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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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尾張藩主

 武力でもって徳川幕府を叩きのめす心づもりだった薩摩藩は、大政奉還で気勢を殺がれた。


 その不満は、いわゆる「挑発」というかたちで江戸を中心に実行にうつされた。幕府にちょっかいをだすのである。


 それらが功を奏し、挑発にのってくれればすぐにでも開戦にもちこめる・・・。


 命を賭した坂本の船中八策も、おおくの野心のまえでは「絵にかいた餅」にすぎぬのか。


 岩倉や大久保のクーデターが成功し、王政復古の大号令が発せられた。これにより、これまで御所内において実権を握っていた二条摂政にじょうせっしょう中川宮朝彦親王なかがわのみやあさひこしんのうら親幕府的な公卿は、発言権を失ってしまう。


 大号令をうけ、十二月九日夕刻より小御所会議が設けられた。諸侯会議の様相を呈したそれは、ほとんど岩倉のひとり舞台であるといっても過言ではない。


 恫喝や怒声が小御所内に響きわたる。


 元尾張藩主徳川慶勝(とくがわよしかつ)、前土佐藩主山内容堂(やまのうちようどう)、前越前藩主松平春嶽(まつだいらしゅんがく)ら、一癖も二癖もある狐狸ですら、その岩倉の勢いをとめることはかなわなかった。


 この会議において、徳川慶喜が辞官納地することを決した。その翌日、慶喜は自発的にそれをおこなう。


 尾張藩邸は、洛北でも東側にある。土佐藩京屋敷と隣り合っている。東側には春日社があり、木々に囲まれ、静かなところにあった。


 その規模は、さすがに親藩でも筆頭格だけあり、土佐藩の二倍強、会津の黒谷と比較すれば三倍ちかくの敷地を有している。

 屋敷は贅を尽くしたものであり、それに伴う管理もしっかりされている。京勤番の藩士の数もかなりおおく、その在任期間もながい。


 徳川慶勝は、会津藩主松平容保や桑名藩主松平定敬(まつだいらさだあき)の実兄にあたる。さらにはいま一人の実弟であり、尾張十五代藩主徳川茂徳(とくがわもちなが)もあわせ、明治期にはこの四人は「高須四兄弟たかすよんきょうだい」と呼ばれることとなる。


 後年、慶勝は朝敵となった二人の弟の為に、助命嘆願に奔走することとなる。


 長身痩躯で頬はこけ、一見すると虚弱な性質たちのようだが、代々の藩主とおなじく優秀な剣術指南役の下、剣術稽古に余念なくその流派の免許皆伝の腕前をもつ。

 性質たちは剛毅で奔放、その反面優雅で几帳面なところもあり、また多才でもあった。

 写真フォトガラに興味をもち、じつに千点以上の歴史的価値のある作品を後世に伝えた。


 ちなみに、当時の写真術は、現像も自身でおこなわなければならなかった。


「遠慮は要らぬ。入りなさい、辰巳」

 尾張藩邸の慶勝の寝所を訪れたのは、すでに暗くなってからだった。


 すでに剣術指南役の厳周を通じ、慶勝に謁見する手はずは整えていた。無論、非公式にではあるが。


 慶勝は、寝所で寝間着姿のくつろいだ格好であった。

 畳の上に散らばった無数の写真を、めつすがめつ眺めている。


 慶勝は、大きな池のある庭に面した寝所の障子の向こう側に、その気を感じ部屋のうちから声をかけた。


 非公式の訪問者が、慶勝にわかるようわざと気を発したのである。


 寝所は、二間つづきでかなり広いが、慶勝はここに写真に関することや古今東西の大量の書物、絵画、刀剣等幅広い趣味や実益に関するものをもちこんでいる。それらが所狭しと散らばっており、とても徳川御三家筆頭の藩主の寝所とは思えぬような様相を呈している。


 少年が寝所に入ると、慶勝は写真から相貌を上げ、少年のそれをまじまじとみつめた。胡坐をかき、その両腿の上にも数枚の写真フォトガラが重なり合っている。


 訪問者は慌てて叩頭した。それをみた慶勝は細面の相貌を綻ばせた。


「よい。平伏するのはむしろわたしの方だ。それにしても、誠に昔のままだお主は・・・。会津からきいてはいたが、正直信じられなんだ・・・。二十数年ぶりか、辰巳?」

「おそれながら、尾張候にはご健勝の由恐悦至極に存じ上げます。かように砂塵にまみれし格好のままでの拝謁、ご無礼何卒お許し願います」

 少年の着物や袴は、泥や血液らしきものにまみれ、清潔とは程遠いものである。


「気にするでない」

 慶勝は、笑いながら写真フォトガラをもった掌をひらひらとうち振った。


「よくぞ参ってくれた、辰巳。して、首尾は?」

 慶勝は、真剣な表情かおで問うた。

 叩頭している少年のうしろに置かれた包みに双眸を向ける。


 寝所内は、二個の火鉢の火であたたかい。その大きな火鉢は、どちらも尾張の瀬戸作のものだ。青色を基調とし、一つには鳳凰が、いま一つには麒麟が描かれている。それらは、いつの代かはわからぬが、藩主の為に二個一組で焼かれたものであった。


 少年は、秀麗な相貌を上げると口の端を吊り上げた。


 美しい、と慶勝は心から思った。いい被写体になりそうだ。だが、絶対に撮らせてくれぬであろう。なにゆえかそう思う。


「まずは、此度は格別なる機会をお与え下さり、心からお礼申し上げます」

 少年は姿勢を正すと、あらためて礼を述べた。

「手こずりました。そう簡単にはゆかぬもので・・・。ですがなんとか・・・」

 曖昧な表現ではあったが、少年の表情かおから、それが成功したのだと察することができた。


 それは、生来そなわった力によるものだけではなく、かなりの苦しみと悔しさを伴ったことであろう。この少年のぼろぼろの格好なりをみれば、それが容易にわかる。そして、ある種の気も・・・。


 おなじ流派を学んだ、いわば同門の徒にしか理解できぬ気・・・。


「そうか・・・。さすがだ。それを操れる者がこの世に存在するとすれば、辰巳、お主ぐらいであろう・・・。これでお主は、名実ともに最強の剣士。江戸、尾張関係なしにわれらが流派の最頂点に立つ資格がある。ところで、厳蕃には会うたか?」

 慶勝は、やわらかい笑みを浮かべた。


 この一連の騒動は、それでなくともこけた頬をますます鋭利にしてしまっていた。少年との再会と、その少年が流派に伝わる大太刀を御したという報告は、慶勝を久方ぶりにあかるくさせた。


 いまだったらいい写真が撮れそうだ。時間ときをつくり、異国の船でも撮りにゆこうか・・・。


 そこで不意に、現実にひきもどされた。

 やはり避けては通れぬ。


 これからこの旧知の少年に、残酷なことを伝えねばならぬ自身が情けなくてならぬ。


「厳蕃殿?いいえ、まだ・・・。気は感じまするが・・・。尾張候、厳周殿から言伝はおききおよびかと」

「きいておる。わたしの要望にたいする返答をしてくれるとか?ふんっあいもかわらず、お主は敏すぎるな・・・。それにしても、会津はよほどお主が可愛いとみえる」

 慶勝は、実弟たちのなかでもとくに容保が可愛くてならない。


「会津が第八代会津藩主松平容敬(まつだいらかたたか)の養嗣子に入る際、反対派から護る為にお主が影武者を務めてくれたのを、実弟おとうとはいっときも忘れたことはないであろう・・・・。のう、辰巳?」

 少年を真正面から見据え、二十数年前のことを思いだしていた。あの当時、疋田景康ひきたかげやすの手引きのお陰で、自身はこの尾張の藩主を、容保は会津藩主を、それぞれ継承することができた。


 それどころか、こうして生を全うできている。すべては、眼前の小さなわらべの功績によるものだ。

 恩義こそあれ、なにゆえ過酷な道をあゆませねばならぬのか?なんの権利があって?


「畏れおおいことでございます。会津候におきましては、かような卑賤の身に過分の恩情を賜っております」

 ふっ、と少年は相手の緊張を解くべく、やわらかい笑みを浮かべた。それは、いまだ迷っている慶勝に勇気を与えた。


 慶勝は、散らばった写真フォトガラ視線を走らせた。どれもいいできだと自信をもっている。


 燭台の灯は、ときおり小さな音を立て、静寂満ちる部屋のなかゆいいつの生き物のように揺らめいている。


「辰巳、お主は自身の現在いまの立場をわきまえておるか?近衛大将軍という官位が、いまこのとき、どういう重要な役まわりになるのかを」


「ジジジ」、と灯下で油が燃える音が響いた。


 両者の間で視線が絡み合う。

 もう逃げることはできぬ。現実をしっかりとみ、立ち向かわねばならぬ。それはどちらかがというわけではなく、両者に必要なことで、しかもともに迫られてもいる。


「承知しております、尾張公・・・」

 少年は、膝頭に散らばっている写真フォトガラ双眸を向けた。

 京であろうか尾張であろうか、町の子どもたちが笑顔で写っている。屈託のない、それでいて写真機などという謎の箱をまえにし、恥ずかしさや驚きのまじった笑みを浮かべている・・・。


 この将来さき、戦になればかような笑顔がどれだけ失われるであろう?そして、どれだけの人々の生命いのちや生活が奪われるであろう。


 幕府関係者の生命いのちや糧もまた同様だ。


 坂本は、これらをなにより怖れ、これらを回避する為に命懸けで働いたのだ。


 その意志を継ぐというにはおこがましいが、主をはじめ大恩ある人々の生命いのちと矜持だけは護る努力はすべきだ。

 自身には悪しき・・・ものとはいえ、それだけの力がある。


「身勝手なのはわかっている。辰巳、どうか実弟おとうとたちを、上様を護ってくれ。生命いのちだけでも・・・」

 慶勝が頭を下げようとした瞬間、その痩せた両の肩を近間どころか、懐のうちによっていた少年がそれをおしとどめた。


「承知しておりますとも」

 おなじ言の葉を繰り返す。

「かような卑しき生命いのち、いくらでもくれてやります」

 少年は、にんまりと笑った。


「すまぬ・・・」

 肩に置かれた少年の掌は小さく、かいなは意外なほど細い。慶勝がその両のかいなにすがりつくと、少年はしっかりとうけとめてくれた。


 実弟おとうとたちや将軍家の為に死んでくれ、と命じたもおなじこと。


 理不尽きわまりないその無言の命を、少年はしっかりとうけとめてくれた。

 

 このときの少年の屈託のない笑顔は、写真フォトガラとおなじように、終生、慶勝の脳裏に焼きついたまま色褪せることはけっしてなかった。



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