会津武士
伏見奉行所に四人の会津藩士が訪れたのは、夜半もまわった時分である。
いずれも武装し、巡回の途中にぶらりと立ちよった感じである。
四人とも新撰組の幹部とはみしった仲である。その存在を、いい意味で意識しあっている仲でもある。
林安定は、会津藩の大砲奉行である。
一宮流居合術の達人であり、長沼流の砲兵術を学んだ。
はやくから西洋砲術に興味をもち、それを学び会得した。
その林の弟子たちが、新撰組に砲術の調練をおこなってくれている。
その林の長男の又三郎も、その弟子の一人である。
親子ともどもに、会津藩の無骨な気風のなかでもより無骨な雰囲気を醸しだす、会津武士のなかの会津武士である。
神保修理は、会津藩の軍事奉行添役である。
先見の明があり、かつ慎重で洞察力もある。
会津候ははやくからそれをみいだし、かれを長崎へと留学させて西洋の軍事をはじめ、あらゆることを学ばせた。
皮肉にも、それが白虎隊を生み、後の会津戦争における悲劇の一つへとつながってゆく。
かれは、この情勢の裏側に気がついているようだ。ゆえに、長崎から戻って王政復古を目の当たりにすると、会津候のみならず将軍にまで不戦を説いた。
それが後に自身を滅ぼすこととなろうとは、このときにわかるはずもない。
会津候不在の京で、討薩を息巻く同僚たちの手綱を握るのに尽力している。
もっとも、それも無駄な努力となってしまったが・・・。
その容姿は雅やかな美しさがあり、会津にいる妻雪子もまた美しいと評判である。
夫の不本意極まりない自決の後、会津戦争で捕虜になった際、土佐藩士の短刀を奪い、それで壮絶な自決を遂げる。
それらは、このときよりさほどとおくない将来におこる悲劇の数々である。
佐川官兵衛は、いわずとしれた会津の剣豪である。
ごつい相貌にごつい体躯、その内面はさらにごつい。
酒をこよなく愛し、強い。そして、それで失敗することもおおい。酒の失敗で謹慎や叱責を喰らうことは、もはや会津藩では日常茶飯事のことである。
豪快でまっすぐで人情にあつく、おおくの人に慕われている。
佐川は、そんな漢だ。
かれは、この四人のなかで会津戦争を唯一生き残る。
明治期にはいると、警察官になる。西南戦争に従軍し、制圧した南阿蘇で略奪行為を一切禁じる。地元の人々にたいそう感謝されるという逸話を残すこととなる。
かれはその戦において被弾し、それが原因で戦死する。
斎藤とは江戸詰めの頃からの知己であり、その縁で斎藤が会津候の間者をつとめるようになった、ということはしられざる秘密である。
伏見奉行所のお偉方が、客人を招く一室である。
土方と井上は、神保、林親子と上座で向き合って座している。下座で、佐川と永倉、原田、斎藤が佐川が手土産にと持参した会津の地酒を車座になって愉しんでいる。
人の気配に敏い少年は、廊下側の障子のまえに、客人たちと並ぶ位置に端座した。
「こうなってしまった以上、わたしも腹をくくって薩摩討伐に尽力するつもりだ」
神保の嘆息まじりの言は、土方を苦笑させた。
組織とは、えてして煩わしい。現在の新撰組がいい例であろう。
「弓?ですかな、林殿?」
井上が林の荷物を指差し尋ねた。
会津の砲術奉行が、弓の形をした包みをもち込んでいるからである。
「さよう。かようなもの、なにに遣うのであろう?たのまれましてな。ほうれ童、時代遅れの代物だが、望みのどおりの強弓である。もはや、かような時代遅れのものはほかにはないぞ。会津から、我が家の家宝を運ばせた。それにしても、大事無いのか、その相貌?せっかくの美童も形無しではないか?」
林は、弓と矢の束を手渡しながらいった。
その言の後半部分は、祖父が孫を叱るときのような響きがこもっている。
林は、少年のことを気に入っている。国にいる孫のごとく・・・。
その様子を、飲酒組も酒を呑む手を止めて興味深げに眺めている。
「林様、かたじけのうございます。ご心配いただき、そちらもかたじけのうございます。ちといたずらがすぎたようです」
少年は林の傍まで膝行すると、その古風な武器を両の掌でうけとりつつ舌をだした。
それはまるで、孫が祖父にたいするしぐさである。
「どういうつもりかね、童?」
神保もまた、興味深く眺めている。
神保も林同様に、この聡明で控えめな少年を気に入っている。
それは、佐川もまた同様である。
佐川は、新撰組が浪士組だった時分、会津候の御前でおこなわれた上覧試合で、一目でその力をみ抜き、会津候に少年との立合いを所望した。
じつはその上覧試合は、斎藤から少年の話しをきかされた会津候がその正体をたしかめる為に仕組んだものであった。
浪士組の実力をはかる為、ということにして。そして、木刀でおこなわれたその試合で、佐川は天然理心流を遣う少年に瞬殺された。
力、技、そしてその精神すべてにおいて・・・。
以来、佐川は、このちいさなちいさな童を、軍神かのように扱っている。
一方、会津候は、その試合で自身のよみがあたっていることを確信した。
そして、それは二十数年ぶりに再会した二人の、けっしておもてでは語れぬながくて苛酷な共闘の幕開けであった。
少年は神保に問われ、土方に視線をはしらせた。土方が軽く頷く。
神保と林は、少年がさりげなく発言の許可を求めているのを見逃さぬ。
殿が、この童を格別にあつかい、密かにもちいていることも頷ける・・・。
つくづく、できた童だと思った。
「このあたり一帯の物見にいって参りました」
少年が話しはじめた。
酒を呑むのを中断していた佐川らが、少年の囁き声がきこえる範囲にちかづいてくる。
全員が。真剣な面持ちでききいる。
ここにいるのは、まぎれもなく武人なのである。
「失礼ながら、大坂にいらっしゃる討薩派の滝川様は、薩摩を軽んじておられます。、否、この状況そのものを軽んじられ、現実をご覧になられておりませぬ」
滝川具挙は、旗本である。
大坂で討薩を強硬に推しすすめている。慶喜は、それによって決意せざるをえなかった。
このすぐ後、この滝川が原因で開戦の火蓋がきって落とされることとなる。
「われわれは、なにもかもなさすぎます。おもてには武器弾薬の類、裏では籠絡の類・・・」
「武器は・・・。うむ、たしかに連中は、四斤山砲やアームストロング砲を所持しておる。それにたいし、われわれは和砲がいくつかあるだけである。しかも、それぞれのもつ銃の性能や数もちがいすぎる・・・」
会津の大砲奉行は、その皺首をしきりにひねった。
「残念ながら、もはや刀槍の時代ではありませぬ」
あらゆる国々の戦を経験している少年の実感である。
銃火器の性能や数がものをいう。もはや鎧兜や刀や槍など、前世の遺物にすぎぬ。
味方でそのことに気づいているのはすくない。たとえそれに気づいていても、認めようとせぬ。
すくなすぎる・・・。
一方、薩長は銃火器に長けた異国と直接戦った経験があるからこそ、身をもってその重要性をしっており、それらを柔軟にとりいれた。
これが、そもそものちがいなのである。
「数がある・・・。いくら弾を撃ち込んでこようとも、数で押せばどうにかなるであろう?」
剣士らしい発言だ。
少年は、その佐川の言に異相を上下させた。
「根回し・・・。つぎにこちらが問題です。いまは譜代以下、幾つかの藩がこちらについているかのようにみえます。が、開戦すればいったいそのなかの幾つの藩が実際に戦うでしょうか?さらに、すでにあちら側は切り札を準備しております。その切り札をつかわれれば、日和見している藩どころか刀槍を握っている藩ですら、寝返るは必定・・・」
予言ではない。それはすでにわかっていることである。
すくなくとも、少年や慶喜らには・・・。だからこそ、慶喜も慎重であった。
だれかが唾を呑み込んだ。その音が、静かな部屋の内に響く。
どの相貌にも、信じられぬというものか、あるいは信じたくないというものか、どちらかが浮かんでいる
少年は、寝返る藩のことまで予測をつけている。
実際、それらの藩に侵入し、様子をうかがった。ついでに、それぞれの藩の所有する銃火器についても調べている。
「平和に慣れた旗本が、いったいどれだけ戦えますか・・・」
これがとどめの一言である。
「失礼いたしました。神保様の問いに、まだ答えておりませんでした」
少年は、絶望的な空気の流れをかえる為、わざとおどけた声音でつづける。
「われわれの大砲の力を補う為、強弓をお借りしました」
全員が、少年の両方の掌にある林家家宝の弓をみつめる。
「現代の那須与一を、ぜひともご覧じよ。ご一同、どうかご無事であらせますよう・・・」
少年の異相に、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。




