兇刃
武田観柳斎が暗殺されたのは、伊東らが御陵衛士として分離した後だった。
甲州軍学など、伊東の思想や西洋の銃火器類のまえでは無用の長物にすぎず、その性質もあいまって、すでに新撰組に居場所はなかった。
伊東を頼って御陵衛士に転がり込もうとこころみてはみたものの、分離時の協定の為に門前払いをくらった。
もっとも、伊東にしてみれば「いっさいのゆききをみとめず」は、この武田に関してだけいえばていのいい断りの材料となった。
武田などお荷物でこそあれ、役に立つ人材ではない。
途方にくれた武田が選んだ道は、邪道である。すなわち、新撰組の情報をもって薩摩藩邸にでむいたのだ。
そこに、伊東が自身をうりこみに訪れていた。その護衛役としてついてきていた斎藤と少年が、薩摩藩邸の門前払いをくらっている武田をみかけたのである。
同日の夜、武田はなにものかによって惨殺された。
土方の密命で、大石が殺ったのだ。
その土方に情報を流したのがだれかは、いうまでもない。
武田の暗殺につづき、新撰組に残された伊東派がこぞって切腹して果てた。
新撰組が幕府の直臣に取り立てられたのをきっかけに、残留組が御陵衛士にうつりたいと会津藩に直訴したのである。
この一件だけは、協定が仇となった。
中村五郎、茨木司、佐野七五三之助、富川十郎ら四人は、話し合いの甲斐もなく会津藩邸で自刃した。
撃剣師範の一人である田中寅蔵は、中村らの自刃の数ヶ月前に脱走し、御陵衛士に接触をこころみようとした。だが、接触かなわず発見され、切腹した。
隊の分離は、じつにおおくの生命を奪ってしまった。
伊東は、御陵衛士の活動資金をあつめる為に奔走せねばならなかった。おもに公家をわたりあるき、その美貌と弁舌でもって喰うに困らぬだけの援助者を得つつある。
必要なのは金子だけではない。味方こそが、伊東にとってもっとも必要なものである。
伊東は、その味方のとして薩摩を選んだ。足繁く藩邸にかよっては、重鎮との接触をこころみた。
その甲斐あってか、大久保に会うことが叶った。それは、大久保が岩倉とはじめて密会した数日後であった。
伊東は、その弁舌をおおいにふるい、薩摩の庇護を得るにいたる。無論、その弁舌のうちには古巣である新撰組の情報も含まれている。
会談は成功した。伊東は、ただの吹聴屋ではなかったのである。
伊東は、他出する際には護衛役として斎藤を、そして、いまや堂々と傍に置いておける少年をつれあるいている。
この日、伊東が薩摩藩邸にいる間、お付きの二人は玄関先の建物の壁にもたれ立っていた。
そこからだと、薩摩藩邸の庭がよくみえる。
薩摩藩邸の庭は、ほかの藩邸のそれとはちがい、一風かわっている。
樹木や灯籠などはほとんどみえぬ。そのかわり、そこには埋め込まれた立ち木が整然と並んでいる。しかも、それらはすべてそがれていたり、けずられしまっている。
立ち木は、藩士たちが示現流の打ち込みの練習につかっているのだ。
示現流は、稽古のほとんどを道場でおこなわない。ただひたすら木などに向かって木刀を打ち込むのだ。
そこで鍛え蓄えられたものが、強烈な一撃となって相手を一刀両断にしてしまうのである。
「示現流の初太刀をかわせ」
新撰組局長近藤にいわせしめたほどの威力は、天然理心流のみならず、どの流派からも畏れられている。
二人は、その鍛錬を興味深く眺めていたのだ。
「こや驚いた。有名な「土方二刀」ほいならなかですか?」
その二人のまえに立ちはだかったのは、薩摩で大久保に並ぶ重鎮西郷の取り巻きの一人である黒田清隆と用心棒である「人斬り半次郎」こと中村半次郎だ。
中村も黒田も示現流の達人だ。すでに二人の気は充実している。殺気ではなく、巷で名高い「土方二刀」をまえにし、剣士としての興味が勝っているのだ。
かれらは調べ上げているのだ。新撰組の内情すべてを・・・。
「驚きもした。気の毒な孤児の陰間が凄腕の人斬いほいならったとはな」
黒田につづき、中村が声高にいった。
「その節はご贔屓にしていただき、ありがとうございました」
少年は、悪びれることなく中村の皮肉に応じた。
間者としての任務なので仕方ないでしょ?と声にださずとも、中村も黒田も充分承知している。
示現流の達人たちは、この日も琉球絣の着物と袴姿である。
陰間茶屋のときと違うのは、大小を帯びていることだ。
斎藤は、自然な動作で壁から背をはなした。右腰にある鞘に、右の掌が軽く添えられている。
斎藤もまたこの凄腕の剣客二人をまえにし、気がたかまっているのを自覚した。
敵味方関係なく、だれもが純粋な剣士なのだ。強い相手をまえにし、その腕を競いたいと切望してしまう。
「御陵衛士の斎藤一。この子は、伊東先生の小姓の佐藤龍。われわれは、あなた方の敵ではありませぬが?」
その斎藤の言に、中村がふんっ、と鼻を鳴らした。その肩を、黒田が大きな掌ではる。
陽にやけた相貌に分厚い掌、着物の上からでもそれとわかるほどの筋肉質の体躯。
二人ともに努力と鍛錬を重ね、ここまでのぼりつめたのであろう。
「こや失礼しもした。おいは黒田清隆。こっちは中村半次郎。まあ、いろいろ事情があっとでしょうね。しらんのは伊東先生だけ、ちゅうわけですな?」
新撰組副長土方の命で間者として伊東の側にいることをしっているのだと、黒田は暗にいっているのだ。
「まぁよか。そげんとこいで隠れてみうこたあん。おいたちの練習を堂々とみうとよか」
中村の潰れた声音は、立ち木に向かって一心不乱に素振りをくれている大勢の藩士たちの注目をあつめるに充分なだけのおおきさだ。
いまやおおくの視線が、四人に向けられている。
「そいがよかだろう。さあ、こっちへ来うとよか」
黒田は、剣術だけでなく砲術家としてもすぐれた才能をもっている。その代償に、聴力が弱くなっており、その為声量がおおきい。
黒田が先頭に立ち、斎藤たちを庭へと導く。最後に中村がつづいた。
まさしく四面楚歌。だが、恐怖や不安など微塵もない。それどころか、ますます気分が高揚してゆく・・・。
斎藤は自身でそう強く感じた。
これだけおおくの示現流の遣い手を相手にし、坊と二人で死闘を繰りひろげる。その結末にたとえ死があったとしても、それは剣士として最上のものではないだろうか・・・。
ぞくぞくしてくる。
そのとき、斎藤は背後に猛烈な殺気を感じた。否、死神の息吹だ。
反射的に左の掌が柄に伸びる。
(おそいっ!)
そう告げたのは、ここ数年来の暗殺稼業で培われた感覚だ。
刹那、背後から突き飛ばされた。
あらゆる気がぶつかり合い、一瞬にして砕け散った。直後、そこに訪れたのは静寂だ。
初秋というのに、しつこい暑さのなか、真冬のような寒さに襲われる。否、冷気だ。
斎藤がいた場所に少年がいた。その少年の人差し指と中指の間に、中村が放った刃がはさまれている。
斎藤の背に、中村が渾身の初太刀を見舞ったのだ。
その場にいる全員が凍りついていた。畏怖で心身を凍りつかせ、ただ呆けたようにその光景をみつめていた。
示現流最強と謳われる中村の初太刀は、気と力を溜めてからでなくとも放つことができる。
「人斬り半次郎」の長年の鍛錬と経験が、気と力を瞬時にして高め、一気に放出することを可能としていのだ。
その威力は、溜めからのもの以上である。人間どころか、おおきな岩をも一刀両断にすることができる。
愛刀「和泉兼定」とうまく同調している、誠の剣士にしかできぬ手練である。
その一撃を、まだ幼い童がたった二本の指でうけとめている。しかも、周囲に闘気を発した。その凄まじいまでの闘気は、豪胆な者にさえ恐怖を与えた。
その得体のしれぬ気にあてられ、ほとんどの者が指一本すら動かすことができなかった。
少年は、舌打ちしたい衝動をかろうじておさえた。
「和泉兼定」は、その遣い手についてすべてを語ってくれた。
さすがは「人斬り半次郎」だ。闇討ち、だまし討ちというような姑息な手段をつかわずとも、剣士として最高の技量をもっていることがよくわかった。
そして、これで示現流そのものを会得できた。
中村半次郎という最高の遣い手とその愛刀のお蔭で・・・。
未熟なのは自身だ。ついのせられてしまった。その未熟さが、自身の正体を暴く結果となった。
薩摩から岩倉に、そして、いずれは新撰組にも・・・。
斎藤が驚愕から覚め、『どういうことだ?おまえは・・・』と心中で叫んでいるのがよめた。
刀や流派に通じている斎藤が、このいまの状況を目撃し、これがなにかわからぬわけはない。
気づきつつあったのはしっていた。これで確信したであろう。
本能が、自身の本性がついでてしまった。もうあともどりはできぬ。
この悪しき力を、いかように使いたがるだろうか?
敵として攻撃してくれるのならいい。だが、敵わぬとみて籠絡を選ぶとしたら・・・?それも、手段を選ばず・・・。
この悪しき力だけではない。悪しきものとは別種の力もある。
二つの力は、どちらの側でも有効につかえる。
中村は、愛刀を通じて心底肝を冷した。
本気で斎藤を斬るつもりだった。斎藤ほどの技量であれば、腕一本失うくらいで済んだであろう。
この童が、内偵の結果に基づいた力をもっているのか、その正体が真実なのか、それらを斎藤を餌にし、たしかめたかったのだ。
かなり過小評価されたものだった。これは、およそ人間の手に負えるものではない・・・。
「人斬り半次郎」と怖れられ、一目置かれて天狗になっていた自身では、とうてい敵うわけのない相手である。
(西郷さぁがよろこぶんそ。絶対に欲しゅなうに違おらん。そん強大な力、そいからそん美しさも・・・)
中村は、自身の生命と矜持、ともに危地のうちにあることを自覚していた。それでも、剣士としての高揚感も手伝い、愛刀が語りかけてくる言の葉に、じっと耳朶を傾けた。
「兼定」はこういっている。
「足許どころか、天と地ほどの差があるぞ」、と。
童の二本の指にはさまれた剣先は、ひけどもおせどもびくともせぬ。
そのとき、「兼定」が軽くなった。童の指から開放されたのだ。
「中村先生、お戯れを・・・」
童は、子どもらしい甲高い声で叫んだ。
「かような童をからかうなんて・・・」
そして、きゃっきゃっと笑った。
「だったら、示現流を教えて下さい。お願いします」
そして、ねだってみせた。
中村の間合いをけっしておかさぬ。間合いの外にあって、童は中村をみ上げていた。
その双眸は、陰間茶屋で語り合ったときとおなじように、きらきらしているように中村には感じられた。
中村は童に立てられたのである。いまは、おおくの藩士たちの手前、不本意ながらもそれにのるしかない。
ふとみると、童の向こう側で朋輩の黒田が苦笑しているのがみえた。
その瞳は、朋輩が中村と同様のことを考えていることがうかがえた。そして、朋輩の表情には、童にたいして違う意味での興味、すなわち、好色な笑みまで浮かんでいるのがはっきりみてとれた。
「残念じぁんどん、会見がおわう時間ござんで。またにしもんそ」
「兼定」を納刀しつつ、中村は告げた。
「斎藤君、申し訳あいもはん。中村の無礼を心からお詫びすう」
黒田が謝罪するなか、少年は斎藤と視線を絡めあわせ、そこで暗黙の了解を得た。
いまはまだ、このことについてはふれてくれるな。与えられた任務に集中してほしい、と。
(ああ、わかっているさ坊。おまえがなにものなのか、すくなくとも誠の流派がなになのか、それがわかった。それでいまはよしとしよう・・・)
つねからの無表情の奥底で、斎藤は自身を納得させた。




