憂慮
「残念だったな、山崎」
「ええ。しかし、やれるところまでやれたのです。悔いはありませんよ、井上先生。吉村先生に敗れたのです、相手をしていただけただけでよしとしないと・・・」
山崎は、屯所の物置小屋のまえで少年の左頬の傷をみていた。
そこに、井上が少年を探しにきたのである。
近藤の思いつきでおこなわれた隊内の稽古試合は、永倉が優勝した。二位以下には、斎藤、吉村寛一郎、原田、そして大石がつづいた。
吉村は、新当流の免許皆伝で、緻密で正確な剣をよく遣う。
もうじき四十歳。長身痩躯、左目のすぐ下にちいさな傷跡がある。盛岡脱藩で訛がひどく、他者とまじわることが苦手である。ゆえに、監察方に属している。
だが、剣のこととなると斎藤とおなじく、訛はひどくとも多弁になった。その腕前から、撃剣師範の一人として、日々平隊士たちに稽古をつけている。
順当に勝ちつづけた山崎は、おなじ監察方の吉村に敗北した。
山崎は、満足している。ひさしぶりに道場でみなと稽古ができたからだ。
子どもたちのなかでは、市村と泰助が秘密の特訓の成果を披露した。
市村は相馬に、泰助は野村に、それぞれ敗れてしまったが、こちらもそれなりにつぎに繋げるものを得たであろう。
あの夜以降、子どもたちは少年のことが気になって仕方がないらしい。
とくに市村は、ことあるごとに少年に絡んだ。
山崎は、少年を薪を置く台に座らせ、冬のささやかな陽光の下、左頬をためつすがめつみている。
両掌、両脚の甲、そして、右の腕の傷、どれをとっても本来なら大事をとる必要がある。そのなかでも、とくに頬の傷はひどい。
縫うわけにはゆかぬ。あまりの深さに、傷口からしじゅう血が流れ落ちてくる。
少年は、そのつど手拭でそれを拭わねばならぬ。
「しばらく休め、な?」
山崎は、少年に恩義を抱いている。
大坂人としての渡世上手な感覚は備わっていても、ずば抜けた武力の才があるわけではない。
この武闘集団のなかで、しかも、その集団の幹部に気に入られやってこれているのは、ひとえに少年が間者、密偵としての技術を手ほどきしてくれたからである。
無論、山崎にその才能があったからでもあろうが。
「坊、山崎のいうとおりだ。いまは、傷を治すことに専念すべきだ」
井上も同意する。
「傷を診ていただいてありがとうございます、山崎先生。井上先生も、ご心配をおかけして申し訳ありませぬ」
少年は、無言のうちに二人の助言を退けた。それから、立ち上がるとまた薪をわりはじめる。
風呂や炊飯用だ。
冬のこの時期、屯所の小者三人が一日かかってやっと賄えるほどの量を必要とする。
少年は、薄刃の小鉈を遣い、半時ほどですでに必要量の半分はわった。
今宵の饗宴についてかんがえながら・・・。
今宵、それがおこなわれる。
いかなるい刃であろうと、ふるうことで感覚が鋭くなってゆく。
少年にとって、単純作業はなによりの鍛錬になる。左の掌に小鉈を握り、右の掌は薪を掴んで宙に放り投げてゆく。
本来なら、薪を置き、そこに鉞や斧をうちつける。無論、この方法も鍛錬になるが、ときを要する。この方法がずっとはやい。
少年は、薪をわりつづけた。
小鉈の刃は、宙を斬り裂くがごとく軽快に舞う。そう、それはまさしく刃の舞いだ。
井上も山崎も、その手練をただみ惚れた。
「おや、これは見事な技だ」
そこへ、みかけぬ相貌の漢がやってきた。女性的な美しさをもち、それでいてその気はあらゆる意味で充実している。
「おぉそうだ、すまんすまん伊庭先生。坊を探しにきた目的をすっかり忘れていたよ」
「いやだな井上先生・・・」
客人だ。
山崎と少年が客人にたいし目礼する。
幕臣であり、心形刀流の遣い手「伊庭の小天狗」と二つ名をもつ伊庭八郎だ。
江戸で勝に頼まれたことを実行に移すため、馬で駆けに駆け京へと戻り、さっそく実行に移したのである。
近藤と土方に挨拶し、しばし旧交をあたためた。だが、かれも将軍警護という本来の職務がある。ゆっくりはしておれぬ。
少年を呼びにいった井上が戻らなかった為、自身で探しにきたのである。
部外者である伊庭に、それを許すほど近藤も土方も伊庭をよくしっている。
「伊庭です。これでも一応幕臣です」
伊庭が山崎に名のった。
山崎も「監察方の山崎です」と応じた。
心中で、この美丈夫もまたかなりの剣の遣い手なのだろう、と確信しつつ。
「ひさしぶりだね、坊。それにしても、ちいさいままだね?それに、その傷は?」
「伊庭先生、おひさしぶりです。先生もお元気そうでなによりです。ですが、ちいさいは余計ですよ。これでも気にしているのです」
少年は、さして気にする様子でもないのにそう応じて笑った。
伊庭だけでなく、井上も山崎もつられて笑声を上げた。
「坊、門まで送ってくれるかい?いそぎ二条城にゆかねばならない。両先生、またちかいうちにお会いしましょう。沖田先生や永倉先生たちにもよろしくお伝えください」
井上と山崎に一礼すると、伊庭は少年をともなってあるきはじめた。
少年は、それが二人きりになる為の口実であることをわかっている。したがって、旧知の剣士の手間をわずらわせぬため、自身のほうからきりだした。
「勝先生の言伝は、たしかに承りました。できるだけ意にそう様にいたしましょう。生家の件も承知しております」
少年の横で伊庭の歩がとまる。少年が相貌を上げると「伊庭の小天狗」の驚愕の表情がある。それをみ、少年はくすくすと笑った。
「一つお願いがあります。今宵、上様にだされるすべての飲食物は召し上がらぬ様、ただ召し上がるふりをいただきますよう、上様にそうお伝え下さい。そして、あなたは上様からはなれないで下さい。新撰組の童がそういったとおおせいただいたら、上様にはおわかりになるはずです」
「・・・?」
謎だらけだ。この繋がりは、なにがどうなっているのか?かんがえても皆目見当もつかぬ。
伊庭は生来単純で従順、そして、やさしく素直な性質なのだ。
「承知した。かならず伝えようではないか」
二人は門のまえでわかれた。
少年は、昔とまったくかわらぬ。外見、物腰、気配すら感じさせないところまで。
ただ、現在の少年は、うまくいえそうにはないがその心奧部に強いなにかを秘めている、というか備えているというか・・・。
伊庭自身の感覚や剣士としての気が、そう感じさせた。
伊庭は、少年に見送られながら思った。
上洛早々、面白きことがおこりそうだ、と。
「総司、調子がよさそうだな」
今朝起きたら、庭は薄っすらと雪に覆われていた。
昼間のささやかな陽光のなか、桜の木や南天の葉を覆っている雪は、きらきらと光っていた。ただ、それもいまはほとんどみえぬ。
沖田は、すでに陽も暮れているというのに、障子を開け放ったまま布団の上に起き上がり、じっと庭の暗闇をみつめていた。
「近藤さん・・・。ええ、今朝はお孝さんがつくってくれた粥を全部食べましたよ」
近藤の別宅で療養をつづけている沖田の容態は、かならずしもいいとはいえぬ。
近藤は、暇さえあればその沖田の顔をみにゆくようにしている。
近藤にとって、沖田は弟、否、息子も同然だ。できうるかぎりのことをしてやりたい、と思うのが親心というものだ。
「でかけるんですか、近藤さん?」
沖田の寝室には、病人特有の臭いが染みつき、空気がわだかまっている。
総司は、どんな思いで毎日庭をみつめているのだろう・・・。
近藤は、沖田をみるごとにいたたまれなくなる。
この夜、近藤は裃を着用していた。腰には自慢の「長曽禰虎徹」を帯びている。
「ああ、いまから他出せねばならぬ。今宵、御所で宴があるらしく、会津候から警護の命をいただいているのだ」
近藤は、沖田の痩せ細った両肩に丹前をかけてやった。すでに筋肉も落ちてしまっている。
「近藤さんだけなんですか?」
「まさか」
近藤はえらの張った大きな顎を、右の人差し指でかきながら笑った。
「歳と、それから永倉君、原田君、斎藤君。腕の立つ者をということだからな」
「宴に手練を?いったいどういう宴なんですか、それは?」
沖田は、ことさら頓狂な声をだして応じた。すこしでも元気であることをみせる為に・・・。その所為で肺に負担がかかってしまったのか、激しく咳が込んでしまう。
「おいおい、総司・・・」
近藤が、慌てて沖田の背をさすってやる。
その大きくて分厚い掌はあたたかく、なにより思いやりがある。
こうしていつまでもさすっていて欲しい・・・。
沖田は、子どもじみた欲求を抱いた。そして同時に、強烈な悔しさに心身を苛まれる。
「本来なら、おれが近藤さんの傍にいなきゃならないのに・・・」
「総司・・・」
「坊は?坊は連れてゆかないんですか?」
沖田は、近藤の両の腕にすがりつき詰問する。
「ああ・・・。会津候も名指しされていらっしゃるが、此度は尾張公の方で用があるらしくてな・・・」
「近藤さん、気をつけて下さい。どうも嫌な予感がします・・・」
沖田の潤んだ両の瞳が、近藤を執拗に責める。
病をどうにもしてやれない無力さを、連れてゆけぬ不憫さを・・・。
「あぁ、わかっているさ総司。歳や永倉君たちがいる。それに、おれもすてたものではないだろう、えっ総司?」
近藤は、不自然なほど笑った。あかるくふるまうことしかできぬことが、心底情けないと思いつつ・・・。




