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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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尾張の剣士

 斎藤は、山口二郎やまぐちじろうと名をかえ、すでに新撰組に復帰している。


 だが、その変名はなぜか定着せぬ。幹部も隊士たちも、斎藤とかわらず呼ぶ。そして、斎藤もまた、訂正することなくそう呼ばれれば返事をする。


 新撰組は、紀州藩から警護の依頼をうけ、それが斎藤の復帰後すぐの任務となった。


 紀州藩は、この年、海援隊所有の「いろは丸」と衝突した。そして、「いろは丸」は海の藻屑と化した。

 坂本は、万国公法を用い、紀州藩からまんまと巨額の賠償金をせしめた。この事件は、この国初の海難審判事故となった。


 坂本の暗殺に紀州藩がからんでいてもおかしくない。


 海援隊及び、坂本と同様に凶刃に斃れた中岡率いる陸援隊は、坂本との交渉にあたった紀州藩士 三浦休太郎みうらきゅうたろうを、容疑者として狙った。


 その情報を摑んだ紀州藩は、警護を新撰組に依頼したのである。


 京の「天満屋てんまや」で、酒宴をひらいていた三浦を、海援隊と陸援隊の十六名が急襲した。さいわい、三浦は軽傷ですんだものの、警護していた新撰組の隊士二名が死亡、くわえて、斎藤をかばって斬られた隊士が重症を負うという大惨事となった。


 襲撃者は、新撰組の倍以上の数であった。


 斎藤は、この一件を自身の油断によるものだと自戒し、それを厳しい稽古を自身に課すことで悔いた。だが、大石は敵の数のおおさをいいわけに、とくに気にしている様子もない。

 


 局長の近藤の思いつきで武術試合をおこなうことになったのは、その事件後すぐのことである。


 希望者はだれでも参加でき、得物は剣にかぎらず、槍でも柔術でもなんでもよかった。規則はいたって簡単。「参りました」と負けを認めるか、審判がこれ以上の続行は無理と判断したら、それで試合は終了となる。


 気分転換。御陵衛士の一連の騒動や天満屋事件で滅入った気分を、すこしでも向上させようという局長の配慮である。


 試合には、局長、副長付の小姓たちもでていいとのお達しがあった。とくに市村などは、おおいにはりきった。自然、練習にも熱が入る。しかも、大人たちとの稽古にくわわってもいいと許可がおりたので、人一倍頑張った。井上の甥の泰助や、ほかの小姓たちも、大人たちにまじって稽古に励んでいた。


 監察方として、めったに屯所にいない山崎もまた此度は出場することになった。無論、かれも稽古に余念がない。


 ひさしぶりに屯所内に活気が満ちるなか、これもまためずらしく、屯所に来客があった。


 それは、京の寒さが本格的になってきたある晴れわたった日の午後であった。


 会津藩以外の武士が、屯所にやってくることはあまりない。


 幕臣となり、れっきとした武士になったこの一群を、いまだおおくの者がそうと認めていない証拠である。


 それはなにも、武士にかぎらぬ。京の町の人ですら、いまだに「壬生浪」と蔑んでいる。


 客人の三人は、あきらかにどこかの藩の藩士のようにうかがえる。


 まだ青年の域にある若者は、布にくるんだ長槍らしきものを携えていた。


 三人は、まず局長の近藤、副長の土方と話しをした。その後、近藤と土方は客人を道場に連れてきた。


 この日も巡察当番の組以外の隊士のほとんどが、すすんで稽古に励んでいた。


 土方は、道場に入るまえにさりげなく屯所の井戸のほうに双眸を向けると、少年が井戸端で洗濯をしていた。


 少年もまた新撰組にもどってはいたが、すでに小姓の役は市村などが務めており、少年の居場所はなくなっていた。

その為、少年はみずからすすんで小者の仕事をした。いまも隊士たちの大量の洗い物を、一人で洗濯している。


 少年がこちらをみた。が、土方をみているわけではなく、客人をみているようだ。

 その視線は、槍をたずさえている若者をとらえているようだ。


 この三人の客人は、土方が屯所にくるよう招いた。だが、土方が招かなくとも客人たちのほうでちかいうちに会津藩を通し、接触を試みるつもりだったらしい。


 三人とは疋田家で会った。疋田信江の亡夫と旧知の仲である三人は、その墓参りのついでに未亡人に挨拶によったのだ。

 そこに、土方がでくわしたわけである。


 三人の素性をしった土方は、屯所を訪れてくれるようすぐさま打診した。


 三人は、隊士たちにとってはいい刺激になると判断したのである。そして、三人もまた新撰組に用があった。したがって、土方の誘いをすぐさま快諾した。

 

 土方の視線のなかで、少年が溜息をもらしているのがわかった。土方自身の、さらには客人三人の心中をよみ、その意図を察したのであろう。


「お言葉ながらおれは闇でしか通用しない人殺しです。とても副長のご期待には添えませぬ」

「馬鹿いってんじゃねぇ。おれはおめぇをそんなふうに思ったことも評価したこともねぇ。ああ、悪かったよ。おれの身勝手でおめぇや斎藤にはずっと嫌な役回りばかりをさせてきた。だがな、これからはおめぇら二人にも表舞台で堂々と活躍してもらいてぇ」

「副長・・・」

「命令だ、坊。今度の試合にはおめぇも参加させる。その後、おめぇには総司にかわって一番組を任せる。これは総司の希望でもあり、近藤さんも同様だ。一番組の連中のほとんどが、浪士組からの古参でおめぇの腕はよくわかってる。連中も望んでる。いいな、これは決定事項で命令だ。おめぇに拒否する権利はねぇ。断りゃ士道不覚悟だ」


 土方は油小路事件以降、自身の懐刀に手をやいていた。これだけ頑固だとは思いもしなかった。

「いったいだれに似たのか?」とぼやいていたら、沖田と近藤に「土方さんでしょ?」「歳、おまえだろ?」、とからかわれた。


 反論できなかった。


 以降、少年は土方に反抗するかのように、かたくなに雑用に精をだすようになった。

 


 少年は、きたるべきときがきてしまったと痛感せざるをえない。

 主の連れている三人がなに者か、そして、三人のうちの一人がたずさえるものがなにかを、少年は三人の心中をよむまでもなくわかっている


 あれは、これほどまでに凄いものだったのか・・・?


 あらゆる意味での重圧が、自身の心身に容赦なくかかってくる。だがその反面、ぞくぞくと心身の奥底から、なにかが湧いてくる感覚もある。


 あれをあつかえるのか?畜生道にまで堕ちた自身が?とうていあつかえるとも思えぬ。だが、試す機会があるのなら・・・。


 いけない。本性がそれを欲している。渇望している。自身、それを認めざるをえぬ。


 自身はまだ未練があるのか・・・?


 思考と双眸を、無理矢理洗濯物へともどす。


 このままだと、あの三人に看破される。三人は、間違いなく手練であるのだから。


 隊士以外の者が屯所に脚を踏み入れることがめずらしいばかりか、道場のなかにまで入ってくるのは異例中の異例である。


 局長と副長が三人の客人を伴って道場に入ると、そうと気づいた幾人かが剣を振るう掌を止め、驚きの表情を浮かべた。


「稽古をつづけたまえ・・・。永倉君、原田君、斎藤君」

 近藤が隊士たちに声をかけると、隊士たちはまた歯挽きした刀を打ち振るう。


「近藤さん、道場に部外者を立ち入らせるなんざいったいなにごとだい?」

 隊士たちを相手に、白熱した指導をおこなっていた永倉の額、筋肉質の胸元に大粒の汗が浮かんでいる。

 左の掌で握る木刀で、自身の左肩辺りをぽんぽんと叩きながら、近藤に尋ねる。

 長槍をたずさえた原田と、木刀を右掌に握る斎藤が左右に立っており、ともに汗一つかいてはおらぬ。 これは、二人が指導を怠っているわけではない。なにごとにも熱くなりすぎる永倉と違い、原田も斎藤も冷静で理路整然とした指導をおこなうからだ。


 永倉は咎めているのではなく、あきらかに面白がっている。三人とも、近藤が伴っている客人たちがただの武士でないことくらいわかっている。とくに永倉と斎藤は、所作でこの三人の客人たちがかなりの剣の遣い手であることを見抜いていた。


「撃剣師範の永倉君と斎藤君、宝蔵院流の槍の名手の原田君です」

 土方がいった。

 三人とも客人にたいし、軽く一礼する。


「こちらの方々は尾張藩の方だ。新撰組うちの稽古をみていただこうと思ってな」

 近藤の言に、つぎは客人三人が軽く頭を下げた。

 三人とも、一つ一つの所作に無駄も隙もない。とくに三人のうちの一番若い青年は、かなり気が充実している。


 三人とも、有名な新撰組の実戦さながらの稽古に、感銘をうけているようだ。近藤の説明に一つ一つ大きく頷き、驚きの声を上げている。


「土方さん、ただ見学させておくにはもったいないだろう、えっ?その為に連れてきたんじゃないのかい?」

 近藤は、説明しながら隊士たちの稽古をみせている。それを、土方は壁にもたれかかってみていた。その土方に永倉が囁いた。その右隣では斎藤がむっつりとした表情かおで、反対側では斎藤とは真逆の表情かおの原田がたっている。


「目的はなんだい?だれかを捜しているようだな?」

 原田が形のよい顎をつきだした。たしかに、三人とも近藤の話しをききながら、隊士を観察しているようだ。

 そのうち、近藤は道場の隅のほうで井上の指導をうけている子どもたちを招きよせようとした。

 その瞬間、三人が目顔で合図を送りあったのを、土方たちはみ逃さなかった。


「坊か?」

 永倉がいった。顎髭をしきりに触っている。最近、永倉はそれを伸ばそうと試みていた。

 残念ながら、それはたんなる無精髭のようにしかみえぬ。後年、立派な顎鬚を蓄えることとなるかれも、若い時分ころにはあまり似合わぬようだ。


 斎藤は、尾張藩士と紹介されたときからなんとなく察しがついていた。

 少年について調べたが、予想通りそれはたいそう困難であるということがすぐにわかった。ほとんどなにもわからなかった。

 眼前にあらわれた武士たちは、尾張藩士しかもかなりの手練だ。かような気をはっする者は、尾張家中にもそうはおらぬだろう。そして、推測が間違っていなかったら、あの若者がたずさえる槍のようなものは、けっして部外者には拝むことのできぬ得物に違いない。

 これらすべてが、自身の予想の裏付けとなるだろう。


「尾張に恨まれることでもやったってか、坊が?それとも土方さん、あんたがやらせたか?」

「いちいちおぼえてられるか、左之?」

 土方は苦笑した。


 たしかに、原田の言はともにありえる。


 疋田信江の亡夫の知人であるし、尾張藩主が会津候の実兄であることから、この三人が新撰組に仇なすとは思えぬ。

 疋田家で会ったとき、敵意の欠片も感じられなかった。それはいまでもおなじだ。


 そういえば、信江の死んだ夫のことを深くはしらぬ。ある意味、訊けなかった。なにゆえ惚れた女に、死んでいるとはいえ亭主だったおとこのことを、根掘り葉掘りきけるのか・・・?

 そういったことは、自身の矜持がよしとしない。そして、それはこれからもかわらぬだろう。


「土方さん、きいてるか、えっ?」

 土方ははっとした。永倉が右肩を揺すっている。


 やはり、惚れた女のこととなるとおれもこんなていたらくか・・・。


 内心、苦笑した。


「一勝負やらせてくれよ、土方さん?」

「副長、おれもやらせてほしい」

 永倉の子どもじみた要求に、めずらしく斎藤が同調してきた。


 こいつも、剣のこととなるとこんなものか?

 永倉は驚き、ついで嬉しくなって斎藤の左肩をぱんと叩いてしまった。


「馬鹿力で叩かんでくれ、永倉先生」

「すまんすまん斎藤先生、つい嬉しくなってな」


「よし、まってろ」

 その二人にいい置き、土方は客人たちに打診してみた。


「とんでもござりませぬ」

 若者は怖れおおいとでもいうように、あいたほうの掌を振って応えた。


「われらなど、ただの道場剣術にすぎませぬ。かような稽古をみさせていただいた後に、どうしてかの有名な「近藤四天王」のお二方にご指南いただけましょうか?それに・・・」

 若者は、秀麗な相貌に自嘲めいた笑みを浮かべた。この若者も二人の壮年のおとこたちも、政治的なかけひきとはまったく縁がなさそうだ。ただひたすら剣を振り鍛錬している、かような気配を感じさせる。


「われらが流派は、たとえ稽古であっても他流派との試合は禁じられております・・・」

「残念ですな・・・」

 道場主だった近藤は、若者の言を充分理解できた。その一方で、自身の「四天王」の実力を、この客人たちにみせてやりたいという欲求もある。

 自身の「四天王」は、どんな相手であってもけっしてひけをとらぬと自信があるからだ。


 永倉も斎藤も、この三人とやってみたかった。剣士としての本能は、ただ単純に相手と剣を振るいあうことを渇望している。勝ち負けなどどうでもいい。剣士は所詮、白刃のなかでしか意義も意味もみいだせぬ。そのなかでしかわかりあえず、自身の存在も相手の力量も肯定できぬのだ。



 このなかにはおらぬようだ。

 若者は、道場の開け放たれた出入り口から庭先へと双眸を向けた。すると、一人の少年が井戸端で洗濯をしているのがみえた。

 水を井戸からくんでは洗濯物を洗い、水気を絞ってゆく。その動きにまったく無駄がない。しかも、一つ一つのそれは、体術の基礎の動きにならっている。すなわち、少年は洗濯そのものを鍛錬の一つとしておこなっているのだ。

 そう、洗濯で体術の鍛錬をしているのである。


 若者の左右で、同行の二人も少年に双眸を向けた。刹那、少年がこちらを向いた。


「あっ・・・」

 ほとんどわからぬほどではあったが、同行の二人が同時に口中で絶句した。


 文字通り、それは驚愕に値する。


 若者はそれをしらなぬが、同行の二人はそれをしっている。


 二人は二十数年まえ、たしかにそれにこっぴどく叩きのめされた。しかもそれは、そのときの容姿なりのままだ。


 きいてはいたが、正直信じてはいなかった。


 二人の様子に気づいた若者は、新撰組ここにもう用はないと判断した。

 ここは危険すぎる。あらゆる意味で。この時期、自身らの身勝手が主君の立場を悪くする可能性はかなりある。

 それほどまでに、新撰組ここは危険な要素を孕んでいるのである。


 尾張藩剣術指南役の立場上、これ以上新撰組(ここ)とのかかわりは避けねばならぬ。


残念がる近藤に、客人たちは社交辞令ととれるほどわざとらしく新撰組の稽古を賞賛し、またの再来を約束した。そして、そそくさと帰途につく。

 

 土方が斎藤に双眸を向けた。察しのいい斎藤は、土方の無言の命に軽く頷くと、さりげなく道場からでていった。


 土方に命じられるまでもない。斎藤は、最初はなからこうするつもりであった。


 若者たちが道場からでたとき、少年の姿はなかった。


 屯所の門番役の隊士に尋ねると、少年は一人堀川通りを北上していったという。


 どういう少年なのか?という客人の問いに、その若い隊士はあばただらけの相貌かおを右に左に振りながら、「土方副長の甥、ということくらいしかしりませぬ」と答えた。


 新撰組のほとんどの隊士は、少年について「土方副長の甥で伊東の色小姓だった」という程度にしかしらぬ。


 尾張藩の三人は、少年のあとを追った。

 それが誘いであることを、三人はわかっているからだ。

 

 現在いまの新撰組の屯所は、西本願寺がていよく敷地内から追いだす為に、建築、移転等の費用すべてを負担したものである。

 それは、西本願寺とはすぐ目と鼻のさきの不動堂ふどうどう村にある。その敷地は約三千坪あり、表門、高塀、玄関、長屋、道場、使者の間、近藤や土方ら幹部の寝間、平隊士の部屋、客間、馬屋などがあり、まるで大名屋敷の様を呈している。


 堀川通りを高塀に沿って歩いていくと、ようやく高塀はなくなり次は西本願寺の敷地とを隔てる塀がみえてきた。

 おあつらえ向きに、通りからわずか五間ほど入ったところに小さな祠があり、そのまえで少年が膝を折り、祠に向かって掌をあわせていた。


 若者がさきをあゆみ、そのうしろから年長の二人があゆんでいる。

 同時に歩を止めた。緊張と重圧が、この京の寒さのなかにあるにもかかわらず、三人の相貌に大きな汗の粒を浮かばせた。

 年長の二人は、反射的に左掌を腰の得物にかけていた。

 若者もまた、左掌にもつ細長い荷物を握りなおし、いつでも抜刀できるよう気をひきしめた。


 天才の名を欲しいままにし、鍛錬も怠らず、あまつさえそれに余念のない若者は、鞘を掌で固定せずとも迅速かつ正確な居合い抜きができる。


 少年からはなにも感じられぬ。敵意、害意、殺気、誠になにも・・・。

 視覚だけが少年の容姿を認めているが、それがなくばその存在感すら危ういであろう。


 なんとか自身の両脚を叱咤し、また歩をすすめはじめると、うしろの二人もおなじようについてきた。


 父親やうしろの二人などからきいている話しどおりだとすれば、自身の技量がどこまで通用するのか正直なところ想像すらかなわぬ。

 それらの話しは、自身にたいする戒めであると考えていた。

 そう、新撰組の屯所で洗濯をしているこの少年をみるまでは・・・。


 大粒の汗が双眸に流れ落てきた。瞼を閉じる。

 一瞬の間・・・。それをひらけたとき、若者は自身の首筋に白刃の無機的な冷たさを感じた。


「うっ・・・」

 呻き声が口唇から漏れた。右の掌は、本能的に頸を護ろうと上がっている。同時に、両膝から力が抜け、不覚にも冷たい地面に両の膝をついてしまった。

 かろうじて、左掌の荷物は取り落とさなかった。


 うしろの二人も、それぞれの頸筋をおさえつつ脱力したように膝を折った。


 相貌を上げると、三人のすぐ傍で少年がその様子をみおろしていた。


 やはりなにも感じられぬ。無表情ではあるが、その相貌は控えめにいっても美しい。


 若者は、その美しいまでの相貌にだれかが重なったような気がした。


「ご無礼、お許し願いたい」

 感情のこもらぬ低い声音だ。

 若者は、少年をみ上げ心底怖ろしいと思った。技量が通じるのか?などと考えることじたい、そもそも浅はかであった。

 格も質も、あきらかに異なる・・・。


「失礼ながら、そちらのお二方とは以前手合わせいただきました。あなたは?現在いまのご当主殿ですか?」

 少年は、若者をみつつも気になるようだ。ときおり、若者のもつ荷物へと視線をはしらせている。


 若者は、ようやく平常心に戻ることができた。立ち上がると袴についた土を払い落とし、居ずまいを正す。連れの二人もまた、若者のうしろでおなじように立ち上がり、控えた。


「第十九代、厳周としちかと申します。父 厳蕃とししげより、あなたのことはよくきいております」

 若者は、軽く一礼しながら名乗った。


「この二人は・・・」

「存じております。もり殿、残心の際の左脚のひらきは直りましたか?河内かわち殿は打突の際に腰がわずかにひけていた」

 少年は、やわらかい笑みとともに厳周のうしろの二人に問いかけた。二人は、双眸を幾度も瞬き、口をあんぐりひらけている。

 その指摘は、まさしく二人の癖である。じつは、いまだにそれは直ってはいない。


「まさか・・・。二十年以上まえに、一合か二合、蟇肌竹刀ひきはだしないをまじえただけで、われらの癖を?」

 森が呻いた。その隣で、河内もまた精悍な相貌かおに驚愕の表情を浮かべている。

「一合で充分。しっかりと覚えております・・・」

 そう応じながら、少年は緊張と重圧とで自身の鼓動がはやくなってゆくのを自覚していた。


 これが自身を威圧している。


「われらの用件はお分かりかと・・・」

 厳周が話しかけてきたが、耳朶はそれをとらえられなかった。なぜなら、人間ひとの声よりもこれの恫喝のほうが、よほど大きく圧倒的だったからだ。


 不意に、心の臓を鷲掴みにされたような衝撃が体躯にはしった。同時に、「キーン」という甲高い音が、脳裏に突き刺さる。反射的に、厳周の傍から一気に三間以上飛び退った。

 圧倒的な力が、自身を押し潰そうとしている。それに耐えきれず、地に片膝ついてしまう。鼓動とともに、呼吸もあらくなってゆく。


「・・・?どうされましたか?」

 驚いたのは厳周たちだ。少年の異変に、慌ててちかずこうとした。


 雲間から冬の弱い陽射しが地にそそがれた。ほんのわずかではあったが。そして、陽はまた雲間に隠れてしまう。

 気温は昼間であってもさほど上がらない。冷たい風が人間ひとに容赦なく吹きつけるが、この場にいるだれもが、それに気がつかないでいる。


 右の掌を上げ、厳周を制す。左の掌は、左のまなこを覆う。呼吸は、ますますあらくなる。右の掌を冷たい地に添え、土を握り締めた。


 なんてことだ。

 苦悶してしまう。


 あなたがた(・・・・・)は、わたしを試そうというのか?わたしの封印を解こうとしているのか?あなたがた(・・・・・)は、このわたしを御すおつもりか?


 このままでは封印が解かれてしまう・・・。

 左のまなこは、なんとも表現のしようのない違和感を伴っている。自身の意思に関係なく、封印が解かれようとしてるた。


「お止めくださいっ!」

 その叫び声は、厳周らをその場に釘付けにした。

「わたしが御されるのではない、わたしが御すのだっ!」

 静寂。


 このあたりは、西本願寺に参る信者が通るくらいで、もとより静かな通りである。よりいっそうの静寂が、人間ひとを包む。

 そしていまは、鼓動や呼吸音すら耳朶に響くほど、この地は無音に支配されていた。


 その叫びは、情けないほど懇願めいていただろう。だが、それの力はなんとか退いてくれた。鼓動も呼吸も、そして左のまなこも、平常に戻りつつある。


「三日、ときをいただきたい。そののち、かならずやあずかりものを尾張大納言様にお返しに上がります。その際、大納言様のご要望されていることの返答をさせていただきます」

 呆然としている厳周に、立ち上がりながら告げる。ちかづき右の掌を差しだす。

 厳周は、それが自身の左の掌に握られているものに対してであることを、理解するのにしばしときを要した。


「厳周殿、どうか尾張公にはよしなにお伝え願います。あなたのお父上にも・・・」

 厳周は、自身の左の掌のものを少年に託した。


 これで務めは果たせた。


 そもそも、これはいまは尾張藩主に継承されたものだ。もともとの継承権のある厳周ら宗家の者ですら、これをあつかえた者は一人もおらぬ。自身も含めて。これの存在意義は、現在いまではもはや慣習と儀式のでしかない。代々の尾張藩主と宗家の当主が、免許皆伝、継承を認められた際に交互に受け継がれているにすぎぬ。

 これまでは・・・。


 この少年ならばもしかすると、これをあつかえるやもしれぬ。否、きっとあつかえるだろう。


 残念なのは、尾張宗家ではなく江戸宗家の血筋の者があつかえるやもしれぬ、ということだ。尾張こそが正統と信じているのに。

 ゆいいつの救いは、どうやらこの少年には、尾張の血も入っているらしいということか・・・。


 厳周の想いは複雑だ。


「その「大太刀おおだち」を、ちいさなおまえがあつかえるのか?」

 斎藤は、とくに身を隠すこともなく、祠を護るようにして立っている木に背をあずけ、様子を伺っていた。


 少年や手練の尾張人たちは、斎藤が追ってきていることをしっている。隠れるほうが馬鹿馬鹿しい。


 厳周たちが去ると、少年はあずかりものを抱え、その斎藤のまえに立った。


出雲守永則いずものかみながのりの作。柄だけでも二尺三寸あり、刃長四尺七寸八分。総長七尺五寸一分。なかごには所持者だった者の象嵌銘がある。それはもはや太刀などではなく長槍だな?」

 斎藤は木にもたれかかったまま、少年が抱えるようにしてもつ布包みを、尖り気味の顎で示した。少年はやわらかい笑みを浮かべると、祠のなかに掌を伸ばし、刀袋に包まれた一振りをとりだした。

 かようなところに得物が置いてあったとは、さすがに気づくはずもない。


「これは、千子ですよ」

 年長者の心中をよんだ少年がいった。なにをするのかまではいわなかったが。


「それにしても、さすがは斎藤先生です。これのことをよくご存知だ・・・」

 少年は、自身が胸に抱える馬鹿ながい包みを示した。


「先生、おれはしばし、会津候・・・の依頼で屯所をあけます。その旨をわが主にお伝えいただけませんか?」

「それを副長に伝えて、おれになにか得はあるのか、えっ、坊?」

 斎藤は木から背をはなした。それから、おなじ「土方二刀」のちいさな相棒にちかづくと、片膝を折り目線をあわせる。

 その鋭利な相貌には、めずらしくいたずらっぽい笑みが浮かんでいた。ちいさな相棒は、おおきな相棒にちいさな肩をすくめてみせた。


「いいだろう坊、ひきうける。ま、おまえなら遣いこなせるんだろうよ、その馬鹿ながい太刀を・・・」

 右の人差し指でそのながい包みを突く。

「恩にきます、一兄はじめにい

 少年もまた、子どもらしく笑った。それから、試衛館時代の呼び名で相棒を呼ぶ。


「ずるいやつだ、おまえは・・・」

 試衛館の仲間全員が、少年のこのくったくのない笑顔に弱い。

 無論、斎藤も例外ではない。


 屯所までの帰路、斎藤の胸中はざわめいた。

 それは、剣士としての純粋な興味だ。


 いつか坊と勝負がしてみたい。負けることはわかってはいるが、剣の真髄を坊なら存分にあじあわせてくれる。

 それだけは確実だ。


 さて、副長にはなんと報告するか?

 土方をごまかす自信は皆無だ。


 なぜなら、自身は剣以外のかけひきは苦手なのだから・・・。

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