狂宴
お膳立ては整った。
慶喜や会津らは、のこのことやってきた。
わずかな幕臣や、新撰組なる狂犬どもを用心棒にひきつれて。
おそらく、例の邪魔者は、その用心棒のなかにまぎれこんでいるのだろう。
だが、その対策もすでに済んでいる。
岩倉は、正装で酒をあおっていた。前祝、だ。
これからおこることは、後世に語り継がれるようなものではなく、むしろ悪しき先例として闇に葬られることとなろう。それでもよい。
宿痾の一部をとりのぞきさえすれば、あとは歴史の大舞台で堂々と活躍できるというものだ。
なにもすべてを遺す必要はない。それは、事象にしろ人にしろ、どちらもおなじことだ。
さぁ余興のまえに、帝の所望する舞とやらをみるとしようか。
岩倉は、控えの間から紫宸殿に向かった。
さきほどの酒は、自身の気分を高揚してくれる。
舞手は心底怖ろしかった。
舞をみる観客の人数、身分、国籍などは関係ない。舞手の技量の問題などでもない。
これからおこすことが、どれだけの価値と意味と責があるのか?それをかんがえると、舞手はどうしていいのかわからなくなる。
すでに根回しは済んでいる。
事実上の主賓である諸外国の列席者のほとんどが、み知った仲だ。どの国も、軍属、あるいはそれに傾倒した外交官ばかりである。舞手のことをしっているか、あるいはいまや伝説化した話しをきいている。
どの国も好意的だ。慶喜の依頼で、幕臣の永井の通辞として幾度も外交の補佐もした。それも此度は役に立った。
異人たちは、舞手の頼みを快くきいてくれた。
まさか、かようなところで武者修行のご利益に授かるとは、思いもしなかった。
一つ間違えれば、その瞬間に戦端がひらかれる。それは、徳川家の滅亡と、なんの関係のないあまたの人たちの生命や糧を奪うこととなる。
まずは慶喜や容保の生命が奪われるであろう。
舞手は一人、紫宸殿の屋根の上で胡坐をかいていた。
自身の両の掌をみつめる。短刀の貫通の痕がいまだ生々しい。両の掌は、いまや怖ろしさのあまり激しく震えている。
紫宸殿には、招待客らが集っているであろう。御所の灯火の光は、ここには届かぬ。今宵は、わずかな星が瞬いているだけで、月は薄い雲に隠れている。
舞手は声をあげて笑った。かわききった子どものそれは、自身の耳朶に耳障りなほど甲高くきこえた。
会津候は、今宵の慶喜や自身の警護に新撰組を選んだ。それは、本来なら名誉なことだ、本来なら・・・。
舞手にとって、新撰組は唯一の居場所。それが、すべてだ。
それが今宵かぎりで失われるやもしれぬ。そのことも、舞手を怖がらせた。
すでに賽はふられた。配置された敵方の刺客を、舞手は感知している。そのなかには、自身とおなじ臭いをもつ一派もまじっている。その臭いは、暗殺者の類ではない。舞手の本来の流派の、同門としての臭気。
やはり、そうくるか。目には目を、というわけだ。じつに単純なる思考・・・。
舞手は、左と右の掌を重ね、たがいの掌の力でたがいの震えを止めようとこころみた。
舞手は、小さな体躯を童舞用の派手な衣装で包んでいる。その美しいまでの相貌の左頬には、刀傷が濃く刻まれているが。だがそれは、美しさを損なうことはけっしてない。かえって艶かしさを増した。
舞手は、自身の相貌を勇猛な武人を模した面で覆った。
わたしは妖だ・・・。今宵、この悪しき力を解放せん・・・。
舞手の姿が、紫宸殿の屋根上から掻き消えた。
あらゆるかけひきや謀略を抜きにしても、ちいさな舞手の舞いは紫宸殿に集ったあらゆる観客を魅了した。
舞手は、まず清涼殿に向かって叩頭した。清涼殿から御上覧されているであろうていにたいしての礼である。
宮廷付の奏者は、はじめて組む舞手にも柔軟に対応し、舞手の意をよくくんでくれた。だからこそ、舞手はときに華麗に、ときに力強く、古来より帝に奉納されてきている走舞や武舞、童舞を演じることができた。
本来ならば複数の舞手が必要な武舞なども、このちいさな舞手はそれにあまりある舞いの技術でもって、まるで複数が舞っているかのような錯覚を観客に抱かせた。
帝が居住する清涼殿と違い、この紫宸殿は公的な儀礼式などがおこなわれる建物である。
檜皮葺、 総桧造りの古式ゆたかな建物である。間口が約十一丈、奥行きが約八丈ある。
観客たちは、建礼門で武器など危険物を預け、それから御所内に入る。
紫宸殿では、板張りの上に座し酒肴が振舞われた。
紫宸殿の南庭に舞台が設えられ、そこで舞が披露された。帝は、すぐ東側に建っている清涼殿からこの舞をご覧になっているはずだ。
篝火が何十個と焚かれ、「左近の桜」と「右近の橘」が、冬の寒さのなか、その尊さを醸しだしている。
舞手は一心不乱に舞った。
すでに主要な人物の居場所は摑んでいる。
岩倉、薩摩の西郷や大久保、慶喜や慶勝、容保、定敬。近藤と土方は会津候のすぐ傍らに、伊庭は慶喜に、それぞれつきそっている。西郷と大久保には、中村と黒田が。そして岩倉にも、年若い武士と初老の武士二名が、つきしたがっている。その三人がなにものなのか、舞手はよくわかっている。
そして、尾張公にもまた、壮年の武士がつきしたがっているが、この武士のことも舞手はしっている。
毒の臭いがする。狼とおなじ嗅覚をもつ舞手は、面のなかでその臭気にむせびそうになった。
火薬の臭いにおびただしい数の殺気・・・。
この神聖なる帝の領域にあって、これほどの武器の臭いとおぞましいまでの気魄が満ちていていいのか?
舞うことで自身を高揚させてゆく。舞は、舞手にとって暗殺の手段の一つだ。また、自身の潜在意識を解放する為の儀式でもある。
永倉たちも御所付きの警備兵にまじって警戒しているだろう。手慣れたかれらは、懐に短刀を忍ばせているはずだ。
とくに原田は短刀をよく遣う。槍術家の原田は、槍をもち込めぬ場所や状況でも戦えるよう刀の鍛錬も十二分におこなっているのだ。そして、刀以上に短刀のあつかいがうまい。長身で、腕のながさのある原田のくりだす一突きは、剣のそれにも匹敵する。
岩倉以外、この舞手の正体を熟知している者ばかりだ。それぞれの相貌に浮かんだ表情が、それを顕著にしていた。
近藤や土方は無論のこと、会津候のそれも驚愕以外のなにものでもない。
万事、何事にも察しがよく、尾張公(実兄)や舞手の性質をもよく解している会津候だ、この意味をすでに理解しているはず。そして、それにたいして激しい拒否反応を示したことも、舞手にはよくよめた。
邪魔だけはしないで欲しい・・・。舞手は祈るしかない。
それは、舞手の身を案じての阻止であり、それが敵の妨害よりよほど厄介なことになることはいうまでもない。
力強い走舞がどんどん意識を高めてゆく。それに同調し、左の瞳に違和感がともなう。
心拍数と呼吸数の上昇が、気分の高揚を超越しつつある。
封印は、もうまもなく解かれる。
「どういうことなのですか、会津候?」
土方は、会津候のすぐうしろに座し庭の演者をみた途端、それが自身の懐刀であったことに心底驚いた。
無論、近藤も同様だ。
「わたしもおなじことを問いたいくらいだ、土方・・・。尾張公、あなたですね?あの舞手をえらんだのは・・・」
居並ぶ観客のなかには、会津中将より年長で上位にあたる四賢公もそろっている。
「控えよ、会津。非公式とはいえ、奥の殿より帝もご上覧されているのだぞ」
尾張公は、実弟に囁いた。
会津候は口を噤むしかない。
「上様、どうも様子がおかしいようですが?」
そこからさらに上座にいる慶喜に、そのうしろから伊庭が囁いた。
その伊庭の涼しげな双眸は、対面に座す岩倉に向けられている。
その岩倉に、従者がなにかいっているのだ。その剣幕は、対面からみていても尋常な様子ではない。
しかも、その従者たちは、江戸にいるはずの慶喜の側近なのだ。
「ふんっ、舞手の正体にいまさら気づいたのだろうよ。しかも、あれはなんだ?あの三人は、余を馬鹿にしておるのか?」
慶喜は、憎々しげに呟きながら自身に饗された酒肴に視線を落とした。
(毒を盛るなどとは・・・。余と辰巳を、なんとしてでも亡き者にしたいのか?それにしてはやり方がまずすぎる。うつけどもか、余たちの相手は?)
そして、慶喜は伊庭の視線を追った。
「なんだと?あのちいさな舞手が暗殺者だと?」
「畏れながら、あれは妖でございます。しかも、封印を解こうとしている。すぐに舞を中止してください」
「このままでは、だれにもあれを止めることができませぬ・・・」
牧野主馬と坂巻衛門之丞が、左右から上奏した。
それはもはや、身命を賭した懇願だ。
だが、かれらの藩主である俊益ですら、二人の剣幕の意味を解していない。それをなにゆえ岩倉にそれが理解できるであろう?
「よいではないか、その封印とやらを解かせればよい」
岩倉は、杯を上げながら豪快に笑った。
「その力を貴様らが封じられるのなら、こちらにひきいれろ。その為に、貴様らを呼びよせたのだからな。みよ、慶喜の相貌を。貴様らをみ、慌てておるわ。側近に裏切られた気分は、さぞかし悔しいだろうのう?」
そして、忍び笑いをもらす。
俊益は、居た堪れない。
自身や家臣、藩やそこに暮らす民を護る為とはいえ、主君を裏切ったことにかわりはない。しかも、このような下種に媚び諂うことになるとは・・・。
二人の家老は、相貌にまったく色がない。そこは、絶望が支配している。
ああ、このようなかたちで不名誉きわまりない死をむかえるのか?
まだ若い俊益は、舞台上の舞手に双眸を向けた。
それは力強くもあり、妖艶で魅惑的でもあり、そして、なにゆえか剣士としての気を心底から鼓舞してくれるような舞だ。
「まずい、まずいですぞ・・・」
牧野も坂巻も、立場や状況のことよりよほどこれを怖れた。
庭の舞台から、否、妖からとおざかろうと、無意識のうちに腰を浮かせている。
すぐにでも立ち上がり、逃げだしてしまいそうだ。
「なにをしておるか、控えよ」
若き主君である俊益の嗜めなど、もはやどうでもよい。
牧野は尾張公が座す方向に視線をはしらせ、一方の坂巻は会津候の座す方向に双眸を向ける。
あれを止められる者がいるとしたら、二人しかおらぬ。
一人は、尾張公の剣術指南役であった厳蕃、そしてもう一人は、あの妖が主とあおぐ新撰組の土方・・・。
岩倉の命など、それどころかあらゆるしがらみなど、もはやどうでもいい。江戸と尾張の確執、武士を僭称する野良犬どもの集団、かようなことは瑣末でしかない。
あれを解き放つくらいなら・・・。
気の充実など、とうの昔に過ぎ去っている。どこまで昂まるのか想像もつかぬ。左の瞳は、妖としての光を宿しているはずだ。違和感はなくなった。鼓動も呼吸もさらに上昇し、恍惚とした感覚さえではじめている。
まずい。力に、強大な力を御すどころか、自身をみうしないそうだ。
みうしなったが最後、そこにあらわれるのはなにか・・・。
しかし、舞いを止めることはできぬ。力が、さらなるそれを求めているからだ。舞用につくられた剣は、日本刀を模しているのではない。大陸の厚手の単刀を模している。本物は、片掌であつかう刃にしてはかなり重量があるが、これはつくりものなので軽い。
武舞は、佳境に入った。奏者たちも、舞手の気に完全に呑まれている。みな、恍惚とした表情で、ひたすら楽器を奏でている。
そのとき、悲鳴が上がり、紫宸殿を護る承明門の屋根上からなにかが落ちた。
狙撃手だ。ゲベール銃で、屋根上から狙い撃ちしようとしていたのだ。
舞手の凄まじいまでの気に中てられたのだ。だが、それをとりしまる為の警備兵や永倉たちもまた、おなじように気に中てられ、動けぬようだ。
これが、わが流派の真髄か?
尾張公に無理をいい、息子の厳周にかわってやってきたが、目当ての人物の力は自身の想像を絶するものだ。
江戸が妖、とさわぐのも無理はない。
だが、そのようにつくりあげしは、なにいう俊章と江戸の連中ではないか・・・。
厳蕃は、体躯のふるえをおさえようにもおさえられないでいた。ついさきほどまでは相手を鼓舞するほどのやさしい気だったものが、いまやあらゆる負の要素を含む気となり、それはどんどん増してゆく。
憎悪と悲哀、破壊と殺戮・・・。
舞手は、その力の強大さに戸惑っているのか、それとも御せずにいるのか?
「大太刀」が、さらなる力をあたえたのだ。
わが流派の宗祖や尾張の礎を築いた利厳殿、そして、おなじ瞳をもって生まれし三厳殿・・・。
その三人をもこえたに違いあるまい。
厳蕃自身、その実力は宗祖をもこえるといわれている。容貌も、年齢をふるごとにますます似てきているらしい。
もっとも、それらはあくまでも遺された書から推察されることであるが。
厳蕃は、自身の気力と体躯を叱咤すると、尾張公からそっとはなれた。それから、会津候のうしろに控える者たちへとちかづいた。
「こやまずいぞ。西郷どん、あの童にかなう者はどこいもおらんですよ」
「岩倉が殺されうのは勝手じぁんどん、おいたちまでとばっちいをくらいたくん」
「人斬り半次郎」こと中村と黒田は、示現流の達人であるがゆえに、舞手の気がいかなるものかを察知している。
とても太刀打ちできる類のものではない、とみとめざるをえぬ。
「一蔵さぁ、まさかこんこっに、おはんも絡んでいうのほいならなかでしょうね?」
大きな体躯をちぢめるようにして座している西郷は、隣で目立たぬように座している幼馴染を一瞥した。
かような饗宴など、最初から胡散臭い。
この滑稽極まりない状況を、他人事としてみていられなくなるやもしれぬ。
大久保が、岩倉の走狗になっているのなら・・・。
どうか岩倉だけに止めて欲しい・・・。
大久保だけでなく、中村や黒田ですらそう願わずにはおれぬ。
「土方っ!土方っ!」
坂巻の叫びは、はっきりそうとわかるほど怯えを含んでいる。
「あの妖をどうにかしろっ!」
さらなる叫びだ。
「あれを止めろっ!殺されるぞ、早く止めろっ!」
牧野の怯えきった叫びが重なる。
ほかのおおくの者たちと同様、土方もまた凄まじいまでの気に完全に支配されている。
自身がもっとも信頼し、大切にしている懐刀の強大な力に・・・。
自身の名を呼ばれ、はっとわれに返る。同時に、いわれた内容を脳裏で反芻する。
瞬時に結論をだした。無視するということに。
「土方殿、ですな?」
そのとき、すぐ横から声をかけられた。土方だけでなく、すぐ隣に座している近藤は、その武士をみた。
たしかに舞台に集中していた。だが、かように間近に接近され、まったく気がつかなったとは・・・。
その武士は、小柄ではあるが一見してかなりの剣の遣い手とみてとれる。四十くらいだろうか?若くみえるだけかしれぬ。目鼻立ちはくっきりと整っており、きれいだ。若い時分は、もっと美しかったろう。だれかに似ている。
さらに驚くべきは、なんの気も感じられないことだ。それはまるで、いま舞台で舞っている舞手とおなじである。
「ご無礼、容赦願いたい。ときがない。あの馬鹿どもの言は無視していただいて結構だが、どうも様子がおかしい」
その武士、厳蕃は、舞台の舞手へと視線をはしらせた。土方と近藤もそれにならう。
「こちら側に戻してやってほしい。それができるのは、土方殿、お主だけだ・・・」
土方は、その武士の相貌をみつめた。そこで、先日の尾張の剣術指南役の父親と思いいたる。
しかし・・・。
土方の視線を、その武士は真っ向からうけとめた。新撰組の「鬼の副長」のそれを、まともにうけとめられる者などそうはおらぬ。
「どうすればいいのです?」
土方はそう訊いた声音がふるていることに、われながら驚いた。
「呼び戻してくれるだけでいい。ただ、呼んでくれるだけで・・・」
「歳、急げ。この気は尋常じゃないぞ」
近藤が囁いた。その声もやはりふるえている。
「坊っ!戻れっ!坊っ」
土方の叫びから刹那、舞手は弾かれたように舞台上で飛びすさりながら空中で一回転した。そして、そのまま片膝を舞台上に付く。動きがとまった。
強大な気は、一瞬にして収束してしまう。
無防備だ。気どころか存在感すらない。
しかけてくるのを誘っているのだ・・・。
戦いに長けた者であれば、そうとるのは当然だ。だが、相手は戦いについて無知。政治的なかけひきには策を弄せても、生命のやりとりができるはずもない。
まんまと誘いにのった。
「いまだっ!撃て」
相手は、おとずれた唯一の好機に興奮した。みずからしかけたからくりをばらす。
かわいた銃声が、御所の静謐な空気を乱す。
幾発ものゲベール銃の弾丸が、舞台上で蹲っている舞手を襲う。
だれもが、じっとそれをみている。
舞手は、右の掌に握る舞用の模造刀を二、三度閃かせ、左の掌は自身がかぶる面のまえでひろげた。
模造刀は、いくつかの弾丸を真っ二つに斬り裂き、左の掌の指の間には、四個の弾丸を挟んだのを、距離さえちかければみてとれたであろう。
岩倉が配した狙撃手は、どれも相当な腕前だった。なにせ、雑賀衆の末裔である坂巻が、故郷から連れてきた狙撃手たちなのである。
だが、失敗した。六人いた狙撃主の弾丸は、どれ一つとして舞手にあたることはなかった。それどころか、発射音で潜んでいる場所がわれた。
狙撃手たちは、舞手の気から開放された御所の警備兵たちに、追われることとなった。
舞台上では、舞手がいまだ舞台の床に片方の膝をついたままの姿勢である。勇壮な武人を模した面だけが、紫宸殿内を向いている。
「岩倉ーっ!」
舞手が咆哮した。それはまさしく、狼のごとき咆哮だ。
刹那、舞手はその姿勢からいっきに紫宸殿へと飛翔した。その距離約五間。
舞手が飛び降りた場所は、岩倉派の公卿たちが座していた。どの者も舞手からわれさきに逃れようと、四つん這いの姿勢で文字通り這いまわっている。
舞手は、ゆっくりと上座にいる岩倉へと歩をすすめる。一歩すすむごとに、そこに座す者は色も度も失った相貌で場をあけた。
「なっ、なにをしておる・・・。御所に侵入せし不埒な刺客を、捕らえぬかっ!」
岩倉は、恐怖のあまり両脚がすくんで立ち上がることもままならぬようだ。尻餅をついたままあとずさろうとしている。
容赦なく迫る舞手。ようやく警備兵が数名駆けつけた。これは、警備兵の格好をさせた俊益の配下である。堂々と抜き身を握っている。そのうちの三人が、俊益と二人の家老に太刀を放り投げた。
「江戸、ひけいっ!ここをどこだと心得ておる?」
厳藩が叫んだ。それ以外は、だれもが固唾を呑み、この状況をみているだけである。
異国人たちですら・・・。
「早く始末をしろっ!」
いまや岩倉は、ひきいれてもいいと自身がいったことなど念頭にないであろう。本能的に絶対に無理だということぐらい、さすがに察知でしているであろうから。
舞手は、俊益らとの間合いをゆっくりと詰めながら、おもむろに左の掌をひろげた。指の間から四個の銃弾が板張りの床に落下する。
それらは、こつっ!こつっ!とかわいた音を広間に響かせた。
左の掌が、相貌を覆う面へと伸びる。舞手は、歩をすすめながらゆっくりとそれを相貌からひきはがした。
「ああ、くそっ!」「南無阿弥陀仏・・・」
俊益の二人の家老は、そこにあらわれたものをまのあたりにし、呻くようにいった。
それは、心からの正直な言である。
それをはじめてみた俊益も、驚愕の表情のまま息を呑んでいる。かれの配下たちも同様であるし、ちかくでそれをみた者たちも似たり寄ったりの反応を示している。
舞手は、あゆむのを止めた。そして、眼前の大人たちをみまわした。それから、それ以外の大人たちをみる。
大人たちのほとんどが、立ち上がって舞手をみている。そして、よほど視力が悪くなく、舞手の相貌をみることのできた者すべてが、俊益らとほぼおなじ反応を示した。
息を呑む者、呻き声を洩らす者、小さな悲鳴をあげる者・・・。
異国人たちは、一様に神の名を呟く。
金色の瞳・・・。
左の瞳は、紫宸殿の内部を照らす灯火と庭の篝火を吸収し、金色の光を放っていた。
「「大太刀」により開眼されし、われらの惣領ぞ」
その厳蕃の言は、俊益らのなけなしの気勢を完全に殺いだ。それほどまでに、かれらの「大太刀」にたいする信仰はあつい。不可侵のものなのだ。
俊益らは、無意識のうちに抜き身を納めて膝を折り、臣下の礼をとった。
それは、「大太刀」に認められた一族流派の最強の兵法家にたいしての臣従の証・・・。
「皆の者、控えよ」
それまで様子をうかがっていた慶喜が、上座から大音声を発した。
すべての視線が自身にあつまった。
慶喜は姿勢をただすと、金色の隻眼をもつ舞手にたいし叩頭した。
「近衛大将軍!」
慶喜にあわせ、会津候もまた大音声をはっす。
「柳生俊厳近衛大将軍!」
会津侯の実兄である尾張公、そして、実弟の桑名藩主松平定敬がそれにつづく。
四賢侯もまた慶喜らの意を察し、口々に近衛大将軍の名を称えると姿勢をただして礼をとった。かれらもほかのおおくの諸侯とおなじく、大なり小なりこの舞手の助力を得たことがあった。
そして、それ以上にかれらは岩倉のことを好いてはいない。
大政奉還後とはいえ、いまだ将軍家の威光は絶大だ。くわえて、この時期を代表する四賢侯までも臣従させる近衛大将軍にたいし、その場にいるほぼ全員が慌てて叩頭した。
叩頭しなかったのは、岩倉と異国人たちだけである。
『頭が高いですぞ』
通辞として傍に従っている永井が英語で囁いた。そこでやっと、異国人たちが西洋式の片膝を折った礼をとろうとする。
『かまわぬ。あなたがたを招待しておきながら、くだらぬ余興をおみせし、まことに申し訳ない』
舞手は、相貌をわずかに異国人たちへと向け、、流暢な英語で詫びた。
『竜騎士タツミ、あなたに、神のご加護を』
異国人たちを代表し、駐日英国大使のハリー・パークスが応じた。
長身痩躯でちょび髭をはやし、いつもは黒塗りの杖と、おなじ色の帽子を常用している典型的な英国紳士である。長年、異国で生活し、外交官として活躍しているだけあり、あらゆる物事をみ通し、予見するだけの洞察力や判断力が備わっている。ただ、かなりの変わり者でもある。
そのパークスが華麗な動作で礼をとると、ほかの国の外交官たちもそれにならう。
『ありがとう、サー・パークス。そして、各国の大使諸君。女王陛下に、国王陛下に、皇帝陛下に、栄光あれ!』
異国人たちがいっせいに頭をわずかに下げる。
その様子を、この国の者たちが感心した様子で眺めている。
舞手が異国人たちから右手奥へと視線をうつすと、わずかに頭を上げて様子をうかがおうとしている土方と視線があった。
金色の隻眼・・・。
土方は、先日自身の懐刀の左の瞳に感じた違和感が、これだったのだといまさらながら思いいたった。
舞手は、自身の主から無理矢理双眸をひきはがした。
いまは、近衛大将軍を演じつづけなければならない。
「控えよ、岩倉。それが近衛大将軍たるわたしにとる態度か?」
近衛大将軍たる舞手は、いまだ尻餅をついたままの格好の岩倉を金色に光る隻眼でみおろした。
左頬の傷跡は生々しく、美しい相貌のなかでかえって妖艶さを添えている。
美しい相貌のなかにあるその金色の隻眼は、じつに美しい。そして、この金色の瞳こそ、力の象徴であり、すべてを手に入れ喰らい尽くすものなのだ。
「美しい。それがあればこの日の本を手に入れることができる」
それがつい、岩倉の口唇からもれでた。
この場で最高の位階をもつ舞手は、岩倉の場違いで勘違いな言に、あからさまな嘲笑を浮かべた。それから、声をだして笑った。
「岩倉卿、お初にお目にかかる。わたしは、柳生俊厳。いや、辰巳と申したほうがこの場にいる者たちにはわかりやすいか。のう、徳川殿?それに四賢候殿?ああ、公卿らの頼みもずいぶんときいたな、辰巳という名で・・・」
慶喜はともかく、四賢候も公卿たちもそのとおりなのでだれも否定せず、ただ深々と頭を下げて肯定するしかない。
「あの異国人たちも・・・」
舞手は岩倉の礼服の裾を、足袋を履いた脚で踏みつけた。ちいさな体躯が岩倉におおいかぶさる。相貌をちかづけ、背後の異国人たちへと視線をはしらせてからつづける。
「わたしには借りがある。それぞれの国で、わたしは殺しや内偵を請け負った。それにより、国そのものが救われたからだ。そして、それぞれの国で、いまのこの地位と同様の称号と権利をあたえられた。岩倉、この国でわたしがやってきたことを、この場にいる者どもにきいてみるがよい。この場にはいらっしゃらぬ帝にもな」
舞手の子どもばなれした声音が、静寂満ちる紫宸殿を流れてゆく。
それはまるで、唄っているかのように旋律的だ。
「そのわたしを、岩倉、貴様は殺そうとしたな?貴様がさきにしかけてきたのだ。それを今宵、これだけの者がはっきりとみ聞きした。わたしは強い。そこにいる貴様の番犬や、飛び道具などでこのわたしを殺せると思うてか?」
悪意ある笑声がつづく。
この舞手のことをよくしるだれもが、これは芝居だとわかっている。その意図も含めて。とくに会津候や近藤、土方は、面を下げたまま、口唇を噛みしめ自身たちの無力さと疎外感をいやというほど思いしらされていた。
それは薩摩武士たちもおなじで、敵にまわしたことを心底残念に思った。同時に、悔やまれた。否、西郷は、いまだあきらめてはおらぬが。
一方で、大久保は岩倉の浅慮には今後、つきあわぬよう身をもって思いしった。
岩倉は、酒やけした相貌に、これまでとはうってかわった媚びた笑みを浮かべ、舞手をみ上げた。
こういう輩は、その場しのぎに弁舌をふるい、背をみせた途端に兇刃を突き刺してくる。
「この瞳がそれほどに美しいか、えっ岩倉?これがなんでも望みをかなえてくれると思うか?」
くっくっと笑いながら舞手はつづけた。
「『三国志演義』をしっておろう?わたしは、そのなかで魏の覇者曹操孟徳旗下の夏候惇がお気に入りでな・・・」
近藤は、その言にはっとした。近藤もまた、その物語を気に入っている。
以前、少年とそのお気に入りの物語について語りあったことがあった。その際、少年はたしかにこの物語の登場人物のなかで、夏候惇が好きだといっていた。
近藤自身は、蜀の漢王朝の末裔を自称する劉備元徳の義兄弟関羽雲長が好きだ。
そういえば、夏将軍は隻眼の武将だ。
「ならばくれてやる」
「・・・?」
岩倉は意味を解する暇も余裕もなく、ただぽかんと舞手をみ上げた。
刹那、舞手はその岩倉の右側の肩を、自身の左脚で蹴った。
「ぎゃっ!」
岩倉は、尻尾を踏まれた猫のような悲鳴を上げ、そのまま背を床に打ちつけた。
その腹の上に左脚をのせ、岩倉が身動きできないようにする。もっとも、もとから身動きなどできるわけもないが。
近藤のように『三国志演義』をしる者は、これからおこることを予見できたやもしれぬ。
「やめろ坊、やめろ・・・」
近藤は、幾度も口中で呟いた。
どれだけ叫びたかったか。立ち上がり、そのすぐちかくに駆けより、「馬鹿なことはやめよ」とどやしつけたかったか・・・。
だが、それはできぬ。
覚悟と信念をもった上でのことだ。それを邪魔する権利や資格は、新撰組の局長ごときにあろうはずもない。
もはやいまの状況は、武士になったことを喜んでいる農民の手に負えるものではない。
それ以前に、漢として武人として、その矜持を軽んじることになる。
舞手は、岩倉の腹の上に片脚をのせたまま、にっこりと笑った。それは、清々しいまでの笑みである。 岩倉も踏みつけにされたまま、笑おうとこころみた。
刹那、その岩倉のすぐ上で、舞手が自身の左の手刀で自身の左の眼を斬り裂いた。大量の血が、岩倉の相貌に飛散し、どくどくと流れ落ちてゆく。
女子のような金切り声が、岩倉の口唇からでつづけた。
周囲の公卿たちも、悲鳴を上げる。
「夏将軍は、戦闘中に矢で左の瞳を射抜かれた。その矢を眼窩よりひきぬくと、鏃を貫通した目玉がくっついてきた。このようにな」
ちいさな左の掌が、左の眼窩をかきまわす。その不気味な音が響きわたる。
それは、凄惨きわまりない光景として、目撃したすべての者の双眸に、耳朶に、脳裏に、刻み込まれた。
このことは、それぞれの人生の後々まで、忘れ去られることはないだろう。
ついさきほどまで金色の光をたたえていた瞳は、もとの場所よりひきずりだされ、血にまみれた塊となりはてた。
さらなる血が、岩倉の相貌や礼服を赤く染め上げる。悲鳴はまだつづいている。
「夏将軍は、自身の眼球を喰らった。じつに勇猛果敢ではないか、えっ岩倉?」
舞手は大笑した。痛みなど、まったく感じていないかのように。
「貴様のいう力とやらを、わたしが馳走してやろう」
いうなり、ひきずりだした眼球を、悲鳴を上げる口におしこむ。
右の掌にもっていた舞用の剣を放り投げると、両の掌をつかって岩倉の口唇を無理矢理とじる。
頭部を乱暴に揺する。
岩倉は、自身の意思とは関係なく、口中におしこまれた異物を吞みこんでしまった。
「さあっ、これでわたしの力が貴様の体内に入ったぞ。貴様は、力を得たわけだ」
舞手の美しい相貌に、さらなる笑みがひろがる。
「わたしの瞳は、貴様を貴様の体の内より見張っている。下手な策を弄してみよ。貴様は、夜一瞬たりとも瞼をとじて眠れなくなるぞ。それをけっしてわすれるな」
舞手は、岩倉の腹部から脚をどかせると、対面に座す慶喜にちかづいた。
舞手の相貌の左半面は血まみれた。舞用の派手な衣装も、真っ赤に染まっている。
血の臭いが、周囲の者たちの鼻梁をおかした。
「わたしがこの世で最強の戦士であることを、かたときも忘れるな」
慶喜のまえに置かれた膳から、金箔を施した儀礼用の朱塗りの杯をもち上げる。
「わたしには、刃も弾丸も毒もきかぬ」
杯をもったままくるりと振り返ると、むせび泣いている血まみれの岩倉に告げる。
「わたしと一緒になった岩倉卿に、心よりお祝い申し上げる」
そして、その杯を高々と掲げ、なかみを一気に呑みほした。
そこには、毒入りの酒がなみなみと注がれていた。




