藤堂の想い
「薩摩藩の後ろ盾を得ることができ、情勢も急速にかわってきています。大政奉還後、薩摩や長州は機会をまっている状態です。いまのうちに片付けておかねばならぬでしょう」
御陵衛士が屯所としている東山の高台寺月真院の一室で、伊東は腹心の部下たちをあつめ、そう宣言した。
篠原や内海といったもともとの伊東派に加え、藤堂や斎藤、伊東の小姓である少年も控えている。
すなわち、古巣である新撰組をどうにかする、という話しなのだ。
伊東は、心から憤っている。
幕府が新撰組を召抱えるということが引き金となった。それにより、新撰組は幕臣となる。それは、近藤や土方にとっては誠の武士となることを意味する。
だが、伊東にとってそれは、真逆を意味する。
倒幕の思想にまったく揺るぎのない伊東にとっては。
しかも、伊東を慕い、間者として置いてきた四名の若き生命が、土方の所為で絶たれてしまった。
近藤と土方を暗殺する、というのが最終的な目標だ。あとはどうにでもなる・・・。
藤堂は、そのおそるべきたくらみをききながら、斎藤と伊東のうしろに控えている少年をこっそりとみた。
無論、その二人も藤堂をみている。
互いにわかっていることだ。
藤堂は、二人がいまでも「土方二刀」と呼ぶにふさわしい、危険な刃であることを。
その土方の二振りの凶器は、藤堂がそのことを伊東に告げるわけがないということを。
伊東は、藤堂にとっては同門の先輩だ。自身が新撰組に誘い、入隊してくれた同志のはずだ。
だが、いまはなにがやりたいか、どうしたらいいのかわからなくなっている。
御陵衛士は居心地が悪い。自身のいるべき場所ではない。しょせん、伊東やその取り巻きたちは、藤堂にとっては剣術の同門というだけだ。
仲間でも、ましてや家族とよべるような存在ではない。
新撰組をはなれ、それを痛感した。それは、日を追うごとに自身の心身を蝕んでゆく。同時に、後悔の念とあともどりはできないという諦念もまた強くなってゆく。
せめてこの二人がまだいるあいだだけ、新撰組を全身で感じていたい。
近藤、土方両名の暗殺計画が表明されたたいま、斎藤あたりはすぐにでも御陵衛士から消えるだろう。そして、このたくらみは、今宵にも副長の耳朶に入るだろう。そのあとは、想像するに難くない。
伊東が、そして自身が、消されるのだ。
死ぬのが怖いのではない。
近藤や土方、永倉や原田、沖田や斎藤、井上に坊、仲間たちの側でその仲間たちの為に死ぬことができなくなったことが悲しいのだ。
裏切り者として死ぬなど、最悪だ・・・。
無意識のうちに太腿の上で両の拳を握り締めていた。それらは、真っ白になっている。それほどまでに力が入っていた。
党首の話しなど、もはや耳朶に入ってこない・・・。
月真院は、高台寺の一画にあるちいさな塔頭のひとつだ。八坂神社よりわずかに南に位置する。
高台寺じたいは、北政所が建立したといわれている。
月真院の境内には、織田信長の子の一人有楽斎が植えたとされる椿がある。
さしておおきくもない門構えだ。院内は、周囲の塔頭とおなじくおおきくはないが、歴史と威厳を感じさせる。
その夜、高台寺にある池の畔に呼びだされた。
空をみ上げると、上弦の月がでている。
月光と無数の星の光は、足許を照らしてくれている。
歩をすすめるたびに、枯葉がかさかさと音を立てる。
ここにきたときはまだ桜の季節だった。夏をすぎ、まもなく京にきて幾度目かの冬がやってくる。
いいや、冬はこないかもしれぬ・・・。
近藤さんの別宅での花見、愉しかったな・・・。
思わず、笑みが浮かんだ。まや夜空をみ上げた。
しんぱっつぁんや左之さんは、いまごろ自分たちの子をあやしてるんだろうな・・・。総司はちゃんと養生してるんだろうか?結局、あいつとの勝負はつかなかった。いや、おれのほうが未練がましく勝負を挑んでいただけか・・・。
胸が痛む・・・。
気配を感じる。
池の畔、月の光も星のそれも届かぬ木々の間で、呼びだした者たちがまっていた。
一人は、櫟の木に背をあずけて立っている。いま一人は、すぐ背後にあらわれた。
「平助、時間がない。一度しか言わん。いますぐおれと一緒にここをでるんだ」
背を櫟から引き剥がし、一君が一歩歩をすすめた。
「土方二刀」・・・。土方の二振りの懐刀・・・。
暗殺の腕前だけではない。剣の腕前そのものが、この二人は未知数だ。とくにうしろにいる坊は、その実力の片鱗すらみせていないはずだ。
この二刀のどちらがおれを殺るのだろうか?
身震いしてしまう。武者震い?否、かようなものではない。それ以前の問題だ。
所詮、この二人とは腕が違いすぎる。こちらが得物を抜くまでもないだろう。
恐怖か・・・。
だが、土方さんの刃にかかって死ぬのも悪くないかもしれない。
「こたえはわかっているはずだろう、一君?」
さまざまな感情が心中で渦巻いている。その昂ぶりで、声音がうわずってしまっている。
一君が両の肩をすくめた。わざとらしく溜息をつく。
陰気な相貌に、苦笑が刻まれているのがわずかな光の下でもわかる。
「戻れないよ・・・」
昔のようには・・・。この心中の叫びは、一君にはわからなくても後背にいる坊には理解できたはずだ。
自身を妖と称する少年。
死んだ山南さんの心中、そして、その死の真相を坊はしっている。
「そうか・・・」
一君はすぐにひいてくれた。
こうなることは、わかっているのだ。
「坊、あと《・・》は頼むぞ」
一君は、木々の間の闇へと消えた。
「おまえは残るのかい、坊?」
振り返らずに尋ねた。
「おまえはいったいなにものなんだ、坊?」
焦燥が、口唇をひらかせてしまう。
「こたえはわかっているはずですよ、平助兄」
坊は、試衛館の時分の呼び方でわたしにいった。
「おれはただの人殺し。妖です。標的には、まだまだ甘い汁が必要ですから」
すなわち、逆に暗殺するまで坊が自身の体躯でもって伊東先生に甘い汁を吸わせようというのか。
「平助兄、大丈夫」
はっと下をみると、坊が懐にはいっていた。魅惑的な笑みでみ上げている。
「あなたにしがらみなど似合わない。魁先生、あなたはあなたの想いのままに生きてゆくのがいいのです。それがたとえ、新撰組でなくとも・・・」
ちいさいくて分厚い右の掌が、心の臓のあたりに添えられた。
「心のままに生きてください、平助兄。それがわが主の願いです・・・」
木枯らしが吹き、枯葉が舞い上がった。かさかさという乾いた音が、高台寺の静寂のなかやけにおおきく耳朶をうつ。
坊の姿は消えていた。
坊の掌が添えられていた左胸に、おなじように右の掌をあてた。
「生きていく、か・・・」
逃げだして、どこかでやりなおすのもありかなと考えた。すると、不思議と気持ちが軽くなる。
そうだ、もともと思い悩むのは苦手なのだ。がらではない。
「そうだよね、土方さん?」
歩をすすめ、落ち葉を踏みしめる。
月真院へと戻るために・・・。
「ご苦労だった。すまなかったな、斎藤・・・」
斎藤は、山崎を通じて土方と密会する段取りをつけていた。土方の別宅で、すべての報告がおわるとすでに丑三つ時であった。
なにもかもが静寂に支配される刻限。
想定内であったのだろう。さらには、もう一振りの懐刀である少年から報告を受けていたのだろう。土方は、藤堂のことも含め、斎藤の報告を冷静に受け入れた。
燭台の灯火が、二人をほのかに照らしている。
油の燃える音は、この静けさのなかにあってやけに大きく響く。
斎藤は、月真院からまとまった金子を盗みだしていた。無論、それは姿をくらます為の動機にすぎない。
「斎藤が芸妓に入れあげ、島原を頻繁にでいりしている」
少年や山崎らが、御陵衛士の連中の耳朶に入るよううまくやってくれるだろう。
「おめぇはしばらく好きにしていいぞ。決着がつくまで身を隠してろ。まぁ、なんだ。黒谷で剣術の稽古でもするもよし・・・」
土方は、この間に本来の主君である会津候の為に、仕事の一つでもしたらどうだと暗に提案してやった。
それをどうとり、どうするかは斎藤しだい、というわけだ。
「副長、だれがすることになるんです?」
斎藤は、その提案にはふれず、違うことを尋ねた。よほど気になっているのだろう。
なににたいしても無関心なかれにしては、めずらしいことである。
「あぁ、気になるか?おそらく、大石あたりになるだろう。おそらくな・・・。斎藤、これまで穢れ仕事ばかりさせちまって誠にすまなかった。この件に決着がつき、ほとぼりが冷めたら、おめぇにはまた三番組をみてもらわにゃならん。もう暗殺や間者のようなことはさせねぇよ」
斎藤は、心底驚いた。
いったい、どういう心境の変化でかような処遇になるのか?
もしかすると、斎藤自身の暗殺者としての心構えや技量に不満か疑いでもあるのであろうか?
黒谷の件もある。そもそも、これまで重宝されてきたほうがおかしいといえばおかしいのだ。
「勘違いするなよ斎藤・・・」
表情をよんだのか、あるいは心中を察したのか、土方は苦笑しつついった。
「坊にもさせねぇつもりだ。「近藤四天王」とおなじように、おれの「二刀」にはこれから表舞台で活躍してもらいてぇんだよ」
土方はつづけた。
「おめぇも坊も、本来は立派な剣士だ。暗殺のような陰気な仕事は、それにあった兇刃をふるうのがちょうどいい」
つまり、大石のような殺人狂で充分というわけだ。
「おれはあなたの仰せのままに従います。ですが坊は・・・?」
「あいつも命令には従わせる」
斎藤は、土方と視線が合った。
その双眸の奥に、いいようのない怒りの焔のようなものが垣間みえた。同時に、その体躯の奥底に憎悪がわだかまっているのが感じられる。
斎藤は、瞬時に悟った。伊東に抱かれるような穢れたことを二度とさせたくないからだ、と。それがいまの土方から、怖いほどに感じられる。
以前、土方からの伝言を伝えた際に感じたものとおなじものが、いままた斎藤のなかでくすぶっていた。
いったいなんだというのだこれは?
薩摩藩邸で自身がみたことを、そこから推測したことを、土方に話したらいったいどうなるであろうか?
ふと誘惑に駆られた。だが、かろうじて抑えこむ。いまはまだはやい・・・。
せっかくときをあたえられたのだ。自身の推測について吟味し、調べてみることができるやもしれぬ。
「承知。お言葉に甘え、しばしお暇をいただきます。ただ・・・」
斎藤が一礼しながら告げると、土方は頸をわずかに傾げてさきをうながした。
「平助のことをどうか・・・」
「そっちも心配ねぇ。安心しろ」
そう応じると、土方はさっと立ち上がった。
それが、この夜の密会の終了の合図である。




