


 かようなささいな愛情表現すら、この子はしらぬのだ。


「もっと自分を大事にしてくれ、坊。そして、すこしでもながく生きてくれ。生き急ぐな。頑固で口うるさい長老・・の、それが唯一の願いだ・・・」

 井上の切なる願いである。


 一方の少年は、井上の胸のなかでそのあたたかさを感じた。そして、隻眼を上げたとき、そこに井上の涙でくしゃくしゃになった相貌かおをまのあたりにした。


 そこに浮かんだ死相を・・・。

 あまりの衝撃は、不覚にも少年をふらつかせる。


「源小父・・・・」

 口中で呟き、頭を上下させるのが精一杯である。

 

 少年は、自身の直感も調子が悪いことを願ってやまない・・・。

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