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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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「伊庭の小天狗」

 江戸では薩摩藩による「御用盗」なるものが横行していた。


 薩摩藩江戸勤番の藩士である伊牟田尚平いむたしょうへい益満休之助ますみつきゅうのすけが尊皇攘夷派の過激浪士たちをつかい、江戸の各地で強奪と焼き討ちを繰り返した。


 つまるところは、幕府を挑発する破壊工作だ。


 幕臣やまだ従順な諸藩の藩士たちが、その挑発にのるのもときの問題だ。

 のっかったが最後、薩長側に開戦の口実を与えることとなる。


 それはすなわち、徳川幕府の最期をも意味する。


 伊庭八郎いばはちろうは、幕末江戸四大道場の一つ「練武館れんぶかん」の跡取りと称されている美丈夫である。

 まだ二十三歳という若さながら、「伊庭の小天狗」、「伊庭の麒麟児」と異名をとるほどに心形刀流をよく遣う。

 小柄ではあるが、すばやく技のきれがよい。江戸でかれに並ぶ者がいるとすれば、山岡鉄舟くらいであろう。

 線が細く相貌がまた美しい為、外見でその腕前をしることはかなわぬ。

 かれもまた、気を自在に操る能力ちからがある。戦いの場であってさえ、気をすべることができるのだ。

 剣においては、まさしく麒麟の如しである。

 幼少の時分ころには、剣術よりも学問に打ち込んでいた。その為、兵法や蘭学にも造詣がふかい。文武ともに達者というわけだ。


 その伊庭が、江戸に密かによびもどされた。


 伊庭は、将軍警護の為つい最近京に上洛したばかりであった。


「いいか、八郎」

 赤坂本氷川坂下の勝邸の狭い部屋で、伊庭は山岡と身をよせあっていた。


 狭い、というのは部屋の面積ではなく、そこに置かれたおおくの書物のせいで狭くみえているだけのことだ。だが、伊庭も勝とおなじく書物に囲まれることに抵抗はない。


 こんな生活ができれば、さぞや愉しいだろうなとさえ思う。


 小さな火鉢の向こうで勝がいった。

 勝は、分厚い丹前にほとんど負ぶわれているような格好だ。寒いのが苦手なのだ。ゆえに、京の底冷えする寒さから、とっとと逃げてきた。

 もっとも、逃げたかったものは、寒さからだけではなかったのだが・・・。


「おめぇも試衛館の連中と面識があるんだろう、えっ?」

 膳に置いた猪口をもち上げると、勝はぐいとそれを呷った。

「くーっ」

 安酒が喉をとおってゆく。焼けるようだ。

 勝は、この感覚が好きなのである。


 勝は、わざと新撰組とはいわなかった。

 近藤たちと伊庭が懇意にしていたらしいということを、山岡の調べでしった。伊庭を動かすには、新撰組よりも試衛館の連中、と思わせておくほうがいいだろう。


「はい」

 若くて女性的な相貌に、華のような笑みがひろがった。


「近藤さんをはじめ、土方さんや沖田さんには流派は違えどよくしてもらっていました。懐かしいな。京で再会できると思います」

 伊庭は、そう応えた。


試衛館では、道場破りがやってくると懇意にしているちかくの道場から師範代をよび、それを追い払ってもらっていた。無論、師範代にはちゃんと酒代と称する手間賃を、そこの当主の分も添えてもたせる。それが、長州の桂のいた千葉道場であったり、この伊庭の練武館である。

 練武館のほうが、その依頼率はずいぶんとおおかった。

 伊庭の父であり、先代である伊庭秀業いばひでなりが、近藤とその養父である周斎しゅうさいと懇意の仲であったことが、両道場の腐れ縁のはじまりだ。

 それは、息子である伊庭にもひき継がれた。


「餓鬼がいたのを覚えてるか?十歳とお位?いや、ありゃみたは七、八歳か?」

「ええ、無論ですとも」

 伊庭は記憶力もいい。

 もっとも、あのわらべは、いかに記憶力が悪かろうと忘れられるわけがない。ある程度の剣士であれば、あるいはその掌の好きものであればなおさら。


「なら、話しははええ。いいか伊庭、京に上ったらすぐに土方に会え。いや、餓鬼に直接会え。兎に角、会って勝がそうするようにいったといやぁいい」

「・・・?」

 伊庭は小首を傾げた。その隣で、山岡が笑いを噛み殺している。


「そんだけで、あの餓鬼にはわかるんだよ。なぁそうだろう、山岡よ?それと、生家の連中が、沙汰もねえのに勝手に江戸を離れやがった、ともな」

 銚子から酒を注ぎ、また呷る。

 つぎは、最初ほど喉は焼けなかった。しかもこの寒さで、せっかくの熱燗も冷えてしまっている。


「・・・?ますますわかりませんが・・・。ですが、勝先生のおおせに従います」

「上様のことを頼んだぞ、伊庭。それと、短気な連中がやつらの挑発にのらねぇように、餓鬼としっかりと見張ってろ」

「はぁ・・・。ですが、それについてはわたしもいささか自信がありませぬが・・・」

 江戸のこの騒ぎに、いてもたってもいられぬのだ。場所が江戸から京にうつろうと、それをおさえられるとは思えぬ。


江戸こっちも、できるだけのことはやるつもりだ。まぁ焼け石に水だろうが」

 勝は、自嘲めいた笑声を上げた。


 酒を勧められてもうまく断り、伊庭は早々に勝のもとを辞した。


山岡は、だされた饅頭をさも美味そうに口に放り込みながら呟いた。

「京はえらいことになりますな、先生?」

「おめぇがあんなどえらいことを調べ上げるからだ、山岡」

「わたしの所為、ですか?」

 山岡は、七個目の饅頭を口に放り込んだ。勝のほうはそれとおなじだけの数の猪口を傾ける。


「伊庭の言伝で、あの餓鬼はすべて察するだろう。悪いが、あの餓鬼には死んでもらわにゃならねぇ・・・。くそっ、坂本が死んだばかりだってのによ・・・。どうしておいらが、一度しか会ったことのねぇ餓鬼に死ねっていわにゃならん?こりゃ、依頼でも懇願でもねぇ。たんなる強要じゃねぇか?」

 三本あった銚子は空だ。

「おーいっ!熱燗、もうすこしつけてくれねぇか?」

 勝が障子の向こう、奥の間にいる妻の民子に声をかけたが、反応はなかった。


 勝の細君は、主人には酒肴を、二人の客人にはお茶と饅頭をもってきたきり姿をみせぬ。

 どうやら、勝がまた民子の機嫌を損ねたらしい。


 さしもの勝も、このできた妻には頭が上がらぬのだ。


「しかし、坂本君の遺志、否、その遺志の出所である先生の希望を叶えられるのが、その餓鬼だけかと思いますが・・・」

「餓鬼は動く。だが、土方はおいらをゆるしはしねぇだろう・・・」

 京でのあの夜のことを思いだしてしまう。


 自身は土方に殺されるかやもしれぬ・・・。

 

 勝は、あの二人の間に主従の関係を越えたなにかを、敏感に感じとったのだ。


 銚子を傾けた。酒の滴が勝の舌の上に落ちる。


 この舌は、どれだけおおくの人間ひとを死に追いやったろうか・・・。

 愛弟子の坂本もその一人だ。


 そしていつか自身も、この舌の所為で死ぬのだ。それが相応の報い、に違いない。


 問題は、それまでにどれだけのことをしでかすのか、あるいはどれだけのことをしでかさぬか、だ。


 自身の舌は無論、他者ひとのそれも含めて・・・。

 


 最近の酒は、喉を焼くばかりでちっともうまくねぇ・・・。


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