軽挙と蒙昧
「なんてこった、ちくしょうめ。てめぇらの軽挙妄動のせいで、とんでもねぇことになっちまいやがる。てめぇらは薩摩藩邸を焼いただけだが、薩摩は、この江戸そのものを焼き払っちまうだろうよ。そうすりゃ、江戸は灰燼と化しちまう」
薩摩藩による挑発にのった庄内藩預かりの新徴組は、十二月二十五日江戸の薩摩藩邸を襲撃し、そこを焼きはらった。
三日後、当事者の山口三郎や安倍藤蔵らは赤坂見附にある勝の居宅を訪れた。
報告をきいた勝は、まずは口汚くののしった。それから、「ついに戦になりやがった」、と嘆いた。
「おおげさな。これで江戸は静かになります。まぁ、のんびりやりましょう」
安倍の言である。
新徴組は、ことの重大さをまったく理解していないのである。
これからやってくるであろう難問の数々・・・・
それを考えると、心底うんざりしたくなるのも当然であろう。
大坂城にその報が入ったのは二十八日。
対薩強硬派の大目付滝川具挙、勘定奉行の小野友五郎の「薩摩討つべし」の強硬論を、慶喜や板倉勝静はおさえられなかった。
討薩の意思はかたまった。
これにより、旧幕府軍の受難が幕を開ける。
佐々木只三郎は神道精武流を学び、「小太刀日本一」と称されているほどの小太刀の名手である。
清河八郎と浪士組を結成し、それを京に率いてきた。
その後、江戸に戻り、そこで新徴組を結成した。京にふたたび上洛してからは、見廻組の長として新撰組とともに、攘夷志士たちから怖れられている。
幼少の頃からの小太刀の鍛錬は、かれの体躯をしっかりと鍛えた。中背ではあるが、筋肉質のいい体躯である。
のっぺりとした相貌に表情といったものは皆無で、なにを考えているのかわからぬ、気味の悪さを感じさせる。
江戸の吉原、京の祇園や島原、といった花街にあってすら、佐々木はもてなかった。
その性質は陰湿。なにごとにもしつこく、しかも執念深い。
じつは、かれこそが坂本と中岡を襲い、殺害した実行犯の一人である。
土方は、その佐々木とは浪士組の時分からの付き合いである。だが、最初から佐々木のことが気に入らない。
それは、おそらくは佐々木もおなじことであろう。
二条城の警護は、慶喜の生家である水戸藩がおこなっている。水戸藩士は、新撰組など任侠の集団ぐらいにしか思ってはおらぬ。
ゆえに、新撰組は二条城によりつくことすらできぬ。
そして、見廻組もまた同様である。
新撰組など、自身らの走狗ぐらいにしか思ってはおらぬ。
江戸の薩摩藩邸焼き討ちの報は、京にももたらされた。
土方は今後の自身らの処遇を確認しようと、二条城にいくどとなく登城した。
しかし、かならずやそういった武士どもに邪魔されてしまう。
「土方、貴様らは伏見奉行所で、おとなしく午睡でも貪っておれ。用があったら小者にでも呼びにゆかせる」
佐々木は、そういって嘲笑した。
新撰組は、新遊撃隊なるものに隊名を変更することを強要されていた。しかも、佐々木率いる見廻組の直下に組み込まれたのである。
悔しいが、ここはひくしかない。
口唇を噛みしめる土方。
その懐刀たちは、かれの心中を十二分に理解している。
少年は、坂本と中岡を暗殺し実行犯をしっている。
ゆえに、土方のうしろから佐々木をじっとみつめてやる。
佐々木もそこそこの遣い手である。
江戸の伝通院ではじめて会ったとき、少年の力を感じた。
そしていま、隻眼による凝視が佐々木の肝を冷やす。
京の町はすでに情勢を察知し、あるいはきたるべき戦を予見し、人間も空気も緊張をはらんでいる。
先の禁門の変とそれにまつわる大火の記憶はまだあたらしい。
それらが、この町の人々に過剰なまでの反応を示させる。
戦は、迷惑以外のなにものでもない。
「以前だったら、どちらかに殺らせただろうよ」
「ご命令とあらば、すぐにでもひきかえしますが?」
土方が苦虫を噛みつぶしたような表情で囁く。
斎藤は、それにめずらしく軽口で応じた。
「おれの二本の刃は、あんなくだらねぇ連中を斬るにはもったいねぇ。せっかく、一流の物見の報告をきかせてやろうと思ったのによ」
土方は、あゆみながらうしろへと掌を伸ばす。そして、少年の伸びてきた頭髪をわしわしと撫でまわした。
左側の頬と瞳の傷は、大人であっても生々しい。それが童であればなおさらである。 おおきな傷跡を隠すため、包帯を巻いた。ゆえに、左半面は包帯に覆われている。
「あちらは準備万端です。連携もとれております」
少年は、土方の掌の下でひかえめに告げる。
「兵器の質量が違いすぎます。いまのところ兵力はこちら側に分がありますが、裏切る者がでて参ればすぐにでも逆転するでしょう」
旧幕府軍の数は、薩摩と長州をあわせたかずよりおおい。
だが、いまは旧幕府についている諸藩も、いつなんどき寝返るやもしれぬ。否、かならずや寝返る。
その数が、どれほどのものになるか・・・。
そうなれば、あっというまにその数は逆転してしまう。
あちら側には、岩倉率いる朝廷の存在がある。
切り札を握っているのは、こちらではなくあちらだ。
切り札をだされれば、窮地に陥るは必定。
そのことに思いいたらぬばかりか、旗本や藩士は糞の役にも立たぬ威光を振りかざしている。
まさしく、無知蒙昧の輩どもである。
伏見奉行所がみえてきた。
あそこには、誠の武士たちがいる。
「新撰組は、新撰組の戦いをするまでだ。頼んだぞ、おめぇら。土方の刃の斬れ味を、敵味方にしらしめてやれ」
「承知」
即座に返ってくる。
それは、じつに頼もしい返答である。




