剛毅木訥(ごうきぼくとつ)
柳生の「大太刀」は、柳生の宗祖石舟斎から孫である尾張柳生の開祖利厳に託された霊剣である。
それをあつかえたのは、宗祖と尾張柳生の開祖、そして余生を大和ですごした三厳だけであった。その時期以降の剣士、兵法家であつかえた者はいない。
「「大太刀」は、宗祖らの業だけでなく立ち合った相手についてもよく語ってくれました」
少年は、厳蕃に報告した。
それが義務だと思ったからである。
道場の中央で対座している。
ほかの者は、立ち合いをみていたとおなじ場所で、それぞれきいていた。
「柳生の一族、およびその秘術は無論のこと、上泉信綱、宮本武蔵、吉岡信綱、宝蔵院胤舜といった当時の兵法家らを「大太刀」はみ、そして感じました。わたしもまた「大太刀」を通じ、それらおおいなる剣豪槍術家から学ぶことができました。まぁどの方もじつに個性的な方ばかりで、学ぶというよりかはこっぴどくやられるなかで盗んだ、といったほうが適切でしょうが・・・」
三日の間に、江戸初期の剣豪たちから業や精神を学んだというのである。
「本来なら厳蕃殿、あなたか現当主の厳周殿に継ぐべきが筋ではありますが、いまの情勢がそれを許しませぬ」
少年のいうとおりである。
親交をもつには、たがいに危険すぎる。
「わたしの身勝手で、このすばらしい業を絶やすわけにも参りませぬ。幸い、わたしにはこれらの業を継ぐに相応しい兄貴分たちがおります」
少年の視線のさきには、永倉、斎藤、原田がいる。そして、この場にはいない沖田・・・。
「兄貴分たちがこころよくひきうけてくれればの話ですが。継承してもらいたいと思っています」
少年の意図を、三人の兄貴分たちはとうに察している。
それはじつに名誉であり、うれしいところではある。
だが、正直なところその想いは複雑だ。
弟分の死を、前提にしているからだ。
「信頼できる兄貴分たちです・・・」
厳蕃は、話の途中でありながら右の掌を上げ制した。
「承知している。辰巳、現在のおぬしの強さを感じれば、かようなことはいわれるまでもなくよくわかる。かれらの力はすでに厳周からきいておるし、実際、こうしていてもひしひしと感じられる」
厳蕃もまた少年とおなじ方向に視線を向ける。
それから、ふわりとやさしい笑みを浮かべた。
「「大太刀」は、おぬしを認めた。おぬしの思うようにすべきであろう」
少年は、その言に一礼で応じた。
「柳生俊章は、どうしているのですか?」
市村が唐突に訊いた。
市村にとっては素朴な疑問であった。むしろ、そのことについてだれもなにもいわぬことの方が不可思議である。
柳生の漢たちは、市村が柳生家の秘事を声高に暴き立てたかのように、無表情でかれをみた。
市村は、たじろぎ隣に座す原田にしがみつく。
「俊章は文久二年(1862年)に死んだ。公儀には病死と届でたらしいが、狂い死にしたという噂だ・・・」
厳蕃がむっつりと応えた。
文久二年・・・。京に上洛するまえの年だ。
少年は、すでに試衛館でともに生活していた。
気まずい空気が道場内を流れる。
少年は、ちいさな肩をすくめた。
その隻眼は、俊章によって実の姉を殺された厳蕃に向けられている。そして、厳蕃の双眸は、実の俊章によって虐げられた少年をみている。
どちらが手を下していてもおかしくない。
「江戸は、わたしだと思っているだろう。もっとも、いまは辰巳のほうがより有力な容疑者であろうが・・・」
「ええ」
少年は、さして否定するわけでもなく苦笑した。
「だれもがそう考えるでしょう。わたしもそれを否定してまわるような気はござりませぬ。思いたい者にはそう思わせておきましょう。いまさら、かようなことはどうでもいい」
「こちらも同様だ・・・」
結局、どちらが殺ったのか?どちらも殺っていないのか?
俊章は家督を譲って隠居した後、不行跡で謹慎を命じられた。かなりおかしくなっていたのは否めない。
江戸柳生そのものが、手を下していてもおかしくない状況であった。
真相はわからないままだ。真実は、わからぬままのほうがいい場合も相応にしてある。
そろそろ刻限である。
厳蕃は、最後にもう一度だけ説得を試みた。
「おぬしはまだまだ強くなれるはずだ。無限に・・・。いまのおぬしならば・・・」
厳蕃は、不意に自身の甥に掌を差し伸べそうになった。抱き寄せ、そのちいさな体躯を両の腕でしっかりと抱きしめたくなった。
刹那、甥の隻眼に脅えの色がはしった。
「かいかぶりすぎです、厳蕃殿」
少年は、隻眼を伏せた。
「わたしは臆病者です。弱い。まだまだ鍛錬がたりませぬ。どうか、どうかわたしを叱って下さい、しっかりせよと」
少年の決意が覆ることはけっしてない。
同時に、実の叔父をこれ以上苦しめたくないという思いもある。
叔父は、自身の所為で実の姉、師と兄弟弟子を亡くした。そして、これから実の妹と生き別れることとなるのだ。
これ以上、苦しめていいわけがあろうはずもない。
「尾張公には、よしなにお伝え願います。無論、厳周殿にも・・・」
もはや視線を合わせることはない。
少年は、実の叔父に叩頭しつつ今生の別れを告げた。
厳蕃には、これ以上いうべき言がみつからなかった。
「土方殿、あの子に気をつけてくれ」
厳蕃は、疋田家の門まであるきながら忠告した。
それは、土方を驚かせた。
亡き山南がいったこととおなじであったからだ。
「どういう意味でしょうか?」
早朝、陽はその暖かさの片鱗も感じさせぬ。
近隣から流れてくる人々のたてる音は、今朝も活気がある。
「あの子は、かならずやおぬしを護り抜く。かならずだ。幕府が敗れ、たった一人になろうとも、おぬしだけは生き残れる。あの子の力は、これまでおぬしがみてきた程度ではない。極論をいえば、もしお主が近藤殿を説得し、新撰組を第三の勢力として蜂起させれば、この日の本を掌握できるだろう。あの子は、それほどの力をもっているのだ。だが、おぬしらはそんなことはせぬし、もはやあの子の決意を覆すこともできぬ」
二人は、疋田家のささやかな門前で向き合った。
「おぬしは、覚悟しておくべきだ。あの子の死にたいして。あの子の死の後のことにたいして・・・。いまのおぬしには、その覚悟はまだないようにうかがえる。おぬしもまたやさしいのだな」
厳蕃は、口の端を上げた。
「おぬしらはよく似ている。血の繋がった叔父甥のようだ。あの子とは、どういう経緯でしり合ったのか?」
土方は、その問いに答えたくとも答えられぬ。
少年は土方に、助けられたその恩返し、と試衛館にあらわれたときにいった。
だが、土方にはその記憶がない。厳密にいうと、なんとなくそのようなことがあったかもしれぬが、どうしても思いだせぬのだ。
思いださねばならぬのに、それを試みようとすると頭痛がする。ゆえに、いまだによくわからないままである。
しかし、かっちゃんと同様昔からつるんでいるような、そんな感覚はある。
土方は、厳蕃には正直にそれを伝えた。
公にはけっしてできぬが、義理の兄になるのだ。ごまかしは公平ではない。
「ああ、やられたな」
厳蕃は、年齢にあわず童のように笑う。
「おそらく、江戸から逃げた際に出会ったのであろう。おぬしに迷惑がかからぬよう、姿をくらますまえにあの子自身のことを忘れるよう、おぬしやおぬしの周囲の者たちに暗示をかけたはずだ」
「暗示?」
土方は、頓狂な声をあげた。
「暗示が解けさえすれば、すべてを思いだす。ただ、それがなにかは、あの子でないとわからぬがね。まぁ、なにかのきっかけで解けるやもしれぬ。いずれにしても、あの子のおぬしにたいする想いにかわりはない・・・」
そこで厳蕃は表情をあらため、義弟になったばかりの漢と視線を合わせた。
「頼む。おぬしの覚悟がなければ、あの子はいつまででも戦いつづけねばならぬ。自身がどんなに傷つこうともだ。すでに気がついているであろう?あの子は、暗殺者としては不向きだ。やさしすぎるのだ。敵すら傷つけることを怖れている。ましてや、仲間のこととなると・・・。あの子の言動のほぼすべてが、演じているものだと思ってくれ。あの子は、けっして本心を語らぬ。弱さをみせぬ。土方殿、そのときがきたら、あの子が心安らかになんの心配も未練も残さぬよう、逝かせてやってほしい」
切実だ。土方の右手首を握るその掌は、わずかに震えている。
「あの子が死んだ後、信江と添い遂げ二人の子をなしてほしい。早逝した忠景との子やあの子とは違い、元気な子を大切に育ててほしい・・・」
なにゆえこの場で、かような約束ができようか?たとえ口約束だけであったとしても。
坊が死ぬ、ということにたいしてもまだ気持ちの整理がついておらぬ。それ以上も以下も、混乱と困惑の域をでない現状にあってはなにも考えられぬ、というのが本音だ。
坊だけでない。病に伏せる沖田のこともある。
それでも土方は、厳蕃から大切な妹と甥をあずかる以上、その責は果たす覚悟は示さねばならぬ。
「できるだけのことはいたします」
尾張藩邸に戻ってゆく厳蕃の背は、柳生のすぐれた兵法家というよりかは、身内との絆をなにより重んじる漢の、悲しみに満ちたものであった。




