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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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「うどさぁ(偉大な人)」

 少年は、心底可笑しかった。


 餓鬼一人を呼びつけ、これだけ手の込んだ饗応をしてくれるとは・・・・。

 

 この数日前、伊東は薩摩藩邸で大久保と対面した。その際、大久保から依頼をうけた。


 それは、「これ以上徳川慶喜を庇護するのは止めろ」という脅迫まがいの諫言を、同門の先輩である坂本にするようにというものだ。


 大政奉還後、坂本はあたらしい政府の考案を練りに練った。


 それはまず船中八策の八カ条を示し、関白・議奏・参議を置くことなどを謳った。つぎに、公卿の岩倉のもとを訪れ、徳川慶喜も要職につけるよう提案した。


 その新政府案には、公卿の三条実美さんじょうさねとみを関白に据え、議奏や参議に長州や薩摩を中心とした武士や文官が名をつらねていた。


 その第二位の地位である副関白に、徳川慶喜を挙げたのである。


 そこに坂本の名はない。さらには、大政奉還に関する建白書を提出し、功を立てた土佐藩の者の名もすほとんどない。


 坂本は、薩摩や長州を立てたのだ。


 そんな坂本の誠意も、岩倉や大久保にとっては邪魔以外のなにものでもない。


 残念ながら、坂本の誠意はまったく通じることはなかった。


 そもそも、着地点が双方で異なるからである。


「これ以上、坂本にひっかきまわされてはたまらぬ。この舞台は、われわれ(・・・・)が演出し、演じるものだ。坂本ごときが采配するものではあらず。早々に退場願え」

 岩倉は、大久保に命じた。


 そして、大久保はそれを請け負った。 

 

 かような謀とは無縁の伊東は、こころよくひきうけた。かならずや伝えましょう、と。


 その訪問時のことだ。伊東の供をしていた少年に、黒田がひそかに接触してきた。

西郷せごどんが、おはんに会いたがっておいもす」


 ゆえに、少年は指定された刻限に薩摩藩邸にやってきたのである。


 眼前のおとこは、立派すぎる体躯である。上座におり、その右まえの庭に面した廊下側に黒田と中村がならんで座している。二人は、自身の得物を左太腿のすぐ側に置き、いつでも斬りかかれるよう神経を張り詰めている。


 その向かいには、小松帯刀こまつたてわきと大久保が座している。


 小松もまた薩摩の重鎮の一人だ。整った相貌は女好きの、否、男色盛んな薩摩藩にあっては男好きのする美男子である。その性質たちはあかるく、寛容、雄弁で魅力あるものだ。よくできた人物で、西郷ですら一目置いている。


 無論、さきの坂本の案のなかでも重要な地位に挙げられている。


 障子はあけはなたれている。この謁見の間から、藩邸の庭がみえている。


 無数の立ち木が、月と邸内で灯されている明かりのなか、浮かび上がっていた。


 奥、左右、それぞれの部屋から、無数の気が感じられる。


 いざというときの為に、藩士たちが武装し潜んでいるのだ。そして、それは庭からも感じられる。


 たった一人の餓鬼の為に、二、三十名が緊張と不安を抱え、息を潜めている。


 少年は、それが可笑しいやら申し訳ないやらで複雑な気分になった。


 しかも、訪問者にたいする備えはそれだけではない。


(西郷・・・。抜け目のないおとこだ。まぁ、遠島や命を狙われることがあれば、だれであろうと慎重にならざるをえぬか・・・)

 つねに狙う側であり、狩る側である少年では、狙われる側の心理もよく理解している。

 そうでないと、狙う際にその獲物の行動を予測できぬからだ。


「御陵衛士党首伊東甲子太郎の小姓を務めます佐藤龍でございます」

 おおきなおとこのまえで、少年はきっちりと礼をとった。


 筋道は通さねばならぬ。あとのことはそれからだ。


「新撰組副長土方歳三の甥でもあります」

 つけくわえておく。


 ここにいる薩摩藩の重鎮らは、すでに少年のことを調べ上げている。いま述べたことのすべてが嘘であることも、重々承知しているだろう。


「西郷隆盛でごわす」

 おおきなおとこがいった。体躯のわりに、かぼそい声音だ。


「ご苦労様です、佐藤君。わたしは、薩摩藩家老小松帯刀、こちらは大久保一蔵・・・」

 小松が名のり、大久保はかるく会釈した。

 小松は兎も角、大久保には複雑な想い入れがある。


「礼は尽くしました。現状では、わたくしはあなた方の敵ではないと認識しておりますが・・・。たいそう不穏な空気を感じます。お招きいただいて恐縮ではございますが、わたくしのような餓鬼一人に、ずいぶんとものものしくはないでしょうか、大久保先生?」

 少年は、その美しい相貌にやわらかい笑みを浮かべ、右に座す大久保をみた。

 その双眸に、冷たい光を湛えて。


「無論、われわれは敵同士ではない」

 少年の冷たい視線をうけ、大久保はすくなからず狼狽したようだ。


 武を重んじる黒田らが薩摩言葉であるのにたいし、小松や大久保になまりはほとんどない。

 外部との折衝などを担当する、いわば外交官にちかい役割をもつ文官たちは、お国言葉をつかわぬのが常識なのだろう。


「かような餓鬼を試されますか?」

 その言に、中村ははっとした。愛刀「和泉兼定」を掴む間もない。


 奥の部屋へとつづく、金箔張りの襖があけはなたれていた。


 いったいどうやったというのか・・・?

 小松と大久保の向こう側にある襖である。


 奥の部屋でおおくの武装した藩士に囲まれ、一際大柄な体躯のおおきなおとこがいた。

そのおおきなおとこは着流しだ。どうやら、着物は薩摩絣のようだ。


 少年は、そのおおきなおとこの左肩の上にすわっていた。


 瞬きする間・・・。それは、刹那の出来事だ。小松や大久保は、いまだ事態を把握できてはおらぬ。


「西郷先生ですね、本物の?」

 西郷の肩上で、少年はそう尋ねてから笑った。


「こや驚きもした。話しにきいていたよっかすごかこどんのよなあ」


 自身の肩上に座しているわらべの体重は、まったく感じられぬ。


 本物・・の西郷は、心底感心した。すごいと思った。

 頭脳、身体能力、外見、どれをとっても報告以上のものだ。

 西郷自身の好みである。


 自然と笑みがこぼれた。その笑みは、愛嬌あふれるもので、だれにでも好まれる類のものだである。


「ご無礼仕りました」

 西郷の肩上かひらりと飛び降り、少年は素直に謝罪した。

「おいこそ、失礼しもした」

 本物の西郷が掌を振ると、それまで座敷にいた影武者は、即座に下がった。


 西郷がそれにかわり、上座にどしんと尻を下ろす。


 武装したおおくの藩士たちの気配が瞬時になくなった。一方で、座敷にいる薩摩の重鎮たちの間に、緊張が漂いはじめる。


「おいが西郷隆盛でごわす」

 なにもかもがおおきい。体躯、相貌、そしてその精神こころも・・・。


 かれこそが、薩摩の実質上の指導者なのだ。


「新撰組とはやいあったこっがあいもはんが、局長の近藤さぁや副長の土方さぁの話しはきいておいもす。とくに土方さぁは、かないでくうお人だときいとう・・・」

 おおきな相貌ではあるが、いかついというわけではない。双眸も鼻梁も口唇も。よくみると可愛い。

 笑顔はじつにすがすがしく、また純真そのものだ。

 これをみせられれば、いかなる者でも護ってやりたいと思ってしまうだろう。


 西郷は、坂本や長州の桂ほど頭がまわるわけではない。かけひきにすぐれ、機転がきくというわけでもない。

 その所為で、流罪にちかい境遇に陥ってしまった。だが、他者ひとを惹きつけ、それをつかうことに長けている。だからこそ、かれの周囲にはすぐれた人物が集まってくる。それらはみな、西郷の為に命をはってはたらいている。

 西郷には、そうさせてしまう魅力が備わっている。

 大きな体躯も、その一因を担っているに違いない。


「恐れ入ります」

 少年は、素直に古巣にたいする讃辞をうけとめた。


 西郷は、胡坐をかいている。この体躯で正座はむずかしい。しかも、遠島生活で象皮症を患い、陰嚢が腫れていた。この時期ころはまだそうでもなかったのだろうが、後年西南戦争の際、それが人の頭ほどになり、馬にのることすらできずに駕籠を利用したという。


「おはんのこたあ江戸で調べさせてもろた。おやかけひきが苦手なんござんで。ほいならっで単刀直入にたもいやはんか。こっちの方にきやったもんせ」

 さしもの少年も、西郷のこの真っ向斬りにはすくなからず驚いた。


 ここまで真っ正直にくるとは・・・。


 四人の重鎮の心中もあわせてはかりながら、少年はちいさな肩をすくめた。


 西郷はまるで巨大な山だ。あらゆることをうけいれ、育むのに違いない。

 薩摩はやはり喰えぬ。すくなくとも、この西郷がいるかぎり、もはや少年の側が安泰にすごせることはないだろう。


 だが、これから将来さきのことを視野に入れるとすれば、西郷に自身を高くうりつけておくべきだ。どういう情勢になろうとも、有益な武器さくの一つになるやもしれぬ。


「わたくしのことをお調べになられたのでしたら、残念ながら先生のご要望には添えぬことも、先生ご自身ご理解いただいているかと・・・」

「そやほいならっとがう。いや、申し訳あいもはん。おはんのこっがつい気になってしまい詮無かちゅうこつをゆてしまおいもした。許してくいやんせ」

 おおきな相貌が悲しげに歪んだ。

 これもまた、みせられるとつい変心してしまいそうになる表情ものだ。


 だが、少年の方が一枚上手である。


「坂本先生もそのように誘われたのですか、西郷先生?」

 そう話しをふってみた。


 刹那、少年は大久保と西郷の心中をよむことができた。


(なんてことだ・・・)

 さきほどの少年自身にたいする問いより、それは少年を驚かせた。


 坂本を殺るつもりだ。


「坂本さぁは自由人ござんで。かれを縛うこたぁ何人なんぴとたいとも無理に違おらん・・・」

 少年の心中をよそに、西郷がいった。その声音は、そうとはわからぬほどの緊張を含んでいる。


 黒田、中村、小松はなにもしらぬ。

 大久保は、第三者をつかって殺るつもりなのだ。そして、その謀略をしらされた西郷は苦悩している。 止めたくとも、もはやそれを止められるわけもない。この件については、蚊帳のそとに置かれているも同然だ。


 中村をつかえば阻止できるだろう。しかし、薩摩藩のことを第一に考えねばならぬ。

 薩摩藩には、坂本の思想より岩倉の権力のほうが脅威なのだ。

 友情や信頼より、自藩の保守を優先せねばならぬ。


 少年には、そんな西郷の悔しさや悲しさがよく理解できた。


「西郷先生、わたくしもおなじことでございます。坂本先生には欲得などまるでございませぬ。この国をよくするという大望に、すべてをかけていらっしゃる。そして、わたくしはわが主とそれに関わる人たちにたいしてすべてをかけております。それを、要らぬ助言を放り投げられたからと申して、従順に尻尾をふるつもりなど毛頭ございませぬ」

 いまの少年にできることは、大久保に釘を刺すことくらいだ。いまの言が少年自身のことではなく、大久保自身にたいしてであることを、大久保は気がついたはずだ。


「すべてをしっているんだぞ」

 暗に恫喝したわけだ。おそらく、西郷もそうと気がついたであろう。


 黒田、中村、小松は、少年の坂本にたいする思い入れに驚いたようだ、が、さすがに言の葉にも表情かおにもそれをださなかった。


「会えてよかったござんで。またゆっくい話しをしたかもです。坂本さぁにもよろしゅ伝えてくいやんせ」

 坂本への伝言。意が含まれている。そして、少年はそれを理解した。


 西郷もまた、ぎりぎりのところをあるいている。


「あぁそうござんで、おはんの生家がおはんを狙っとう。気をつけてくいやんせ」

 西郷は、そう忠告して座を立った。


 薩摩の西郷隆盛は、やはり喰えない「偉大な人(うどさぁ)」であった。


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