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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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名勝負

 この夜はとくに寒い。


 二人とも、もっと着こんでくるべきであった後悔する。


「こん寒さはたまらん。いけんにかならんのか?」

 二人は、宇治川の観月橋かんげつきょうの側でで、夜鳴き蕎麦をすすっていた。


 伏見奉行所や与力同心屋敷はすぐそこである。


 店主は、奉行所に勤める者たちを当て込み、毎夜ここに店をだしているのであろう。


 主人は二人の薪うりにかけ蕎麦をだすと、木製の小さな椅子に腰かけ煙管きせるをやりだす。


 蕎麦の熱さに、鼻水がとめどなく落ちてくる。

 二人はそれを掌で拭いつつ、蕎麦をすすりつづけた。


 兎に角、この寒さをどうにかしたかった。


「話しかけうな。言葉でばれう」

 黒田は、さきほどの中村の囁きに囁き声で応じた。


 伏見奉行所に詰めている新選組の隊士が、いつ通りかかってもおかしくない。


「おっちゃん、蕎麦をおくれよ」

 二人は、わっぱの声にそちらへ視線を送る。


 数名のわっぱが、かじかんだ掌に息を吹きかけながらすぐ側に立っている。


「ちゃんと払うよ」

 いずれも道着に袴姿で、腰には木刀を差している。


 主人の胡散臭そうなな眼差しを察知したのであろう。わっぱのなかでも一番態度のおおきい子が、銅銭を屋台の卓の上に並べた。


「人数分頼むよ」

 主人は、わっぱの注文にさして返事をすることなく蕎麦をつくりはじめた。


「こんな夜分に、剣術の稽古かね?」

 黒田のその問いは、国の言の葉がまったくない。


 中村は、その努力をひしひしと感じた。


「えぇ、稽古は継続してこそ、らしいので」

 小柄な田村銀之助が、みしらぬ薪うりの問いに応じた。


 薪うりは長椅子に並んで座し、蕎麦をすすっている。


 長椅子と卓はまだ三組ある。わっぱたちはわかれて座した。


「えらいな。どこの道場だい?」

 中村は、黒田のたどたどしい東言葉をききながら、こいつはすごいと心底感心した。


「道場?そんなもんじゃないよ。おれたちは新選組だ」

 市村は、胸をはって応じた。

「ほう、新選組はこげんわっぱをつかうとは・・・」

 中村は、市村の堂々とした名のりに思わずふきだしてしまった。。


 黒田は、椅子の下で中村の脚を思い切り蹴りつける。


「馬鹿にするなっ。新選組は、剣の腕さえあればいくらでもつかってくれるんだぞ」

 気色ばんで怒鳴る市村。

 その市村に、井上泰助が囁いた。

「鉄っちゃん、やめなよ。この人たち、武士だよ」

「・・・。ただの薪うりのおっちゃんじゃないか・・・」

「よくみなよ」

 泰助は両の掌で市村の頬をはさむと、無理矢理薪うりの方を向かせる

「左の脚だけおおきいよ。つねに腰に大小を差してないと、左の脚だけあんなにおおきくはならない」


 ほう、と黒田と中村は、心中で感心した。

 掌のあつみにも気がついたであろう。が、薪うりである。斧を握ることでぶあつくなることえお、理解しているにちがいない。


「なに者だ?あやしいやつらめ」

 市村にとっては、泰助の制止など火に油を注ぐにすぎぬ。


 しらぬとはいえ、「人斬り半次郎」にたいし、木刀を構え詰めよる。


「市村さん」

「うわっ!」

 そのとき、すぐうしろから囁きかけられ、驚きのあまり飛びあがってしまった。


 市村がうしろを向くと、少年が当惑したようにたたずんでいる。


 市村のあまりの驚きぶりに、ほかの子どもたちだけでなく、薪うりや蕎麦屋の主人まで笑っている。


「なんでおまえは、いっつも突然あらわれるんだよっ、くそっ!」

 市村は恥をかかされた腹いせに、少年の胸元を力いっぱい殴った。


 微動だにせぬ。隻眼の相貌に、苦笑が浮かぶ。


「申し訳ありません。あの人たちは、おれのしりあいです。昔の・・・」

 少年は、市村の耳朶に囁いた。


 市村は、即座に理解した。

 あの朝のことは秘密だといわれている。

 ほかの子どもらがしらぬことをしっているという優越感・・・。


 あの二人の薪うりは、特別な存在ものなのだろう。

 市村は、想像をたくましくした。


「おまたせしました。参りましょう」

 少年は市村に一つ頷いてみせ、それから薪うりたちをうながした。


「おいっ、おまえも喰ってけよ。おごるぞ。ここの蕎麦、うまいんだ」

 市村が誘った。ずいぶんときまえがいい。


 じつは、蕎麦代は泰助の叔父である井上がもたせてくれたのである。

「稽古がおわったら、蕎麦でも喰ってこい」、というわけだ。


「ありがとうございます。ですが、おれは味がわからぬのです」

 少年は、異相に悲しそうな表情を浮かべた。



 少年は、西郷の側近たちを不動堂村の新選組の屯所に案内した。


 伏見奉行所にうつっていても、ほとんどの道具類は置いたままである。


 人影はない。小者も含め、人間ひとはすべて伏見にうつっている。


 屯所は、静謐に満たされている。


 少年は、二人の目的を解している。その証拠に、二人をまようことなく屯所の道場に導いた。


 道場に入ると扉を閉め、二つの燭台に火を灯す。

 この夜は上弦の月がきれいだ。

 その光が、道場の東側の五つの窓から均等に射し込んでいる。



 薩摩隼人たちは、薪の束からそれぞれの得物を抜きとった。


 少年は、客人たちの目的を果たす準備を整えると、かれらを上座に据え、自身は下座に端座した。


 二人は、それぞれの得物を左太腿のすぐ側に置いた。当然のことである。


 あらためて対峙すると、少年の左反面の二つの傷は生々しく、壮絶な気迫と意志が感じられる。

 二人は、無意識のうちに息を呑んだ。


 二人のやりたいことは、すでにはじまっている。


 そして、二人は完璧に手玉にとられていることに、気づいた。


 懇願切望していたものは、やはり不相応だった。この程度の実力ちからでは・・・。

 中村は、心中で呻いた。


「新撰組のわっぱは、みななかなかやうよなあ・・・」

 黒田は、沈黙にたえきれず苦笑しながらいった。


 酒精は、すっかり抜けている。


「痛み入ります。仲間がご無礼を・・・。ひらにご容赦願います」

 射しおむ月光の光を吸収し、隻眼は奇妙な光を湛えている。


 二人は、あの宴の夜の金色の瞳を思いだした。


 あれはたしかに、異様な色にちがいない。岩倉が讃えたとおり、美しかったこともたしかである。


「こっちが悪いんござんで。こん中村さぁが、からかったんほいならっで」

 

 少年は、その黒田の謝罪に微笑む。


「西郷先生に、よしなにお伝え下さい。再三にわたるお誘い、この辰巳、お気持ちだけいただいておきます、と」


 その声音は、ほとんどきこえなぬ。


 立場と時期が、少年に念には念を入れさせる。

 西郷の片腕たちは、その言を読唇術をもちいて解した。

 

「大久保さぁいも、なにか伝ゆっこたああいもすか?」

 黒田は、くつくつと笑いながら尋ねた。


 あきらかに面白がっている。


 武官と文官の確執・・・。


 これはなにもここだけではない。古今東西日常茶飯事的に存在する。いわば、かならず存在するもののひとつである。


 二人は、尊敬する西郷の幼馴染だからこそ、大久保の軽挙妄動を我慢しているにすぎぬ。


 異相がわずかに右にかしげられた。

「とくには・・・。昨夜、すでに言伝は届いているかと・・・」

 そして、隻眼がわずかに細められた。


 わずかでも気の乱れのある大人たちにたいし、少年にはまったくそれがない。

 それどころか、存在感すらない。


 まるでこの世のものではない存在もの、のようである。


「近藤さぁは、どのよな具合なですか?」

「たいしたことはありませぬ」


 黒田のとりとめのない問いに少年が応じた刹那、中村の「和泉兼定」の示現流の初太刀が、道場内の空気を斬り裂いた。


 座した姿勢から繰りだされたそれは、あきらかに居合との連携技である。

 通常は、左から右へと相手の胴を薙ぎ払う。が、「人斬り半次郎」のそれは、鞘から抜き放ってから上段に構え、そのまま相手を一刀両断にするものなのである。


 かなりの速度と掌首の柔軟さがなければ、けっしてなしえぬ高等技である。


「・・・!」

「・・・!」


 二人は、自身のみているものが信じられなかった。


 中村の一撃は、空を斬った。

 月光に煌く「兼定」の上に、少年がのっている。少年の素足は、峰の上で爪先立っている。


「なんてこっだ・・・」

 その呟きは、黒田のものか中村のものかわからぬ。


 中村は、不可思議なことに少年の重みを感じておらぬ。

 それはまるで、「兼定」にまとわりついた一枚の紙片のようだ。


 少年は刃の上からとんぼ返りをし、道場の床に着地した。


「迷いのない、まっすぐな太刀筋です」

 少年は不意打ちを喰らったにもかかわらず、相手の技量を心から讃えた。


 かようにまっすぐな剣とはそうそう立ち合えぬであろう。

 暗殺を繰り返し、おおくの人間ひとを殺めてきているとは思えぬ。自身の陰湿なそれとはまったく異なる。

 うらやましい・・・。

 自身もこれほどまっすぐな刃でありたい・・・。


 少年は。心からそう思った。


 この刃とは、少年自身のことである。

 剣技は無論のこと、主の刃としてもまっすぐでありつづけたい、と切望している。


「ちぇすとーっ!」

 中村の気合の叫びが、道場内に響く。


 正統な示現流。暗殺用に編みだしたものなどではなく、純粋なもの・・・。


 中村は、暗殺者や人斬りであるまえに超一流の示現流の剣士である。


 この勝負だけは、姑息で卑怯な暗殺技ではなく、正々堂々全力でぶつかりたい。

 そう切に願っている。


 上段に構え、気と力を充分にためる。間合いを詰め、そのまま一気に放出する。


 中村の剣士としての気概を、相手もまた自身の流派の技でもって応じた。


 無刀取り・・・。

 新陰流の極意である。


 相手もまた、その流派の超一流の兵法家である。


 少年は、中村のするどく重い一撃を、たった二本の指でうけとめた。それをそのまま軽くひねる。それは、傍目にはやすやすとこなしたかのようにみたであろう。だが、実際は力点をうまくつかい、最小限の力で最大限の力を発生させる。


 中村の小柄な体躯は、少年の二本の指のひねりだけで宙を舞う。中村は、床に叩きつけられるまでに右の掌を床につき、体躯がそれにあたるのを防ぐ。


 鈍刀なまくらであったなら、力点の作用にたえきれずに折れてしまったであろう。だが、さすがは「兼定」である。びくともせぬ。それどころか、血を求めて少年の指に喰らいつこうとする。


 少年の異相に笑みが浮かぶ。


「兼定」を解放し、その反動を利用し、体勢を崩している中村の足許へ蹴りを入れる。

「くおっ!」

 中村は、かろうじて横ざまに飛び退ってそれを避ける。そのまま左のかいなの力だけで、もう一撃を放つ。

 三間ちかくある距離を、一足飛びに詰める。小柄な中村もまた、こまわりがききすばやい。


 少年は、その一撃を紙一重でかわす。

 直後に打突がつづく。三突き目、四突き目・・・。

 中村の突きもまた、はやくてするどい。


 まさしく、沖田の「三段突き」を感じさせてくれる。


 少年は、そのすべてをわずかに体を開いただけでかわした。その動きには無駄がない。



 黒田は、中村と少年の戦いを道場の隅で愉しげに眺めていた。


 中村の愉しそうな表情かおを拝めるのは、あとにもさきにもないであろう。


西郷せごどん、中村さぁはおはんのお蔭で思う存分剣を愉しんでおいもすよ・・・)


 あぁ酒さえあれば・・・。

 この勝負は、いい酒の肴になったのに・・・。


 得物ではなく、酒瓶でも背負子に忍ばせておけばよかった・・・。

 黒田は、心底残念に思った。

 

 両者が同時に間合いとった。少年は、そのまま道場の壁まで飛び退った。それから、腕を伸ばすとそこにかかっている木刀を左の掌にとる。

 刹那、少年は、壁際からそのまま五間以上を跳躍してのけた。

 着地したときには、すでに中村の近間に入っいる。 


 少年の左の掌が頭上に上がったのと、そこから繰りだされた一撃とが同時である。


「どんっ!」

 中村の背後で、おおきな破壊音がおこった。


 少年は、わざとはずした。

 それは、まぎれもなく示現流の初太刀。


 本来は、中村へ繰りだされるはずのもの。


 いまや背筋だけではない。全身、相貌、どこもかしかも冷や汗が流れ落ちている。 


 中村は、恐るおそるうしろを振り向いた。


 ゆうに五、六間ははなれているであろう道場の壁の一部が、完全に消し飛んでいる。


「あぁ、しまった・・・」


 相手の得意とする技で、この勝負に終止符をうった少年の呟きである。


「ばれたら殺されてしまう・・・」


 それは常人ばなれした膂力と技量をしめした、少年の嘆きであった。



 中村は西南戦争で死ぬまで、黒田は明治三十三年(1900年)に脳出血で死ぬまで、二人はこの一夜の名勝負をけっして忘れやしなかった。

 

 少年にとっては幸運であった。

 道場の壁の件がばれることはなかったのである。


 なぜなら、新撰組が不動堂村に戻ることは、二度となかったからである。

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