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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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野望潰える

 市村は、土間の冷たい土の上でぐったりと動かない副長の甥にちかづきたいが、怖くて脚を動かすことができないでいた。


 死んでいる、と思った。

 それはほかの子どもたちも同様だ。みな、息を殺し、それをただじっとみつめることしかできなかった。


 興奮しきった大人たちの声が、お堂のほうからきこえてくる。


 性欲を満たしたあとは物欲ということなのだろう。


 新撰組の局長宛に「わらべらの生命いのちが惜しくば、まとまった金子をもってこい」という文を、だれがしたためるのか、それをだれが屯所にもってゆくのか、そもそもまとまった金子とはなん両のことなのか?、などという話しで盛り上がっている。


 いま、子どもらを見張る者はいない。

 

 それまでぐったりしていた副長の甥が突然飛び起きたものだから、市村は「ひっ!」と情けない悲鳴を上げてしまい、自身の掌で自身の口唇を慌てて覆った。

 ほかの子どもたちも同様に、それぞれ驚きの声や悲鳴を呑み込んだようだ。


 副長の甥は、自身の口唇のまえで指を一本立てた。その場に胡坐をかく。それから、「怪我はありませんか?」と子どもらをみまわしながら囁いた。


 市村は、「怪我しているのはおまえだろ?」といいそうになったが我慢した。


「手拭をもっていませんか、市村さん?」

 そう尋ねられ、市村は懐を探った。が、あいにくもっていなかった。


「これを・・・」

 そのとき、泰助が手拭を差しだした。

「ありがとうございます、井上さん」

 副長の甥は、泰助の掌から手拭をうけとった。

 旧知の子どもを、しげしげとみつめる。

「背がずいぶんとたかくなりましたね。筋肉もついている。稽古をすれば、じきに叔父上のような立派な剣士になれますよ」

 そう囁いた。


 泰助は、正直驚いた。

 あれだけ怖い存在だったこの少年は、思っていたほど怖くない。それどころか、やさしさと思いやりに満ち溢れている。

 やはり、この少年のなかに感じたあれは、まだいるに違いない。


「あ、ありがとう・・・。大丈夫なの?」

「おまえ、大丈夫なのか?」

 泰助の案じる言の葉に重ね、市村も尋ねたながらとかづこうとした。それを、副長の甥は掌を上げ制する。


「ああ、これですか?こんなものは傷のうちに入りません。ですが、心配していただいてありがとうございます」

 泰助からうけとった手拭を切り裂き、それを掌や脚の甲の傷に巻いてゆく。

 ずいぶんと手際がいい。


 頬の傷だけはどうしようもできぬと思ったのだろう。血糊を拭っただけだ。



 少年は、気配を感じた。うちではなくそとに。

 無数の気配。それは、二頭の兄弟犬が運んだ市村の木刀をみ、変事ありと出動した新撰組の隊士たちのものだ。

 そして、夜気を裂いて飛行するかすかな羽音・・・。


 そのとき、少年と同調した大鷹が、崩れかけた土間の高窓にその勇士をあらわした。


「うわっ!でかい」

 玉置は、鷹をこんなにまぢかにみるのははじめてだ。

 かような状況にいることも忘れ、高窓に駆けよった。その優雅な姿態を観察したくて、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「やめないかっ!奴らがくるぞっ!」

 市村がすかさず叱咤する。


「朱雀、頼むぞ」

 少年の命をうけ、朱雀は高窓から飛び去った。羽音がとおざかってゆく。

 暗闇のなかでの飛翔は、大鷹にかなり無理をさせているだろう。

 だが、少年の双眸であり、翼でもある朱雀に、主への報告を託すしかない。


「まもなく助けが参ります。もうすこしの辛抱です」

 少年の励ましは、鷹がみえなくなって残念な表情かおの玉置をのぞき、子どもらを安心させた。


「おいっ、おまえはいったい・・・」

 市村は、納得がいかなかった。


 こいつはいったいなんだっていうんだ?あれだけ大人たちに痛めつけられたっていうのに、なにゆえ平然としておれたちにやさしくできるというのだ?


「市村さん・・・」

 少年は、土間の冷たい土の上に座り込み、下唇を噛み締め項垂れている市村にちかづいた。


「強くなりたいですか?」

 それは、唐突な問いだった。

 市村がはっとして双眸を上げると、そこに自身よりちいさく幼い子どもの姿があった。

 それは尊敬する副長の甥で、叔父に反発して色仕掛けで叔父の敵にとりいり失敗した唾棄すべやつ、のはずだ。


「ああ、なりたいさ。強けりゃおまえのようにいやなやつに媚をうる必要はない。ましてや、卑劣な大人どもに犯されることもない。力があれば、なんだってできる」

 そう口ばしってから後悔した。


 そのおかげで、自身ら無事なのだ。いまのところは・・・。


 副長の甥は、ひどいことをいわれたにもかかわらずただ微笑んだだけだ。左頬の刀傷が生々しい。


 きれいな相貌にできた一生消えぬ傷・・・。


「誠の力とはなにか、をしることです。それは、恐怖を、悔しさを、自身の弱さをみつめまなぶことです・・・」

「・・・?なんだと?おまえになにがわかるっていうんだ・・・」

 市村がかっときて詰めよろうとすると、副長の甥は掌をひろげて制した。

「迎えが参りました。市村さん、みなさんのことを頼みましたよ」

 外側から複数の人声と同時に、がんがんと音がきこえはじめた。

 朱雀の案内で新撰組の隊士たちが駆けつけ、建物を崩そうと斧を振るう音だ。


「さぁ、おゆきなさい。おれにはおれの務めがあります」

 副長の甥は、そう告げてから市村たちに背を向け、お堂へとあゆみはじめた。



「みろっ!壬生浪どもだ。餓鬼どもが逃げるぞっ!」

 壁を打ち壊す音は、お堂で騒いでいた兇漢どもにも届いたらしい。一丸となって駆けてきたところに、土方の甥が泣いているのに鉢合わせした。

 一人逃げおくれたらしい。


「こいつだけで充分だ。予定変更だ、このままこいつを餌に、壬生浪どもに一泡吹かせてやる」

 そもそも、なにゆえばれたのか?、この場所のどこに子どもらがいたのか?、など冷静にかんがえれば、岩佐らが餌であるはずの土方の甥にいい鴨にされていることに気がついたはずだ。


 岩佐は、巨躯のおとこに土方の甥を連れてくるよう命じ、自身先頭にたって子どもらが逃れていった土間の壁からそとへでた。

 そして、そこに新撰組の精鋭たちが爪牙を磨き上げ、まちかまえているのを目の当たりにした。


「なんてこった・・・」

「こりゃ、勝ち目はねぇ・・・」

 しょせん、ごろつきの集団だ。百戦錬磨の戦闘集団をまえに、怖気づくのも当然のことだ。しかも、子どもらを人質にとるという卑劣な真似をしたのだから、壬生浪たちはいつも以上に殺気だっている。


 岩佐も、これはかなわぬと即座に判断した。だが、もはやあともどりは、ましてや逃げ隠れできるわけもない。


 やはり分相応に、自身にあるだけの器量でこの世を渡るべきであった。


「土方ーっ!おれは、丹波浪人の岩佐だ。池田屋では世話になった。本懐を遂げることなく散っていったおおくの同志たちの仇を、討たせてもらうぞ」

 やけくそ以外のなにものでもない。しかも、その目的はかなり体裁よく、義侠心あふれたものへと摩り替わってしまっている。


 どうせなら、せめて尊皇攘夷の志士として散ったほうが世間体はいい。


 もっとも、岩佐の死の理由を気にする者など、この世のどこにもいるはずもないが。


「貴様の甥も道連れにしてやる。そこで自身の無力さを思いしるがいい。きいてるか、土方っ!」

 岩佐は、じつは土方の相貌をしらぬ。池田屋では、壬生浪にみつかるまえに風呂桶から逃げたので、会うことはなかった。それ以前でも以降でも、京の町で壬生浪の臭いがした瞬間に、遭遇しないように工夫していた。

 そういう特異な感覚は、備わっていたのである。


 そんな岩佐でも、居並ぶ狼どものなかで土方がどいつなのか、すぐにしることができた。


 そのおとこだけ武装していない。着流しで、腰に大小を帯びているだけだ。だが、ほかの狼どもよりあきらかに猛々しく、なにより美しい。しかも、甥っ子にそっくりだ。否、甥っ子が似ているのか、叔父に?


「いいたいことはあるか?」

「鬼の副長」と怖れられている美丈夫が尋ねた。

 凄まじいまでの殺気が周囲に満ちている。

 かれの仲間や手下てかたちは、その殺気に呑まれていた。それは、敵よりもよほど怖ろしいものだ。


 無事に保護された市村をはじめとした子どもたちから事情をきいた土方には、もはや敵にたいする同情も憐憫も、ましてや寛容さもまったく存在していない。


「・・・?」

 岩佐は頸を傾げた。土方の問いは奇妙だ。それはこちらの科白せりふだろう、といってやりたかった。


「金子とあわよくば名声、ただそれだけです。背後になにものも存在いたしません」

 土方の問いは、岩佐に向けられたものではなく甥に向けられたものだった。


 大男の丸太のような右のかいなに自身の頸をとられ、宙吊りの状態のまま、甥は叔父に返答した。


 ついさきほどまでぴーぴーとうるさく泣き叫んでいたわっぱは、いまはなんの表情も浮かべず、低い声音で応えている。


 土方は、またしても自身が抑えられなくなっていた。自身の懐刀を、否、あいつを傷つけ慰みものにした連中を、なにがなんでもどうにかしてやりたい。

 肉や魂、それらすべて一欠片も残すことなくこの世から、自身のまえから跡形もなく消滅させたい。


「土方さん?」

「副長・・・」

 その激しいまでの殺気は、左右に居並ぶ永倉や斎藤にもはっきりと伝わっている。そのちかくで、井上につきそわれている市村ら子どもたちですら、土方の激しい怒りや憎悪を感じ、怖ろしさで脚ががくがくと震えるのを止めることができないでいた。


 そして、それを一番よく感じているのがやはり少年だ。

 大男のかいなのなかで、少年は困惑していた。主は、なにゆえそこまで怒っているのか?たかだか使い捨ての鈍刀なまくら一刀に、なにゆえこれほどの感情をあらわすのか?一振りの刃ごときに、なんの感情も思いいれも必要ない。刃など、斬れ味が悪くなれば、使えなくなれば捨てればいい・・・。 それがこの世界での掟だ。


 同時に、刃もまた遣い手にたいして抱く感情や思いいれは必要ない。ただ遣われるだけでいい。それが道理のはずだ・・・。


「やるがいい。どうでもいいやつだ、好きなようにしろ」

 土方の言は、敵味方ともに驚かせた。かれの古くからの仲間をのぞいて・・。


「正気か、土方?甥を殺せと?」

 思い描いた筋書きとあきらかに違う。


 岩佐は、いささか拍子抜けした。


 そのとき、叔父にみ捨てられた甥の呟きがきこえてきた。

「承知」

 はっとして甥をみたのと、巨躯が三、四間先に吹っ飛んだのが同時であった。


 兇漢たちのだれもが、なにごとがおこったのかさえわからぬ、ほんのわずかの間である。


 岩佐をのぞく全員が、短刀どすを握ったまま冷たい土の上に転がっていた。


 土方たちもまた、なにもみえなかった。

 永倉、斎藤ですら、その動きがまったく摑めなかった。


(また腕をあげた・・・。あの大太刀の所為か・・・?あいつは、どこまで強くなるんだ、いったい?)

 斎藤は空怖ろしくなった。


「全員、二度と短刀どすを握れないでしょう。それが意味することがおわかりか?」

 冬のかわいた地であっても丑三つ時である。夜露で土はぬれている。少年は、まるでなにごともなかったかのようなあかるい表情かおをしている。

 新撰組の隊士たちのもつ無数の松明の灯りは、その表情かおを不気味なものに浮かび上がらせている。


 岩佐は、このちいさなわっぱこそが、噂にきく「土方二刀」の一振りであることを、いまさらきがついた。

 だが、すべては遅すぎた。


 岩佐が意識をとりもどしたのは、獄舎だ。四肢はまったくうごかぬ。

 その与えられた痛みと試練は、死よりもよほど容赦なく、そして無慈悲であった。


 この件にかかわった全員が、獄死したのはいうまでもない。



 隊士たちは後始末している。


 少年は、主のまえで片膝折った姿勢でひかえた。


「副長、おれの不手際です。申し訳ありません。」

「馬鹿いってんじゃねぇ・・・」

「市村さんたちには怖い思いをさせてしまいました。それに、おれはもう間者としてはつかいものにならなくなってしまいました・・・」

 少年は、ざっくりと斬られた自身の左頬を撫でた。血がまだ止まらず、口中に流れこんでゆく。だが、その味はわからぬ。

 味覚は、とうの昔におかしくなっているのだ。


 土方だけでなく、永倉も原田も斎藤、そして井上も、少年の言に唖然とした。


 常識の範疇をすでにこえている。どういう感覚で、かようなことがいえるのか?


「馬鹿いってんじゃねぇ・・・」

 土方は繰り返した。


 こいつはいったい・・・。


「二人きりにしてくれ・・・。井上先生、その子らを屯所に連れていってくれ。近藤さんが二条城から戻っていたら、ごまかしてくれ。もどってからおれが説明する」

「あいよ、副長。山崎先生にも声をかけておきましょう。坊の傷をみせた方がいい」

「そうしてくれ。さぁみな、とっととここの後始末をして、屯所に戻って休んでくれ」

 永倉たちは、それぞれ少年に声をかけ、土方の命令どおりに散っていった。

 

 二人きりになると、土方もまた地に片膝ついた。少年と視線をあわせる。


「なにゆえ命に従わなかった、坊?おれは殺れ、といったはずだ」

 土方は、たしかにやれ、といった。少年は、ちいさな肩をすくめた。

「申し訳ありません。たかだか金子目当てのごろつきどもに、新撰組の副長たるあなたが殺せ、と命じるとは思いもよらず、始末をつけろやれ、との意味と解しました・・・」

 少年はうそぶいた。


 土方に、冷静になって欲しい、と暗に伝えているのである。


 一軍の将たる者が、個人的な感情で采配をすべきではないということを、少年ごときの為に感情をあらわにすべきではないということを、伝えたいのだ。


 結果的に、少年の判断は土方を救った。あの場で少年が全員を屠ったとすれば、隊士たちにいかなる影響を与えただろうか?


「副長、おれごときにいらぬ心配はされませぬよう・・・」

 土方は、松明の灯りのなか少年の双眸に自身の姿を認めた。それは、新撰組の「鬼の副長」というにはじつに情けない姿だ。


 同時に、少年の左のに違和感を覚えた。が、それがなにかまではこのときにはわからなかった。


「努力しよう・・・」

 土方は、少年のちいさな頭を自身の胸にひきよせた。


「いい子だ、坊。よくあの子らを護ってくれた。誠におまえはいい子だ・・・」


 少年にとって、土方のその讃辞はかけがえのない褒賞である。

 

 少年自身もまた、遣い手にたいして抱いてはならぬ感情の存在があることを、自身認めようとはしなかった。


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